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第八話:きっかけ

  思いもよらない発言に私は一瞬全てを忘れてぽかんとしてしまう。何を言っているのかこの男は。


「幼い頃に出会っているですって?王子様と過ごした記憶なんて私にはないわよ。」

「もちろん身分は伏せていたから君が知らなくても無理はないと思う。出会ったと言っても話をしたのはほんの数分のことだし、君は覚えていないかもしれない。」

 

 彼が語り始めた話によれば、それはまだ私の母が存命だった時。王族としての厳しい教育の息抜きに、また未来の花嫁候補である貴族の娘を王子自らの目で確かめるために、国中のまだ幼い令嬢のもとを訪れて面談していたという。取り繕わぬ自然な姿の令嬢を確かめるため、王族だという通達はせずに、だ。とはいっても多忙極まる王族、いざ訪れても話をするのは大人ばかりで、肝心の令嬢とは一言二言挨拶を交わす程度の時間しかない。幼いレオにとっては事情を理解してもなお辟易するような時間だった。彼がそうして暮らしているなか、私はといえば母が生きている頃なので当然本邸で暮らしていた。そしてある日、貴族令嬢の一人である私に、訪問相手として白羽の矢が立ったらしい。


「恥ずかしい話なんだが、当時の僕は息抜きとは名ばかりの同じような挨拶や会話にいい加減飽き飽きしていてね。王族としての公式な訪問でないのをいいことに、アーシャとの面談から抜け出したんだ。」


 都合のいいことにどういうわけか訪問相手である私自身も面談の場にいなかったそうだ。細かな話は大人に任せ、遠出しないことを約束し幼いレオは屋敷の外に出る。王子である以上勿論警護がいたらしいが、一人で息抜きをしたい旨を伝えれば彼らは少し距離をおいて警護をしてくれるだけの融通は効くらしい。屋敷の外は整った庭が広がっているが、王子のレオは庭など王城で見飽きていた。さすがに庭より外に出る気は起きなかったらしく、面談の場から逃げ出しても所詮はこんなものかとがっかりしたらしい。失礼な話だ。かといって屋敷の中に戻る気にもなれず、苛立ち紛れに芝に座りこんで俯きながら手持ち無沙汰な手で辺りの芝をブチブチと毟った…


 …って!


「人の家の庭で意味もなく芝を毟っていたですって?随分な王子様ね。」

 

 話の途中で思わず私は口を挟んでしまった。私の知るレオは穏やかな人間で、ハルジオンを摘んできた時の発言からもそんな身勝手な振る舞いをするとは考えられなかった。黙って話を聞いていた私が突然声を発したことに彼は少し驚いた様子だったが、すぐにどこか嬉しそうな微笑みを浮かべた。

 

「勿論今ならあの振る舞いは間違っていたと分かる。今更だが謝罪するよ。申し訳なかった。」

「謝罪する人の顔じゃないわ。何故笑っているのよ。」

「いや、君が昔と同じタイミングで怒った声をかけるものだから。おかしくてね。」

「同じタイミングって…まさか。」

「そのまさかさ、昔も君に叱られたんだよ。意味もなく芝を毟るなってね。」


 私は思わず額に手を当てた。彼は可笑しそうに続きを語りだす。


――――

 

『ちょっと、何してるのよ!』

 

 突然降ってきた少女の声に驚き思わず顔をあげる。貴族令嬢らしき少女が怒った顔を浮かべてこちらを睨みつけていた。

 

『人の家の庭で芝を毟るなんて、何故そんなことができるのよ。手元をよく見なさい、花だって咲きそうだったのに。』

 

 その言葉に従い手の中を見ると、芝に紛れていくつかの小さな蕾が紛れていた。芝を毟っているつもりだったが、どうやら近くに生えていた別の植物まで毟っていたらしい。

 

『芝も花も、植物だって生きているのよ。人と同じ。他の命を思いやれない人には、誰かから思いやってもらう資格がないんだから。』


 そう言って少女はこちらに歩みより、千切られた芝を撫でてから蕾を拾い上げた。かわいそうに、と呟きながら少女は蕾を撫でる。その仕草が己に対する当てつけのように思えて、謝罪しようと思って開いた口からまったく違う言葉が出てきた。


『花や芝に大袈裟な。それに誰かに思いやって貰わなくても生きることはできるだろう。』

 

 自分の口からこんなに不機嫌な声が出るとは思わなかった。自分の発言が少女をより怒らせるかと思い身構えていたが、意外にも少女は落ち着いた様子でこちらを真っ直ぐ見ていた。その勿忘草色の瞳に、気まずくなり視線を逸らすと、少女は落ち着いた声音で再び話し始めた。

 

『生きるということはただ息をすることじゃないのよ。他の誰かと一緒にいるから生きていけるの。誰かを思いやれない人に、どうしてその誰かが一緒にいたいって思ってくれるの?』

 

 少女の発言に、思わず俯いた。こちらに非があることは最初から解っていたが、同じような年頃の貴族令嬢に考え方を諭されるとは思ってもいなかった。内容は王宮の教師たちから学んだこととそう変わらないが、植物への態度から自分が知らず知らずのうちに抱えていた傲慢さを見抜かれたようで情けなく思えた。


 ――――


「…その後すぐに時間が来て王宮に戻ることになったんだけどね。僕はその日に出会った令嬢のことが印象に残ってしょうがなかった。従者に調べてもらった結果、すぐにその屋敷の貴族令嬢、アーシェだということが分かったんだ。」


 昔話を終えたレオが私の様子を伺うように見てくる。話を聞き終えた私は正直なんとも言い難い気持ちだった。


「…ごめんなさい。よく覚えていないわ。」

「そうか。少し残念だけど仕方ないと思うよ。昔のことだし、何より当時は君の母君が大変な時だったからね。」


 私の返事を聞いて少しがっかりした様子のレオだったが、私はそんな彼の様子よりも気になることがあった。

 

「…私の母のことも知ってるってことは、私の家の事情も知ってたってことね。」


 苦々しい気持ちで私がそう言えば、彼は視線を逸らさずにゆっくりと頷いた。

 

「探り合いはなしだと言ったが、どうしても君のことが知りたかったんだ。すまなかった。」


 ベンチに座った私に対して、向き合って話をしていた彼は、頭を下げた。王子に頭を下げられているというのに、私は不思議と落ち着いた気持ちだった。相手がレオだからだろうか。彼はそのまま言葉を続けた。

 

「その後調べてみても、気になっていた令嬢は母君に似て病弱らしく領地の森で療養中、花嫁には望めそうになかった。本格的な花嫁探しを始める前に君に会って心の整理をしたい。そう思って訪ねようにも、君の義理の母親は何かと理由をつけて合わせてくれなかった。だから誰にも告げずに密かに君に会いに森に行ったんだよ。迷い込んだ狩人としてね。」


 ここで彼は顔をあげると、私の方を見て困ったように微笑んだ。夜の中庭という景色も相まって、その微笑みでさえ絵になるようで何故か悔しい。

 

「ひと目でも君の姿を見られればいい、そう思って訪ねてみたら驚いたよ。貴族令嬢が療養しているからには立派な屋敷があるだろうと思っていたら、そんな屋敷はどこにもない。屋敷への道を尋ねようと思ってあの小屋をノックすれば、灰掃除をしていたらしき元気そうな女性が出てきてね。まさかと思ったがひと目見てアーシャ本人だと確信したんだ。」


 出会いそのものはいいとして、私としてはあまり思い出したくない状態での彼との思い出だった。出来れば忘れていて欲しかったが、彼もしっかりと覚えているらしい。その裏側が語られる。


「成長した君と出会った後、急いで君のことを改めて調べたよ。病弱ゆえ療養していると聞いたが、森近くの街では誰もが君のことを森に住む元気な娘だと思っている。どれだけ君があの森で暮らしてきたか、また君と義母との関係。そうした事実が明らかになるたびに驚いた。様子を見に行っても君はいつも元気そうでね。貴族令嬢としての籍が残っていないわけでもない。それならばいくらでもやりようはあるんじゃないかと思って、とうとう僕の素性や目的を話そうと思ったら、君からの便りが途絶えたんだ。調べてみたらどうも療養を終えてあの屋敷に戻ったらしいとね。しかも見合い相手を探しているものだからまた驚いたよ。」

「貴方と会っていたことが義母に知られて…外聞が悪いからと本邸に戻されたのよ。全て義母の指示で…私だって驚いたわ。」


 全てを明らかにされ、私は強張った体から力が抜けるのを感じた。あれだけ思い悩んでいたことが馬鹿みたいだ。彼は全てを知っていたというのに。二ヶ月前に本邸へ連れ戻された際の義母との会話を思い出す。どうして私の周囲はこうも私の事情を知り尽くしているのよ。


 私がそんなふうに内心毒付いていると、レオがふと改まった様子でこちらに向き直った。その眼差しは真剣で、最後に彼に会った時の別れ際を彷彿とさせた。

  

「だがそれもこうして君と再び出会う機会に繋がった。改めて君に大事な話をすることができる。」


 そう言うと彼はベンチに座ったままの私の手を取り、優しく引いた。手を引かれるがまま立ち上がった私の前に跪いて手を取る。実に王子らしい優雅で気品に溢れた仕草だった。

 

「昔出会った時から今も変わらない。アーシェ、君と共に生きていきたい。僕と結婚してくれないか。」

 

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