ナイルとシルラ
その頃、ナイルは裏口から自宅へと入っていた。
いつもなら素通りするリビングだが、今日だけはそこに立ち寄った。リビングはやけに騒がしい。
ドアを少し開け、リビングの中を覗く。母と黒髪の男がそこに居た。しかし、その男が父親である可能性はきわめて低い。なぜなら父親は村の役所の軍隊を管理する部署にいる。デイ・ルイズという大きな祭を目前にして、国や地方のお偉方だけでなく、軍も準備は大忙しだ。
「あらナイル、おかえり」
「あ、うん……」
母のウェルゼは普通に話しかけるが、ナイルは普通に返事をしていない。
「……ナイル?」
母の言葉で、男はようやく彼の存在に気付いたようだ。彼は目を丸くしてナイルに近づき、力の限り抱きしめた。
「久しぶりだな! 元気にしてたか? それにしても大きくなったなぁ……。そうか五年ぶりか……。昔は背がこんな小さくて、近所の女の子に馬鹿にされてたってのに……」
「え、えー……誰?」
わけもわからず、ナイルは一人戸惑うばかりだ。
男はナイルを見上げ、こう返す。
「誰って……お前の兄ちゃんだよ。ま、まさか忘れたとか言わないよな……?」
「兄ちゃ……? え、……し、シルラ兄!?」
ナイルは驚いて男の顔をじっと見た。
髪は相変わらずだらしなく、今は長いのか短いのかよくわからない長さだ。黒髪には目立つ色の目は、ナイルと同じ金色の瞳をしている。
「え、なんで?」
「ん? 何が?」
「なんで急に……」
「帰ってきたのかって?」
ナイルはこくりとうなずく。
「たまたまこの近くの国でデイ・ルイズがあってね。それで、次はここかと思って帰ってきたんだ」
彼らの言うデイ・ルイズとは、世界中を旅する集団の催す祭のことである。(その規模は大きく、国中だけでなく外国からも人が訪れるほど)
「そう……なんだ。もう旅には出ないの?」
シルラはナイルから少し離れ、彼の肩に両手を置いて続けた。
「デイ・ルイズの間は家にいる。だけど、その後はまた旅に出るよ」
「ふーん……。ねぇ、旅の話、聞かせてくれるよね?」
「いいけど……、徹夜して歩いてきたから今は眠い……。ちょっと寝てからでもいい?」
しかし返事を聞く前に、シルラは廊下へ出て二階へ上がって行ってしまった。
ナイルは自分も二階へ上がるつもりでいたが、先に上がったシルラを追い掛けるような気がしてリビングに戻った。
「兄貴、また変な服着てた?」
彼はなんとなく、母にそうたずねる。
「着てたわ。緑の着物に茶色のマントを羽織って。下には白ズボンとブーツ。これ、どう洗濯すればいいのよ。洗ったらほつれが酷くなりそう」
少し怒るウェルゼの話は、ナイルを苦笑いさせる。実は五年前に帰省した時も兄は、どこかの民族衣装を複数組み合わせて着ていたのだった。一度着替えたのだろうか、先程着ていた白いワンピースのような服も民族衣装だろう。砂漠にでも行ってきたのか、とナイルは思う。
結局、話題も見つからないため、ナイルは二階に上がることにした。
彼は自室に入り、なんとなく窓の外を見る。すると、ミフェン堂――チルの家の薬屋の前に銀髪の人物が立っていた。髪が長く、服装も白い布を巻いたような、やわらかな服を着ているため、男女の区別がつかない。
その人物は錆びた看板をしばらく見上げた後、ゆっくりとドアを開け、中へと消えた。
「外国の客か……。珍しいな」
少なくともナイルは、この村にあれほどの長い銀髪を持つ人を知らない。しかも今は外国からも人がやってくるデイ・ルイズが間近に迫っている。と、すると、考えられる結論は『よそ者』よりも先に『外国人』が出てくる。
その客はしばらく店から出てこなかった。やっと出てきた時には両手いっぱいに荷物を抱えていた。そしてその頃には、ナイルの関心は剣の手入れに移っていたのだった。