決断
その夜、ナイルはシルラの部屋にやってきた。シルラは椅子を出して、自分はベッドの上に座る。
ナイルは椅子に腰掛けてから話し始めた。
「兄貴……頼みがある」
彼の表情は真剣そのものだ。
「うん。言ってごらん」
「あのさぁ……旅の話なんだけど……」
「うん」
「兄貴言ったよな。昨日、協力するって」
「うん。言ったよ」
シルラは微笑みながら言った。
「だから、協力してほしい」
「……わかったよ。協力する」
すると、彼は立ち上がって部屋から出て行った。
「兄さん?」
ナイルは兄の後を追った。
シルラが向かったのはリビングだ。
「父さん、話があるんだけど」
テーブルで新聞を読んでいた父にシルラは言う。
レオンは立ち上がり、シルラの元にやってきた。
「どうした?」
「ちょっと来て。母さんに聞かれたらマズイ」
それを聞いてレオンはにやりと笑った。
「ほーう。何かやらかしたわけか」
シルラは眉を寄せた。
「違う。これから……場合によっては、やらかすかもしれない」
「どういう事だ?」
「いいから来て」
シルラは手招きして、父を二階へと誘導する。
「こっち」
シルラが案内したのは自分の部屋だった。レオンとナイルが入ったのを確認すると、彼は戸を静かに閉めた。
シルラがクッションを三つ出して、彼らは床に座る。
「で、話っていうのは?」
「率直に言うよ。――――俺はナイルを連れて旅に出る」
一瞬にして、部屋は静まり返った。レオンは何も言わない。
重い沈黙を破ったのはナイルだった。
「……父さん、俺、旅に出たいんだ」
真剣な目で彼は訴える。レオンはそれに答えるように黙って頷く。
「……好きにすればいい。……ただ、母さんにはどう言うつもりだ?」
そこで、「それなんだよ」とシルラは言う。
「母さんを納得させる為に、父さんに協力してもらおうと思って」
「俺にか?」
「うん。母さんを納得させられるのは父さんしかいない」
レオンは少し考えてから頷く。
「うーん……そうだな……――――よし、わかった。で、何をすればいいんだ?」
「ありがとう。父さんには助言してほしい。あと、母さんの怒りを静めたり」
「なるほどなぁ……」
レオンは腕組みした。
「早速決行なんだけど、いいかな?」
「……よし、なら今から母さんの所に行こう」
レオンは立ち上がり、先に部屋を出て行った。
「わるいな、シルラ兄」
そう言ってナイルも立ち上がる。シルラは少し遅れて立ち上がり、口を開いた。
「……なんか、久々に『シルラ兄』って言われた気がする」
「そうか?」
立ち止まってナイルは言う。兄はただ笑って頷くだけだった。
「ほら、行くよ」
ナイルの肩を叩き、シルラは先に行ってしまった。ナイルは後を追う。
――――リビングに着くと、ウェルゼは一人でお茶を飲んでいた。レオンが席につくと彼女はカップを取りに台所へと向かう。
ウェルゼが戻り、二人はゆっくりお茶を飲んだ。レオンは新聞を広げ、時々こちらを見ている。
リビングに入るタイミングをうかがっていたナイルとシルラは、ついにリビングへ――――ウェルゼの元に向かった。
「母さん、話があるんだけど」
ナイルが口を開いた。
「なぁに?」
ウェルゼが聞き返す。レオンは新聞を下げて様子をうかがう。
「俺、さぁ……」
少し間を開けてナイルは言った。
「旅に出ようと思う」
その瞬間、母はカップを落とした。
「何……言ってんの? 旅って……危険だとわかってるの? 仕事はどうするつもり!? とにかく駄目よ。……ついでに言うけど、シルラももう旅は禁止よ!」
ウェルゼの口調は段々と強くなっていく。皆の予想通りだ。おまけにシルラの旅も禁止されてしまった。
レオンが何か言おうと新聞を置いたが、それより先にナイルが口を開いた。
「母さん、俺はもう子供じゃない」
「でも、あなたは私の子供よ!」
「だから!? 母さん、もういい加減にしてよ! 母さんはいつだってそうだ。俺が仕事始める時も反対、遅く帰って来ればああだこうだと。そんで、旅に出たいと言えばまた反対。それに、兄貴の旅まで反対することないんじゃないか!?」
普段は怒らないナイルからは想像のつかない怒りようにシルラもレオンも口をぽかんと開けた。ウェルゼだけが、それをものともしない。
「あら、いつからそう言うようになったの? だけど、駄目よ!」
「なんでだよ!」
「危険だからよ! シルラだってもしかしたら……」
「ウェルゼ!!」
ひと足遅れて、レオンが立ち上がり叫んだ。
「いい加減にしないか! そうやっていつまでも子供達をここに引き止めておく事はできない。……わかるだろ?」
最後はまるで、息ができないかのようにか細い声で彼は言った。
「…………一晩、考えさせて頂戴」
そう言ってウェルゼは立ち上がり、リビングから出ていった。
「仕方がない……なんとか言ってきかせるよ。……早く寝るんだぞ」
レオンも彼女の後を追ってリビングから出ていった。残されたのは、ナイルとシルラ、そしてウェルゼが落とした割れたカップだ。
「ごめん兄貴……」
呆然と立ち尽くしてナイルが言う。
「何が?」
「正直、兄貴の旅が禁止されるとは思わなかった……」
「気にしないよ。俺、二十六だし。自立してない方が笑われるからって言って出ていくよ。だから気にすんな」
シルラはカップの破片を拾い始めた。
「それよりさ、何か拭くもの持ってきてよ」
「あ、ちょっと待ってて」
言われた通りに、拭くものを探しにナイルは台所へと向かった。
しばらくして、彼は雑巾を持って戻ってきた。
床を拭く間、ナイルは一言も口を開かなかった――――。