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第三話:お礼とお願いと

 レオとの出会いから数ヶ月が経過した。また様子を見に来ることがあるかもしれないと別れ際に言った彼は、今の所姿を見せていない。どうやら獣と狩人の戦いは落ち着いたらしい。もしくは彼がやっぱり方向音痴だったかだ。

 

 最初のひと月ほどはいつまた誰かが訪れてきても良いようにと、主に日中着る服に気を使っていた。小屋で一人だからといって油断していれば、痛い目を見ることが分かったから。自分のために新たに綺麗なエプロンを縫い、扉のすぐ横に吊るしておく程度には私の意識は変化していた。

 

 しかし私の意識の変化もむなしく小屋を訪れる人間はおらず、来るのは餌をねだる鳩くらいのものだった。まあ別にいいんだどね、と思いながら戸棚から豆の入った袋を取り出し、食べるにはためらうような出来の悪いものを選別して鳩にくれてやる。ありがたいことに鳩達は文句も言わず豆を平らげてくれた。そうして以前と同じ日常を繰り返すうち、私の中でレオという存在は頭の片隅においやられていったのだった。


 ――――


 その日の私はいつものように仕立て終わった衣服が入った布袋を背負い街へ向かっていた。花が咲き誇っていた景色は鮮やかな新緑の景色へと既に移り変わっており、空気が清々しい。寒さは完全に過ぎ去り、本格的な暑さを迎える前の穏やかで過ごしやすい気候。色に例えるならまさしく緑色の香りを目一杯吸い込み、私は自然への感謝の念を抱きながら街へと歩を進めた。


 いつもと違ったのは街の肉屋でのことだ。仕立て屋での取引を終え、いつものように脂身と皮ばかりの安いベーコンを買おうとした私に、大きな体の店主が太い声で話しかけてきた。手には大振りの包みを持っている。

 

「ようアーシェ。今日の分はこれだ。」

「何これ?いつもの買い物で私の懐事情知ってるでしょ、こんなの買えないわよ。」

「お代はいらねえよ。この前流れの狩人が来てな、上等な鹿を2頭も卸していったんだ。代金はいらねえからアーシェにいい肉を分けてやってくれってよ。この包みにしたってあの鹿で儲けた分から考えたら安いもんさ。遠慮なくもらっていきな。」

 

 そう言うと店主は私に、一人分にしてはやたら大きい包みを半ば押し付けるように渡してきた。中身は私がこの肉屋で買ったことがないような上質な肉や塩漬け肉、肉と脂身が良いバランスのベーコンがどっさり入っていた。私はというと、店主の話を聞いて数ヶ月前に会った赤毛の貴族の男を思い出していた。


「しかしありゃぁ、なかなかの男前だった。若い頃の俺にそっくりよ。お前さんも隅におけないねぇ。」

「はぁ?ただ狩人を森の出口に案内しただけよ。邪推しないでよね。」


 店主には釘を刺し、改めて礼を伝えてから店を去る。予定にないご馳走が手に入って嬉しいが、道案内の報酬にしては度が過ぎている。一人で食べ切れるだろうかと感じていたが、数日後思わぬ出来事が起きてその心配は杞憂となるのだった。


 ――――

 

 その日は午後から急に勢いのある雨が降りだし、久しぶりに感じる肌寒さに私は暖炉を使おうか悩んでいた。くしゃみが一つ出た所で諦めて暖炉に火を付けようとた所、雨音に混じって誰かが走ってくる足音が聞こえてきた。もしかして…と私が思っていたら、足音が止むと同時に小屋の扉を叩く音と若い男の声がした。

 

「アーシェ!レオだ!もしもいるなら開けてくれ!すまないが雨宿りさせてもらえないか!」


 言葉を聞くと同時に扉まで駆けつける。壁にかけておいた新しいエプロンをさっと身に纏い、扉を開くとずぶ濡れのレオがいた。

 

「どうぞお入りください。あっ、中に入ったらそこで待ってて!今乾いた布を持ってきますから。」

 

 水を滴らせている彼を小屋の入り口に留め、乾いた布を取りに走る。相変わらず仕立ての良い服を着ている彼にはボロ布に感じられるだろうが、うちに上質な布なんてないので我慢してもらおう。そう思い、せめててもの配慮として昨日洗ったばかりの布をレオに渡した。

 

「ありがとう、助かった。」

「どうぞ暖炉のそばに。今火をおこしますので。」


 私は椅子を暖炉の前まで運び、濡れた髪や顔を拭った彼のことを暖炉の前へと誘った。濡れた身体に、隙間風の吹き込むこのボロ小屋の空気は冷えるだろう。急いで暖炉に火を起こし、暖かい紅茶を淹れる。身体が温まるようにと、砂糖漬けにしたジンジャーの薄切りを浮かべた紅茶を彼に差し出した。


「どうぞ、暖かい紅茶です。」

「何から何まで済まないね。まさかこの森を通りがかったタイミングで雨に降られるとは…アーシェがいてくれて助かったよ。」


 湿った赤い頭に布を纏い、やけにゆっくりと慎重に拭きあげながら彼は紅茶を受け取った。衣服も湿っている彼に出来れば着替えを渡したかったが、男物の着替えなんて勿論この家にあるはずがない。風邪をひかないだろうかと心配しつつ、私は先日のお礼を言うことにした。

 

「こちらこそ、お礼を申し上げなければなりません。先日お肉屋さんで貴方様からのお心遣いを頂きました。ありがとうございます。」

「やあ、あの店主は約束を守ってくれたようだね。良かった。どういたしまして、こちらこそ雨宿りさせてくれてありがとう。」


 と、そこで控えめにお腹の鳴る音が聞こえた。音の主であるレオを見ると少し罰が悪そうな顔をしていた。

 

「実は朝食を食べ損ねていてね。行儀が悪くて申し訳ない。」

 

 隙のない彼がそのような表情を浮かべたことが珍しく、思わず私は笑みを溢した。

 

「お肉屋さんで頂いた品がまだ残っています。それを使って調理しますので、よろしければ何か食べて行かれますか?」

「良いのかい?…それではご馳走になろうかな」


 少し迷った様子の彼だったが空腹には勝てなかったらしく、私の言葉に頷いた。そう大したものは出せないが、ここは風邪をひかないためにも栄養をつけてもらおう。

 

 食料棚を確認すると、そこには日持ちのする根菜がいくつかと硬くなったパン。食べ物を冷やして保存するため二重構造になった壺には、肉屋で受け取った塩漬け肉が残っていた。肉はともかくとして、分かってはいたが本当に大したものは出せそうにない。そこは彼も承知の上だろう、そういうことにして狭い台所で調理を始める。

 

 根菜は細かく、塩漬け肉は一口大に刻む。暖炉の中に調理用の鍋を乗せるための五徳を運びいれ、刻んだ食材と水、少しのハーブを入れた鍋を火にかける。暖炉の前に座っていた彼が物珍しそうにこちらを見つめていた。しばらく煮込めば良い匂いがしてきたので、少しだけお玉でスープを取って味見してみる。うん、塩漬け肉のおかげでそう味付けをしなくても十分美味しい。次に硬くなったパンを一口だけ千切って食べてみた。私はこの程度の硬さは食べ慣れているが、ただでさえ元々硬いパンだ。貴族である彼にはそのままだと食べづらいかもしれない。硬くなったパンは食べやすいようにスープにちぎり入れることにする。しばらくお玉でかき混ぜるとパンがスープを吸って全体がトロリとしてきた。食べ頃だ。


 そうして完成した私にとってはごちそうであるパン入りのスープを器にいれ、スプーンと共に彼に差し出した。礼を言いながら受け取った彼はしばし料理を見つめた後、スプーンを使って上品にスープを口にした。

 

「うん、美味しい。…こういった料理は食べたことがないが、食べやすいし身体が温まるね。」

「お口にあったようで良かったです。…あ、机を運んできた方がよろしいでしょうか?」

「いいや、このままで食べられるよ。お気遣いありがとう。」


 そう言った彼は本当にお腹が空いていたのだろう、スープはみるみるうちに器から無くなっていった。椅子がないので薪を積んだ上に座りながらその光景を見て、誰かに自分が作った食事を食べてもらうのは久しぶりだなと思う。森の管理人であった老夫婦の顔を思い出して私は懐かしい気持ちに浸っていた。

 

「ご馳走様でした。おいしかったよ。ところでアーシェ、思っていたんだがどうか楽な話し方をしてくれないか?君は僕に仕えているわけでもないし」

「高貴な方にそのような…」


 さすがにこの要求はすぐに飲むことができなかった。気さくな振る舞いをしているとはいえ、彼はどこかの貴族なのだ。一人でこうして出歩いているあたり、そう位の高い貴族ではないのかもしれないが…


「頼むよ、改まった態度では自分の家にいるようで息が詰まるんだ。」

「ですが…」

「ではこうしよう。一人では食べきれないほどの肉を受け取った君へのお願いだ。なんて、食事を頂いておきながら厚かましいお願いなんだけどね。」

「…変わった人ね。そこまで言うのならお言葉に甘えるわ。ただし小屋の外では今まで通りの話し方でね。誰に聞かれているか分からないから。」


 どこか必死な様子のレオに、私は少し呆れながらも了承することにした。どこで無礼な娘だと噂話になるか分からないので、釘を刺すことも忘れずに。


「勿論それで構わないよ。ありがとう、近しい友人ができたようでとても嬉しい。」

「貴族様は友人くらいいくらでもいるんじゃないの?」

「お互いに探り合いを欠かさない間柄の、ならね。アーシェとは話していて楽しいよ。」


 探り合いと聞いて少しドキリとする。探られたくない事情があるのは私もそうだ。


「ならお互い探り合いなしの関係といきましょう。そうすればここにいる間くらいは気が休まるでしょ。」

「そうして貰えると助かる。ただし君を口説くにはどうすればいいか探るのはやめられそうにないな。」

「何言ってるのよ、もう。」


 私達は軽口を交わして笑い合った。貴族だけれど、それを秘密にしてボロ小屋で一人暮らしをしている私。貴族だけれど、そんな私とどういうわけだか仲良くしたいというレオ。世間から見れば変わり者の二人だが、奇妙な友人関係が確かに結ばれたことを感じていた。

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