【1】嫌だと言ったら?
――――こんな情けない展開があろうか。
先ほどまでの壮大なオーケストラがピタリと止み、周囲は静けさに包まれる。
目の前には黒髪にサファイアブルーの瞳のヒューゴ・クラウン第2王子殿下。別名氷の王子。
「アリス・ローズ公爵令嬢。君とは婚約破棄する」
「……はい?」
金髪に赤いツリ目の公爵令嬢・私は唖然としていた。何この前世の婚約破棄イベントのような展開は!
「君の悪事は全て聞いているぞ」
「悪事……?」
お父さまに怒られるようなことなんてしてないけど!?
「証拠は既に掴んでいる!」
「ええ……?」
いや悪いことなんてしてないけど。
「サニー男爵令嬢に苦言を呈したり、お茶会に招待しなかったり、追い出したこともあったそうだな」
「同じ一門でも派閥でもないのに、公爵令嬢が主催するお茶会になんて招待しないし同席することも稀よ。あと単純に話したことないのですけど」
「……え?」
『え?』ってどう言うこと!?
「だがメリナが……」
ヒューゴ殿下が腕の中の男爵令嬢を見る。ピンク髪にエメラルドグリーンの可愛らしい少女だ。
「まさかとは思いますけど彼女と婚約するってんじゃないでしょうね?」
「当然じゃない!嬉しいわ!殿下!」
嬉々として答えるメリナ。私が隣にいない時にヒューゴ殿下に言い寄っていたことくらい知ってる。悪役令嬢にはなりたくない。静観していたのだが決められた歯車のように遂に動き出してしまった。
「あなたに聞いてないわよ。今はヒューゴ殿下と話しているの」
「やだこわぁいっ!殿下、助けて!」
全うなことを言ったつもりなのだが、なんなのかしらこれ。悪役令嬢道とかに足を踏み入れてないわよね……?
これ見よがしにヒューゴ殿下に抱き付くメリナ。しかし返ってくる答えは意外にも沈黙である。
「……」
「何故何も言わないのですか?」
「その……」
何故相思相愛なはずのメリナを退けたよ。
「きゃっ、殿下?私をひとりにしないで!」
「……嘘だろ?」
そのセリフは私のセリフですけれど?
「あの、ヒューゴ殿下。私と婚約破棄するんですよね?」
まずは現状の確認である。
「いや……その」
何で口ごもっているのかしら。もしかして我に返って自分のやったことの愚かさに気が付いた?でも王道ざまぁ展開だとしても早すぎない?
「い……嫌だと言ったら?」
は……はい?どう言うこと!?
「えと……あなたが言い出したことでしょう?」
意味が分からないのだが。
「それでもだ。それでも嫌だと言った場合はどうする」
「うーん……」
まさかの婚約破棄してきた王子から謎の問答を投げ掛けられている。
これに前世の王道ざまぁを当てはめると……いやいやだから王子の改心が早すぎるんだってば!
つまり私たちには教科書がない。ならば私はこの世界ならではの打開策を興じる必要がある。
「……策ならひとつあります」
「聞かせてくれ」
いつもなら決して浮かべない熱意。その熱意がどこから来るものなのか、期待してしまう私がいるから。……ついつい策をひねり出してしまった。
「ではこちらへ来てくださいます?」
「ああ!」
ヒューゴ殿下はまるで懐いているわんこのように素直だ。どうしてか放っておけなくなってしまう。
「ちょ……っ、殿下!待ってよ!私を王子妃にしてくれるんじゃなかったの!?」
「は、放してくれ!ぼくは……いや俺はっ」
「きっと悪役令嬢アリスに騙されているんだわ!」
悪役令嬢……?いきなり悪役令嬢とか言い出す男爵令嬢は大抵転生者か憑依と相場が決まっていないか?
「でも真のヒロインの私があなたを悪役令嬢の呪縛から解き放って見せる!」
いや……真のヒロインとか言い出したらざまぁされ痛い子確定よ!?
「それが私に与えられたこの世界での使命なの!」
使命ってまさかこの世界、前世で良くある乙女ゲームが原作のーとか流行りの小説が原作のーとか言う世界?私は知らないけど。
でも知っていることもある。
「あの……国家権力を使えばよろしいのでは?」
すっと示した先には屈強な騎士たちが控えている。前世でも今生でも国家権力は何かと最強だと言うことだ。
「すまん……彼女をだな」
もじもじするヒューゴ殿下。女性に手荒な真似ができないのはツーンとしていた頃から変わらないけれど。
「お任せをっ!」
答えてくれたのは女性騎士たちである。
「おい、殿下に不敬だぞ!」
「離れろ女の敵!」
そうして私にグッドサインを送ってくれる。世界が変わっても強くて逞しい女性は素敵よね。
「は、放しなさいよ!あなた変なところ触ってるでしょ!?」
「気に入らぬのならヘッドロックにしようか?」
「ひぃっ!?」
あちらは彼女たちに任せておけば大丈夫そうね。
「ほら、ヒューゴ殿下」
「ああ、うん!」
向かう先には此度の騒動を前にわなわなと震えるローズ公爵……お父さまの姿があった。
「陛下に無断で婚約破棄した件について相談に乗ってもらうのはどうかしら」
「……父上に、無断で……」
「そうよ。絶対王政で王子が王さまの命令無視しちゃったら他に手立てがないわ」
どこの異世界ファンタジーでも鉄則よね。これを放っておいたらざまぁエンド待ったなしだわ。
「けれど私たちには王弟殿下であるお父さまがいる」
これぞ策。策と言うより他力本願。しかし国王が絶対の世界線で抵抗できるとしたら王弟殿下だろう。幸い兄弟仲は良好である。
「なので、お父さま」
「……」
お父さまはじっと甥っ子を睨み付ける。
「……その、お、お義父さん!
「貴様……。いくら兄上の王子といえど貴様にお義父さんと呼ばれる筋合いはないわ!」
「す……すすすっ、すみっませんでしたぁぁぁぁっ!!!」
ヒューゴ殿下が地に膝を付け額をカーペットに擦り付け……土下座した。
「何をしている、貴様」
「……その、お父さま。彼は今精一杯の謝罪をしております」
「は?これがか?」
「まぁ一般的ではない謝罪方式なんですが」
これぞジャパニーズ土下座。
「恐らく衆目の面前で婚約破棄された私よりも羞恥心で死にそうになってますわ」
それこそがジャパニーズ土下座。
「だ……だとしても許される問題か!」
お父さまはヒューゴ殿下を睨み付ける。
「ぼくにできることならば何でもいたします!謝罪も、埋め合わせも!だからどうか……」
「許しはしないぞ!」
「それでもぼくは……お嬢さんともう一度婚約しとうございます!」
「帰れ!!!」
いや、むしろここは彼の家なのだが。
「何でもします!お嬢さんとの再婚約を認めてもらうためなら……犬に成り下がっても構いません!」
「……なら、犬になってもらおうか」
本気なの!?お父さま!
「兄上には私から話しておこう。待っていろ」
その兄上とはまごうことなき国王陛下のことだ。
「ははーっ!!!」
そのー……相手はお殿様じゃないんだからやめなさいよ、もう。
ようやっと頭を上げたヒューゴ殿下にこっそりと耳打ちする。
「ねえあなた、地球って知ってる?」
以前はこんな風にしゃべることもなかったけど、今ならと思うのよね。
「えっ、何で知って……」
「あなたも転生者ね。私もなのよ」
「マジで!?ジモティーじゃん」
氷の王子、どこに行ったのよ。
「私はそう言うノリは嫌いではないけれど、それを前面に出していたらお父さまから認めてもらえないわよ」
「きゃうん……」
本当に犬に成り下がったか。しかしながら……。
「これからいい子にできるなら、褒めてあげようかしら」
こんな風に話せるのも転生者同士の絆かしら。
「うう……アリス」
ヒューゴ殿下がまっすぐと私を見る。
「愛してるうううぅっ!」
「は、ちょ……こんなところで告白なんてやめてよ!?」
男の腕の感触を直に感じるなんて初めてだ。先ほどとは打って変わる祝福を盛大に受けながら、何だか不思議な感覚に陥る。
これはお決まりの悪役令嬢の婚約破棄からの成り上がり……にしては調子が狂うのよね。
――――しかしお父さまが連れ立ってきた陛下に告げられたのは衝撃の内容だった。
「犬になってきなさい」
「……はい」
「愛称はペスだ」
「はい」
反省しているのか、陛下がとんでもないことを言い出したのに反対もせずに従っている。
「では弟よ。これは好きにしていい」
「ありがとうございます、兄上」
さらにお父さまは私にリード付きの首輪を渡してくる。
「あの……お父さま?」
「お前の好きにしていい」
ってええええぇっ!?私、そんな趣味ないのだけど!
「ペスに首輪を付けてあげなさい」
「……それはその」
「嵌めてくれ」
「本当にいいの?」
「俺は……どうして君と言う存在がありながら目移りしてしまったのか分からない。だからせめてもうよそ見しないよう俺に首輪を付けてくれ」
「それが素のあなたなのね」
だからこそ真剣なのだと分かる。
「分かった」
そうしないとお父さまも納得しないでしょうし……私はヒューゴ殿下に首輪を嵌める。
「それじゃ、公爵家に帰りましょうか」
「ああ!」
※※※
「お帰りなさいませ、お嬢さま。……そちらは」
出迎えた家令が怪訝な顔をしている。やはり首輪とリードのせいよね。
「お父さまの方針よ」
「……旦那さまがお許しになられたのでしたら陛下にも話が通っているのでしょう」
うん、さすがに私の元婚約者の顔くらい知っているものね。
「応接間に通されるので?」
「いいえ、ちょっと用意してもらいたいものがあるのよ。済んだら私の部屋に案内してくれる?」
「それは構いませんが、一体どのようなものを……?」
「それはね……」
家令は意外そうな顔をしつつも快諾してくれた。
――――10分後
「その、これは……」
戻ってきたヒューゴ殿下は戸惑いつつも素直に着てきたようだ。
「執事服よ。それとも使用人は嫌?やっぱり王子さまだし……」
「そんなことはない……!むしろ執事服カッコいいし!」
さすがはジモティー。みんな執事には憧れるものね。
「それに君もしていたじゃないか」
「王妃さまのところに行儀見習いをね。懐かしいわ」
高貴な身分の子女ほど学ぶことは多い。私は王妃さまだったわけだ。
「ああ。慣れない侍女の仕事なのに頑張っていた」
「え……見ていてくれたの……?」
いつも鉄壁の氷の表情でスンとしていたから……私には興味がないものだと思っていた。
「もちろん。記憶を取り戻す前から、ヒューゴはいつもアリスを見ていた」
「……どうして」
「ヒューゴにとってアリスは光のように眩しかった。俺なんかが触れていいような存在じゃないと感じていた」
「何言ってるのよ!あなたこそ……触れがたいと言うか……氷の王子さまだったじゃない」
エスコートはしてもらえたけど、それでも最低限だ。
「その……すまなかった」
「……」
「記憶が戻る前の俺はあまり上手く表情を動かせなかった」
「それは王族の教育的なもの……?」
「そんなところだ。けどアリスはいつも笑顔で接してくれたから俺にとっての救いだったんだ。けど婚約者として……いや男として褒められる態度ではなかった」
初めて聞くヒューゴ殿下の気持ち。もっと早く語り合えていれば結末は変わっただろうか。いいえ……まだ結末ではない。結末はこれからなのだ。
「だからせっかく前世の記憶も取り戻して、アリスへの気持ちを取り戻した。だから俺もアリスのために頑張る」
「その意気よ。行儀見習いをしっかり頑張って、お父さまに認めてもらうのよ」
「そっか……うん、さすがはアリスだ!」
「うん。……なら、早速だけど」
「うん?」
「あなたは使用人なのだから、私のことは『お嬢さま』よ」
「うう……アリス」
「お父さまに認めてもらわなくていいの?再婚約できないわよ」
「アリスは俺と再婚約してくれるのか?」
「そうね。今のあなたなら婚約したいと思えるわ」
「アリス……!」
「それにちゃんと見ていてくれたんだもの」
「そうだな。それなのに俺は上手く表情にも言葉にもできなかった」
「それなら今度は私に見させて。すぐ側で、あなたのことを」
「……分かった。絶対に惚れ直させて見せるから!俺の活躍を見ていてくれ。その……それじゃぁ、改めまして今日からよろしくお願いします。アリスお嬢さま」
「ええ、よろしくね。ヒューゴ……と呼んでもいいかしら」
「え、ペスじゃなくていいのか……?」
「さすがにそんな趣味はないわよ。お父さまは好きにしていいと言ったのだから、呼び方も私次第よ」
「それは……それなら、アリスにそう呼んでもらえるのは嬉しいんだ」
え……?私は恐れずに申し出てみれば良かったのだろうか。思えばメリナに夢中になっていた頃も『殿下』と呼ばせていた。
それはせめてもの抵抗だったのか。あなたはずっと私だけを見ていてくれたんだわ。




