第十四話:行動
「一体どういう事ですか?!」
私は思わず声を張り上げて人だかりに迫り寄った。よほど慌てていたらしい義母やメイド達は、声を聞いてようやく私のことを認識したらしい。青い顔をした義母よりもよほど顔色を悪くした警備が、震えながら答えた。
「指輪を保管してた場所で、眠りこけている警備が発見されたのです。保管場所を確認した所、書状はありましたが指輪がどこにも無いと…それに今朝からお嬢様がいらっしゃらなくて…」
「余計な事を話さなくてよろしい!無駄口を叩く暇があれば屋敷を捜索なさい!今すぐにあの娘を探すのです!!」
義母の怒声が飛ぶ。ツカツカとこちらに向かってきた義母は私の肩に手を置き、さらに叫んだ。
「アーシェを部屋に戻しなさい!」
「お待ちください!一体何が…」
「決して外に出さぬよう見張りなさい!今この娘まで失うわけにはいかないのです!」
すぐさま警備とメイドが私を取り囲んだ。何を言っても無駄で、私は自室へと連れ戻される。ガチャリと鍵のかかる音を聞きながら、扉の前で私は呆然とする。頭が真っ白になりそうだった。落ち着け、と自分に言い聞かせて深呼吸をする。
この本邸で、私は義妹と区別されるようにアーシェ様と呼ばれており、お嬢様と呼ばれるているのは義妹だけだ。先ほど聞いた話から分かることは、指輪とお嬢様、つまり義妹は今行方不明ということだ。あれだけ焦っていた様子だ、できれば信じたくはないが恐らく話していた内容は事実なのだろう。何者かが本邸に侵入して指輪を盗み、義妹をも連れ去ったのだろうか。
「でも、義母は義妹を探すように言っていたわ…」
もしも何者かが侵入して盗みと誘拐を働いたのであれば、義母は指輪を探す事を最優先したのではないだろうか。義妹の失踪も一大事だが、あの指輪には王子と私の結婚がかかっている。自分の利益を最優先する義母であれば、たとえいなくなったのが実の娘であっても先に指輪を探すように指示しただろう。
「まさか…」
こちらを睨みつける義妹の鋭い視線が脳裏をよぎる。
もしかして、義妹が指輪を持ってどこかに行ってしまったのだろうか。
確信めいた直感に、眩暈がして私は思わず扉に寄りかかった。すると思いがけず扉の外から話し声がかすかに聞こえてきた。
「…屋敷中を探しているそうよ。まさか本当にお嬢様が…」
「屋敷の中にいるならすぐに見つかっているでしょうよ。外の捜索はしないのかしらね…」
「これ以上、事が大きく…」
どうやら廊下を歩くメイド達の話し声だったらしい。扉に耳を当てててみても、遠ざかっていく話し声はそれ以上聞こえなかった。また誰かの声が聞こえるかもと思いしばし扉に張り付いていたが、後には静寂が残るばかりであった。
過ぎていく時間に焦りを覚えながら懸命に考える。義母の言葉通り、本邸の人間は屋敷中を捜索しているようだ。たしかに箱入り娘たる義妹が、本邸の外に出るとは考えづらいかもしれない。しかし、いくら広い本邸といえども大人達が本気で探し回れば義妹はあっという間に見つかっているのではないだろうか。
私は弾かれたように扉の前から離れ、急いで部屋の反対側にある窓辺へと近付いた。この部屋は本邸の正面ではなく裏手に面しており、窓の外にはそう大きくない屋敷の裏庭とその奥に広がる林が見える。うまく寝付けなかった昨晩遅く、たしかに鳥達の声を耳にした。その時は指輪や書状、婚約のことで頭がいっぱいで特に気に留めていなかったが、あれは林に立ち入った義妹に対しての鳴き声だったのかもしれない。
そこまで考えると、私はもういてもたってもいられなかった。扉には外から鍵がかかっているが、この部屋の窓は幸いにも内鍵だ。あまり手入れされていない錆び気味の鍵をなんとかこじ開ければ、窓は何の抵抗もなく開いた。
「この窓の大きさならなんとか外に出られるわ。問題は…」
窓から少し身を乗り出してみる。芝地となっている地面は遠い。この部屋は本邸の三階に位置しているのだ。近くに樹木でも生えていればそれに飛び移っておりられるかもしれないが、そんな気の利いたものはありそうになかった。振り返って部屋の中をあらためる。ロープなんて都合の良い物もあるはずもなく、せいぜいクローゼットの中の衣服やベッドに使われているシーツをロープ代わりにするしかなさそうだった。
やるしかないのだろうか。さすがに逡巡して部屋の中をウロウロと歩き回る。もしかしたら本邸の誰かが義妹を見つけてくれるかもしれない。私が本邸から抜け出す事で混乱した状況を悪化させるより、大人しく部屋で待っているべきなのだろうか。けれど約束の時間までに指輪も義妹も戻らなかったら…そうした思考がグルグルと巡り、最悪の事態ばかり想像して恐ろしさのあまり身動きが取れなくなりそうだった。
――助けて、レオ。
ぎゅっと瞳を閉じ、情けなくも、思わず恋しい人の名前を胸の内で呼んだ。
瞬間、森の中で跪いて私の手をとるレオの姿が瞼の奥に蘇った。私の大事な物ごと、私を大切にすると約束してくれたレオ。私はそれにたしかに応えたのだ。
「…そう。そうよ、約束…したの。信じるって。それなのに、私はただ待つだけでいいの…?」
レオに口付けられた手の甲を、そっと撫でる。私の名前を呼ぶレオの声が聞こえた気がした。
意を決して目を開く。動くなら、早く動いたほうがいい。私はクローゼットに向かい、仕立てられたばかりの新しいドレスの中から頑丈そうな作りのものをいくつも床へ放り出した。次にベッドに向かい、急いでシーツを剥ぎ取る。それらをしっかりと結んで繋ぎ合わせ、一本のロープ状にする。最後に部屋を見渡して頑丈そうな幅広のチェストを見繕い、窓際に押し寄せてその足に急ごしらえのロープを力一杯結んだ。
何重かに結んだロープを、チェストに足を突っ張らせてその場で思い切り引っ張ってみる。私が体重をかけて引っ張った程度では解けそうにない。これならいけるかも。いや、いくしかない!
チェストの足に結んだ方と反対側、ロープの先端は何重かにキツく結んでおく。そうやって作った結び目のある方を窓からスルスルとおろしていき、改めて高さを確認する。さすがに地面まではロープの長さが足りなかったが、あの高さなら最後に跳べばおりられそうだった。何もない壁を伝っておりるのとでは雲泥の差だ。自分に言い聞かせて一つ深呼吸をし、私はまず靴を脱いで窓の外に放った。ロープを伝うなら靴は脱いでおいたほうがいい。
「…落ち着いて。冷静に。」
体を軽く揺らして緊張を解す。身体が攣って転落、なんて冗談じゃない。
「やるのよ、アーシェ!」
窓枠に手を掛けて身を乗り出す。文字通りの命綱はロープもどき一本だけだ。両の手でしっかりとロープを握り、下は見ないように、けれど足がかりは慎重に確認して、時には壁に足をつきながらひたりひたりと下へ向かう。
急拵えのロープは、意外なほどしっかりと仕事をこなしてくれた。出来過ぎなくらいに順調に事は進み、ロープの先に作った結び目に行き着く。これ以上のの長さはない。身体が比較的に安定する壁際の装飾の上で体勢を保った私は、結んで作った引っかかりをしっかりと右手に握る。これでロープさえ手放せば、飛び降りることができるだろう。
飛び降りるためには下を見なければならない。地上までの位置を確認しようと下を見て、私は自分の行動を後悔しそうになった。思っていたよりも高いじゃない!
かといって、このままここでのんびりしているわけにもいかない。フッと一息ついて覚悟を決め、地面を見据えたままこれまで身体を支えていたロープを握り込んでいた右手を自由にする。一瞬の浮遊感の後、近づく地面。衝撃に身がすくみそうになる瞬間、芝の上で自分の身体が転がるのを感じた。
少しの間、動けずにいた。鼓動だけがドクドクとしっかりと身体中に響き渡り、頭の中は真っ白だった。荒い呼吸が整った頃、自分のすべきことを思い出し始めた私は、手足を少しずつ動かしてみた。着地の衝撃による鈍い痛みは感じるが、動いている。ならば行かなければならない、義妹の所まで。
静かに立ち上がった私は、先に放っておいた靴を履く。裏庭に植った生垣の陰を駆け、林へと向かった。