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第九話:鐘

 私は今度こそ、これは夢ではないかと思った。レオが王子様で、私のことを昔から知っていて、あまつさえ求婚されたですって?現実とは思えない。


「…いくら信じられないとはいえ、まさか目の前で頬をつねられるとは思わなかったよ。」


 レオが笑いを堪えられないといった様子で声をかけてきて、私は我に返る。彼に握られた手とは反対の手で、私は自分の頬をつねっていた。一時遅れて痛みが襲ってくる。…痛い。ということは、これは現実なの?


 呆然とする私の痛む頬をレオがそっと優しい手つきで撫でた。微笑んで若葉色の瞳で見つめられると、じわじわと自分の顔に熱が集中するのを感じる。


「そ、そんなふうに見つめないでよ…」

「君にそう言われるとずっと見つめていたくなる。」

「…馬鹿!」


 相手が王子だということも忘れ、思わず私は思ったことをそのまま言って顔を背けた。耳まで熱くなっているのを感じるので、きっと今の私の顔は真っ赤だろう。こんな時、貴族令嬢はどんな返事を返せばいいのだろうか。そう思うと先程大きなホールで見かけた完璧な令嬢達の姿が頭を掠め、私は気が沈むのを感じた。


「それで、返事はいただけないのだろうか。」

 

 静かな声でそう尋ねてくる彼は、姿形も仕草も完璧で非の打ち所がない。しかもこの国の王子なのだ。


 それに比べて私はどうだろうか。急拵えで準備をし、今夜この王宮に集まった完璧な淑女達に笑われるようなドレスを着て、令嬢としての嗜みはおろか貴族としての意識すらこの二ヶ月で性急に詰め込まれたものだ。


「…貴方は王子様なのでしょう。それならば相応しい相手を探さなくてはならないのでは?」


 いくら彼自身が私のことを特別に感じていても、私が彼に相応しいとは思えなかった。少しだけ声が震えた。


「…それは、僕の気持ちに応えるつもりはないということだろうか。」


 レオの声も震えていた。彼を見つめると、初めて見る辛そうな顔をしていた。そんな顔をしないで欲しい。泣きたくなるから。


「…私は貴方と初めて会った時のことさえ覚えていないわ。貴方はずっと覚えていてくれたのに。」

「言っただろう。君はあの時母君のことで手一杯だった。たとえ君が覚えていなくても僕は構わない。」

「私は十年近く森で一人で暮らしてきた。王族としてどころか、貴族としての振る舞いも身に付いていないわ。」

「これからいくらでも身に付ければいい。僕はそれを待つし、周囲にも納得させてみせる。」

「貴方にそうまでしてもらう価値が私にはないって言っているのよ!」


 思いがけず出てきた私の大きな声に、レオが驚いたように口を閉じる。彼が言い募れば言い募るほど、私には彼に寄り添う価値がないと感じた。涙を必死に堪え、微笑んで彼と向き合う。


「ごきげんよう、王子様。…私には身に余る光栄でした。」


 そう告げて一礼し、くるりと彼に背を向ける。涙を溢さなかったのは上出来だ。あやふやな記憶を頼りにホールへの道を歩もうとする私を追う彼の声と足音が聞こえてくる。

  

「待ってくれアーシェ。そんな理由で君のことを諦められない!」


 そんなことを言わないで欲しい。私が上手に諦めようとしているのだから。


「それに僕はまだ君の気持ちを聞いていない。答えてくれアーシェ!」

 

 ああ、やっぱり駄目だった。堪え切れなかった涙で視界が滲む。気持ちなんて改めて聞かれるまでもないのに。


「アーシェ!!」


 そう強く名前を呼ばれたかと思うと、ドレスを摘んだ腕を急に引き寄せられる。思わぬ動きについてこれなかった私の足から例の靴がついに離れたが、私はそれどころではなかった。夜の中庭で長話をしたことで冷え切っていた身体が温もりにつつまれる。顔に押し当てられた上質な服が私の涙で濡れた。レオに抱きしめられているのだ。そう気付くと、冷め切った体温が急激に上昇するのを感じた。温度差に頭がクラクラする。


「アーシェ、これきりだなんて言わないでくれ。頼む。本当の気持ちを聞かせてくれ。」


 レオの声がくぐもって聞こえる。同時に、私達の時間に終わりを告げるように真夜中の鐘が鳴るのが聞こえた。ガンガンと鐘の音が頭の中で鳴り響く。遠のいていく意識の中で辛うじて声を出した。


「…あなたなんて、きらいよ」


 レオが息を呑む。一瞬の後、彼が何事か話しかけてきたが、その声は私の耳には届かなかった。


 お願いだからもうこれ以上、私を苦しめないで、レオ。そう最後に思い、私は意識を手放した。


 ――――

 

 私は森のボロ小屋にいて、いつものように縫い物をしている。作業がひと段落ついたタイミングで、小屋の扉をノックする音が聞こえた。レオが来たに違いない、そう思って扉を開けたが外には誰もおらず、ただ一輪のハルジオンが置いてあるだけだった。訝しんでそれを拾い上げると、花はみるみるうちに枯れていく。そして誰かが遠ざかっていく足音だけがやけに頭の中に響き渡った。


 ――――


「待って!」


 私は自分の声で目を覚ました。視界に飛び込んできたのは、ボロ小屋の天井でも王宮の天井でもない。本邸に戻ってから割り当てられた私の部屋の天井だった。一気に現実に引き戻され、私は思わずもう一度瞼を閉じた。

 

 あれからどうやって戻ったか、覚えていない。起き上がろうとしても酷く身体は鉛のように重く、半身を起こすことさえ出来そうにない。そうやって私が身じろぎしていていれば、扉をノックする音が部屋に響き渡る。続いて鍵を開錠する音がして扉が開く。扉の向こうにはメイドの姿があった。


 水桶と布を持ってきた彼女によれば、私は舞踏会で王子とダンスを踊った後に意識を失ったらしい。直ちに王宮に控えていた医師に診て貰った所、極度の疲労によるものと診断されたそうだ。王宮の手配で、私は自宅へと丁重に送り届けられたが、三日間の間高熱で目を覚まさなかったのだ。メイドは水に濡らした布を私の額に当てながらそう言った。


「意識が戻ったことを貴女のお義母様にお伝えしてきます。…靴を片方無くしたことにはお怒りでしたが、貴女が王子に見初められたと聞いて上機嫌でしたよ。」


 私を気遣うようにそう最後に付け加え、彼女は部屋を出て行った。気遣いはともかくとして、叩きつけられた現実に私は溜息をついた。


 靴を片方無くしたということは、最後に抱きしめられた記憶に間違いはないということだ。つまり、それまでの出来事も現実だということ。…いや、それよりも今は義母のことを考えなければ。近づいてくる足音に私は気を引き締めた。


「アーシェ、目が覚めたようですね。」


 相変わらず扇子で口元を覆い隠した義母が部屋に入ってきた。メイドは上機嫌と言っていたが私にはいつもの義母に見える。


「起き上がらなくて結構。そのまま話を聞きなさい。…まずはおめでとうと言ったところかしら。王子に見初められてダンスを踊ったそうね。聞いて驚いたわ。…王子も変わり者ね。」


 義母の口から私を祝福する言葉が出て思わず驚いてしまう。そんな言葉をかけられるのは初めてだった。…最後に余計なオマケがついていたが。メイドが言った上機嫌という言葉もあながち間違いではないのかもしれない。


「ただ、王子の求婚を受けていながら王宮で意識を失うとは情けない。ましてやそのまま靴を置いてくるなんてね。…けれど、これも考えようによっては多少病弱な娘だと周りに改めて知らしめることが出来たと言えるわ。これ以上ない婚約を持って帰ってくると同時に、これまで広がっていた噂話が間違っていないことを証明してくるとは…上出来ね。」


 上機嫌にしても私を祝福しての言葉ではかったらしい。彼女はただ自身に都合のいい展開を歓迎しているだけのようだ。


 いや、そうじゃない。今義母はなんと言っただろうか?


「婚約、ですか?」

「王子に求婚され、それを受けたのでしょう?その指輪が何よりの証明ではないの。」


 義母にそう言われ、なんとか身を捩って自分の手を確認する。左手の薬指には、王族の証が刻まれた見覚えのない指輪が光っていた。

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