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第十三話:約束

 帰り支度が済んだ私達は、戸締りをして小屋を後にした。去り際に、密かにもう一度小屋を振り返って眺める。こんなボロ小屋でも、二ヶ月ぶりに戻れば愛おしくて仕方なかったし、状況を頭では理解していてもなお、再び小屋を離れることが辛かった。レオと二人で穏やかに話しながら森を歩きながら考える。このまま王家に嫁げば、いよいよもってあのボロ小屋を見ることは二度とないかもしれない。その事実に思い至った私は、森の中で思わず足を止めた。


「…アーシェ?」


 レオが呼びかける声にハッと我に帰る。


「…なんでもないわ。少し疲れてしまっただけ。」

「必要であれば手を貸すよ。」

「いいえ、まだ大丈夫。ごめんなさい、急ぎましょう。」


 そう言って再び森の出口へと歩き出す。想う人に望まれ、王家に嫁ぐのだ。他人が聞けば考えられないほどに恵まれていると言うだろう。これ以上を望むべきではない、そう考えて黙り込む私にレオが話しかけてくる。


「…君とこの場所を歩くのは、この森で初めて会った時以来だね。」

「ええ、そうね。…あの時は失礼な態度をとってしまってごめんなさい。」

「ああ、あの時も言ったが気にしないで欲しい。とはいえいきなり嫌われたかと思って、あの時はヒヤヒヤしたがね。」


 まるで一大事のように大袈裟に肩をすくめてそう言うものだから、思わず私は吹き出してしまった。鬱屈した気持ちが楽になるのを感じた。


「ごめんなさい、あれは自分の姿が恥ずかしくて。あの時私、とても汚れていたでしょう?それなのに貴方がおかしなこと言うものだから。」

「おかしなこと?君を素敵だと言ったことかい?」

「そうよ。あの後も真剣なものだから、正直趣味が悪いと思ったわ。」

「ひどいなぁ!こちらは長年片思いしていた相手に会えて感激していたというのに。」


 そう言いながらも彼はおかしそうに笑っており、私もつられて笑っていた。ひとしきり笑い終えたあと、ふいに彼が態度を改めて話しかけてくる。


「あの時君は敬語だったし、当然のように距離をとられていた。今はこうして君と笑い合いながら歩けて嬉しいよ、アーシェ。」

「…私もよ。あなたとこうして過ごす時間が…とても好き。」


 先ほどとは打って変わって、今度は彼が立ち止まった。真剣な表情でこちらを見つめてくるので、思わず私も向き直る。


「アーシェ、あの小屋で過ごす時間が好きかい?」

「ええ。…とても。」

「僕と結婚すればあの小屋で過ごすことは難しくなる。…きっと分かっているよね。」

「ええ。…そのつもり。」

「正直に言おう。王家に嫁いだならば、避けられない価値観の差やしきたりがある。これまでのように過ごすことはできないだろう。」

「…分かっているわ。」


 ボロ小屋を離れる際の私の寂しさ。その甘えた気持ちを見透かされたようで、ぐっと胸が詰まる。それでもレオから目線を外すことはしなかった。そうすることで、彼と寄り添う覚悟を伝えたかった。


 真剣な彼の視線とぶつかる。とても長く感じた一瞬の後、若葉色の瞳は真剣なまま、ふっと彼の表情が緩んだ。


「だからこそ、僕はこれから互いのことを思いやって過ごしたい。一人ではなく、君と生きていたいから。」


 そう言って彼は私の手を取り、跪いた。舗装もされていない森の中で、土に汚れるのも構わずに。

 

「アーシェ。君が僕と一緒に生きてくれると言うなら、必ず僕は君を大事にする。君の大切な物ごとだ。」


 彼が言いたいことに思い当たって、私は思わず息を呑んだ。

 

「頻繁にとはいかない。それでも必ず、いつかこの森でこうして二人笑いながら歩けるようにする。約束しよう、アーシェ。」


 様々な感情が溢れ出し、涙となって私の瞳から溢れ出した。王宮の中庭と違い、何の装飾もない森の小道。今日の私は踵の低い靴で、ドレスだって着ていない。レオだって礼服を着ているわけではない。


「…はい。その時を信じます。」


 それでもこの誓いは、何よりも神聖で、尊いものだと感じていた。


 私の返事を聞いたレオは微笑み、そっと私の手の甲に口付けた。


 ――――


 それからどうやって本邸に戻ったのか、正直よく覚えていない。森の出口でレオと別れ、王宮からの馬車に揺られて本邸へと戻ったはずだ。義母への報告の際も私は熱に浮かされたような気分だったし、実際発熱していたようでその日は自室で大人しく過ごすように言い渡された。


 食事と入浴を終えて自室のベッドに潜り込んでも、私は頬が緩みっぱなしだった。こんなことではいけないと気を引き締めようとしても、気がつけば昼間のレオとのやり取りの数々を思い出していた。あまりに幸せだったのでこれは全部夢なのではないかとすら思ったが、左手を動かば確かな指輪の感覚がある。そうしてまたベッドの中で頬を緩めるうちに、いつの間にか私は眠り込んでしまった。


 次の日には熱はすっかり下がっていた。フワフワとした気持ちも少しだけ落ち着き、再び貴族としての日々を過ごすことになる。

 

 しかしこれまでの、ある種されるがままであった日々とはまるで違った。王子の妃になることを決めたのだ。レオの隣に立って恥じない自分であるために努力をしたい。そんな思いを持って、一つ一つの教えを全身に刻みこむようにレッスンに取り組んでいた。私の気概が伝わったのか、舞踏会以来常にこちらの機嫌を伺うように接していた教師やメイド達も、次第に真剣な態度で私に接するようになった。義母は義母でそんな私の態度に満足し、おそらくは自身の立場固めに奔走している。義妹の視線だけは相変わらず鋭くこちらを射抜いてくるが、直接衝突するようなことはない。一見して、本邸は私が来て以来初めてとても上手く回っていた。


 そうやって濃い数日を過ごした後、王宮からの使者が本邸を訪問してきた。いよいよ婚約の書状が届いたのだ。義母の同行の元、応接間にて祝福の言葉と共に書状を受け取る。書状は持ち重りする上質な紙でできていた。その後、直筆のサインや指輪による封蝋などの、レオから聞いていた通りの説明をして使者は王宮へと帰っていった。明日の正午、封緘済みの書状を回収しに本邸へと再び訪れるらしい。


「あらゆる介入から、王家との決まりごとを守り切れるか。それによって、王への信を試す意味もあるのでしょう。」

 

 使者を見送った後、何故その日のうちに書状を回収しないのだろうかと考えていた私の心を見抜いたかのように義母が語りかけてきた。私へと向き直り、さらに口を開く。


「今から書状を整えても、明日の正午となれば私達が目を離すタイミングが必ず生じます。確実に準備するため、明日の朝サインと指輪による封緘をします。」

「かしこまりました、お義母様。」

「念には念を入ましょう。書状と指輪は明日の朝までこちらで預かります。渡しなさい。」

「…はい。こちらになります。」


 さすがに一瞬躊躇ったものの、大人しく書状と指輪を義母に渡した。指輪に関して言えば、入浴の際など場合によっては外すことが今までにもあった。勿論外した後にも私の目の届く範囲で保管されていたが、万が一ということがある。義母は自分の利を守るためならば、どこまでも冷徹に事を運ぶ。今回の件に関しては、書状と指輪は彼女にとって最高の利をもたらす存在だ。きっと守り抜いてくれるだろう。


 こうして本邸は最上の警備体制となった。書状と指輪は厳重に保管され、見張りも配備されているという。私はというと緊張のあまりなかなか寝付けなかったが、気がつけばうとうとと眠りについていた。遠くで鳥達が鳴いているのが聞こえた。


 翌朝。日の光を感じた私は慌てて飛び起きた。メイドはまだ来ていないが、時計を見ればいつもよりも遅い時間だった。書状と向き合う予定の時間までまだまだ余裕はあるとはいえ、少しでも早く準備を済ませておきたい。婚約騒動以来、部屋に備えられた呼び鈴を鳴らしてメイドを呼んだ。


 書状には、応接間でサインと指輪での封緘をした後、そのまま正午まで同じ部屋で待機をすることになっている。朝食を終えた私は応接間へと向かったが、応接間の周囲ではメイドや警備が人だかりをなしていた。義母がその中心で青い顔をして何やら叫んでいる。嫌な予感がした私は、急いで駆け寄る。まさか、と思った私の耳にメイドの言葉が飛び込んできた。


「指輪だけではありません。お嬢様もいなくなってしまったのです!」

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