夢と現実
翌日、チルは久々に薬屋を開いた。
ナイルがいないのでロクサーノの元に行くのは夕方以降になるからというのもあるが、なにより長い間店を開けていなかったのが気掛かりだったのだ。
一方のナイルは、クラウスの元に行っていた。こちらも久しぶりの開店ということになる。
開店してしばらくした頃。予告どおり、カロンがやってきた。クラウスは嬉しそうに向かえ入れた。
カロンはしばらく店に置かれた剣を眺め、突然ある一本を手にとって鞘から抜いた。
「こりゃあ……相当手入れに力入っとるな」
「武器は所有者と魂を共有する。だから、その時が来た時に失礼がないよう手入れは怠らないようにしてるんだ」
クラウスは楽しそうに言っている。本当にこの仕事や剣が好きなようだ。
「なあ、カロンの旅の話聞かせてくれよ。不思議な国とか文化とか」
そしてこの世界にも興味があるらしい。彼は訊く時、目を子供のように輝かせている。
「おう、そうやったな」
カロンは剣を置いて、ナイルとクラウスが座っているテーブルに着いた。
「そうやな……まず何から話そうか……」
カロンは、砂漠と森が大部分を占める国の話を始めた。
そこは非常に緑が豊富な国で、杉が名産品で外国からも高い評価を得ている。
しかし、砂漠という裏の顔があり、そこは今、戦地と化している所もあるという。
そんな国でカロンが見つけたものは、大きな港だ。その港は古代から交易の中心となっている所で、今でも沢山の外国船が港に着いていた。
他にも、その国の歴史や文化に関わるものについてカロンは話した。
話が終わると、クラウスはさらに目を輝かせていた。
「すごいなぁ……。俺が旅人なら是非行ってみたい」
訊くと、彼は昔、旅に出るのが夢だったという。しかし、自分は強くなかったため、いつか襲われた時の対策がとれなくて旅に出る事を諦めたのだと。
彼は生まれ育ったこの地で武器屋を始めた。強くはなくても、武器を扱って旅人から話を聞けるだけで幸せだったそうだ。
「へー……そうなんか」
カロンは出されたお茶をすすった。
「ま、夢を叶える事だけが幸せとちゃうしな」
「うん」
クラウスは笑った。その通りだと彼は言う。
その時、ドアに取り付けられた鈴が鳴り、新しい客が来た。クラウスは客の相手をしに行った。
「そういやぁ、なんでナイルはここで働いとるん?」
「ん? 俺もクラウスさんと同じような理由。剣の修業して旅に出るのが小さい頃の夢だったけど、兄貴が出ていってさ。さすがに俺も出ていけるような空気じゃなくて」
「なるほどな。昨日のあれもあるし、何となくわかる。……けど、お前さんは機会があれば出ていくタイプやな」
「そうか?」
ナイルは眉根を寄せた。
「あの人の弟やし。それに、昨日の戦いっぷりからそう思った。結構粘り強いって。せやから、旅に対してもそう思っとるんかなって」
「まあな。今でも諦めてるわけじゃない」
「やろ? お前さんも……この国ではもう成人やろ? 親の言い分もあるやろうけど、いい加減自分の好きなように生きてもええんとちゃう?」
「好きなように……ね」
「ま、無理にとは言わんがな」
「……考えとく」
ナイルは立ち上がった。そして、売り場とは別の場所にまとめられた剣を一本取って戻ってくる。
布で手入れを始めたナイルを見てカロンは言った。
「仕事、楽しいか?」
「まあね。俺は短剣しか扱えないから、こういう長い剣を見る機会ってあまり無いし」
「そうか……。仕事は何時に終わるん? 今日もあいつの所行くんやろ?」
少し考えてからナイルは答えた。
「……そうだな。五時までには行くから、先にチルの所に行っててくれ」
「わかった。ならそうする。――――で、こいつ試してもええか?」
「はい、どうぞ」
カロンは立ち上がって、剣を一つ取った。鞘から剣を抜き、一振りする。
「ん……他のも試してもええか?」
「ご自由に」
カロンは同じような長さの剣を何本も取っては試してを繰り返した。
最終的には三本にしぼり、そのうちの一つを選んで買っていった。
「じゃ、俺は一旦帰るわ。また五時にな」
剣の入った袋を手にして彼は店を出て行った。
「おう。なるべく早く行くようにはするよ」
ナイルが返事を返すと、鈴がなりドアは閉まった。ナイルは再び剣の手入れに戻る。
「好きなように……か」
持ち手のゴミを払いながら彼は呟いた。そして、ちらりとクラウスを見る。
「何?」
それにクラウスが気付いた。
「いいや。なんでも」
「そうか? まあいいや。――ナイル、今日の昼飯お前にまかせた」
「わかりました。けど、トマト料理はもう作りませんよ?」
「わかってる。いくら好きでもあれは流石に飽きたよ」
クラウスは苦笑いをした。
彼が仕事に戻ると、ナイルは剣の手入れをしながら考え事を始める。
「好きなように……と言われてもな。やっぱ現実は厳しそうだし」
ナイルの目にクラウスの後ろ姿が映る。
――――その頃、一方ではチルは客の相手が終わり薬を補充し始めていた。
小さな引き出しが沢山ついた物入れから一つ引き出しを開け、千切りに刻まれた薬草を一掴みする。
そしてまた別の引き出しから薬草を出し、この二つをスプーンを使って皿の上で混ぜ合わせ瓶詰にした。これはこの国に伝わる薬湯になる。
少なくなった瓶にそれぞれ薬草を詰め、次に彼女は壷に詰められたクリーム状の薬をスプーンですくい、これも小瓶に詰めてゆく。
半分は終わったかという所で、店のドアが開いた。
「こんにちは。お邪魔しますです」
おかしな言葉を話す人が来たと思えば、入ってきたのはメイスンだった。少し遅れてキャロルも入ってくる。今日の彼女はドレスではなく、この時代に合った白いワンピースだった。
「あ、メイスンいらっしゃ……――――キャロル!? どうして!?」
チルは驚いて思わず小瓶をばらまきそうになった。
「ロクサーノが、少しは外の風に当たってきた方がいいって。だけどポルフェインじゃ知り合いが多すぎて……」
「なるほどねー……。じゃあ、今までヨーデンのいろんな所見てきたの? ……て言っても何もない所だけど」
「うん。町をうろうろして、大きな草原に出て、そこでお花摘んできたの」
キャロルはチルに小さな白い花の冠を頭に乗せた。
「あ、ありがと……。こんなのも作れるんだ……。私には無理よ」
「昔ね、母様に教えてもらったの」
嬉しそうにキャロルは言った。
「私ね、この時代に伝えられる事は全部伝えたいの。……それが私にできる唯一の事だから!」
「そう。……まあ、キャロルのやりたいようにやればいいんじゃない?」
チルは肩をすくめた。
「ねえ、今日はこっちに来るの?」
「うん。店じまいしたらね」
「なら、ロクサーノの所で待ってるわ。――――行きましょ、メイスン」
キャロルはメイスンの方を向いて言った。
「はい。では、行きましょうか」
「じゃあね。また後で」
キャロルは手を振って店から出て行った。遅れてメイスンも一礼して出ていく。
――――チルは再び、薬を瓶に詰め始めた。