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【5】愛するひと



――――月夜に輝くのは黒地にキラキラと星の瞬く不思議なドレスだ。


「俺も贈りたかった」

「これもあなたに贈られたドレスよ、ヒューゴ」

「けど……っ」

「今は婚約者ではないのだから」

私に堂々とドレスを贈る予算は降りないわ。


「婚約者だってことの意味の大きさにうちひしがれている」

「そうね……確かに大きかったわ」

あなたの贈ってくれたドレスを着て隣を歩くこと。堂々とそれができるのは【ヒロイン】の専売特許ではなく、【婚約者】だと言う王の許可のもとだからこそだ。


「だからこそ、今度こそ婚約者になるんでしょう?」

「うん……絶対にアリスと婚約者になる」

「その意気よ。それとね、手伝ってほしいこともあるのよ、ヒューゴ」

「……何だ?」

「これよ」

見せたのはお母さまから受け継いだ公爵家のジュエリーである。


「私、お母さまから受け継いだジュエリーを身に付けることも夢だったの」

「……アリス!すまない……俺はアリスに何も確認してなかった。いつも義務としてドレスやジュエリーを贈っていた。アリスの趣味も考えず、アリスが何を身に付けたいか聞きもしなかった。愚かすぎる婚約者だった」


「このドレスは割りと私の好みだわ。だから選んだのよ」

「……!」

「それにあなたと好みが合ったのだと当時は嬉しかったのよ」

「アリスは前向きだな」

「あなたのお陰でもあるのよ」

「俺の……?」


「今のあなたは私を元気にしてくれる。勇気づけてくれるの」

「俺が、アリスを?俺の方こそアリスに勇気づけられてる。アリスがこんな俺ともう一度婚約者になりたいと言ってくれたから」

「卑屈にならないで。あなたは充分魅力的だわ」

「……アリスっ」


「だからあなたと選びたいの」

「アリスのお母さんの形見なのにいいのか?」


「もちろんよ。どれが似合うか選んで欲しいわ」

「うーん……」

真剣に選んでくれるところは相変わらず好感が持てるわよね。


「この薔薇の意匠が施されたブローチ、素敵だな。どこかで見た気もするけど」

「それは……お母さまのお気に入りのブローチよ。写真でもお母さまがよくされているわ」

「それで見たことがあったのか!でもこれ、アリスにもきっと似合うと思うんだ」

「……!」

「つけてみてもいいか?」

「ええ、もちろん」

ヒューゴの指の感触が布越しに伝わって、なんだか恥ずかしいと言うか照れると言うか。


「ほら、似合う」

「うん……、あ、ありがとう」

最近は前世の記憶を取り戻したヒューゴから面と向かって褒められることばかりで、何だかそれが不思議だけど嬉しくて。


「イヤリングや髪飾りも合わせて選ぶか」

「う、うん」

イヤリングはブローチに合わせて、髪飾りは薔薇の意匠のあしらわれたものだ。

こうしてふたりで選ぶことがこんなに楽しいだなんて。婚約者だった頃以上に距離が近くて、そして……幸せなのだ。


「さて、そろそろ出発の時間よ」

「ああ、行こうか」

自然な所作でエスコートしてくれるのは相変わらずだけど、あの頃よりもどこか温かい。


「ドレスならお父さまがプレゼントしたのに」

馬車の中では不満げなお父さまが待っていた。


「今回はヒューゴのエスコートを許可してくださったので、お気に入りのドレスを着たかったのです」

「ぐ……っ、お気に入りか」

悔しげだけど反対しないでくれるのは親心かしら。カタカタと車輪の音と共に景色が動き始める。沈黙が続く。


しかし堰を切ったのはお父さまの鋭い視線だ。


「……かつてはアリスの好みなどまるで理解していなかったくせに」


「す……すみません、お義父さん」

「まだお義父さんじゃないわっ!それに今回のパーティーへの同伴はお前を認めたと言うわけではない」

「わ、分かっております……」

隣で礼装に身を包んだヒューゴの首には相変わらず首輪とリードがある。しかしこれは陛下より与えられたものなので王宮に着けていくことは陛下公認と言っていい。


「本来婚約者のいない令嬢のエスコートなら親族が務めるものだ。私が務めても良いがそれではアリスが婚約破棄されたと言う事実をアピールしているものだ」

お父さまも私を傷付けないためにあの日の婚約破棄を思い起こさせたくないのよね。


「お前も……親族だからな」

お父さまがギロリとヒューゴを睨む。従兄弟同士だものね。


「む……娘さんは俺が守ります!」

「当たり前だ!お前のせいなんだから」

「この命に代えても!」

いや命は言い過ぎでは!?

「そうか……殺しておいても良かったな」

ひいぃっ!?


「……しかしそれではアリスが悲しむ」

「お父さま」

結局はいつも私を第一に考えてくれるから。私がヒューゴと婚約したことも喜んでいたから見守ってくれた。婚約破棄騒動があっても私はヒューゴと再び婚約したいと願ったから屋敷にも置いてくれたのよね。


「だから……ちゃんと守ってやりなさい」

「はい、叔父上」

ヒューゴの手はとても逞しく温かい。だからきっと乗り越えていけると思えるのよ。


あの日と同じシャンデリア、華やかな貴族たち、そして壮大なオーケストラ。


足がすくむ。視界が歪む気がしてしまう。


「アリス」

「ヒューゴ?」


「大丈夫、俺がついてる」

「……うん」

以前はついていくのに必死だったのに、今はこうして歩調を合わせてくれている。


歪みかけた視界は元に戻り、そこには変わらぬ社交界が広がっている。

深呼吸すれば、周囲の視線などどうってことない。


『ローズ公爵令嬢だわ』

『この間婚約破棄されたって』

『え、でも隣に殿下がいらっしゃるわよ?』

うう……さすがは噂があっという間に開花する社交界。しかも私に聞こえるように言うとか……婚約破棄の一件でナメられてる?


「アリス。ちょっと行ってくる」


「ちょっと、やめなさい!あなたも王子教育を受けたでしょう!?」


「それでも俺は、愛するひとをバカにされるのは……嫌だ!」

「へぁっ!?」

思わず変な声が出た。

周囲が静寂に包まれる。しかしオーケストラは止まらないどころか、どこかロマンチックな旋律が流れていないかしら?


「そうよあなたたち、知らないの!?」

さらにあの元気の良すぎる声は。


「確かに殿下は一時気の迷いを起こされたけど、アリスさまの愛により改心され愛を叫んだのよ!今、この時のようにね!」

大体は合っているけど脚色し過ぎてるわよ!シンシアさま~~っ!


『まぁ……!』

しかも噂をしていた令嬢たちが薔薇色の溜め息を漏らしている。


「すてき……」

「氷の王子と誉れ高い殿下があんなに情熱的にっ」

「そこまでアリスさまのことを……?」

「憧れますわ~~!」

ち……違う意味で注目の的になってしまったぁ~~っ!


「アリスさま!」

とたとたと嬉しそうにやって来たシンシアさまの髪には小ぶりな薔薇のアクセサリーがある。いつもどうやって情報を仕入れているのかしら……?


「アリスさまと殿下の愛の布教はお任せください!」

「ふ……布教!?」

驚いていれば後から慌てて騎士服の青年がやって来た。


「度々申し訳ありません!」


「い……いえ、いいのよ」

「そうだ。アリスを崇めるのなら問題ない」

いや、ヒューゴ。私を崇めさせないでくれない?


「ええと、確かあなたは……」

「改めましてシンシアの婚約者シルヴァン・スノウです」

「ええ。スノウ侯爵令息ね」

シルバーブロンドに赤い瞳。年齢はシンシアさまより少し年上と分かる。


「はい。シンシアがいつもご迷惑を」

「いえいえ!仲良くしていただいて、私も感謝していますから!」

「そう言っていただけるとありがたいです……」

何だか婚約者と言うよりも保護者……のように見えるわね。


「そうだ……良ければ今度お茶会でもどうかしら?スノウ侯爵令息もご一緒に」

近衛騎士だから忙ししいでしょうけど、その方が安心では?

「よろしいのですか?私が同席しても」

「ヒューゴもいますし」

多分ついてくるわよね。


「そのっ」

スノウ侯爵令息が緊張しながらもヒューゴを見る。あれ……逆効果だったかしら?


「ふん。俺はアリスお嬢さまの執事。気にすることはない」

「ええと……でも」

まあ彼からしたら仕えるべき王族だからなあ。


「楽しみだわ、ね、シル!」

「う、うん。シンシア」

だけど何だかんだでシンシアさまの明るさに勇気付けられているみたい。


「何だかいい夫婦になりそうだわ」

「俺たちだって」

「ヒューゴ」

そう、よね。私たちの目指す先にだって……。


「あの、」

そう漏らしかけた時だった。


「見付けたわ!ヒューゴさま!」

こ……この耳ざわりな声はまたなの!?


「相変わらず悪役令嬢に騙されているのね、かわいそう!」

うるうると目を潤ませながらメリナがやって来たのだ。


「騙されてなどいない」

しかしヒューゴが私を後ろに庇い毅然と立ちはだかる。


「……」

その時メリナがにやりとほくそ笑む。


「ヒューゴさまは悪役令嬢アリス・ローズに騙されているの。洗脳され愛していると無理矢理認識されているのよ!私はね、ヒューゴさまを愛している!だからこそ助けに来たのよ!」

コイツ……まさか。自分の作り出したシナリオの強制力にヒューゴが引っ張られていることに気が付いている……!?

そして再び意のままに動かそうとしてるんだわ!


急いでヒューゴのリードを掴も手を伸ばしたその瞬間。指を、掠めた……?


「これがヒューゴさまを操っているの!」

一足先にメリナの手にわたっていたのだ。


「今すぐ外してあげる!」

不味い、あれがないとヒューゴは……っ!


「放せ」

野太い声と共にリードを握るメリナの手首ががしりと掴まれていた。


「きゃっ!?ヒューゴさま!?」

「俺は操られてなんていない!そしてアリスはかわいくて明るくて、氷の王子と呼ばれていた俺にも笑いかけてくれた……とっても素敵な女性だ!悪役なんかじゃない!訂正しろ!」

「は……?何を……ヒューゴさまは憧れの氷の王子で……」

この子は……そう呼ばれていたヒューゴの苦しみも知らずにいつまでも自分の理想を押し付ける気なんだわ。


「ふざけんじゃないわ!何が氷の王子よ!本当のヒューゴを見ようともしないあなたになんて、ヒューゴは渡さないわ!これは返してちょうだい。私のものよ!」

メリナの手からリードを奪い取れば、ヒューゴも彼女の手首を解放する。


「そ……そんな首輪とリードまでつけて……悪趣味よ!悪役そのものじゃない!」

まだ諦めない気のようね。


「ここで断罪してやるわ!」

メリナはニヤリと笑む。


「悪役令嬢アリス・ローズ!あなたは第2王子であるヒューゴさまに首輪とリードなんてものを着けて奴隷扱いする大罪人……!そして周囲をも洗脳している。この場にいる誰ひとりそれに異を唱えないのが何よりもの証拠だわ!」

「いや、誰も異を唱えないのは……」


「ダメよ、みんな!アリスの話を聞いたら洗脳されるわよ!!」

もうめちゃくちゃよ!


「私の娘に言いたいことがあるのならまずは当主の私が聞こうか」

その時響いた声にみなが道を開ける。


「因みにそれは私が着用を許可したものだ」

さらには陛下までご一緒だ。まあ前回のパーティーで陛下が着用を許可……と言うか勧めた以上は誰も反対しないわよね。言わばそれは王命である。


「はあ?誰よおっさんたち」

メリナの言葉に誰もが口を開け呆然としている。


「サニー男爵夫妻をここへ」

「陛下の命だ。急ぎ参上せよ」

お父さまの言葉にさすがにメリナもハッとしたようだ。


「お……王さ……っ」

しかしメリナの言葉が最後まで紡がれることはない。


「申し訳ありません、陛下!」

「ど、どうかお許しを」

震えながらやって来た夫妻は脅えきっている。あれがサニー男爵夫妻か。


「お前たちには前回のパーティーの折、令嬢の再教育を命じたはずだな」

「そ……それは、その、我々も出来る限りの教育をっ」

「私の顔すら知らぬとは教育云々の話ではないと思うのだが」

陛下の言葉に男爵夫妻が言葉を噤む。


「追って処罰を」

もはやどんな言い訳も無意味と悟った夫妻は近衛騎士たちに連行されるだけだ。


「お、王さま聞いてください!ヒューゴさまはアリスに操られているのぉっ!私をだずげ……っ、ぐごっ」

メリナは今度こそ女性近衛騎士にヘッドロックを食らっていた。


「それで、お前たち」

お父さまが私たちの前に立つ。


「陛下主催のパーティーで騒ぎを起こすとは……」

「も……申し訳ありませんでしたぁっ!」

「申し訳ありませんでした……っ」

私もヒューゴに続いて頭を下げる。


「……だがアリスのことを純粋に守ろうとする姿勢は称賛に値する」

「叔父上……」


「だから……婚約者候補くらいにはしてやろう」

その言葉に陛下も満足そうに頷く。


溢れ出す拍手は最初の婚約の際よりも温かな声援に満ちていた。


これで奇妙な執事とお嬢さま生活も終わる。ヒューゴの首からも首輪とリードが外されるであろう。


明日からは婚約者候補として堂々と隣を歩けるようになるのだ。

ヒューゴが公爵邸まで送ってくれて、また明日と親愛の証と共に王子としてのヒューゴに戻っていく。

それは祝福すべき私たちの一歩のはずなのに、何となくもの寂しい気がするのはどうしてかしら。


※※※


――――翌朝


鼻腔を掠めるのはストロベリーバニラのかおりだ。


「……どうして?」

枕元には紅茶を入れてスタンバイしている個性的な執事の姿があった。


「父上からは王子に復帰していいと言われた」

「だったらどうして……」

首にも相変わらず首輪とリードが嵌めてある。


「婚約者……いや、結婚するまでは叔父上に認められるよう頑張るつもりだ。だからこれは俺自ら申し出たことだ」

「え……っ!?」

「それにその方が……アリスのすぐ側でアリスを見守れる」


「……っ!ふふっ。それは私もだわ。あのね、実を言うと私もちょっと寂しかったのよ」

「アリス……」

「だからあなたが執事を続けてくれること嬉しく思うわ。私のために頑張ってくれるあなたを見るのは……」

「……?」


「とっても嬉しいのよ。何だか前よりも……ずっと好きだわ」

「……それは俺もだ」

ヒューゴはゆっくりと紅茶を小卓に下ろす。注いでくれるのだろうか……そう思って見ていればふわりと身体を包み込む感触は、懐かしいあの夜よりももっと逞しい。


余韻を名残惜しいと思いつつも今は執事とお嬢さま。彼もそっと抱擁を緩め、微笑む。


「俺も大好きです」

「……!うん」

こんな風に気持ちを伝え会うだなんて、考えたことがあったかしら。政略結婚だから貴族の娘としての役目をと圧し殺してきた。だけど私も……愛されることを望んでいたのだ。


「お父さまに認められるよう、一緒に頑張りましょうね」

「ああ……!」

私たちはやっとスタートラインに立てたのだ。


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