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「おのれ、バカチンがっ!」


 谷村さんの怒声は、逃げた曲者へ向けたものか、余計な真似をした自警団ニューフェイスへの叱咤か判らない。


 多分、その両方だろうと思いつつ、啓司は前方を行く細長い影を追う。


 閉店した店、まだ辛うじて営業している店から交互に闇と光の領域が生じ、その境界を抜ける度に三人の影が伸びたり、縮んだりを繰り返した。


 まるで影同士が鬼ごっこでも楽しんでいるかのようだ。






 そう言や、影踏み鬼って遊びがあったな。 あれ、どんなルールだったっけ?






 啓司が呑気な事を思い浮かべた瞬間、谷村さんは、逃げる若者へ大声で一喝した。


「そこな曲者、観念せいっ!」


 谷村さんが愛読する剣豪小説だと、これでクセモノは昏倒するのだが、残念ながら膝を折ったのはご本人の方だ。


 見るからにガス欠。息が切れ、顔が蒼白になっている。


「年寄りの冷や水」という言葉が胸をよぎったものの、ここでそれを言おうものなら、商店街から追放されかねない。


 代わりに愛想の良い声を出し、


「会長、ご苦労様でした。ここは私に任せ、一息いれて下さい」


「あ……アンタだけで大丈夫かね?」


「なぁに、あんな小僧、お頭抜きでもお縄にして見せますヨ」


「よ、よう言った、三好君。さすがは我がオリオン商店街、希望の星だ」


「御意っ!」


 一応、商社の営業マンだったキャリアのお陰か、相手の喜びそうな台詞はスラスラ出てくる。


 かなり時代がかったやりとりの後、会長と熱い握手まで交わし、この上、落書き犯まで捕まえれば、商店街での地位固めはまさに完璧と言えよう。


 そう思い、必死で走る46才だが、寄る年波にはかなわない。谷村さんの脱落から三分も経たぬ内、これまたガックリ膝を折る羽目となる。

 

 だが、意外や、鬼ごっこはまだ終わっていなかった。

 

 見ると、落書き犯も青息吐息。50メートルほど先の電柱にもたれ、立ち止まっているご様子だ。

 

 考えてみると、啓司の読みが当った場合、落書き犯は引き籠りでオタクの運動オンチと相成る。

 

 若くてもスタミナはしょぼい。

 

 どうやら二人は、極めてレベルの低い追跡劇を演じていたと言う事らしい。






「孝君、もう鬼ごっこは十分だろ? 僕と、もっと話をしないか?」


「オ……オイ……そこのオッサン……」


 マフラー帽を通した若者の息は乱れ、声は低く掠れていた。


 はて、昔の孝君はどんな声をしていたっけ?


 細く、高い声音じゃなかったかな?


 そもそも、息子の紘一と友達になったきっかけだって、合唱団で同じボーイソプラノだったからだ。


 小学校の伝統だそうで、高学年は強制参加の合唱団に入らねばならない。紘一と孝は発表会で、各々ソロパートを取った。


 聴いてて、ちょっと誇らしかったな。


 ウン、自分の息子と思えない程、良い声だったと今でも思う。


「オッサン、何で俺をその……孝って奴と決めつけるんだよ?」


 珍しく、啓司は答える迄にタメを作った。


「……多分、ファンだったから」


 ゼエゼエうるさかった若者の息遣いが一瞬、止まる。

 

「11才のちっこい瞳を輝かせ、ちっこい指で一心に描いてた、あのサルビアがさ。何故だか目に焼き付いて、今でも瞼を閉じたら、目に浮かぶようで」


「アホか! 所詮、ガキの絵だろうが」


「でも、君があの時描いたサルビアには、何かがあったと思う」


 前方の息遣いがまた止まる。


「自分が本当に描きたいと思う物だけ真っすぐ見つめ、描き続ける情熱。誰かに褒められる事なんか意識もしていない、そんな剥き出しの喜びがあった」


 相手が望む筈の言葉が、啓司の脳ミソで瞬時にはじき出され、口からオートマチックで迸る。


 全くもって、いつもの事。それが啓司の生き残る戦略。

 

 ただ、意外なのは自分でそれがコントロールできなかった事だ。

 

 何故だろう? 言葉が止まらない。


「僕にはね……そういうの、全く無いモンだから、逆に価値が判るんだよ」


「はぁ!?」


「関わる人の群れに揉まれ、流され、うまく立ち回る事だけ、考えてきた僕には……」


 ああ、言葉がどんどん愚痴になる。こんなガキにグチって何になる。それでも言葉は止まらない。


「実際、悲惨なものさ、属していた群れが丸ごと無くなってしまったら、もう、どうしていいか判らない。

群れの中に僕がいるんじゃない。群れがあってこその僕なんだ。

人に頼らず誇りにできる何かを持ちたかったけれど、何度、回りを見回しても手遅れって言葉しか見つからなくて、ね」


 そこで、漸く啓司は口ごもった。


 しばしの逡巡。


 外に出て来ない言葉が、今度は胸の内側でドタバタ駆け巡り続ける。






 ……ウン。


 そうだよな。

 

 紘一が、父親を醒めた目で見るようになったのも、多分、それが原因。

 

 あいつ、中学に入った時、合唱を続けたいって言ったんだ。

 

 声変わりしたら日本人には珍しいバリトンになるから大事にしろと、合唱団を指導している先生に言われたらしい。

 

 でも俺が反対して、結果、塾の量を増やす事にした。

 

 やりたい事をやっても所詮、その場限りの自己満足。早晩、何処かで行き詰る。そんな甘さじゃ生きていけないゾ、と頭ごなしにやっつけた。

 

 やりたくない事をやるのが大人と子供の違い、そんなカビの生えた正論を振りかざして、な。

 

 手放したくない思い、幾つになっても胸の奥で輝く自分だけの価値が、その時は見えなかったんだ。

 

 いや、俺はただ認めたくなかったのかもしれない。

 

 息子の違う生き方を認めたら、何かこっちを丸ごと否定される気がして……

 

 孝の絵には感動できたのにな。

 

 ちっちゃい男だわ。

 

 同じ要領で妻の言い分も無視してた。会社が倒産しなくても、遅かれ早かれ、家族に捨てられたろ、きっと。


読んで頂き、ありがとうございます。

今回は3エピソードで完結となります。

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