暗殺者は一人、主人公を想う。
ユキとの心地いい日々に、思えばすっかり忘れていたのかもしれない。
あいつはすぐに何かに巻き込まれる。
そして、いつも自分はそれを追いかける立場だってことを。
シヴォンに会った時から、また何か起きるのではないかと思っていて‥。
魔物の報告をしに隣の街からギルドに戻った瞬間、青ざめた顔のタリクを見て、すぐにまた「何か」が起こったのだと理解した。
「‥誘拐?」
「はい、金貨千枚を用意しろと‥、馬車が隠されていた為にお金を用意するのはギリギリになってしまいましたが、すぐに周辺を捜索しつつ、金銭を渡すことになりました」
ドクリと心臓が鳴る。
思い出すのは、昼頃に俺のシャツの裾を握って、どこか泣きそうな顔で笑うユキ。
そうして、自分の中の魔族の血だろうか、ものすごい激情が体の中を駆け巡る。
「場所は?」
「金銭を渡す場所は、ここだが‥もちろん僕が行く」
「違う、捕まっている場所の目星は?」
「何を言ってるんだ?!もし見つかったとしても、ユキさんに何かあったら?」
「それはない」
そうだ。
絶対に助ける。絶対にだ。
止める声も聞かず、ギルドの地図を借りて周辺をザッと見回す。
金銭をすぐに受け取れる場所を指定しているのならば、恐らく遠くへは逃げていないだろう。この時ばかりは戦士として経験を積んでいて良かったと思う。
手口は単純だし、そこまで犯人は手練れではないだろう。
ここは情報も厳重に管理されていないし、いい金づるが見つかったと思ったんだろう。レトに貰った剣を腰に携える。すぐに止められたがそんなの聞いてられるか。あいつはすぐ何かを起こすんだぞ。
馬を走らせている間、ずっと胸がドクドクと鳴る。
顔を見たいと言ってたのに、「帰ったら」なんて‥。
自分が言った言葉に照れ臭くて顔を見られたくなかったなんて、そんな子供っぽい理由であいつの言葉を聞かなかった自分に後悔する。
それなのに廃れた山小屋へ行けば、犯人達だけしかいないし、周囲を探せばまたも爆発音が聞こえるし、トドメに湖に落ちていくユキを見て、心臓が今度こそ止まりそうになった。
無我夢中で水に飛び込んで、水から引き揚げれば、グッタリしていて意識がない。
頼む。やめてくれ。
俺の前からいなくならないでくれ。
必死に名前を呼んで、ユキの頬を叩けば目を開いて、怒らない?なんて聞くから‥、全身の力が抜けた。
それなのに、「顔が見られた」とヘラッと笑うユキに、
胸の奥でずっと、自分のような人間がこんな真っ直ぐなユキを好きになるなんてダメだ。好きだと告げてもきっと迷惑なだけだ。そう思って堰き止めていた感情が一気に溢れてしまった。
それまで絆されているだけだ‥と、言い聞かせていた自分の箍が外れてしまって、額にキスをした。
ハッと自分のした事に気付いて慌てて顔を離せば、一瞬目が合って驚いた顔をしたかと思うと、すぐに気を失ってしまった。しかもその後は、雇用を解消しようときて‥、キスが原因か?と思ったけれど、俺を心配しての提案に胸が潰れそうになった。
そうだった‥。
こいつは誰よりも人のことを心配して、大事にして、自分の事は全部後回しにする奴だった。そして、俺はそんなユキだから好きになったんだ。
結局、あのことをユキは覚えてなかった。
シヴォンの別荘から音を立てて走る馬車の中、俺の肩に頭を寄りかからせて静かに寝息を立てているユキを見て、忘れているようで良かったと思う反面、どこかでチクチクと胸の奥が痛む。
いや、これで良かったんだ。
そうでなければ、俺はユキの側にはいられない。
額にとはいえ、好きでもない人間にキスされたら‥、ユキはきっと嫌がりはしないこそすれ、気まずくなるだろう。
時々、俺を見ては目を逸らしたり、
不安そうな顔をするユキを見て、もうこの関係をやめたいのだろうか、言い出しにくいのだろうかと思っていた。それでも、手を繋いでも赤い顔をして握り返してくれると、やっぱり内心嬉しかった。
奴隷でもない、戦士でもないただありのままの自分を受け入れ、楽しそうに笑い、誰か困っていれば当たり前のように体を張って助けようとする。真っ直ぐでただただ眩しいユキ。
それが自分だけに向けられたら‥、
そんな小さな欲が出て、あいつの手の甲に蝶を描いた。
自分の願いを描いたにも関わらず、俺の蝶をただ純粋に喜ぶユキを見て、嬉しい反面、こんな男に好かれてもあいつが困るだけだと必死に言い聞かせるのに、もしかしたら‥と期待をしてしまう。
ガタッと馬車の車輪が石に乗り上げて、横に揺れた途端、ユキの体がずれて慌てて肩を支える。
小さな体で一人誘拐犯から逃げたり、虫を追い払ったり、「呪い」の紋様を起きてすぐに描いたり‥。本当にこいつは無茶をする。スウスウと寝息を立てるユキの寝顔を見て、初めて愛おしい感情が胸をこんなに締め付けるのか‥と、知ってますます苦しくなる。
戦場では恐れ知らずだったのに。
こんな小さな存在に、胸をかき乱されるなんて思いもしなかった。
「‥ユキ」
小さく名前を呼べば、ユキの手の甲に描いた俺の蝶が返事をするように小窓から差し込んだ光に照らされてキラリと光って、俺はその手をそっと握った。




