第3代帝王 メルクリウス1世
人名 = メルクリウス1世
各国語表記 = Mercurius I
代数 = 第3代
在位 = 3239年9月30日 - 3243年6月19日
出生名 = 李明(lǐ míng)
出生日 = 3187年3月15日
生地 = 魏和領青蓮
死亡日 = 3243年6月19日(56歳没)
没地 = ノヴァ,トラデシオン
埋葬地 = 帝王廟
継承者 = シトリウス2世
前職 = 金蓮商会会長
配偶者1 = 王秀美
子女 = 蓮花
宗教 = 仁教
メルクリウス1世(ノ:Mercurius I, 3187年3月15日 - 3243年6月19日)は、世界秩序ノヴァの第3代帝王(在位:3239年9月30日 - 3243年6月19日)。旧名は李明。
==生涯==
===誕生===
3187年、擦東半島で酒や嗜好品の販売をしていた「李屋」の嫡子・李源と、魏和領北西部の地主の娘・蘭繚の間に生まれる。当時、父の李源は、家業の商業ではなく、大道芸をして自由に暮らしたいと思っており、前年に李明の祖父・李清に勘当され、魏和領北西部に逃げ延びてオズマ帝国軍の神聖衛州連合帝国方面警備隊に入ったばかりであった。また李明が生まれた数か月後、優帝による央務運動の西方拡大に伴い、神州人とオズマ人に子作りをさせる水陰宮に蘭繚が動員されたため、李源は男手一人で李明を育てることとなった。この時、それまで女癖が悪く、親との軋轢が激しかった李源は、初めて本気で他人を守りたいと思った、と後に李明に語ったとされる。
同年7月、オズマが二度目のエウロパ侵攻を実行することになると、戦線に参加することになった李源はこれを利用し、部隊の隙をついて脱出後、未だ半中立政策を続けている旧シルヴァーノ連邦へ保護を求める、という作戦を立てた。李源は幼い李明を密かにカバンに隠して移動するも、ある日上官から、カバンから漏れ出る鳴き声を不審に思われた。これに対し李源は、李明を更に自作の箱型の楽器に隠し、大道芸の才能を以て楽器と偽り、難を逃れたとされる。7月15日、ポーンランド王国北部の山中に李源の部隊が到着すると、李源は偵察と銘打って隊列を外れた(『オズマのエウロパ侵攻絵図』の左下には、列を抜ける李源と上官が描かれている。これはシトリウス10世の混乱した統治下で、マイ属州の貴族と対立していた行政府高官が加筆させたものである。)。李源と上官が街道を見張っている中、シルヴァーノ向けに走る、藁を積んだ馬車が現れた。その取り調べが済み、馬車が動き始めた瞬間、李源は馬車に飛び乗り、シルヴァーノへの亡命に成功したのである。夜更けにシルヴァーノの検問所に到着した時、李明は過酷な環境から体調が悪化していたが、軍人と見られた李源は冷徹な対応をされた。しかし検問所に駐在していた医学生・ハルパンス・アイヴォートは、職員の反対を振り切って李源を自室へ呼び、李明の手当てをしたことで、一命を取り留めた。 アイヴォートの手立てで入国した李源は、身分を隠して東部の港町に居を得、大道芸で食いつなぐことに成功した。シルヴァーノ西部には神州人も多くいたため、幼少期の李明は活発に彼らとふれあい、穏やかに暮らした。
===幼少期===
李明が6歳の時、李源は現地で遊女をしていた猫猫の店にのめり込むようになった。幼少期の李源はいわゆるシスコンだったが、8歳の時に姉を亡くし、猫猫は記憶に残っていた姉にそっくりだったとされる。これにより突如ネグレクトを受けた李明は、幼年学校を退学させられ、不良グループとからむようになった。この時、父に似て人を引き付ける素質があったのか、10歳にして不良グループのトップに上り詰め、官僚や軍人、商人の家から高価な金品を盗み、売りさばく商売を始める。李明は莫大な利益を得たうえ、巧みな作戦で幾度となく警察をまいたため、「シルヴァーノ最強の熊」との異名が付いた。皮肉にも李明はここで商業の才能を磨き、更には盗んだ金で論文を買いあさったり、立ち読みをして、商業以外にも広範な知識を身に着けていった。
3203年に世界秩序ノヴァが成立すると、李親子は擦東の家へ帰ることとなったが、北極海を渡っている最中、海賊とノヴァ軍の戦いに巻き込まれ、地図や旅券を無くしてしまった。この時、通りすがりの行商人から地図の準備や宿の手配をしてもらい、難を逃れたことに感動し、李明は頭を丸めて商人を志すようになった。
===学生時代===
李屋のある青蓮に着いた2人は、李源が22年前(3181年)に勘当された後、前妻の李桜が李屋を継ぎ、屋号も青蓮商会となっていたことを知った。李明は李桜にとって不倫相手の子であり、処遇で悶着が起きたが、李桜は李明に進学資金を与えるのみならず、青蓮商会の継承権を与える決定をした。
「確かにあの方は私を差し置いて貴方を産みました。しかし、貴方自身を責めるつもりは毛頭ありません。もう老い先長くない私があの方をどうにかして、自分のつかの間の幸せを得る必要はない。それよりも、貴方の望む限り手伝いをさせていただき、悔いのない死に方をしたい。貴方が幸せになることが、私の最後の望みなのです。李桜」
李明は勉強に打ち込み、3204年、当時神州最高峰の大学であるマイ属州中央総合大学(かつての光京帝立学院。魏和帝国時代には、王新等の高度な官吏を数多く輩出した。)に入学し、経済学に加え、グローバル経済の復興を掲げたノヴァ主義の研究を行い、学会で一躍有名になった。特に卒業論文の『文化・歴史の差異を超越する商業の具体的提言――海底ケーブル及び商業言語の効果を軸に――』は、後の秘匿禁止令の基となった。
3209年、李桜が亡くなり、その弟の李正が商会を継ぐも、特に明確なビジョンなく家を継いだため、業績が下向きになり始め、家族の一部から顰蹙を買った。そこに現れた李源は、李正の宣伝の才能のなさを糾弾し、会長の座を明け渡すよう求めたため、李正と李源の対立は激化していった。李源は支持者とともに店を独立、商会の前に店を構え、同じ商品を扱って争ったが、徐々に他店が参入しはじめ、、両者は売り上げを落としていった。3210年、大学を卒業した李明は李源側の重役となり、李源は李明に状況打破の助言を求めた。
「それならば、現在序列2位に躍り出ている「中胡屋」を倒してみては?1位と3位で合従連衡して2位を倒すことは、古くからある戦法です。」
ー李明
当時の序列1位は青蓮商会、次いで中胡屋、李源の店というものだったため、これは李正と李源に手を組ませるもので、難色を示す李源に李明はつづけた。
「もちろん、するかしないかは父上次第です。しかし確実なのは、中胡屋の勢力は未だ衰えず、店を維持するためには、今から策を講じねばならないことです。」
ー李明
これに押された李源は李正との協力を決意、宣伝力と品質を以て、中胡屋のシェアを徹底的に奪いにかかった。3212年、中胡屋最大の商品「鬼子の角」を抑えたことがとどめになって中胡屋は倒産、闘争は終結した。最終的には李正が当主になったものの、李源も重要なポストを占めて安定し、やがて2人は親友のように仲良くなり、酒を飲み交わしたり、営業について互いに熱弁を繰り広げた。この時、李明は重役の一人に落ち着くも、時たま仕事を投げ出して議論や遊びに打ち込む2人の代わりをしたり、大学での講演や公務員試験をするなど、充実した生活を送った。またこの頃から、禿げ防止のために髪を伸ばし始めた。
3216年、町で吞み明かして熱弁していた李正と李源は、走ってくる馬車に気づかず、轢かれて即死した。これにより李明は29歳で青蓮商会会長に就任した。
===商会会長時代===
就任直後から、父・李源が成し遂げられなかった、ジュヌス属州・オルガス属州政府と直接貿易網を築く計画を再開し、講演や出張で作り上げたコネクションをフル活用して商品を買い集めた。特に事業に協力したオルガス属州総督のネータージ・ジャーラジャーラは、ノヴァ政府との取次ぎを行い、信頼のおけるビジネスパートナーかつ友人となった。3219年、サントス宮中侯から金塊輸送の大役を任された時、ジャーラジャーラは軍の動員等の援助を提示するも、李明は「地道に経験を積まねば、競争に打ち勝つ力を手に入れることはできない」として自力で期日前に運びきり、これに感動したノヴァ大帝は、高齢を押して直々に李明を褒賞した。また李明は、数年間で20以上のスタートアップ事業を成功させ、特に毒が発生しづらい「鬼子の角」の品種を栽培・販売する会社は、瞬く間に世界中に「SATTO」ブランドのシェアを拡大し、李明や擦東半島に莫大な富をもたらした。
李明の活動で青蓮商会は急成長し、3221年には商会のある陳市が「青蓮市」に市名を変更した。自信をつけた李明は、3225年に第一回帝王科挙に挑戦するも、合格はおろかランキングにも入っておらず、ショックを受けた李明は調査を始めた。すると、李明が被害に遭ったのかは不明だが、反ノヴァ勢力やノヴァを認知していない人々により、テスト用紙を運ぶ多くの航空機が墜落事故に逢っていたことが判明し、怒れる李明はある組織を逮捕した。しかしその答えは意外なものだった。
「俺達だってやりたくてやったわけじゃねぇ!偉い貴族様に「鉄の鳥(航空機のこと)」を落としたら食わしてくれるって言われたんだ!貴族様は分かんねぇだろうが、今日食ってけるかもわかんねぇ俺達の身にもなってみろ!犯罪でも反逆ても、俺達ゃ乗らなきゃ飢え死にすんのよ!」
-ある盗賊団の頭領
衝撃を受けた李明はトラデシオンに赴き、時の帝王・シトリウス1世に直訴した。
「李明―人々は困窮し、ノヴァ政府にも実害が出ています。なぜあなたは経済政策を軽視するのですか?シトリウス―私は別に経済を軽視しているわけではない。そもそも大帝によれば、経済政策を行うのは、シトリウスが世界統治体制を確立させてからではなかったか?李明―じゃあどうすれば良いんですか?シトリウス―決まっているだろう。お前がメルクリウスとして、次なる世界帝王になるが良い。」
-メルクリウス1世『自伝』より引用
これを聞いた李明は、本気で世界帝王になることを決心し、会長の座を他の重役へ明け渡し、再びマイ属州中央総合大学へ入学して、経済や政治の研究に明け暮れた。
===帝王科挙準備===
次の帝王が経済政策を要求されることは広く知られていたため、「メルクリウス1世」が誰になるかという予想が世界中で立てられ、マイ属州からは次の3人が挙げられた。
#トラデシオン帝立大学で教鞭をとり、ノヴァ主義経済研究の最先端をリードする望弼
#16歳の若さで官僚となり、マイ属州開発大臣として多大な功績を上げた東太貴
#青蓮商会元会長の李明
しかしまだ成功実績が一回しかない帝王科挙の前に、有力候補を密かに消さんとする人々も現れた。3228年には、従者に毒を盛った果物を与えられた東太貴が亡くなり、以降李明はは暗殺を怖がり過ぎるあまり、家を全面金箔張りにして大量の装飾を付けるなど、贅沢や奇行に走るようになった。そうこうしているうち、情緒不安定かつ青蓮商会も落ち目な李明の人気は下がり、望弼の株が上がり続け、3230年には望弼が李明を暗に侮辱する投書も行った。これに激怒した李明は我を取り戻し、論文を通じて多くの公約を出し、ノヴァ主義の研究に一層打ち込んだ。
即位後のメルクリウス1世は、即位までの10年間を「無我の期間」と称し、世界報道省のスピカ・アウツフ・ギぺタのインタビューに次のように答えた。
「ギペタ ― 帝王科挙合格おめでとうございます。経済政策における準備は並外れたものであったと聞いていますが、その勉強法について教えていただけますか?
メルクリウス1世 ― まず、経済政策というものは単なる数字や理論の集まりではありません。それを学ぶということは、まるで心を鍛え、精神を全身で理解するようなものです。最初のころ、私はただの数字を追いかけているだけでした。しかし、徐々にそれでは足りないことに気付きました。そこで、私は「経済政策の本質を体験する」ことに注力しました。
ギペタ ― 体験する?それはどういう意味でしょう?
メルクリウス1世 ― 経済の理論を学ぶだけでは、本当にその影響力を理解することはできません。実際の場面、例えば市場の動向や、政策が人々の生活にどれだけ深く影響するかを「感じる」必要があると気付きました。そのために、私は数ヶ月間、毎日、世界中の経済データを逐一追いかけ、そこから得られる情報を実生活に反映させる実験を行いました。
ギペタ ― 実験というと、具体的にはどのようなものを行ったのですか?
メルクリウス1世 ― それは言うなれば、自己実験ですね。例えば、私は一時期、自分の生活全般を小さな経済実験のように捉えていました。毎日、食料品の購入から通勤の方法まで、すべてを経済学的に最適化しようとしたんです。最も効率的に資源を配分できる方法を試行錯誤しました。たとえば、ある日、八百屋で購入する商品を、需要と供給の理論に基づいて「最適な価格対効果」を見極め、何も買わずにその場を離れたこともあります。
ギペタ ― それは、非常にユニークなアプローチですね。具体的にどんな成果があったのでしょうか?
メルクリウス1世 ― あるとき、私は「物の価値」を完全に操作する実験を試みました。たとえば、ある街の小さな市場で、ほぼ同じ商品の価格が微妙に異なることに気付きました。それを利用して、市場における「価格形成メカニズム」を自分で操作する試みをしました。値札を少しずつ変動させ、消費者の反応を観察し、どのような価格が「心理的に最適」なのかを計測したんです。結果的に、その市場で自分が購入した商品の価値を、実際にその商品が持っている価値よりも「高く感じさせる」ことに成功したんです。
ギペタ ― まるで、経済の背後にある心理的要因まで操っているようですね。それでは、最も印象的なエピソードはどのようなものですか?
メルクリウス1世 ― 最も印象的だったのは、あの日、試験の数日前のことです。私は長時間の勉強に疲れて、完全に「経済政策」に取り憑かれていたと言っても過言ではありません。夜中、私は自分の部屋の中で一人、過去の経済危機や歴史的な政策変更に関する膨大なデータをノートに書き込んでいました。そのとき、突然、自分の思考が「無限の回廊」に迷い込んだかのような感覚に襲われました。数時間後、気がつくと、私は床に座り込んでいたんです。周りには無数のメモとグラフ、図が散乱していて、私はそれらを繋げる方法をひたすら考えていました。
その瞬間、ふと「経済は感情の反映だ」という結論に辿り着いたんです。政策を実施する際、数字やデータだけではなく、その背後にある人々の感情や動機をしっかりと読み取らなければならないと。市場も、国民も、全ての経済活動は感情の波紋のように広がるもので、その波を予測できるかどうかが政策の成否を分ける、という感覚が芽生えました。
ギペタ ― その瞬間、あなたは「何か」をつかんだと感じたのですね。それが試験の合格に繋がったのでしょうか?
メルクリウス1世 ― はい、その瞬間から、すべてが繋がり始めたんです。経済政策とは、冷徹な計算だけではなく、社会全体の「心の動き」を読み取ることだと。実際の試験でも、その考え方が大きなヒントになり、他の受験者たちと比べて抜きん出ることができたんだと思います。」
-『ロール・コーン』誌、3239年第2回特別号「帝王即位記念独占インタビュー!経済の神髄を語る」
===在位===
3239年、メルクリウス1世として即位した李明だったが、本来はノヴァ主義を専攻しておらず、大統一戦争の実感がない世代であること、神州人の価値観による統治、暗殺や病気のリスク等の不安の声がつきまとったため、まずは下に示したような堅実な政策を進めた。
#世界共通通貨と為替制度の普及
#簡易ノヴァ語を商業言語とし、幼年学校から必修科目とすること
#陸上ケーブルによる世界的な通信網の確保
#物納税の一律廃止と金納の強制
#所領旗の殆どが統一旗のオマージュで判別しづらかったため、判別しやすく実用的な「商業旗」の制定を公爵に要請 (シトリウス2世が廃止)
しかし仕事の処理能力自体は凡庸だったメルクリウス1世は、その莫大な業務量から食生活が乱れはじめ、ある日の朝食では、バイル公領の米料理「チャラクチャラ」の大盛りを三杯平らげ、激甘かつ油っこいことで知られるナルティアの菓子「クエオンデ」を20個食べ、以降翌日の昼まで何も食べずに職務を続けたとされる。
====イセリア送り====
3241年、オルフ東部出身のウ・ランパンサムがオルガス属州総督に就任した。彼の祖父は大統一戦争時代、代山共和国のパイプラインで働いていたが、金山を巡る戦いの中で代山人に殺害され、自らも代山人の迫害を受けたため、代山人に密かに復讐を誓っていた。そのためランパンサムは、代山の貧困層数百万人を南部ラトアに送って農業開拓に従事させることを提言し、兼ねてからラトア開拓の必要性を感じていたメルクリウス1世はこれを許した。こうして始まったイセリア送りでは、多くの代山人が寒さや飢餓にあえぎ、骨肉相食む争いの中で倒れていったため、後の食糧生産や経済への影響と裏腹に、メルクリウス1世の統治下で最悪の政策と呼ばれている。
====秘匿禁止令====
3242年、満を持して行われた秘匿禁止令では、大統一戦争時代に顕著になっていた黄金技術の秘匿及び生産物の独占販売を停止し、寡占状態の解消と自由競争体制の導入をはかった。これは「イセリア送り」で関係が悪化していた行政府をなだめる役割もあったが、それ以上にノヴァ貴族の反発を招き、特に化学工業を有したオルフで打撃が大きく、ランパンサムを怒らせることとなった。
===死===
3243年冬、朝食の食器を片付けに執務室に入った従者により、皿の上に倒れるメルクリウス1世が発見された。彼は心筋梗塞を起こしていたが、当時はモルヒネを打つ程度しか治療法がなく、数時間後に死亡した。最初は生活習慣病と考えられていたが、新しく宮廷料理人となった胡延が毒を盛り、暗殺したという話が囁かれた。しかし他の料理人によれば、彼が毒を持ったとされる料理は大鍋で作られていたが、これを食べた他の貴族に被害はなかったうえ、胡廷は料理を運んでいないというアリバイがあった。直後のランパンサムの失踪によって捜査は進展せず、3253年にシトリウス2世によって打ち切られ、胡廷は地方で安泰に暮らして亡くなった。彼の死は現在も多くの議論を呼んでいるが、真相は謎に包まれている。
==評価==
===ホノリウス12世の評価===
世界帝王の研究で知られ、自身も68代世界帝王であったホノリウス12世は、自著『帝王列伝』において、メルクリウス1世の功績と才能を認めつつも、彼の優れた点は政策面ではなくメンタルにあることを強調した。
「彼はノヴァの平和を継承し、ノヴァの統治機構を継承し、ノヴァの理念を継承し、ノヴァの誤りを継承し、ノヴァの矛盾を継承した。彼は何ら新しいことはしなかったし、ノヴァの誤りや矛盾を正すこともできなかった。秘匿禁止令も多くの人が構想してきたものだ。しかし歴史上の中央政府最初の難関である、理念を次の世代へ引き継ぐという大仕事をしてのけたのは、彼の最大の功績である。これだけでも十分人間離れしているのに、変革をも求めるのは酷というものだろう。」
ーホノリウス12世、帝王列伝
==人物==
幼少期にギャンブルとして始めた易経を信じており、在位中も一部の政策の是非を易経で決めたため、以降の帝王科挙からはあらゆる非科学的信仰を持たないことを明記させるようになった。
==脚注==
===注釈===
シトリウス1世 ← 3239 - 3243 → シトリウス2世
「ノヴァ帝王」
代数 人名 即位年 退位年 在位年間
1 ノヴァ大帝 3203 3225 22
2 シトリウス1世 3225 3239 14
3 メルクリウス1世 3239 3243 4
4 シトリウス2世 3243 3256 13
5 シトリウス3世 3256 3270 14
6 ホノリウス1世 3270 3281 11
7 レガリス1世 3281 3283 2
8 シトリウス4世 3283 3298 15
9 メルクリウス2世 3298 3300 2
10 シトリウス5世 3300 3319 19
11 ホノリウス2世 3319 3340 21
12 シトリウス6世 3340 3363 23
13 ホノリウス3世 3363 3382 19
14 メルクリウス3世 3382 3395 13
15 レガリス2世 3395 3413 18
16 シトリウス7世 3413 3419 6
17 シトリウス8世 3419 3424 5
18 シトリウス9世 3424 3437 13
19 シトリウス10世 3437 3440 3
20 マルス1世 3440 3446 6
21 ホノリウス4世 3446 3453 7
22 シトリウス11世 3453 3462 9
23 メルクリウス4世 3462 3470 8
24 メロス 3470 3477 7
25 アポロ1世 3477 3478 1
26 メディクス 3478 3484 6
27 シトリウス12世 3484 3484 0
28 ホノリウス5世 3484 3486 2
29 シトリウス13世 3486 3507 21
30 メルクリウス5世 3507 3508 1
31 シリウス 3508 3513 5
32 エデュカトル 3513 3514 1
33 バルカン1世 3514 3539 25
34 シトリウス14世 3539 3542 3
35 ホノリウス6世 3542 3563 21
36 シトリウス15世 3563 3565 2
37 バッカス 3565 3565 0
38 オリンピア 3565 3577 12
39 バルカン2世 3577 3580 3
40 シトリウス16世 3580 3585 5
41 マルス2世 3585 3594 9
42 ホノリウス7世 3594 3627 33
43 アグリカ1世 3627 3657 30
44 アグリカ2世 3657 3669 12
45 シトリウス17世 3669 3674 5
46 ホノリウス8世 3674 3688 14
47 ハルバ1世 3688 3700 12
48 レガリス3世 3700 3720 20
49 メルクリウス6世 3720 3731 11
50 メルクリウス7世 3731 3736 5
51 レガリス4世 3736 3750 14
52 マルクス 3750 3763 13
53 マルス3世 3763 3781 18
54 ホノリウス9世 3781 3784 3
55 ペルセウス 3784 3804 20
56 バルカン3世 3804 3812 8
57 ヘラクレス 3812 3843 31
58 オリハルコン 3843 3870 27
59 シトリウス18世 3870 3887 17
60 ホノリウス10世 3887 3919 32
61 ハルバ2世 3919 3926 7
62 クロノス 3926 3947 21
63 シトリウス19世 3947 3977 30
64 ヘルメス 3977 4004 27
65 ホノリウス11世 4004 4015 11
66 アポロ2世 4015 4046 31
67 シトリウス20世 4046 4069 23
68 ホノリウス12世 4069 4105 36
69 メルクリウス8世 4105 4113 8
70 ハルバ3世 4113 4134 21
71 ハルバ4世 4134 4170 36
72 ホノリウス13世 4170 4202 32