カロン
家路につく道中、彼らの話題はもっぱらロクサーノについてだ。
彼が何かをたくらんでいる。その事はすでに明らか。しかし何をたくらんでいる? そしてなぜ、チルが魔女であり、ロクサーノはそのことに干渉してきたのだろう?
そんな内容の会話をしているうちに、彼らは自宅の手前まで来ていた。
それぞれ別れを告げ、家に入る。チルは表が店なので裏の玄関まで、アイレア家の庭と自宅の間の細い道を渡って行く。
一人になってから玄関に着いて鍵を開けるまで、チルはペンダントをいじりながら歩いていた。十字に埋め込まれた石は、光の反射で不思議な色に光っている。
彼女は帰宅して真っ先に自室へ向かった。そしてベッドにもぐりこみ、まだ昼前だというのに眠りについた。
今日起きた事は全て夢。――――チルはそう思いたかったのだった。
けれども、外から差し込むオレンジの光に目を覚ますと、やはり胸元にはあのペンダントがぶら下がっていた。外そうとしても取れない。チルは大きくため息をつく。
「……お腹空いた。私が魔女なら、今ここにパンか何か出せてもおかしくないはずよ!!」
叫びながら彼女は、指で魔法を使う真似をした。けれども、何もおこらなかった。
チルは怒りと混乱が混じった叫びをして、手元にあった枕をドアめがけて投げ付けた。
けれどなんだか空しくなって、彼女は窓越しに夕日を見上げた。空はオレンジと青色が見事に中和していて、実に美しい。ちょうどペンダントの石のように。
「はぁ……。お腹すいた」
今日はまだ朝食しかとっていない少女は、もう一度同じ言葉を繰り返した。そして、部屋に居てもどうにもならないので重い腰を上げて一階の台所まで向かうのだった。
彼女はお世辞にも料理が上手い方ではなかった。今日もてんやわんやになりながら料理を始めた。しかしここで、チルはあることに気がついた。
料理は失敗ばかりなのに、なんで薬作りは上手くいくんだろう? やっぱ……魔法があったから?
出来上がった料理を食べている時も、チルの頭にはそんな考えばかりが浮かんでいた。
「はぁ、なんかもう、後でいいや」
空になった皿を後にしてチルは立ち上がった。そして玄関に向かい、ランプを持って、橙色の光を放つ電球の電源を切った。
そして古く履きなれた靴で、チルは真っ暗になった夜道に消えていった――――。
行くあてもなく、ランプ片手に少女は歩き続ける。彼女は市場へと向かう道をふらふら歩いていた。
道中、見覚えのある顔が目に飛び込んだ。
そこはブランコとベンチと土管しかない小さな公園で、長い銀髪の男がベンチに寝そべっていた。一度話しただけの客だが、何か気になってチルはその男に近づいた。
「あの、何してるんですか?」
チルが声をかけると、男は返事をする代わりにこちらを向いた。
「あー……確か薬屋のお嬢ちゃん……やったっけ? 君こそこんなとこで何してん?」
「私は……ちょっと散歩。あなたは? まさか宿とってないとかじゃないわよね?」
「……失礼なやっちゃな。俺もあんたと同じで散歩。そしたら星が綺麗でな」
男は天を指差した。――その先には、この田舎町でも滅多にみられないくらいの沢山の星が出ていた。
「で、寝転がっていたわけね」
「そゆこと」
男は起き上がり、ベンチに座り直した。
「俺はカロン・デュレンメル。あんたは?」
「はい?」
カロンにきかれた事がよく解らず、チルは首をかしげた。
「せやから、名前」
「あ、ああ……。チル・ミフェンよ。よろしく。今更だけど」
「チルっちゅうんか。ほな、こちらこそよろしゅー」
チルはベンチの開いた所に腰掛けた。
せっかくなので、チルは気になっていた事を質問してみることにした。
「あのさ、お酒結構飲む?」
いきなりの質問だったからか、一瞬戸惑ったがカロンは答えた。
「え、まあな。なんでわかったん?」
「カロンが買っていった薬草に、二日酔いにきくやつがあってね」
「それだけで酒飲みと見抜いたんか」
「だって、旅支度にしては量が多かったもの」
「やっぱわかってまうもんなんやな」
「そりゃあね」
その後も二人の会話は続く。
カロンが今まで旅してきた土地の話、彼が剣の使い手であることなど、自分にとって未知の話はチルをわくわくさせた。しかし、彼がどこの出身で、なぜ旅をしているか……それについては、何も答えなかった。ので、チルはそれ以上追求しなかった。
その時だった。急に生暖かい空気が辺りをつつみこんだかと思うと、それがやわらぐと共に、ロクサーノが姿を現した。
カロンは驚いていたようだが、チルは厳しい目をしてロクサーノを睨んでいる。
「警戒するな。別に危害を加えたりはしない」
「加えられてたまるもんですか! 何しにきたのよ!」
ロクサーノは腕に抱いた黒猫をひと撫でした。
「こいつを治してもらおうと思ってな」
「その猫を? だけど私は医者じゃない」
「だから、『魔力』で治してもらいたいのだが」
「――私は魔女じゃない!!」
近くを散歩中の老夫婦を驚かせるほどの大声でチルは怒鳴った。話を聞いていたカロンはぽかんと口を開けている。
「そうだな。どちらかというとヒーラーやクリレックの類だ」
「そういう問題じゃない!!」
「いいから、猫を治してやってくれ。足を怪我して苦しんでいる」
その黒猫は、右足から血を流している。それを見てチルには断る事はできなかった。
「……わかった。けど、今は薬なんか――」
「だから魔力で治してみるんだ」
チルは頭が真っ白になった。ロクサーノの言っていることが理解できない、その思いだけですべてが押し潰されそうだ。
「ちょっと待てや」
この一声でチルは我に返った。急に現実世界が目の中に飛び込んできて、少しクラクラした。
カロンが立ち上がり、ロクサーノに話し掛けている。
「さっきから言っとる事がわからん。チルは魔女やない言うとんねか」
「本人が自覚してないだけだ。――さあ、この猫の足に手をかざして、治るよう念じてみろ」
「おい!!」
「そんな事で治るって言うわけ?」
チルの手は猫の足に向けられていた。今のはロクサーノに対する最終確認だ。ロクサーノは黙ってうなずく。
チルは目を閉じた。全神経を手に集中させ、猫の足が治るよう念じる。――すると、彼女の手の平が淡く光った。彼女は目を開けてはっと息を飲んだ。足の傷はみるみるうちにふさがれてゆく――。
「うそ……なに……?」
猫の治療が終わると手の平は元通りに戻っている。彼女は自分の手の平を見つめた。
「それがお前の魔力だ。魔法使いのような派手な攻撃魔法や便利な魔法は使えないが、さっきも言ったようにお前はヒーラーやクリレックの類に近い。基本は回復魔法だが、応用すれば攻撃をする事も可能だ。ただし、治せる病気は軽い怪我とか風邪、骨折の完治を早めるくらいだがな。どんな魔力の持ち主であれ、命に関わる大きな病気は治せない」
「よくわかんないけど……なんか、全部わかった気がする……」
話すチルは何かが抜けたような状態だ。それでも、彼女は自分には魔力がある、という事を目にして理解したのだった。
「でも、どうして? 私の両親はそんな事、一言も言わなかった……」
「そりゃあそうだろう。お前の魔力は突然変異によって生まれたんだからな。普通の人間から魔力を持つ子が生まれる……珍しい事だがこの事に関する認識は高い。しかし突然変異は魔力の制御がうまくできない場合が多い。だから、しばらくはそのペンダントをつけておいてもらうぞ」
「はぁ……。なるほどね……」
チルはまた、頭がクラクラしてきた。自分が何なのか、たった数分ですべてを聞いたがそれを脳が詰め込めないでいる。
「ちょっとええか?」
驚きで黙っていたカロンがようやく口を開いて話に入ってきた。怒っている様子はない。
「お前、この先チルをどうするつもりや? 一人前の魔女にでもする気か?」
「いいや、俺の目的は危険な魔力の制御だ。この村をジルハード王国のようにはしたくないからな」
――ジルハード――、この言葉に二人の息が一瞬止まった。
今は大陸最西端のポルフェイン王国が管理している、ジルハード王国王城。そこは一人の魔女によって封印された城である。
――――今から約二百年前の事だ。