勇者とドラゴン
世界はどんよりと暗い空気が漂っていた。
人々は争い、奪い合い、気が休まる日はない。そしてさらに追い討ちをかけるように穏やかだと思われていたドラゴンたちが人をさらい始めた。
そして誰かが言った。
「これはきっと魔王の仕業だ。魔王がこの世界を不幸にし、ドラゴンを凶暴化させたんだ!」
だから大人たちは自分たちが襲われる前に生贄を差し出すようになった。生贄には10歳前後の子どもが選ばれた。ドラゴンが大人より子どもをさらうことが多かったからだ。
気高い生き物のドラゴンは滅多に人に姿を見せない。しかし生贄として置いて行かれた子どもたちは必ず忽然と姿を消し、その不気味さはさらに大人たちを恐怖させた。
そして人々はドラゴンや魔王を倒してくれる勇者が現れるのを信じて待ち望むようになった。
勇者なんて現れなくていい。
手首にぐるぐると巻かれた縄を見ながら彼はそう思っていた。彼は勇者を望まない、少数派の人間だった。カツンカツンと小石が彼に当たっては落ちていく。それはさっきから彼めがけて投げられているものだった。
「痛っ」
少し大きめの小石が腕に当たると思わず声をあげた。すると石を投げていた子どもがにやっと笑った。その意地悪い顔をした少年は彼と同じ年か年下くらいだったが彼よりもずっと綺麗な洋服を着ていた。
「パパ、ママ! 次はもっと大きな石をあいつに当てるから見てて」
少年は近くの店のテラスで食事をしている両親に得意気に言った。
「ああ、命中したらご褒美をやろう」
父親がそう言うと少年は跳ねて喜ぶ。その様子を見て両親はにこにこと微笑んだ。それから汚いものでもみるように彼の方を見た。
「早く伝説の勇者様が現れて魔王をやっつけてくれないかしら。うちの子が食われたらと想像するだけでゾッとするわ」
「うちの子は食われないさ。見てご覧、みすぼらしいあの姿を。あれは親に捨てられ売られた価値のない子だ」
嫌でも夫婦の会話が耳に入る。その言葉は腕に当たった小石よりも深く彼を傷つけた。こんな大人たちを助けるような勇者なら現れなくていい。彼は惨めで悔しくて唇を噛んだ。
「えいっ!」
少年が石を投げたがそれは当たらなかった。少年から悲嘆の声がもれた。
「くそっ! あとちょっとだったのに」
「ぼうや。そうがっかりすることはない。石は当たらなかったが頑張ったぼうやに何か褒美を買ってあげよう」
「ほんと? ヤッター!」
喜ぶ少年と両親が手を繋いで歩いていった。その一方で彼の手首に繋がれた縄が強く引かれた。
「いくぞ」
彼はこれからドラゴンの生贄になりにいく。
「キュウ、悪いがお前にはドラゴンの生贄になってもらう」
10歳の誕生日の日、父はやつれた顔でそう言った。キュウには双子や三つ子、合わせて8人の兄がいた。ロイ、ロン、ジョシュ、ジョン、ジョージ、アルフレッド、フラン、フレッド、みんな立派な名前を持っていた。何故9男のキュウだけキュウなのか。キュウが生まれたとき考えるヒマがなかったからだと兄は説明した。
母はキュウを産んですぐに亡くなった。
「キュウで終わりだ」
それが父の口ぐせだった。末っ子のキュウは何をするにも遅かった。だから父がそう言うのはそんな意味だと思っていた。
「キュウとは変な名前だな」
人買いの男がそう言いながら父に見たこともない大金を渡した。10歳はドラゴンの生贄として一番高い値がつく。
「キュウは終わりの数字だ。キュウが生まれて妻は死んだ。俺はこの辛い生活もこの子を手離してすべて終わりにしたかった」
その時、自分がドラゴンの生贄になるために育てられた子だと知った。
今ごろ父や兄たちはどうしているだろうか。自分を売ったお金でお腹いっぱい食べられているだろうか。キュウはそんなことをぼんやりと考えた。
「おい、遅いぞ!」
キュウの手に繋がれた縄の先を持つ男がグイッと縄を引くとキュウは身体ごとよろけた。
それを見た男が舌打ちをする。
「こののろまが!」
強く引かれた手首がジリジリと痛む。キュウは男を睨みつけた。すると男はキュウの頬を叩いた。
「なんだ? その目は」
「僕からしたらお前たちが魔王だ」
キュウがそう言うと男はもう一度キュウを叩いた。そしてさっきよりも強く縄は引かれた。
生贄のキュウが連れて来られたのは断崖絶壁の岩山の頂上だった。ここは空を飛ぶドラゴンがひと休みするにはちょうどいい。そして食事ができれば腹が満たされたドラゴンが麓の村を襲うことはないという、そういう仕組みだった。
キュウを連れてきた男は慣れた手つきで杭に縄を巻きつけると逃げるようにその場を去った。ビュウビュウと容赦なく吹きつける風にキュウは立っていられずに膝をつく。ジリっとした痛みが膝に走る。膝は擦りむけて血がにじんでいた。叩かれた頬も小石を投げられた腕もどこもかしこも痛かった。
ちょっと怪我をするだけでこんなに痛いのに食べられたらどんだけ痛いのか。
想像するだけで怖くて悔しくて泣けてきた。
しばらく泣いていると風がぴたりとやんでその代わりに生ぬるい温かさが辺りを包んだ。
「みいつけた」
キュウは腹に響くようなその声に顔を上げた。涙も拭けず滲んだ世界の先に見えたのは大きなドラゴンだった。赤と黄色の光る身体をしたドラゴンは口元からピンク色の光をチラチラと燃やしてにたりと笑う。
ドラゴンを包む熱は燃えるように暑いのにキュウは冷たい水を浴びたかのように全身が凍りついた。
鋭い爪のついた指がキュウに向かう。キュウは思わず目をつぶった。するとすべすべした温かな感触がキュウの頬をなぞった。
「あらやだ、泣いてたの? でも泣き顔もカワイイわね♡ 」
キュウの涙を拭くとドラゴンが舌なめずりをした。キュウの頭に色々な思考が浮かんでは消えていく。ガタガタと身体が震えた。
誰に助けを求めればよいのか…気付いた時には勇者に助けを求めていた。
「勇者様! 助けて! 食べられたくないよ! 勇者様ー!」
ドラゴンは彼の叫び声を聞くと猫みたいな金色の目を見開いて大きな口を開けた。
キュウは目を閉じてぎゅっと屈んだ。しかし聞こえてきたのは岩山に響き渡る大きな笑い声だった。
「やだー、ウケるー! それって勇者ギャグ⁈」
ドラゴンは地面をばんばん叩いてウケていた。
「ギャグ?」
キュウが恐る恐る聞き返すとドラゴンは大きな目をパチクリとさせた。
「初仕事の私の気持ちを察してギャグを言ったんじゃなくて?」
「初仕事? 僕を食べないの?」
首を傾げるキュウに赤いドラゴンは青ざめていた。
「え? 本当に私があなたを食べると思っていたの?」
「だってドラゴンは人の子を食べるでしょ? 」
「ちょ、ちょっと待って、ちょっと待って」
人間みたいに腕を組んだドラゴンが考える素振りをしてから人差し指をこちらに向けた。
「それって誰情報?」
「大人たち……。魔王が復活したからドラゴンが凶暴化して子どもをさらって食べるって」
ドラゴンは白眼を向いて鼻の穴を広げ不快感を顔全体で表した。キュウからしたらその顔の方がギャグだった。
「やだっ! ホント失礼しちゃう!! ドラゴンが人間を食べるなんて野蛮なことするはずないじゃない!」
「でも大人たちが……」
「その大人たちの中にあなたが信じられる大人はいたの?」
キュウは自分を売った父、石をぶつけた少年の両親、そしてキュウをここまで連れてきた男を思い出すと首を横に振った。
「私から言わせてもらうとこんなかわいい子どもを固い縄につなぐなんて野蛮なのは人間の方よ」
「食べられていないならここに連れて来られた子たちはどこへ行ったの?」
キュウの質問にドラゴンはえっへんと胸を張る。
「ここよりずっと良い場所よ。私たちドラゴンはね、勇者を迎えに来ているの。だから私があなたを迎えにきたのよ!」
ドラゴンは鋭い鉤爪でキュウの縄を切った。
「勇者? 僕は勇者なんかじゃない。僕、魔王となんて闘えないよ」
キュウは俯いた。
「いいえ、あなたは勇者よ。でももう闘う必要なんてないの。もう充分闘ってきたんだから」
キュウは意味が分からずドラゴンを見つめた。ドラゴンは今まで見た誰よりも優しい瞳をしていた。
「魔王はあなたにひどいことをしてきた彼らの心にいるの。だからいつまでも彼らにとって都合の良い勇者なんて現れない。いるのは辛いことを耐え抜いたあなたたち勇者だけよ」
ドラゴンがキュウに向かって火を吹くと温かなピンクの炎が傷を癒す。小石が当たった腕も叩かれて腫れた頬も擦れた手首も擦りむいたひざももうどこも痛くなかった。
「僕が勇者?」
「ええ、勇者様のお名前を聞いていなかったわね。お名前は?」
「僕はキュウ」
するとドラゴンは目を光らせた。
「あら、良い名前ね 」
「いい名前かな。最後って意味だよ」
「何言ってるの! 真逆よ! 球は丸、永遠に繋がっていく名前だわ」
ドラゴンはそう言うとキュウを背に乗せて弧を描くように空を駆け上がって行った。
キュウのいた世界がどんどんと小さくなっていく。キュウはドラゴンの背中からみた世界に目を輝かせた。世界は青いまん丸の美しい球だった。
球のように丸くずっとずっとひだまり童話館が続いていきますように♡