暗殺者は主人公にキスをする。
あれからどれくらい過ぎたんだろう。
雷鳴が轟いていた空がいつの間にか静かになって、雲の隙間から日差しが出てくると、途端に日差しが少しきつく感じる。薄いカーテン越しに、外を見ればユキが笑顔で「晴れた〜!」と言いそうな空模様だ。
そう思うと、ギルドの医務室で手当てをされて、ずっと静かに寝ているユキの蜂蜜色の瞳を少しでも早く見たいと思うし、あの笑顔を見たいと思ってしまう。
『ルルクさん、大好き』
そう、あの洞窟の中で言ってくれた言葉は、気のせいだったのか。
いや、これだけ怪我をさせた人間がそんなことを聞く資格なんて、そもそもない。
そうだ、こんな人間を好きになる奴なんていないのに、時々握り返してくれるあの柔らかい手も、嬉しそうに見つめてくれる瞳も、憎まれ口を聞きつつも優しい言葉を紡ぐユキに、もしかして‥と何度も期待する自分がいた。
でもこんな浅ましい自分が側にいたから、こんなことになったんだ。
元婚約者だと名乗るウィリアに、ユキに近付くだけで荒れ狂う心の中を押さえつけても、睨んでしまう自分がいたから‥。ユキを幸せにできる人間なら、周囲に沢山いるのに。近付くな、触れるな、そう叫びそうになるのを抑えるだけで手一杯の自分がいたから、こんな事態になったんだ。
目を覚ます前に、ここを離れた方がいい。
そうしないと、ずっと離れられなくなる。
チャンスなら今だと思うのに、もう一人の自分がここにいたい。ユキの側にいたいと叫んでいる。
「っつ‥」
いつから自分はこんなに弱くなったんだろう。
躊躇いもなく、剣を抜いて、人を切って、あれだけ人を殺めてきたのに、こんなすぐに死んでしまいそうな存在が弱っているのを見るだけで、胸が苦しいくらい痛くなる。離れないと‥と思うのに、足が一歩も動かない。
「‥ルルク、さん?」
小さなユキの声にはっとして顔を上げると、蜂蜜色の瞳が俺を見ている。
「ユキ!大丈夫か?痛みは‥」
「大丈夫、です。ルルクさんは?」
「‥俺なんか、心配しなくていい!」
「何言ってるんですか、ルルクさんだって傷ついたら痛いでしょう‥」
困ったように笑って、俺に手を差し伸べるから‥。
離れようと思ったのに、出ていこうと思ったのに、柔らかいユキの手を握ってしまう。両手でユキの手をギュッと握って、自分の額に当てる。
本当に、無事で良かった。
もう少しでこの大事な存在を自分の手で消してしまうところだった‥。
そう思うと、自分が怖くて堪らない。
「ルルクさん、そんなに気にしなくていいですって‥」
「‥そんなこと、できる訳ねぇだろ」
「‥じゃあ、お詫びにまた蝶を描いて下さいよ」
ニコッと笑って俺を見つめるユキに、胸が苦しくなる。
何かあっても、結局そうやって笑って許して、大事に扱って、嬉しそうに微笑む。それがどんなにすごい事か、こいつは一つもわかってないのだろう。
ただ、当たり前に。
その優しさが俺の心をどれだけかき乱しているかも知らず‥、何度でも手を差し伸べるんだ。
ユキの手の甲の蝶を見ると、崖やら洞窟へ落ちたせいか、あちこち傷ついたように掠れている。俺の蝶、俺の大事な人。俺の、好きな人。
どうかずっとそばにいさせて欲しい。
誰かを好きになっても、その時にはちゃんと離すから。
そっと手の甲にキスをすると、「ひえっ」とユキの素っ頓狂な声が聞こえて、ユキを見ると、目を丸くしたまま赤い顔で口をあんぐりと開けている。ちょっと間抜けな顔なのに、愛おしくて‥。ああ、ずっとこんな風に時を重ねていければいいのに‥と願ってしまう。
「な、なん、手に‥」
「騎士の真似だ」
「え??!」
「姫に忠誠を誓う時にするもんだろ」
「そ、そうなんですか?」
「‥昔話ではそう聞くな」
「まさかの物語?!!」
赤い顔でユキは叫ぶけれど、可愛いとか、好きとか、そんな感情で胸が埋めつくされる。
「もう一度、ちゃんと膝を折って誓うか?」
「だ、だだだ、大丈夫です!!!」
ニヤける顔をどうにかしないと‥。
そう思うのに、自分相手に恥ずかしがるユキが嬉しい。
もっと自分を意識して、離れたくないと言ってくれるくらいになればいいのに。柔らかいその手を握りつつ思ってしまう。
「あ、騎士といえばウィリアさんは‥?」
「‥あいつは無事に手当てを受けて休んでる」
「そうですか‥。良かった」
ホッと息を吐くユキに、ムッとする。
こっちを見てろ、こっちを意識しろとばかりに、もう一度手の甲にキスを落とすと、
「ちょ!!!っも、もう無理なんで!!!」
と、赤い顔で叫ぶから、吹き出してしまった。
赤い顔で睨んでも、ただ可愛いだけだと教えたほうがいいだろうか?‥いや、可愛いから当分このままでいいか。




