扉
時は流れて、日はとっぷりと暮れていた。
――――チルとナイルはというと葉っぱに乗せられ、廃屋であるロクサーノ(リト・クァン)の家の玄関前にほうり込まれた。
「いて……何なんだよ乱暴だな……」
愚痴をこぼしつつナイルは起き上がった。
「あー……やっぱあの人信用できない!」
先に起き上がっていたチルは腕組みをして憤慨している。
「ならなんで協力してんだ」
土を払いながらナイルは聞く。
「だって、現実にジルハードの王女はあそこに居たのよ!?」
「……そうだな。……まあ、なんだ。それはともかく、怪我とかしてないか?」
「私は大丈夫よ。ナイルは?」
「大丈夫。擦りむいただけ」
彼の言う通り、ナイルの右腕のひじからは血が流れている。
「待ってて、治すから」
チルは、ナイルの右腕を掴んだ。しかしナイルはそれをとっさに拒んだ。
「え……?」
チルの驚く表情――二つのまるい目がナイルを覗く。
「え、いや、なんでもない。頼むよ」
そう言うナイルはチルの顔を見ようとしない。先ほど自分がとった行動に罪悪感を感じているようにも見える。
「うん……」
気にしながらもチルはもう一度ナイルの腕をとった。黒猫の時のように精神を集中させ、手の平から青い光を出していく。
光に包まれナイルの傷は回復した。それと共に、チルの手から注ぐ青い光が上空に集まり――――ラティーヤと同じような青い玉を作り、ゆっくりとチルの元にやってきた。
二人は唖然とした。自分の元に降りてくる玉を、震える手でチルは受け取った。
「ラ、ラティーヤと……」
「同じだな……」
ここはキケルが魔力を制御できなかった場所。冷静に考えれば、この玉にロクサーノの力が関わっているのは明白だ。
チルはかばんからもう一つの玉を取り出した。二つはまったく同じ大きさだ。
「これで封印を解く鎌が……?」
「そういう……事だな」
「でも何も起きない」
「……だな」
チルは暗がりで輝く二つの玉をぶつけてみた。しかし音をたてるだけだった。
鎌の作り方を知っているロクサーノは、ショーで当分帰ってきそうにない。飛ばされた二人は途方に暮れた。
「どうするか……」
「そうね……。なら私、もう一度王女に会いたい」
「王女に!? アンブランテの門に行くのか?」
「うん」
「え、おい……」
言いながらチルは既に行動に入っていた。玄関の戸を開き、暗い廃屋をカンテラで照らして入って行こうとしていた。それに気付いたナイルは急ぎ足になりながら後を追う。
廊下を渡り、大きな扉の前に着いてそれを開いた。その先には、いつものように三つの扉がある。
キケルに供えたものは、ナイルいわくロクサーノがリビングに移したらしい。その時彼は、キケルについてすべて話したという。
「そう……。まあいいわ。捨てられなかっただけよかった」
少しチルの声のトーンが下がった気がした。それでも次には、彼女は右側の門に向かって行った。
時差なのか、王女の部屋はまだほんのりと明るい。夕焼けの光が窓から差し込む。
チルは王女へと近付き顔を覗き込んだ。まだ少女のような顔つきのこの王女は、齢は十八と伝えられている。つまりはチルよりも年上ということだ。
綺麗な人、とチルは目を細めて言った。触れようとしても、王女に纏わり付くもののせいで近付く事は許されない。
チルはしばらく彼女を眺めていた。外は闇に覆われ始めている。辺りが暗くなっていることに気付いて彼女は立ち上がった。
「戻るのか?」
それまで後ろで何も言わなかったナイルが言った。
「うん」
「そうか。なら、戻る……」
振り返ってナイルは口を止めた。
「どしたの?」
彼の目線――――アンブランテの門のある所には、それまではなかった扉が隣に並んでいた。
「何……あれ……」
チルは眉をひそめた。
普通の扉よりも幅が狭く、人一人が入れるくらいの大きさでしかないそれは、両開きの扉の半分を切り取ったような形をしている。
「どうする? 行ってみる?」
扉を指さしながらチルは言った。
「俺に聞かれてもな……。やめといた方が無難だとは思うけど」
「まあ……そうだけど。……ロクサーノはこの扉の事知ってるのかな」
「帰ってきたら直接聞いてみたら? とりあえず、戻るなら戻ろうぜ」
ナイルは既にアンブランテの門の取っ手に手をかけていた。
「そうね」
それに答えて、チルも門に向かって行った。
二人が廃屋に戻った。その後――――突如現れたその扉が音を起てて開いた。
扉を閉める直前にチルが音に気付き、その扉を再び開けた。
「どうした?」
「なんか、音がした……」
ナイルに振り向いたチルは少し青ざめた顔をしている。
「音?」
「うん。なんかキィーって……」
「誰かが城にいるのかな……」
二人はゆっくりと、王女の部屋を覗き込んだ。ぱっと見渡す限りでは、特に異変は無い。ナイルは部屋に押し入った。そしてようやく気がついた。――――隣の扉が、外側に開いている事に。
「おい……これ……」
チルもそれを見て息を飲んだ。
「……いつの間に!? だって、誰もいない……」
二人は警戒しながらも、その扉の向こう側を覗き込んだ。しかし真っ暗で何も見えない。カンテラで辺りを照らしたが、やはり何も見つからない。
ふいに、彼らを吸い込むような弱い風が吹いた。
なんか不気味、とチルは言う。ナイルもそれに同意する。
どこから吹いているのかわからないその風はやむことはなく、急に強さを増していった。
風により、王女の部屋の調度品は倒れていた。ボロボロのカーテンは不気味に揺れている。
そして、おどろく隙すら与えられないまま二人は風に飲み込まれ、暗黙の世界へと吸い込まれてしまった――――。
部屋に残るは、二百年間眠り続ける王女のみ。半開きのアンブランテの門の隣に現れた扉は、音を起てて閉まった。