【3】お嬢さまと執事
――――たかが街歩き。されど街歩き。
貴族令嬢に転生した私にとって異世界を楽しめる数少ない機会だ。
「いい天気だわ」
晴れやかな秋晴れ、秋色を取り入れたワンピースにケープ。派手すぎずでも上品。おしゃれな街娘風よね。
「アリスお嬢さま、荷物持ちならお任せあれ!」
そうして街に溶け込むゴシックテイストの若者の装いをしながらヒューイが両手をバッと開く。
「いや……それは陰ながら護衛してくれる騎士がやるから」
まさか街歩きからして前途多難だなんて……!
「いいからあなたは隣を歩いていて。街中なんだから、前世の彼氏風でも問題ないわよ」
「うう……はい」
どよーんとするヒューゴ。こんなことなら氷の王子時代のヒューゴと街歩きしておくべきだったかしら。いや……誘えただろうか。
「アリスお嬢さま?」
「え?」
ハッとすれば目と鼻の先にヒューゴの顔がある。
「その……っ」
「いえ、暗い顔をされていたので具合でも悪いのかと」
「そんなこと……」
「いいえ、間違いありません」
「どうしてそんなこと分かるのよ」
「見てましたから。ずっと」
「……っ!」
「アリスはいつも俺の太陽のように笑ってくれていたから」
貴族令嬢としての貼り付けた笑みだって言うのに。あの頃の氷の王子はとにかく無表情だった。だからって私の表情を見ていなかった訳じゃない。それも……太陽みたい、だなんて。
「……その」
「アリス?」
「2人で……街に来たことなんてなかったから」
「……っ、それは……済まなかった」
ヒューゴの口から謝罪が降りてくるだなんて思ってもみなくて。
「今思えば俺は婚約者としての役目なんて全く果たしてなかった。婚約者をデートにすら連れていってなかったんだから」
社交界のエスコートや公務のパートナーをこなしていれば充分だという意識。
「私も……誘えなかったし」
「違うんだ、アリス」
両肩から伝わる熱に思わず息を呑む。
「俺が臆病だった。俺はただ家同士が決めた婚約者だったと言うだけ。俺と出掛けることなんて社交や公務でもなければアリスもこんな俺と出掛けるのは嫌だろうと臆病になりすぎた」
「そんなことないわよっ!私はあなたに誘われたなら、きっと嬉しかったと思う」
周囲の婚約者たちが街にお忍びでデートに行ったと言う話に羨望を抱かないはずがなかった。けれど相手は第2王子殿下だからお忙しいのだとずっと思っていた。本当は嫌われている……いやそんなことは思いたくはなかったけど今は違うんだとはっきりと分かる。
「済まない。こんなことなら誘ってあげられれば良かった。年頃の令嬢なんだ。遊びに行ったり美味しいものを食べに行ったり……そうしたらもっとアリスのことだって知れたのに」
「……それなら」
私たちはすれ違い合っていたのだ。
「アリス?」
「今日はあなたと楽しませて」
「でも俺は今はもう婚約者じゃ……」
「バカ。絶対にまた婚約者になるんでしょう?ならデートと変わらないでしょ?」
「デート……っ」
「顔、赤らめすぎよ」
私が言えた義理もないけれど。
「だから今日は今までの分、楽しませて」
「う……うん。あ、でもついタメ口で……」
「いいのよ。こんな街中でご丁寧な問答を繰り返したらあからさまに貴族ですって言ってるものじゃない。それじゃあ楽しめないわ」
「……思えば」
「だから今日はアリスよ。ヒューゴ」
「……っ、ああ、アリス」
まるで前世のカップルのように街を歩くだなんて新鮮だわ。
「アリスは普段どんな場所を巡るんだ?」
「そうね……女性ならブティックやアクセサリー店、流行りのカフェなどかしら」
「ならアリスの行きたいところに行こう」
「いいの?」
「当然だろ?」
「うん……じゃぁアクセサリーからどう?」
「もちろん」
常連と言うこともあり店員からもフレンドリーに迎えられる。今日は供のものではなくヒューゴと……なのだが。周りからどう思われているかしら。
カップルに……見えているかしら。
「前世で女子たちが見てたようなそんな感じだな。でも異世界ファンタジーっぽい」
「それは私も分かるわ。地球にはないような石を使ったもの、伝統的に編んだ腕輪、金属細工などもあるわね」
「アリスはどんなものが好きなんだ?」
「こう言う金属細工のものが好きかも。このブレスレットとか」
元日本人としては何となく異国情緒を刺激される代物だわ。
「それならこれを買おう」
「でも……」
「プレゼントもこちらから贈るだけだったから」
社交パーティーに同伴するためのドレスやジュエリーセットだとか、公務用に使う王家のジュエリーだとか。
「思えばアリスの好みに合わせてってことはなかったから」
「……それはその。贈ってくれただけで、嬉しかったわ」
「だったらもっと……喜んでもらいたいんだ」
「……っ!」
「だからこれは俺にプレゼントさせてくれ」
「う……うん」
プレゼントか。贈られてくるドレスのセットだけでも嬉しかった。冷えきった仲だけどプレゼントくらいは贈ってくれるのだと。それだけが私たちを繋ぎ止めていると思えばそれは希望になった。
――――でもこれからは……。
「このブレスレット、手作りなので一点一点デザインが違うんです。最近人気なんですよ」
店員も私へのプレゼントだと気が付いたのか嬉しそうにしている。
「そうなのか……!今日見付けられて良かった」
会計を済ませたヒューゴが早速ブレスレットをつけてくれる。
「良く似合ってる」
「う……うん!」
毎回決まったように届くプレゼントとは違う。何だか不思議な感じだ。
2人で店を出、次はブティックにでもと思った時だった。
「え……っ、殿下ぁっ!」
このバカっぽいしゃべり方は……!
「メリナだよ!わぁい、偶然!王宮にも毎日お手紙を持っていったのに会わせてもらえなかったの!ようやっと会え……」
メリナはヒューゴの隣の私を見てみるみる顔を曇らせる。
「何でアンタが一緒にいるわけ!?もう婚約者でもないくせに!」
そ……それは、そうだけど。
「ヒューゴはうちで面倒を見ているんだから当然でしょ」
「な……名前で!?私だってまだだったのに!ヒューゴさまぁっ!」
挙げ句の果てに無許可で名前呼び!しかしここで殿下呼びされるのは困る。先程の彼女の言い方がその……バカっぽかったというか、それっぽくなかったから周囲もピンと来てないようね。
「まだこんな女に囚われているだなんて、かわいそう!私があなたを助けてあげる!」
「待ちなさいよ!」
ヒューゴに迫るメリナだが、ヒューゴは何故か腹を抱えて前屈みになっている。お……お腹が痛いの?私は咄嗟にヒューゴの背中に手を当てる。
「ヒューゴさまぁっ!大丈夫!?アリスによっぽど酷い目に遭わされてるのね!?」
「やめなさいよ!あとあなたにアリス呼ばわりされる筋合いはないわよ!」
「あーっ!そのブレスレット!」
「え?ちょ……放してよ!」
「嫌よ!それ、あそこのショップでずっと私が狙っていたのに盗ったのね!?」
「演技悪いこと言わないでよ!別に取り置きされていたわけではないし、あなたのものじゃないわ」
「でもっ、私だって毎日足しげく通っていたのに」
毎日……?暇だったのだろうか。
「でも自分が狙っていたものをほかの客が買ったくらいで盗ったはないんじゃない?店への迷惑行為だわ。それにこれは正真正銘、ヒューゴが買ってくれたものよ!」
「ヒューゴさまが!?ならそれは私のよ!」
「何でそうなるのよ!」
「あなたみたいな悪女に私の王子さまがプレゼント!?あり得ないわ!」
「事実無根よ!」
メリナが私の手首を掴んで引っ張ってくる……!
「やめ……っ」
咄嗟に彼の背中にあったリードを掴み引っ張ってしまったのだ。
「ぐへっ」
「ご、ごめんなさい!具合が悪いのに!」
ゴシックファッションに自然と馴染んでしまった首輪とリード。ついつい手に取ってしまうだなんて。
「やっぱり……リードで繋がれているのは素晴らしい」
ヒューゴは何事もなかったように身を起こす。
えと……?お腹はもう平気なの?
「ヒューゴさまぁっ!あのブレスレットは私のために買ってくれるもののはずでしょう!?」
メリナが私のブレスレットを指差す。
「アホか!」
「へっ!?」
「ひとつ言っておく」
「ど、どうしたの?ヒューゴさま。口調が変よ」
「名前については……ここで役職名を呼ばれるわけにはいかないから仕方がないが。しかしこれが俺だ!」
「お……俺?ヒューゴさまはそんな言葉使わないわ!ヒューゴさまは私の理想の王子さまなんだから!」
「そんなものは俺じゃない!お前は理想の王子さまを俺に押し付けているだけだろう!だがいくらお前が理想の王子さまを押し付けたところで俺にはこのリードと首輪がある!」
「は……?」
メリナが唖然としている。
「俺はアリスを愛している。この心はたとえ何があろうと曲げさせはしない!そしてそのブレスレットは俺がアリスに贈った正真正銘のプレゼントだ。愛するひとにプレゼントを贈って何が悪い!」
「……な、ぁ」
周囲から拍手や歓声がかかる。首輪とリードに関してはファッションの一部として見てもらえてる……のよね?そして王子と言ってもこんな格好をしているひとを本物王族の方とは見ない。彼はまさに私に愛を叫んだ英雄だ。
「ちょ……何なのよこれ!」
ヒューゴの武勲を称える声、私との仲を祝福する声。そしてみなお邪魔虫なメリナの存在に燃え上がる。
「くそ……覚えておきなさい!」
いや、もう目の前に現れないで欲しいのだが。
「ふう……何とかなった」
「そうね、ヒューゴ。でもさっきのお腹の痛みは大丈夫だったの?」
「ああ……それのことだが、 まずは場所を変えないか?」
「うーん、そうね。結構目立っちゃったもの」
思わぬハプニングに見舞われながらも落ち着ける老舗のカフェに移動する。
「ブティックには寄れなくて済まなかったな」
「ううん、いいのよ。次の楽しみにしていいかしら?」
「もちろんだ」
何だか今からでも楽しみになっちゃうわね。
「何を頼む?」
「私は【本日の紅茶】と【日替わりスイーツ】……って思っていたのだけど」
「腹のことなら大丈夫だ。腹痛じゃないから」
「じゃぁどうして……」
「メリナが突っ込んで来た時、強烈に吸い込まれるような感覚に襲われた。まるであの時のパーティーの時のように引っ張られたようだった」
「まさか……【強制力】ってやつ?」
「恐らくな」
「でも少なくとも私はこの世界に似通ったゲームや漫画は知らないわ」
「ああ。俺も知らない。前世ではそこら辺の漫画やノベルもたくさん読んだんだがな」
「なら私たちの知らない作品。もしくはオリジナルで作り出したってことはある?」
「もしかしたらな。彼女はテンプレな【男爵令息】だ。そしてアリスは公爵令嬢で俺は婚約者の王子。ここにはそのテンプレができそうな構図ができている」
「だから彼女の都合のいいように【強制力】が働いてしまった」
「有り得るのかしら」
「有り得るだろうさ。よくある悪役令嬢ものだって誰かが創造した創作物だ」
「……だとしたら私たちはどうやってメリナから逃れれば」
「俺たちも負けないくらい自分たちの進む未来を切り開けばいい」
「……そうね。そうだわ。そして私たちが再び婚約することだって」
「そう言うことだ。だからもし俺がまた呑まれそうになったら……遠慮なくリードを引いてくれ」
「痛くない?」
「全く。むしろアリスの愛を感じて目を覚ます」
「分かったわ。その時は容赦しないから」
「頼もしいよ」
【本日の紅茶】と【日替わりスイーツ】を注文すれば暫くすれば名物のガトーショコラの日であったようだ。
「このお店、お父さまとお母さまもよく来ていたんですって」
「……思い出の店だってことか」
「そう。お父さまが教えてくださったの。この前の貸しだって仰ってたわ」
「あの朝のね」
「それくらいはお父さまも認めてくださっているってことよ」
「そうだな。俺も早く認められたい」
「一緒に認められるのよ。婚約も結婚もひとりじゃできないでしょ?」
「……それもそうだな」
クスクスと微笑みながら紡がれる時間は普段はなかなか話せない話題までときほどいてくれるようだった。
「……そう言えば妃教育はどうなった?」
「今はあなたが犬になったからとお休みをいただいているの」
終了や中止ではなくお休みってことは、王妃さまも私たちの再婚約は応援してくれているってことよね。
「無理……させていたよな」
「私も妃になるために頑張りたかったのよ。でも少しではあるけれどこうしてあなたとの休息をもらえたのよ。感謝しているわ」
「……俺との。そうだな、俺も感謝している」
あなたとこうして語らう穏やかな時間は、やり直しだからこそ得られたのだもの。
カフェでの歓談を終えれば、お父さまのためのお土産のクッキーを購入した。カフェを教えてくださったお礼を2人で言いに行こうと思った。




