第二話:出会い
いつもの日常を過ごしていたある日。縫い物を早々に終え、冬の間散々使った石造りの暖炉の掃除をしていた私は近付いてくる足音を聞いて顔を上げた。本邸からの先触れはまだ来ていないのにと訝しむ私をよそに、扉をノックする音が小屋に響いた。
「はい、どちら様でしょうか?」
煤と灰まみれになった手をエプロンで拭いながら、そう応えて扉に近付く。すると若い男の品の良さそうな声が聞こえてきた。
「こんにちは、お嬢さん。僕は狩人なのですが、初めて来たこの森で迷ってしまいまして。街への道をお尋ねしたいのです。」
言っていることは真っ当だが、相手が男である以上油断はできない。扉のすぐ横に薪割り用の手斧があることを確認し、警戒しつつも扉を開く。扉の外には声に違わず品の良い赤髪の青年が立っていた。淡い若葉色の瞳がこちらを穏やかに見ている。今まで見たどの男性よりも整った顔立ちで、勿論初めて見る顔だ。
一目見て、狩人という言葉は嘘ではないかとまず私は思った。今までにも迷い込んだ狩人が道を尋ねてきたことがあるが、彼はただの狩人にしては身なりが綺麗すぎる。猟銃こそ背負っているものの、上等な仕立ての服を着ているし。おおかたお忍びでハンティングに訪れた貴族と言ったところだろうか。下手な態度を取って顰蹙を買い、貴族としての私の事情まで探られると厄介だ。病弱な貴族令嬢であるはずの娘が森で1人暮らししているなどという噂が社交界で流れ、それが継母の耳に届きでもしたら…そうした考えを気取られぬよう、私はごく丁寧な態度で森の管理人の娘として接することにした。
「はじめまして、狩人さん。この森はとある貴族の所有地で、私はここの管理人なのです。領主の許可なく狩猟をしては罪に問われるかもしれません、森の出口まででよろしければ案内いたします。」
私がそう答えると、彼は見る人がうっとりするような微笑みを浮かべてこう言ってきた。
「君のような可憐で素敵な女性に会えて光栄だ。どうか名前を聞かせてくれないだろうか?」
「はぁ?…あ、ありがとうございます!アーシェと申します。」
心がけていた丁寧な態度も忘れ、思わず私は間の抜けた返事をしてしまった。慌てて礼を言い名前を伝えたが、正直薄気味悪く感じていた。暖炉掃除で煤まみれ、灰まみれになったボロ服を着ている娘には似つかわしくない賛辞でしょう、どう考えても。
改めて自分の身なりを考えて、私は思わず顔を赤らめてしまう。今日は一日小屋で掃除をして過ごすと思っていた私は、完全に油断しきったボロ服姿だった。ボロ服から目を逸らすための頼みの綱のエプロンは、むしろ掃除で汚れてもいい一番擦り切れた物を身につけている。恐らく顔も汚れきっているだろう。今の私は本当にみすぼらしい格好をしている。向き合う彼の身なりがとても綺麗であることも相まって、先程まで堂々とした態度をとっていた自分が恥ずかしかった。
そんな私の様子を見ても彼は涼しい笑顔のままだ。貴族であろう彼にからかわれているのではないかと思った私は、少しムッとしたが必死でそれを堪える。
「それでは向かいましょう。森の出口までご案内します。」
そう言った私はせめてもの抵抗として今着ている中で一番みすぼらしいエプロンを外し、森の出口へと歩き始めた。まともなエプロンが洗濯中でまだ乾いていない事が悔やまれた。あれさえあれば、まだましな姿になれたかもしれない。いや、どちらにせよ灰で汚れきっていては滑稽だろう。…よし、さっさと案内して帰っていただこう。そうしたらうちにある中でも少し奮発して購入した良い紅茶を入れて休憩し、このことはとっとと忘れよう。こんなときは自分を甘やかすに限る。
そんな風に考えながら早足で歩いていた私に、彼は長い足で颯爽と追いつき、並んで歩き始める。特に会話をすることもなく、しばらくの間黙って道案内を続けていたら、彼の方から話しかけてきた。
「何か気に障ったのなら謝らせてほしい。申し訳なかった。」
偉ぶった様子もなく素直に謝罪してきた彼を意外に思い、自分の態度を少し反省する。道案内をすると自分から言っておいてあの態度はさすがにひどかったかな。
「いいえ。こちらこそ見苦しい姿で無作法な態度をとってしまい申し訳ありません。」
「見苦しくなんてないさ。態度のことも気にしていない。これでおあいこということでいいね、アーシェ。」
笑顔で返事をした彼の気安い態度に、私も安心して笑みを浮かべた。どうやら機嫌を損ねてはいないらしい。
「…失礼ですが、貴方様はどこかの貴族様ですよね?私のような町民に先ほどのようなお褒めのお言葉は、恐縮ですが不釣り合いかと思いますよ。」
手持ち無沙汰になった会話の間を保とうとつい思ったことを口走ってしまった。先ほどの態度を見れば、このぐらいのことで気を悪くはしないだろう。そう思った通り彼は気持ちの良い笑い声をあげて返事をした。
「バレてしまったか。身分は明かせないがその通り、貴族さ。ただし狩人だということも間違ってはない。現に暖かくなってからあちこちで獣の出没が増えているからね、今日はこの森の様子を見にきたのさ。」
狩人として様子を見にきたのに森の中で迷ったのか、と思わず追求したくなったがさすがにやめておく。狩人としての彼の沽券に関わるかもしれないし。
「だが、不釣り合いという言葉は訂正させてもらおう。事実僕は思ったことを言ったまでだし、ね。」
そう言って彼はふと真面目な顔でこちらを見た。その真剣な若葉色の眼差しから、彼が冗談を言ってるわけじゃないことは伝わったので言葉はありがたく頂戴することにした。が、正直趣味は悪いんじゃないかと思ってしまい、私は曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。
「アーシェは一人でこの森で暮らしているのかい?」
「ええ、そうです。先代管理人だった祖父母が一昨年に亡くなったので、その後をついで細々とやっています。」
「一人でたくましいものだね。寂しくはない?」
「週に一度は街に出て人と話していますので、特に寂しさを感じたことはございません。朝なんて小鳥の囀りが煩いくらいですよ。」
「そうか。ここは穏やかで良い森だね。こんな所なら一人暮らしも悪くないのかもしれないな。」
そうして彼と話しながら歩く。貴族であるという第一印象とは異なり、気さくな態度もあって話しやすい。意外にも会話が続いていることに私は内心驚いていた。案内を始めた時は早く帰ってほしくて仕方がなかったというのに、だ。貴族としては多少変わってるが悪い人じゃないみたい、そう思って案内していればじきに森の出口へと辿り着いた。
「こちらの方向に道なりに歩いていけば、舗装された道と街が見えてくるはずです。」
「ありがとう、アーシェ。また森の様子を見に来ることがあるかもしれない、その時には私のことはレオと呼んでくれ。それでは案内助かった。」
最後に自己紹介をした彼と別れの挨拶を交わして私たちは別れた。彼が迷いなく街への歩みを進めていることを一応見送ってから私は小屋へと戻り、暖炉掃除を再開したのだった。不思議と気分は悪くなく、奮発した紅茶の茶葉が缶に収まったまま、鼻歌を歌いつつ掃除をする私を見守っていた。