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第十話:婚約

 こんな指輪を身につけていた覚えはない。思わず呆然とした私に、義母が話を続ける。


「まさかこの国の王子と貴女が婚約するなんてね。国中がその話で持ちきり、我が家にも王族との縁を求めて新たな関係が続々と生まれ始めています。これで貴女の義妹にも良縁が巡ってくるでしょうし、この家は安泰でしょう。改めて言いましょう、よくやってくれましたね。」


 先ほどよりもはっきりとした賛辞の言葉が降ってくるが、私はそれに気を留めている余裕がなかった。王子の、いや、レオの求婚はたしかに断ったはずだ。なぜ私が王子と婚約するなどという話が広まっているというのか。


「お待ちください、私は、」

「みなまで言わなくてもよろしい。王子は貴女の意識が回復したら見舞いに来るとおっしゃっていましたので、既に知らせを送っています。気持ちは分かりますが高い熱を出した身、王子との結婚の前にくれぐれも体調を崩さないようにしなさい。」


 義母は私の言葉を遮り何を勘違いしたのか妙に優しい言葉をかけると、さっさと部屋から出て行った。メイドもそれに伴って部屋を出ていき、部屋には話についていけない私だけが取り残されたのだった。


 ――――

 

 数日の後私の熱は下がり、ベッドからも解放された。しかし王子と婚約しているという夢のような話はどうやら現実のようで、妙に優しくなった義母の態度に私は困惑しきりだった。メイドや教師達に至るまでもが機嫌を伺うかのように接してきて、まるで金の卵を産む鶏になったような気分だ。義妹は義妹ですれ違うたびにこちらを睨みつけてくるしで、本邸はとにかく居心地が悪かった。


 今度は心労で熱が出るんじゃないかと思い始めた頃、王子から来訪の知らせが届く。見舞いに来ると言っておきながら、結局私が回復した後の来訪である。指輪のことや婚約のことについてレオに問い詰めなければならない。そう思っていた私だったが、話はそう簡単には進まなかった。


 まず本邸に王子が訪れるということで、義母をはじめとしたメイドや執事達といった本邸中の人間が色めき立った。我が家は貴族であるとはいえ、王族が来訪することなど普段ならまずない。先触れがあった日から来訪日までそう間はなかったが、本邸中が準備ででおおわらわだった。屋敷の床や窓は隅々まで磨かれたし、調度品は義母の指示で新しいものに取り替えられた。絨毯もカーテンも洗濯され、掃除をするメイド達は塵一つ見逃さないといった様子でハタキを動かしていた。


 当然のように私自身についても様々な手が入っていた。貴族としての振る舞いは今までよりも力を入れて教育され、王族に対する礼儀作法はさらに厳しく教えこまれる。入浴や美容のマッサージはこれまでの倍の時間をかけて行われた。着るものについても、義母の手で仕立て屋が手配され、私の身体中を採寸してまわった。時間が足りず来訪日までの間に新しく衣服を仕立てることは出来なかったが、既製品の煌びやかな衣服がいくつも購入された。


 やけに長く感じられる数日が経過して、ようやく来訪日当日を迎える。時間帯が昼であることや病み上がりということもあり、ドレス自体は舞踏会の時ほど華やかではない屋内用のシンプルなものだ。しかし舞踏会以上の気合を入れて身支度をされた私はすでに疲れ切っていた。なぜこんな目に遭わなければならないのか、それもこれもレオのせいだ。


 八つ当たり気味にそう思いながら屋敷の一室で控えていると、王子が本邸前に来訪した旨を伝えられる。二人きりで包み隠さず話ができればいいのだけれどと思いながら正面玄関へと出迎えに向かう。


 同じく着飾った義母と共に王子御一行を待ち構えていたが、王子はなかなか姿を見せない。何かあったのかと思い始めたころ、王子の案内を任されていた執事だけが一人戻ってきた。汗をかきながら彼は語り始めた。


「王子御一行はたしかにいらしておいでです。本邸にお越しいただくようご案内しようと思ったのですが…アーシェ様を連れて行きたい場所があると言っておられまして、ご本人だけを連れてくるようにとのことです。」


 ちょっと、見舞いに来たんじゃなかったの?そう思い呆れていた私だったが、義母の決断は早かった。


「そうですか…残念ですが、王子の機嫌を損ねることがあってはなりません。待たせないようにすぐに着替えて行きなさい、アーシャ。くれぐれも失礼のないように。」

 

 そう言ってあっさりと、送り出すためにメイドに私を託した。私を連れて化粧室へ移動したメイド達は、私からドレスを脱がせたかと思うと素晴らしい手際の良さで外行き用のワンピースに着替えさせた。あれだけ準備をしていたのに皆それでいいのかと私は面食らったが、本邸にいても義母の目があちこちにある。むしろ連れ出してもらう方が都合がいいかもしれないと思い直し、しずしずと本邸の外へ向かった。


 秋晴れの空は青空が広がっており、日差しが眩しい。広いつば付きの帽子を被せてくれたメイド達に感謝しつつ、ふと森にいた頃の秋の日を思った。こんな日は洗濯物を乾かして、縫い物を早めに切り上げて、散歩をして過ごして…。夏の暑さが過ぎ去った後の森は多くの恵みをもたらす。果物や木の実、野草やキノコを集めながら歩く散歩はこの時期だけの楽しみだった。もっとも、今年どころか来年以降もあの森を訪れることはないかもしれない。そこに思い至って私はどうしようもなく気が沈むのを感じた。


 気持ちを切り替えなければ。立ち止まり一つ深呼吸をして、私は執事のあとに続いて王子が待っているであろう馬車へと向かった。


 本邸の庭を通り過ぎれば、正面に構える門のすぐ外に馬車は控えていた。舞踏会の際に乗った馬車に比べると少しばかり質素なデザインの馬車であったが、近くで見れば上質で頑丈そうな造りであることが分かった。執事は御一行と言っていたが馬車の数は一台である。馬車自体も小さく、この中に本当に御一行がいるのかと私は疑問に思ったが、執事に変わって王宮の使いが馬車へと案内し始めたので慌ててそれに続く。馬車の前まで来れば使いは恭しく馬車の扉を開いた。私は一礼し、御者によって用意された踏み台を踏んで馬車へと乗り込んだ。


 中には誰もいない。驚いた私が振り向くと、王宮からの使いが扉を閉めようとしていたので急いで声をかけた。


「あの、中に誰もいませんが。」

「王子は先に目的地に向かっております。貴女様のことは責任を持って送りますのでご安心ください。」


 そう言って馬車の扉は閉められ、中には私だけが残された。一人で文句を言ってもしょうがないので大人しく席に座ると、馬車はじきにゆっくりと動き始めた。


 どこへ行くのかも伝えられないまま馬車に揺られながら、私はレオから与えられたであろう指輪について考えていた。王族のみが使うことができる紋章が刻まれたそれは身に覚えのない指輪であったが、さすがに自分の身から離してはまずいだろうと今日も仕方がなく左手に着けていた。舞踏会で気を失った後、この指輪が私の左手の薬指に嵌っていたから王子と婚約しているなどという噂が流れたわけだが、記憶にある限りこんな物を渡された覚えはない。ということは、私が意識を失った後にレオが勝手に私の指に指輪を嵌めたということだろうか。なんてことをしてくれるのだろうか、私の気も知らないで。思わず額に手を当てる。そもそもこんな貴重な指輪を身につけていていては落ち着かないったらありゃしない。私が盗賊に腕でも切られたらどうするつもりなのか。


 そんな風に考え事をしていても、馬車はなかなか目的地に到着しなかった。てっきり王宮に連れて行かれると思い込んでいたのだが、舞踏会の時の記憶と比べてもあまりに長すぎる。私が軽い空腹を感じ始めた頃、ようやく馬車はゆっくりと動きを止めた。


 王宮からの使いに到着した旨を伝えられ、扉が開かれる。どこに到着したのかも分からない私は、できる限り優雅な動きを心がけて馬車から降りた。しかし私の努力もむなしく、降り立ったのは誰もいないどころか、周囲に何もない土道だった。


 驚いている私に、王宮からの使いがそっと声をかけてきた。


「王子はあちらでお待ちしているとのことです。」


 彼が指し示した先を見て私は思わず息を呑んだ。そこには見覚えのある森の入り口が私を待つようにひらけていた。

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