表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/17

第五話:絶望

「本邸に戻れって…どういうこと…?」

「それは本邸のお義母様に尋ねてください。私はただ貴女を本邸に連れ戻すためにここに遣わされました。森の出口に馬車を用意しておりますので、急いでください。」


 有無を言わさぬ口調で継母からの使いが告げた。理由も聞かされずにただちに帰れって?冗談じゃない!


「私は街の仕立て屋との取引があり、来週には仕立てた衣服を納品しなければなりません。彼らとの約束を破ることはできません。」

「仕立て屋には既に話をつけています。貴女は実家に帰るために急遽去ることになったと。衣服の納品はそれに値する財産を支払っておりますので、貴女が気にすることではありません。」


 私は絶句した。私が仕立て屋と取引しているなんてことは一言も告げていなかったというのに。前回の来訪時にはこれっぽっちもそんな素振りを見せていなかったのに、一体いつから私の帰還が計画されていたというのか。


 結局何を言っても取り合ってもらえず、私は身一つで本邸へと戻されることになった。小屋の中で戸締りをしつつ、私はみじめな気持ちになっていった。今更本邸に戻って、どんな扱いを受けるというのだろう。どう考えても私にとって良い展開になるとは思えない。この森で生きていくのだと何の疑いも持っていなかった。だが、私は所詮継母の手の内で、この森で生かされていただけだったのだという事実だけが私の身に染みていた。


 もうレオと会うことすら無いかもしれない、窓際のハルジオンを見てそう思う。覚悟をしようと思っていた矢先の別れに、湧き上がってくる涙を拳で拭った。彼とはまだ次に会う日取りを決めていないから、いつか伝書鳩をこちらに遣わすだろう。その際に合図のどんぐりを持たせられないということは、もう彼と会うことは出来ない。私が居なくなったボロ小屋に来て、彼が無駄足を踏まずに済むことだけが救いなのかもしれない。


 大事な話とは何だったのだろう。いずれにせよ別れが来るかもとは思っていたが、話を聞くという約束を守ることさえ叶わないとは思ってもみなかった。


 継母からの使いの後を歩き森を出てさらに歩く。荷物もないのに足が重かった。日はもう暮れはじめており、私の希望と同じね、なんて意味のないことを考える。やがてかろうじて舗装された道が見えてくる。道端には馬車が控えていた。もうこれ以上歩く気力もなかったので大人しく乗り込みぐったりと座り込んだ。使いが御者席に付き、馬が歩き始める。ゆっくりと馬車が動き出した。

 

 

 望まぬ帰郷の道のりは順調で、日が沈み切る前に馬車は本邸の裏へと辿り着いた。数年ぶりの実家だが、どうやら正面から入ることは許されないらしい。馬車を降りて使いの後に続き、裏口を通って本邸の中に入る。灯りの落ちた暗くて長い廊下を通り抜け、やがて一つの扉の前で使いが立ち止まった。


「貴女のお義母様が中でお待ちです。ここからはお一人でどうぞ。」


 私は一つ息を吐き、黙って扉をノックした。


「入りなさい。」


 数年ぶり聞く義母の声だ。両開きの扉を自分で開き、部屋の中に入る。

 私の記憶が確かであればここはかつて私の母の部屋だった。しかし中の様子は記憶とは大きく違っていた。病弱だった私の母はどちらかといえばシンプルな部屋を好んでいたが、現在の部屋は様変わりしている。何かしらの香が焚かれており、私には何に使うかも分からないような豪華な調度品で溢れていた。

 義母は窓際に佇んでおり、扇で顔の下半分を覆ってこちらを見ていた。部屋は最低限の灯りしかなく、窓から差し込む月明かりのせいで義母の顔は暗くてよく見えない。


「久しぶりね、アーシェ。」

「お久しぶりです、お義母様。」


 こんなに冷たい声だったかしら。久しぶりに聞く義母の声に、震え出しそうな身体を必死に抑え込む。彼女の前では弱い自分を見せたくなかった。勇気を出して一番聞きたいことを尋ねる。

 

「お聞かせください。私は何故ここに呼び戻されたのでしょうか。」

「それは貴女自身が分かっているのではなくて?」


 質問を予想していたかのような落ち着き払った声で返事がとんでくる。当然のことながら今更本邸に呼び戻される理由に心当たりなど無い。


「身に覚えがありません。」

「貴女、大人しく森で過ごしているかと思えば近頃は殿方を連れ込んでいたそうじゃない。はしたない。」


 一瞬何を言われたかが分からなかった。

 殿方とはレオのことだろうか。連れ込んでいた?はしたない?ただ友人と会っていただけなのに何故そのような表現を受けなければならないのか。憤って思わず声を荒げ、義母に食ってかかった。

 

「彼はただの友人です。やましいことなんてなにもありません!」

「お黙りなさい。貴女の振る舞いは使いから全て報告を受けていました。下民のふりをして街で仕立ての取引をするくらいならと見逃していたものを…。我が家に連なる者でありながらあのような外聞の悪い行為、見過ごすことはできません。」


 私は唖然とした。義母の使いは森の小屋に来ても私とろくに話すことなく帰っていっていたはずだ。私がどう過ごしているかなんて伝えたことはないのに、監視されていたということか。レオどころか街での取引まで持ち出してきた義母の言葉で察した。私の行動は全てが筒抜けだったのだ。いつから計画されていたかは分からないままだが、街での取引にさえ先回りして私を呼び戻したということはおそらく私へのメッセージだろう。もうあの小屋に帰れるなどと思うな、という。

 

「私は今後どうなるのでしょうか。」


 これで本当に希望は無くなった。私は掠れた声で今後の己の処遇を尋ねた。憔悴した私に満足した様子で義母が答える。

 

「これ以上恥晒しな行為に及ばれる前に、貴女には相応しい相手をこちらで見繕います。見合いを受けて結婚し、貴族令嬢としてのつとめをはたしなさい。」


 後ろから殴られたかのような大きな衝撃が走った。見合い?結婚?貴族令嬢としてのつとめ?義母は一体何を言っているのだろう。私はゆるゆると首を振りながら掠れた声で返事をした。

 

「森に住んで以来、私は貴族令嬢としての振る舞いなんて学んでおりません。貴族令嬢として結婚するなんて無茶です。」

「安心なさい。多少の礼儀は見合いまでの間に教師をつけて教えます。見合い相手には、これまで長く療養していたゆえに貴族令嬢としての振る舞いは拙いと紹介しますから心配入りませんよ。」


 当然と言わんばかりの態度で答えが返ってくる。私には拒否権などないかのように。

 ここまで話した義母はパチリと扇を閉じる。ようやく暗闇に慣れた私の目には、義母の口元には微笑を浮かべているのが見えた。しかしその眼差しは、私の記憶の中のものよりもずっと強い冷たさをたたえて私を射抜いていた。


「明日からさっそく教師をつけます。今日はもう部屋で休みなさい。」


 有無を言わさぬ口調で話は終わりだとばかりに私に背を向ける。義母がパンパンと手を叩くとあの使いが部屋に入ってきて、私を部屋から連れ出した。もはや抵抗する気力など微塵も湧いて来ず、使いの後をおぼろげな歩調でついて歩く。やがて一つの部屋の前に辿り着き、ここが今日からの私の部屋だと案内される。私が部屋に入ったところで扉からガチャリと音がした。ご丁寧に外鍵付きの部屋だ。


 勿論この部屋は昔私が暮らしていた部屋ではない。それでも質素な部屋の中は、隙間風の吹き込むボロ小屋に比べれば贅沢な部屋だった。それなのに私の心は寒々としていた。もしも今あのボロ小屋に戻れるのなら私は何でも差し出すだろう。窓の外では月がこちらを照らしていた。


 あの月が昇る前。今日の朝には森の小屋でレオを待っていたはずだ。何故、私は今、こんな場所にいるのだろうか。考えてみても答えは浮かばず、私はベッドに身を横たえる。じきに暗闇が世界を覆い尽くした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ