結局、教室の隅っこでコソコソ盛り上がってる陰キャ貴族令息たちの話が一番面白い
5月6日
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あはは、うふふ、と今日もその人達の楽しそうな笑い声が響く。
シモーヌ・ベルジック侯爵令嬢はそのグループにちらりと目をやると、教室の後方にある自分の席に向かった。
シモーヌの席は、奥の窓側の列で後ろから2番目。机の横に鞄を掛けると、授業が始まるまで自分で刺繍したブックカバーのかかる本を読む。
この学園に15の年で入学して3ヶ月。クラスメイトは仲の良いグループを作り楽しそうにしているが、シモーヌはいつも一人で過ごしていた。シモーヌは元々大人しい性格で社交的ではない。大勢でいるよりも一人を好む。
それを抜きにしても、クラスメイトから避けられる理由があった。
シモーヌは、あはは、うふふと騒いでいるグループの方をそっと見る。
その中心にいる一際華やかな令嬢、アデル・ルソー侯爵令嬢。
アデルとシモーヌは学園に入学する直前まで、クリストフ王太子殿下の婚約者候補であった。
最終選考まで残ったが、シモーヌは先に選考から外れたのだ。
シモーヌは王太子妃になろうとは全く思っていなかった。婚約者選考は出来レースで、自分が最終選考まで残ったのは、王族派貴族派などの調整役として政治的に利用されているからと考えていた。
その考えは正しかったらしく、毎月呼ばれるお茶会でクリストフはシモーヌに話しかけることは無く、最後の方はシモーヌがお茶の席で読書を始めても何も言われなかった。
最終選考が終わって2ヶ月後、シモーヌは王立学園に入学した。
この学園は2年次からそれぞれ専門分野を選択して学ぶ。1年次は王族から下位貴族までが分け隔てなくクラス分けされ、基礎学を学ぶのだ。
ただ同じクラスに、クリストフとアデルがいるとは思わなかった。
アデルは婚約者選考が出来レースなのに、シモーヌよりも自分が選ばれたと思っているらしい。
入学初日から、シモーヌを見つけては意地悪な笑顔を振り撒き、嫌味を言った。それを見たクラスメイトは、触らぬ神に何とやら……と、シモーヌに近づかなくなった。
アデルの周りにはいつも同じメンバーがいる。
王太子のクリストフ、宰相家嫡男のジル・ドルレアン侯爵令息、辺境伯家嫡男のジョルジュ・アルディ、クリストフの従兄弟でディアナ公爵家嫡男ベルナールの4人である。
シモーヌはその見た目から、キラキラ、メガネ、ムキムキ、ギラギラと勝手に心の中で呼んでいた。
読書に戻ろうと本に目を落とした時、アデルの声が一際大きくなった。どうせ、いつもの言葉を掛けられて喜んでいるのだろう。
入学してから3ヶ月。どうして毎日同じことを言われて喜べるのだろうか。
シモーヌも気に入った小説は何回も読み返すが、それでも3ヶ月すれば続編や他の本が読みたくなる。
もう一度アデル達に目をやると、クリストフがアデルの髪を見ていた。
また始まった。きっとクリストフ殿下はこう言うんだ。アデルの髪は可愛いイチゴのような色だね。
「アデルの髪は可愛いイチゴのような色だね」
アデルは言うのよ。あらぁ、食べられませんのよ。
「あらぁ、食べられませんのよ」
で、次にメガネが言うの。アデル様の爪もイチゴのようにお可愛い。
「アデル様の爪もイチゴのようにお可愛い」
はい、次はムキムキ。アデル嬢のような可憐な女性を守るために、来年は騎士科に進むよ。
「アデル嬢のような可憐な女性を守るために、来年は騎士科に進むよ」
最後にギラギラ。アデルのような婚約者がいれば楽しいだろうなぁ。
「アデルのような恋人がいれば楽しいだろうなぁ」
あ、外した。今日は恋人バージョンか。シモーヌは少しイラッとして、理不尽と分かってはいるがギラギラことベルナールをそっと睨んだ。
まさか卒業まであの会話を繰り返すのか。聞こえてしまっているこちらからすると、地獄の再放送だ。
ちなみに昼休み用会話も放課後用会話も覚えてしまった。
そもそも、男子学生ってそんな会話しかしないのか。他の男子学生の会話もそうなのか。
社交という社交をほとんどしていないシモーヌは、疑問を抱いた。
その時シモーヌの耳に、後ろの席に集まっている男子学生達の会話が聞こえてきた。
後ろの席はラザノ伯爵家三男のフランシスで、フランシスの席には休み時間の度に、ジャン・コガン子爵令息、ビクター・ウリエル男爵令息が集まってくるのだ。
3人とも小さい伯爵家や、爵位が高くない家柄の出身で嫡男では無い。ビクターに至っては五男である。
見た目で言えば、そばかす、ひょろひょろ、ガサツと、女子学生からも縁が遠そうだ。
実際、女子学生と会話しているところを見たことが無く、むしろ女子学生が避けている感じがする。
シモーヌはこの3人がどんな会話をしているのか気になり、そちらに集中した。
「ハーブにアンチョビをつけて食べるとカブトムシの味がするって聞いたから、昨日食べてみた」
ジャンが言うと、フランシスとビクターが身を乗り出す。
「ハーブにアンチョビつけた味だったわwww」
「そもそも、カブトムシ食ったことあるのかよwww」
「なかったわwww」
ゲラゲラゲラ……
何かしら、この会話。シモーヌは衝撃を受けた。
私が今まで会話した貴族令息とのソレでは無い。無いけれど面白いし、それになんだか懐かしい。
シモーヌはなぜ懐かしいのか考えた。そして思い出した。
兄だ。兄のアランだ。
アランは見た目はシモーヌと同じ紺色の髪と瞳を持つが、なぜか見目が抜群に良い。それに騎士科で学んだアランは学園卒業後、最短で近衛に配属され、卒業した今でも男子学生の憧れなのである。
そんなアランだが、幼い頃からシモーヌと遊ぶ時はいつもそんな会話ばっかりしていたし、捕まえた虫やカエルに紐を括り付けては「散歩」と称し屋敷内を練り歩き、いつも母に特大の雷を落とされていた。
「男子なんて所詮はバカなんだから、私達女性がしっかりと家を守るのよっ!」
母はアランを叱った後で必ずシモーヌにそう言い、父は、
「男子なんだからそのうち落ち着くさ。私もそうだったよ。私の時はカエルのお尻……」
とアランを庇うんだか何だか、そんなことを言い出しては、こちらも母に大雷を落とされていた。
やっぱり男子はこれが当たり前なんだ、と納得したシモーヌは、それから意識して後ろの3人の会話を聞くようになった。
「俺、なんか最近、右目に何かの力が宿った気がするんだよね」
ものもらいが出来て眼帯をしているジャンが言う。
「分かる! 俺も右手に何か宿ってる!」
剣術の授業で怪我をして、右手に包帯をしたビクターが同意する。
シモーヌはふふっと笑った。兄のアランがものもらいで眼帯をした時も、野草でかぶれた腕に包帯をした時も全く同じことを言っていた。
3人の話を聞いて楽しんでいると、不思議とあれほど耳についてたアデルと取り巻きの会話が気にならなくなった。
そんなある日……
「あのさ……じょ、女性の胸ってどんな感じなんだろうか」
顔を真っ赤にさせたであろうジャンが小声で言った。いつもの様に読書をしているふりをして聞き耳を立てていたシモーヌも、思わぬ発言にビクッとした。
「い、いや。二番目の兄様が先日、娼館に行ったらしくて、その時のことを得意げに言うからさ!」
言い訳の様に早口で話すジャンに、フランシスもビクターも面食らった様な気配だけはシモーヌも感じた。
「僕は伯爵家だけど、家が閨教育をしない方針だから……」
自信なさげなフランシスが小さな声で言う。
「た、確かにすっごく気にはなるが。俺は五男だから閨教育なんて縁がないし……」
ビクターが大きな体に似合わない情けない声を出す。
3人の会話はそこで途切れてしまい、いつもの騒がしさが嘘の様に沈黙が流れた。
「あ、あの……!」
しまった! 3人の出す雰囲気のいたたまれなさに、シモーヌは思わず振り返って声を掛けたのだ。
入学して以来、挨拶すら交わすことの無かったシモーヌにいきなり声を掛けられ、3人は青い顔をして固まってしまった。
「す、すみません! 女性の方に聞こえるかもしれないのに、とんでもない話を……!」
話を聞かれていたと悟ったフランシスが勢いよく頭を下げたとき、
「兄が……アラン・ベルジックが同じ疑問を抱いた時の話ですが」
シモーヌがゆっくり話し出す。3人は固まりながらも、シモーヌがこちらを責めずに話し始めたことに驚いた。
「馬に……全力疾走させた馬に乗った時、片手を水平に広げて空を揉むと……そ、その感触に似ていると言っていて」
3人はごくりと唾を飲む。
「そ、それで?」
フランシスがシモーヌに続きを促す。
「兄はその時、まだ馬術が得意では無かったので落馬しました」
思わぬ結果に3人はガタッと椅子から立ち上がった。
「シモーヌ嬢の兄上はアラン様ですよね?! アラン様であろう方でも落馬されるのですかっ?!」
騎士科への進学を希望しているビクターが興奮気味に言う。
「ええ。確かに兄は、ソレを確かめようとして落馬しました。しかし兄は母にこっぴどく叱られた後、私にこう言いました。想像以上の結果だった、と……」
氷のように固まった3人を見て、シモーヌは自分が断りも無く勝手に会話に入ってしまい、しかも楽しい雰囲気を壊してしまったのだと思いカッと顔を赤くした。
「す、すみません。お話が楽しそうだったので、つい出過ぎた真似を……」
シモーヌが恥ずかしさの余り慌てて教室を出て行こうとした時、興奮気味のジャンが言った。
「あのアラン様も、そんなことをしてお母上に叱られたとは!」
ジャンに続いて、フランシスとビクターも興奮気味に同意した。そして試してみようぜ、とまた3人で盛り上がり出した。
「いけません! あの頃、一通り馬を乗りこなせていた兄でさえ落馬したのです。失礼ですが、フランシス様達は馬術がお得意ですか?」
3人は顔を見合わせ、そして首を横に振った。
「馬から落ちた兄は、なぜ手綱から手を離したのか母に尋ねられました。理由を言った兄は、落馬で怪我を負わなかった両頬を真っ赤に腫らすことになったのです」
3人は想像したのだろう、テンションが一気に下がった。
「きちんと馬術の授業を受けて、上達した上でのチャレンジをお勧めします」
***
それからというもの、休み時間の度に教室の片隅で話す3人組の輪に、シモーヌが加わることが増えた。
初めは女子学生と話したことが無く、むしろ女子学生を怖がっていた3人も、徐々にシモーヌと話すことに慣れていった。
シモーヌも、3人と話す内容は兄と話していることと変わらず、たまに兄の問題行動エピソードを話して笑いと共感を誘った。
その日はフランシスの机に椅子を持って来たビクターが絵を描きながら説明していた。
「だから、俺の発明したこの剣が一番カッコいいと思う。この剣先の部分に雷を溜めて、こう一気にドォーンッと……」
興奮して右手を振り上げたビクターの腕が、ちょうど横を歩いていた辺境伯令息のジョルジュの腰に当たった。
ビクターは顔を青くして固まり、フランシスが慌てて代わりに謝罪し、ジャンは泣きそうな顔をして俯いた。
ジョルジュは怒るでも無く、しばらくビクターを見ていたが、やがてビクターの描いた絵を取り上げた。
「……俺もこれ、考えたことあるんだ」
ジョルジュの予想外の発言に、みんな一斉にジョルジュの顔を見た。
「でも、雷を溜める前にお前が雷に打たれて死んでしまうと父上に一笑されたが……」
ジョルジュが恥ずかしそうに、黒い短い髪をワシワシと掻いた。アデル達といる時のジョルジュは、いかにも騎士然としているのでこんな顔もするのね、とシモーヌは意外に思った。
その後もジョルジュはすぐに席に戻らず、フランシスが描いた双頭の竜がついた剣についてダサいが惹かれると感想を述べたり、ジャンが描いた5分だけ七色に光る剣を見て頭を悩ませたりした。
最初はオドオドしていた3人組も、さすが男子同士、すぐに打ち解けた様で自分の剣が一番だと盛り上がり出した。
「これは兄が描いたものです」
シモーヌが3人に頼まれて家から持ってきた紙を差し出す。3人とジョルジュは、興味深そうにその紙を覗き込む。
そして4人は一斉に大笑いした。
「一体、なぜ馬から剣が生えているんだよwww」
「また微妙な位置から立派に生えたなwww」
3人は涙目になって笑っている。ジャンに至っては膝をついてお腹を抱えている。
「いや、我らの憧れのアラン様が本当にこのような……なんと言うか」
未来の辺境伯は憧れであるシモーヌの兄の描いた、何と言えばいいのかわからない絵を見せられ、困惑していた。
「男子なんてこんなもの、と母が申しておりました」
シモーヌがさらりと言うと、4人はまた絵を見て笑い出した。
そんな様子を、教室の離れた場所からアデル達が見ていた。
「最近、シモーヌ嬢はラザノ伯爵令息達と仲良くしているみたいだね」
シモーヌ曰くキラキラことクリストフ王太子が言うと、アデルはにこりと笑いながら言った。
「いくら殿下の婚約者に選ばれなかったとはいえ、なぜあのような冴えない方達と過ごされているのかしら」
「でも、何だか楽しそうですね」
眼鏡をクイッと上げながらジルが言うと、ジルの隣にいたベルナールも頷いた。
「そうだな。ジョルジュも楽しそうに話に加わっているし」
アデルは蹴落としたと思っていたシモーヌが、家格は下とはいえ男子学生と楽しそうに過ごしているのが面白くない。
しかしアデルは翌日、更に面白くない光景を見ることになる。
「あの時のアラン様の眼帯は、本当に怪我が原因ではなかったですか?!」
教室に入ると、毎朝アデルを出迎えてくれるジルが、何故かシモーヌとその取り巻きと話している。
「アラン様が学生の時に、子供を庇って目を怪我したと皆が言っていて……」
「いいえ、ジル様。あの頃の兄は、右目に何かが宿っていて直接目を合わせると皆に不幸を負わせる、と訳のわからぬことを毎日申しておりまして。結局、怒った母に眼帯を取り上げられて、むくれていましたわ」
「…………」
「「「さすが、俺たちのアラン様だなwww」」」
ショックを受けながらも、アランに憧れて一時同じように眼帯をして登校していたジルは、赤くなって俯いた。
そんなジルの背中をジョルジュがポンと叩き、「俺は右手に包帯を巻いていたよ」と苦笑いする。
「な、何なの。ジョルジュ様もジル様も。あんな低俗な話……ね、殿下!」
アデルが隣の席に座っているクリストフの同意を得ようと勢い良くそちらを向くと、クリストフもシモーヌ達の会話に肩を震わせていた。
「で……殿下!?」
「あぁ、すまない。何だろう、学生のうちしか出来ない話も楽しそうだな」
ふっふっふと笑うクリストフにアデルは目を丸くする。そんな笑顔見たことがない。クリストフは、いや、ジルもジョルジュも、アデルと話している時は貴族令息として相応しい微笑みを浮かべていた。アデルはもう一度シモーヌの方を見る。シモーヌの近くにいるジルもジョルジュも、赤くなったりはにかんだり、歯を見せて笑ったりまでしている。
何なの?! 一体、シモーヌなんかの話の何がそんなに楽しいの?!
悔しさで真っ赤になったアデルがシモーヌに文句を言いに行こうとした、その時……
「ベルナール! どうしたんだ、その腕は?!」
教室の後ろのドアから入って来たベルナールを見つけたジョルジュが大声を上げた。
教室にいた学生が一斉にベルナールを見る。骨折したのか、ベルナールの右手は包帯で固定され首から吊られている。
ベルナールは大丈夫だよと教室のみんなに声を掛け、そしてジョルジュの側にやってきた。
「折ったのか? それに頬も腫れているが、一体何があったんだ?」
シモーヌは、以前に同じような光景を見た様な気がして首を傾げた。
「まさか、ベルナール様……」
フランシス、ジャン、ビクターが青い顔をしてベルナールに尋ねると、ベルナールはあははと困った様に笑った。
「手綱を離している時間が長かったんだ……欲をかいたよ」
えっ、とシモーヌはフランシス、ジャン、ビクターを見ると、3人は気まずそうにシモーヌに話した。
「昨日の馬術の時間に、アラン様のあの馬の話をしていたんだ。そうしたら聞こえていたみたいで、ベルナール様達に詳しく説明を求められて……」
シモーヌは驚いてベルナールを見ると、普段はギラギラしているベルナールがシュンとして目を泳がせた。
「では、その頬は」
「あぁ、母上にこっぴどく、ね」
見たことある光景だったはずだわ、とシモーヌが納得している隣で、3人とジル、ジョルジュが「で、どうだった?」とベルナールを囲みヒソヒソと聞いていた。
「あぁ、悔いはない。想像以上の結果だったよ」
おおっ、とどよめく6人の男子学生を見てシモーヌは、母の言う通り、やっぱり男子なんてこんなものなのね、と納得した。
何を話しているのかわからないが、シモーヌ達がすごく盛り上がっているのを見て、アデルは再び文句を言いに行こうとした。
そんなアデルの前を、ふんわりとしたものが横切る。
「ご無沙汰しております、殿下。ただいま戻りました」
「あぁ、よく戻って来てくれた。レニー!」
クリストフは、ハニーブラウンの髪を綺麗に編んだ美しい令嬢の手の甲に唇を落とした。
想像もしなかった光景に、アデルは口をあんぐりと開けたまま固まる。動けないアデルの前を通り、ジルやジョルジュ、ベルナールがその令嬢の元に駆けつけた。
「お帰りなさい、レニー嬢」
「留学は楽しかったか? 無事に戻って来られて一安心だよ」
「お帰り。殿下が首を長くして待っていたよ」
ジル、ジョルジュ、ベルナールはそれぞれ挨拶をする。レニー嬢とは皆、幼馴染だったらしく砕けた口調で笑い合っていた。
「えっと……どういうことですの? 殿下、その方は」
アデルがやっとのことで声を掛けた。
「こちらは幼馴染のレニー・ステイシー公爵令嬢だ。彼女は幼い頃からお父上について世界で見聞を広げていてね」
そしてレニーの背中にそっと手を回して、引き寄せた。
「この度やっと婚約の打診に了承してくれて、戻って来てくれたんだ」
こ、婚約……と口をパクパクするだけで声が出せないアデルをよそに、クリストフは蕩けるような笑顔でレニーを見つめた。
そんな顔も見たことない!
アデルは目の前が真っ暗になった。
「アデル嬢が白くなっているように見えるが……」
後ろからフランシスがシモーヌに囁く。
クリストフ殿下にはずっと心に決めているレニー嬢がいて、そのレニー嬢も王太子妃にふさわしい女性になるために留学している。
ただ貴族院の顔を立てるためだけに、婚約者選考というお茶会が開かれていたのは周知の事実。
お茶会に呼ばれた令嬢たちは、親からそういう事情を聞かされていた。決して王太子妃になろうなんて夢を見るなと釘を刺されていたはずなんだけどな、とシモーヌは不思議に思った。
アデルの父親のルソー侯爵が欲を出したのかしら、などと考えていると、ジャンがシモーヌの前に紙を突き出した。
「これが、世界最強の召喚獣だ!」
***
「えっ、レイモンが馬から落ちただと?!」
シモーヌは仕事から帰った夫のコートを脱がせながら、困ったように笑った。
「そうなの。でもあの子、馬なんてろくに乗ったこと無いでしょ? 嫌がった子馬に無理に乗ろうとして振り落とされたのよ」
怪我が無くて良かったわと笑ったシモーヌは、ふと怖い顔をした。
「レイモンは最近、お兄様の騎士団に遊びに行ってばかりいるでしょう? 何か変なこと聞いたのかしら」
「あー……アラン様の馬の話か」
遠い目をした夫を見てシモーヌは言う。
「やっぱり、男子なんてそんなものなのかしら?」
あれから15年。
クリストフ王太子殿下はレニー嬢と結婚し、今では国王になった。
ジルは宰相になり、ジョルジュは辺境伯に、ベルナールは国内屈指のディアナ公爵家を継いだ。
そしてアデルは、レニー嬢が現れてからはすっかり大人しくなり、いつの間にか学園を去っていた。
聞こえてきた話によると、学園中退後すぐに田舎の貴族に嫁ぎ、今では6人の男子をパワフルに育てる「肝っ玉夫人」になっているらしい。
もちろん、あの3人も道は違えど、今では立派な成人貴族として活躍している。
「あれは、男子には必要な過程なんだよ。それが例え、思い出すと恥ずかしくて、頭を抱えてしまうようなことでも、ね」
「うふふ。まるで黒い歴史のようね」
シモーヌは笑って、そして夫を後ろから抱きしめた。
「かっこいい剣やら馬の話をしていた男子が、卒業してから数年後の夜会で会った時、すごく素敵になっていてびっくりしたもの」
体の向きを変え、シモーヌを正面から抱きしめ返した夫はシモーヌに言う。
「まさか、あの黒い歴史を知っているご令嬢と結婚するとは思わなかったよ」
二人はキスをしてクスクス笑った。
「あなた、レイモンが全方位に有効な、すごい武器の絵を描いていたわ。後で見てやって」
二人は顔を見合わせて笑いながら、息子のもとへと向かった。
お読み下さり、ありがとうございます。
クラスの陽キャより、隅っこで盛り上がっている男子の話の方が面白かったな……と思われた方もそうでない方も、ブックマークや評価を頂けたら幸いです。
ちなみに私は中間層でした。