【4】王妃さまの刺繍会
犬のリードを預ける場所って……悩むわよね。
「だからここでいい子で待っていて」
「けどアリスぅ……」
「そんな寂しげに鳴かないの。ここは貴族令嬢や夫人の集まる刺繍会でしょう?みなあなたの顔を知っているのだから」
「でも今の俺は……お嬢さまの執事ですから」
うぐっ。執事モードに移行してしまった。
「申し訳ありません。王妃さま。邪魔なら追い出したほうがよろしいですか?」
母親の刺繍会にも臆さず付いてくるのは執事の鑑なんだけどなあ。
「まあ、いいのよアリスちゃん。それは息子のヒューゴではなく犬のペスです」
「わんっ!」
ヒューゴもヒューゴで母親の言葉にノリノリでそう答えるし。
「決してみなの迷惑にならぬよう、アリスちゃんの忠犬でありなさい」
「ワウォンッ!」
息子は母の前で敬礼を決めた。
「それじゃぁアリスちゃんはこっち」
王妃さまの隣に座らせていただく。まあ家格からしてもそれが妥当ね。
「今日はガーネット侯爵令嬢シンシアも来るけど大丈夫かしら」
ああ……昔から何かと絡んで来る令嬢ね。家格がトップクラスな令嬢同士王子殿下の婚約者の座もかけたことがあった。結果選ばれたのは私だったが。
「もちろんです。高位貴族同士のやり取りも大切なたしなみですから」
家同士は対立しているとかはない。ただあちらがライバル視してくるだけだ。
「んもう、偉いわねえ。いいこいいこ」
その……王妃さまにそうされるとついつい嬉しくなってしまう。私は幼い頃にお母さまを亡くしてから母親代わわりは王子妃教育を務めてくださった王妃さまだった。
微笑ましい気分に浸っていれば続々と参加者たちがやって来てヒューゴの執事服姿に驚愕する。
「これは番犬のペスよ」
そう王妃さまが告げるのでみなそう……認識するしかない。
「ねえヒューゴ」
「はい、アリスお嬢さま」
「せっかくだから王宮の執事たちの仕事を見てまともな執事って言う感覚を植え付けたらどう?」
「えっ」
「あら……ヒューゴ。一体何をしたのかしら?」
「ギクゥッ」
ヒューゴの表情がひきつる。
やがて王妃さまが呼んでくれたのは第2王子宮の侍従長。アラフォーなイケオジである。
「手解きでしたら私がいたしましょう。ヒューゴさま」
「……侍従長、何故」
「公爵家で妙なフォークの構え方をしたとなれば恥ずかしくてわたくしめもおちおち寝られません」
「ふぐっ。だが……子供の頃から侍従長には苦労をかけたな。俺はなかなか笑うこともできない能面。氷の王子と呼ばれ落ち込む俺をいつも励ましてくれた」
「当然でございます。それに今はアリス嬢の前でよい笑顔をなされる。わたくしはとても安心しているのです」
「侍従長!」
「わたくしもヒューゴさまとアリス嬢の間をずっと応援してきた身。これからも応援しております」
「うう……やっぱりカイルは俺の侍従長だ」
「泣き虫なところは幼い頃に戻ったようですね」
その頃はまだヒューゴは喜怒哀楽を表現できていたのだろうか。
「ああ……カイル、いや侍従長!この俺を立派な執事にしてくれ!俺のことを何でも知っているお前だからこそ、俺はお前に鍛えられたい!」
「何でも……ですか。いけませんよ、ヒューゴさま」
「カイル?」
「恋し合った女性の前でそんなことを仰っては、アリス嬢は嫉妬されてしまいますよ」
ハッとしたのはヒューゴだけではない。
どこまでもイケオジが過ぎるわ。
「しかしあなたさまを幼き頃から見守ってきた身として、ヒューゴさまが望まれるのでしたらしっかりと鍛えてさしあげましょう」
「カイル!」
「ご婦人方の前ではなんです。一度バックヤードへ」
「ああ!」
あちらはカイルに任せれば大丈夫そうね。私は早速刺繍の準備をしなくては。
「アリスちゃん、少し席を外すからよろしくね」
「はい、王妃さま」
席へのご案内などは王宮の侍女たちが務めるが、何かあれば私が対応しなくては。
「ローズ公爵令嬢」
「……ええと、ガーネット侯爵令嬢?」
「どういうつもりですの」
「どういうって……どういうことです?」
「白々しい!私とあなたの装いが丸被りなことですわ!」
「え……」
さすがに王妃さまと被らないようにと公爵家で用意はしてきたが。
本日は刺繍をするので落ち着いた黒のワンピースに先日ヒューゴに買ってもらったブレスレット、赤いアクセントのジュエリー。
……見事に被っているわね。あちらはもう少しゴスロリじみているけれど、ブレスレットはさすがの流行りものである。
「けれど……このブレスレットはひとつひとつデザインが違うはずでは?」
「同じ系統には違わないわよ」
「赤い宝石が被るのは家の色が同じだからでは?」
ガーネットとローズだもの。
「遠慮しなさいよ。私が参加するのだから!うちは婚約者ともども瞳が赤系なのよ!私は髪も赤だし!アンタのところは少なくとも婚約者がサファイア……あ」
そこまで言いかけて彼女は止まる。次第にぎこちなくなっていき、ロボットのようにガクンと項垂れた。
私は彼女に嫌われているわけではないのでは?と思えるのはそう言うところである。言ったらまずいことだったと素直に後悔するところは憎めないのよね。しかし……どうしよう。どう声をかければ……。
「……」
くるり、と頭がこちらを見る。
「あの……ガーネットこう……」
「そ……そう言う訳じゃないんだから!」
ツンデレ……圧倒的なツンデレね。
「何の騒ぎだ」
その時現れた声にホッとする。
「ヒュー……」
まるで氷の王子のようにキリッとして、一瞬戻ってしまったのかと不安になるがすぐに杞憂であると分かった。目元……そう、目元だ。
目元が……腫れてるっ!まさか後ろに控えているカイルに説教されたってことか!?
「大丈夫だったか、アリス」
「ヒューゴ……そのっ」
顔が近いわよ……もうっ。
「だ……第2王子殿下」
ふるふるとその向こうでガーネット侯爵令嬢が震えている。さすがに彼女は王族への態度はわきまえているし、婚約者が近衛騎士なので自分が滅多なことはできまい。下手したら婚約者にも迷惑がかかってしまうから。
「……ガーネット侯爵令嬢か」
まるでこの場に冷気が満ちるような緊迫感。
「よくアリスに付きまとっていていたな」
やはりあなたはよく見ているのね。
「またアリスに手を出したのか」
「……そ、それは、そのっ」
「今だからこそハッキリと言う。アリスに手を出すのは許さん!」
ほ……本気で怒ってる?
「ちょ……ヒューゴ!」
「下がってくれていい、アリス。今までの俺が言えなかった分、俺は……っ」
それは彼が変わろうとしている証。
「も……申し訳ありません、殿下!」
その時ほかの近衛騎士と共にやって来た彼は赤い瞳をしていた。
「シンシアにはよく言っておきます!」
騒ぎを聞き付け、駆け付けたのか。ガーネット侯爵令嬢まで青い顔をしている。
「だが……」
「やめなさい!ヒューゴ!」
ぐいっとリードを引っ張った。
「ぐえっ」
「まずは話を聞きなさい」
「え……?」
「ほら、来て」
ヒューゴのリードを引き隅までやって来る。
「彼女の装いを見て気が付かないの?」
「アリスと丸被りだなんて許せん」
「違うわよ!常識的に考えてこれまで被ると思う!?」
私は手首を示した。確かに流行りだし、王宮で身に付けても自然な上品さもある。
「あなた……ちゃんと漫画を読み込んだの?」
「どう言うことだ」
「昨今の地球でのブーム。男の子だって好きでしょうそうでしょう。『アンタのことなんて好きじゃないんだからねっ!』と言えば!」
「……ま……まさかっ」
ヒューゴがガーネット侯爵令嬢を見やる。
「ツンデレ萌えっ!」
「そうよ。全てはそこに通じるの」
「まさか……いつもいつもアリスと装いが被るのは……」
「多分故意ではないと周囲にアピールするためね」
「いつも突っ掛かってくるのは」
「……最近思うの。単に懐かれているだけなんじゃないかって。メリナと比べたらあからさまに違うのよ。あの子の態度って」
ツンツンしているのにどこか懐っこいというか、敵意がないのよね。
「萌えるじゃないか……ぐすっ」
「あなたのそう言うところ、好きよ」
未だに青い顔をしているガーネット侯爵令嬢と婚約者の近衛騎士に再び向き合う。冷えきった空気が少し和らぐのが分かった。
「ガーネット侯爵令嬢」
「……は、はい」
「汝は」
「も……も……しわけ」
「それほどまでにアリスのことを好いているのだな」
「へぁっ!?」
今、ものすごいすっとんきょうな声が響いたわね。
「すまない、俺は君を誤解していた」
「は……はい?」
「俺はアリスを愛でるものは嫌いではない。アリスとペアルックにしたいなどと、実にいじらしいではないか」
「あ……う……ぁっ」
ちょ……っ!?ツンデレに対してストレートに言いすぎよ!?かろうじてあなたが王子だからってギリ抑えているだけよ!?
「しかし……一番は俺だ」
ヒューゴの目には譲れぬ意志が宿る。
「だが女性ものの髪飾り、ブレスレットはさすがに揃いにはできまい。だからこそ次席に譲ってやる心の広さも持ち合わせている」
「あ……ありがとう、ございます!で、殿下!」
「重ね重ね感謝いたします、殿下!!」
深々と頭を下げる2人に、ヒューゴは優しく笑む。氷の王子と恐れられたヒューゴの意外な笑みにふわりと和やかな空気が満ちる。
「それと、今の俺はアリスの犬でありいち執事。そこまで恐縮するな。後程ガーネット侯爵令嬢の好きな紅茶をお入れしよう」
そう述べればヒューゴは華麗にその場を後にする。王子殿下相手に恐縮する2人へのフォローも忘れないとは。現ご主人さまの私は彼女の婚約者から感謝され、彼も安心して職場に戻っていった。
「ガーネット侯爵令嬢、良ければ隣へどうぞ」
「は……はいっ」
素直になるとやっぱりかわいらしいわね。
「ろ、ローズ公爵令嬢」
「アリスでいいですわ」
「……あ、ありっ、アリスさま。私もシンシアで良くないことも……なくてよ」
デレながらも消えてないツンデレ味である。
「では、シンシアさま」
「は……っ、はいっ」
緊張しながらも先程の青い顔よりはよっぽど楽しそうね。
「あら、いつの間に仲良くなったの?若いっていいわねえ」
知ってか知らずか王妃さまが戻られて微笑ましそうに告げた。あの……全部予測とかしてませんよね……?王妃さまの鉄壁の笑顔にそんなことを感じ取った。
「アリスお嬢さま、紅茶をどうぞ」
執事モードのヒューゴが出してくれたのは桃の芳醇な香りが引き立つ紅茶である。
「それからシンシア嬢もこちらを」
こちらもお揃いだが……。
「わ、私の好きな紅茶ですわ」
本当に入れてきてくれたんだ!てかよく知ってたわね。
「私のおすすめの茶葉を出したのよ」
ふふふと微笑む王妃さま。多分……この仲直りと言うか和解は王妃さまの手引きではなかろうか。
その後も王宮の侍女たちに混ざり執事としての役割を果たすヒューゴはカイルの教えをしっかりと実践しているようだ。
「ヒューゴ」
「母う……王妃殿下」
「いいのよ、今はペスじゃないでしょう?」
ああ、陛下が付けられたヒューゴの犬名ね。
「成長したわね」
「……その」
「前よりも、ずっとずっと表情豊かになったわ」
「母上にも苦労をかけました」
「そんな風に思っているはずないでしょう?アリスちゃんの前で上手く笑顔を作れなくてしょんぼりしているあなたをどれだけ見てきたと思ってるの?」
ヒューゴの頬が赤らむ。
そっか……ヒューゴもずっと悩んでいたのだ。悩んでいたのは私だけじゃなかった。
「でも今は、とても嬉しそうなんだもの。だからね……今度こそちゃんと幸せにしないとダメよ?」
「……っ、もちろんです。母上。アリスは絶対に俺が幸せにします!」
真っ直ぐな目で告げるヒューゴに王妃さまは慈愛に満ちた笑みを溢した。
そんな母子のやり取りを見てか刺繍会は終始和やかなムードであった。
「アリスさまは何を刺繍されるの?」
「やはりローズ公爵家の薔薇にしようかと。シンシアさまはどんな刺繍を?」
「治癒草にしようかと……その、怪我をされては困りますから」
近衛騎士の婚約者のためにってことか。いじらしくてかわいいわね。
「その……アリスさまはやはり、その」
「もちろんヒューゴに。今日の執事修行を頑張ったご褒美くらいはあげないと。お父さまに知られたら嫉妬しちゃうから……内緒よ?」
「……!ええ、私のところも、お父さまには内緒なのです」
どうやら互いに子煩悩な父と言う共通点まであったらしい。そのお陰か刺繍をしながらの会話も捗ってしまった。
今度は互いの家の茶会に招待する話まで出ちゃって……こうして令嬢友だちが出来たのもヒューゴの真っ正面から向き合う姿勢が切り開いてくれた一種の巡り合わせなのかしらね……?




