精霊と駆ける
真っ青な空と風に揺らぐ草原。この景色が続く限り、テジンはどこまででも走って行ける気がした。
肌を撫でる風は、なんて清々しいのだろう。サワサワと揺れる草のさざめきは、胸を抜けていく冷たい空気は、足の裏の土の感触は、なんて心地よいのだろう。
太ももから膝へ、膝からふくらはぎへ、ふくらはぎから足首へ、流れる力に合わせて地面を蹴飛ばせば、体はぐんぐんと前に進んでいく。
このまま目の前に広がる空へも飛んで行けそうだ。広大な世界へ身一つで飛び出していく妄想は、十二歳の少年に、笑顔をもたらした。
浅黒い肌とクルクルとした癖のある柔らかい髪。空を映す瞳は爛々と輝き、幼さを残した丸い頬にはえくぼが浮かぶ。
気がつけば随分と集落を離れて来てしまっていた。また長に怒られてしまうぞ、と不意に思い出し、足を止める。
「あれ? ここどこだ?」
辺りを見渡すと、草木が少なくなって来ている。精霊の加護の外まで来てしまったのだとテジンはゾッとなる。
彼らカプ族は遊牧の民。大地を豊かにする精霊の移動に合わせて、住みかを移していく事により、その恵みを得て生活を成り立たせている。
緑のない大地は精霊の加護のない土地だと捉えているため、そこへ足を踏み入れる事を恐れる傾向にあるが、テジンが恐れているのは、帰った後の長の雷の方だった。
確かに緑がないのは寂しいけれど、加護の外へ出ては駄目だなんていうのは窮屈だよ。世界はこんなにも広大だというのに。
頭の中でぶつくさと言いながら引き返そうとしたデジン。しかしここより更に先、遠くの荒野にポツンと、倒れている人影らしきものを見つける。
数秒の逡巡の後、テジンは走り出した。緑色の大地を越え、枯れた大地へ。
人影は見違えではなかった。鉄の鎧を身に纏っている傷を負った男だ。頭の弁髪を見る限り、この地を治める王国の兵士だろう。
「大丈夫ですか?」
鎧の男は呻き声をあげながら駆け寄ったテジンへ顔を向けた。
「その肌。カプ族の子か……」
「はい。どうしてこんな事に?」
「巡回中に、ボル族に……」
「ボルの奴らに!?」
ボル族はカプ族と同じく、定住地を持たず移動を繰り返しながら生活をする遊牧の部族である。
ただし、特定の周期で移動する精霊と共に、豊かな土地へと移り住む事で生計を立てているカプ族とは違い、ボル族は王国が統治する村や他部族の領地を襲う事で食料などを得ている。
辺りで略奪を繰り返し、奪うものがなくなったら、住みかを変えるのだ。
「なんとか逃げる事はできたが、仲間の居場所も分からない。この傷では長くは持たんだろう」
「鎧、脱げますか? 僕らの集落まで運んでいきます」
「君が? 無茶をいうな、そんな小さな体で」
「大丈夫です。僕はカプ族の中でも特に丈夫な体をしているんです」
*
王国の人間をつれて帰った事で、テジンの村は大騒ぎになった。
カプ族は命を尊重する部族であるが故に、排他的な面を持っている。彼らは動物を食わないし、争いもしない。そんな事をする野蛮な人間とは、相容れないと思っているのだ。
「全く。なんて事をしてくれたのだ。お前は」
鎧の男を下ろした後、テジンは早速、長のテントに呼び出された。放射状に梁が渡されたテントで、羊の毛で作られたフェルトが被せられている。
細身の長身。手足が長く、長髪を後ろで纏めているのが長だ。歳は四十を越えているが、皺はなく肌艶はいい。
「でも命は何よりも尊いものだと、いつも長だって……」
「馬鹿者っ!」
一つ目の雷が落ち、テジンの体はビクリと跳ねる。
「王国の人間には幾つもの敵がいる。その敵からみれば、王国に手を貸した時点で我々も敵になる。それが我々の命をどれだけ危険に晒す事になるか分かっているのか!?」
「でも、だったら見捨てればよかったと?」
「そうだ。そもそも動けもしない人間を養う余裕だって、我が村にはない」
長としての責任からか、その声には力がなかった。
豊かな土地を巡っているとはいえ、生物を殺めず、略奪もしない彼らにとって、食料不足は避けられない問題だった。
山羊や羊から乳製品を、その土地土地で畑を耕したり、森になる食物を採取したりとしているが、常にぎりぎりの生活。計画的に過ごさなければ、冬を越す事が出来ないという状態。
洋服や日用品を得るために、商人を介し、王国や他部族との交易も行ってはいるが、その日の食料の確保に追われている事に加え、他種族への不信感から、取引の規模は微々たるものだった。
因みに先日、テジンが村の外へ出ていたのも、近くの森で食料を集めるためだ。目の前に広がる緑色の大海の誘惑に負け、背負っていた篭を投げ捨て、走り出してしまったのだが。
「じゃあ、あの人はどうするんです?外へ放り出すんですか?」
「そんな事はできるか!」
長は語気を荒らげてから、間を置いて、苦々しげに言う。
「……動けるまで面倒を見るしかあるまい。放り出しなどしたら、命を奪うも同然ではないか」
「本当ですか!?」
「本意ではない! 本意ではないが、仕方なかろう」
「ありがとうございます!」
テジンはパッと笑顔を咲かせ、深々と頭を下げた。
「でも。だったら初めからそう言ってくれれば良かったのに」
「馬鹿者!」
再び雷が落ちると「失礼しましたっ!」と彼はテントから退散する。
*
余程疲弊していたのだろう。王国の男が目を覚ましたのは、運ばれて来てから三日が経過した日の事だった。
畑仕事の最中、その知らせを聞いたテジンは、鍬を投げ出し男のテントへと飛び込んだ。
「……君は」
男が気を失ったのは、テジンに抱えられた後。彼の顔を覚えていたのだろう。体を起こしその顔をまじまじと見つめる。
と、そこで彼の看病をしていたマラルが言った。
「こら、テジン! 体、土だらけじゃない!」
マラルはテジンより一つ年下の少女である。
「ああっ、いけない!」
テジンはバタバタと外へ出ていき、程なくして再びテントへ戻ってくる。
照れたように笑い頭を下げた彼へ向け、男は口を開いた。
「君には、なんと礼を言っていいか」
「命は何よりも尊い。それがカプ族の教えですから」
それを聞いたマラルが鼻で笑って。
「調子いい事言っちゃって。普段はルールを破ってばかりのくせに」
「うるさいなぁ。何でマラルがここにいるんだよ」
「看病を任されたからに決まってるじゃない。私はあんたと違って信用があるからね」
「大人のいいなりってだけだろ!」
「それのどこが悪いのよ。年長者をうやまうのだって、カプ族の教えの一つだわ。あんたは守れてないけど」
二人のやり取りを見ていた男がふっと笑う。
「どこも変わらないのだな。君たち位の子の、こういうところは」
「王国の子供もこんな感じなんですか?」
男は頷き、テジンに言う。
「それにしても君には驚かされたよ。私を背負ったまま、あんな速さで走るなんて」
テジンが照れたように笑うと、マラルが言う。
「テジンは精霊様の力が強く土地に注いでいる時機に産まれたお陰で、大人にも負けないくらい力が強いんですよ。なのにドジばかりで」
「ドジなのか?」
「ええ。この前なんて食べ物を探しに行ったっきり帰って来なくって大騒ぎ。もしかしたらボル族に襲われたんじゃないかって、村の皆で探して漸く見つかったところで理由を聞いたら、走るのに夢中になり過ぎて村の場所が分からなくなっちゃったって言うんだから困ったものですよ」
「ははは。でもそれだけ走るのが好きなら、あの体力も頷けるな。君たちの言う精霊の力もあるのだろうが、彼のその性格のお陰で私の命が救われたのは、紛れもない事実だ」
テジンは再び笑顔になって、マラルの腕を肘でつつく。マラルは直ぐに反撃に転じる。
「カプ族は排他的な部族と聞いていたが、我々は誤解をしていたのかもしれないな」
「誤解じゃ……ないと思います。僕達は違うけど、大人はみんな臆病なんですよ」
「ちょっと、テジン!」
「本当の事だろ。王国も、他の国も、勿論僕達も含めて、世界は変わり続けている。それなのに昔の上手くいったやり方を貫き通そうって言うのが無理な話なんですよ。今もどうにかなっているならまだしも、それが合わなくなってきているのが分かっているのに……」
過去に比べ、カプ族の人口は増えたにも関わらず、暮らせる場所は減少していた。彼らが争いという選択肢を持たない事が大きな要因だ。
*
王国の男の名はヤンといった。村の大人達は必要以上の接触を避けていたが、テジンとマラルは彼によく懐いた。
マラルは看病の役を与えられている事もあったが、仕事を投げ出したテジンが彼の元を訪れ、連れ戻されるという光景が毎日のお決まりのようになっていた。
彼が目を覚ましてから更に五日。とうとう別れの日が訪れた。
傷は完治とまではいかない状況であったが、二人の子供以外の村の空気はヤンにも伝わっていたし、国への報告も早いに越した事はない。
見送りに来たマラルとテジンの潤んだ瞳を見た時は、流石に彼の心も揺れたが、後ろ髪を引かれる思いでカプ族の村を後にしたのだった。
そんなヤンが、再びテジンの村を訪れたのは、それから二ヶ月程が経過した頃である。
例年に比べ精霊の移動が早まった事により、取り残されてしまった村は、一刻も早く精霊へ追い付くための準備に追われていた。
空は灰色に変わり、大地は乾き、冷たい風が吹き荒んでいる。テントの周りにあった畑の作物が、すっかり枯れ果ててしまっているのを見て、成る程これが長年彼らが戦い続けてきたものなのかとヤンは感慨に耽る。同時に自分の使命を果たす決意を固めた。
「ヤンさん!」
村の入り口で座り込んでいたテジンが、彼を見て声を上げた。大方サボっていたのだろうと、笑みを溢しそうになるヤンであったが、自分の使命を思い出し、表情を引き締めた。
「長はいるかい?」
「あ。う、うん」
案内されたテントで、長と対峙する。世話になっていた時に、一度だけ顔を合わせている。美しい顔の優男であるが、こちらへの敵対心が口を開かずとも伝わってくる。
「この度はお願いがあってお伺い致しました」
テジンがテントから出ていったところで、ヤンは切り出した。
「お断りします」
「ま、まだ何も……」
「決して争わない我々を従わせる事など、あなた方にとっては雑作もない事でしょう。そんなあなた方がそうせずに、わざわざお願いとは。どうあってもこちらに不利益な事としか思えません」
ヤンはぐっと拳を固め、長の目を真っ直ぐと見つめた。
「私は、あなた方の。この身を救ってくれたこの村の、力になりたいのです」
「力に?」
彼の熱意を感じてか、長の眉がピクリと動いた。
ヤンのお願いとはテジンを王国で働かせてみないかという提案だった。
たった数日の滞在であったが、この村の困窮ぶりは、ヤンにもありありと感じ取れた。
自分一人では、この村を救う力はない。しかしテジンが国のために働いてくれるのならば、その報酬を支払う事で、この村への助けとする事ができる。
「テジンには驚くべき体力があります。勿論、それを兵士となって振るえなどとは申しません。あなた方の教義に背く事なく、彼にしかできない仕事があるのです。我が国の女王は、受けた恩には必ず報いるお方。彼が我が国の力となってくれるのであれば、この村にも相応の恵みをもたらして下さるでしょう」
長は顎に手をやり、暫し考えた後。
「成る程。仰る事は理解できました。あなたが本当にこの村を想っているという事も」
「では!」
「お断りします」
「何故!?」
熱くなっているヤンとは裏腹に、長は冷静な口調だった。
「どんな形であれ、あなた方に手を貸せば、我々はあなた方の仲間という事になる。そんな我々は、あなた方の敵の目にはどう映るでしょうか?」
「そ、それは……」
「そもそも我々は所有する事を望んでいない。奪われる物がなければ、奪おうとする者も現れません」
大人は皆臆病なんです。ヤンはテジンの言葉を思い出した。
長の言い分は十分に理解できる。彼らはこうして長い歴史を紡いできたのだろう。
しかし、それではいつか必ず限界が訪れる。知らぬ顔をしていられる日がやって来るはずなのだ。
次の言葉を探すヤン。そこで、テントの幕が開き、冷たい風が吹き込んだ。
「僕、やります! やらせて下さい!」
外で盗み聞きをしていたテジンが、中へ飛び込んできたのだった。
*
元々言う事を聞かない少年である。長が何を言おうとテジンは王国へ赴く意思を曲げなかった。
己の勝手な行いが部族全員に災をもたらすのだという長の言葉に、それならば自分は部族を抜けると言い出した時には、この話を持ってきたヤンが罪の意識を覚える程だったが、長も思うところがあったのだろう。根負けした形ではあったが、テジンの王国行きに許可を出した。
最後の日、村人達の顔は一様に寂しげで、特に親しかったマラルなどは、大粒の涙を流し、顔をぐじゃぐじゃにして彼を見送った。
ヤンが乗ってきた馬に共に跨がり、彼は王国へ向かった。馬に乗るのは初めての経験だ。テジンにとってのこの動物は、乗り物ではなく、かけっこの好敵手であった。
「へぇ。これがお城かぁ」
首が痛くなる程高く積まれた石の建物にたどり着き、感嘆の声を漏らすと、隣でヤンがクスリと笑う。
「これは砦って言うんだ。城はこれの何倍も大きいよ」
「何倍も!?」
今日からこの砦がテジンの働く場所となるようだった。連絡砦と呼ばれているらしい。
テジンは砦から出てきたフーという男と引き合わされた。白髪混じりの坊主頭の男で、背が低い。
「ヤン様、彼が?」
「ああ。宜しく頼む」
ヤンには別の仕事があるらしく、ここで別れる事になるようだ。知らない土地でヤンと離れる事に不安を覚えたが、それで怖じ気づくような覚悟では来ていない。
フーは、人によって大きく程度を変える男であるらしい。
「ったく。ヤン様はなんで俺にこんなガキを……」
馬に乗ったヤンが小さくなっていくと、直ぐにその本性を現した。テジンは口うるさい長の側近の男を思い出した。
「ヤンさんって偉い人なんです?」
「おまっ!? ヤンさんなんて呼び方するんじゃねえ! あの方は千人隊長だぞ!」
そう言われても、テジンにはそれがどれくらい偉いものかが分からない。
「それで、僕は何をすれば?」
「何も聞かされてねぇのかよ」
砦はその大きさに反して、狭苦しかった。中の居住空間で、テジンはフーから仕事の内容を伝えられる。
「俺らの仕事は伝令使と呼ばれている。この大陸には至るところにここのような砦があってな、戦地や各街の状況を砦から砦へと伝達し、城へ届けるというの仕事の内容だ」
「つまり、この場所で受け取った手紙なんかを、別の砦へ運べばいいんですね?」
「そうだ。だがただ運ぶだけじゃない。速く運ぶ事が重要なんだ。戦場でも政でも最も強い力を持つ武器が情報だ。たった一枚の手紙が届くか届かないで、勝敗が決する事もある。だから各砦には大陸中の俊足が集められ、その速さに応じて報酬が与えられる」
成る程、自分にピッタリの仕事だとテジンは思う。村でも他部族への手紙の配達を頼まれた事があった。寄り道をして怒られてしまったけれど。
「あっ、でも馬を使えばいいんじゃ?」
「馬ってのは、調教にも飼育にも金がかかるもんなんだよ。乗りこなすための訓練を受けられる人間は限られているし、全ての砦に配置なんてしてられねぇ。それに山や森だって通るんだぞ」
「なるほど」
*
そうして、テジンの新たな生活が始まった。
記念すべき最初の仕事は、フーと共に手紙を運ぶようだ。テジンはまだ他の砦の場所も覚えていないのだから、当然だろう。
「あまり重要度も高くない伝令だ。抑えめに走ってやるから必死に着いてこいよ」
「はいっ! お願いします!」
二人は砦を出て走りだした。体力には自信のあるテジンだが、どれくらいの距離を走るのかも分からない。
辺りの景色を頭に覚えながら、フーの後ろを着いていく。
精霊が去った土地に、これ程長くいるのは初めての経験だった。乾いた土は硬く、風には埃が混ざっている。
それでも見知らぬ土地を走る事は、彼の胸をときめかせた。永遠と続く茶色い大地。見たことのない山々。遠く向こうに見えた蛇のように続く長い長い石壁は、王国が作ったものだという。人の力でこんな物が作れる事に、テジンは驚きを覚えずにはいられない。
人の速度に合わせて走る事がこんなにも焦れったい事だというのも、彼にとっては新たな発見であった。早く一人立ちしなければ、髪の毛が無くなってしまいそうだ。
「見えた。あの砦だ」
というフーの声を聞いた瞬間「あそこですね!?」と、駆け出した。
体をぐんぐん、ぐんぐんと加速させていき、みるみるとフーとの距離が離れていく。
「おいおい、冗談だろ……」というフーの呟きは、勿論テジンには届かない。
そして砦に到着し、気付くのだった。
「あっ、手紙。フーさんが持ってるんだった」
*
初めにテジンが思った通り、伝令使は正に自分にうってつけの仕事だった。
身分を問わず、足の速さを認められた者達が集められているためか、能力を示せば彼が他部族である事を気にする者もいなかった。
頭一つ抜けたテジンの速さは、他の伝令使達の注目の的となった。誰よりも幼く、素直な性格をした彼を、皆が弟のよう扱った。
テジン自身も多くの伝令使達によく懐き、特に指導役であり同じ砦に暮らすフーは、ヤンに並ぶ程に頼れる存在になった。
「そうか。テジンは故郷のために伝令使になったのか」
「うん。ヤンさんがその切っ掛けをつくってくれたんだ」
「だから様をつけろと……まぁ、いいか。ともかくお前程の速さがあれば、そう遠くない内にその願いは叶うだろうよ」
「ありがとう。でも僕、もっと沢山走ってみたいところもあるんだ。フーさんが前に言ってた竜の湖がある場所や柱のような山が立ち並ぶ谷!」
他の者は進む事を嫌うが、黄金色の海のような砂漠も、雲が触れられる程の高さを行く山道も、テジンにとっては、胸をときめかせる体験の一つだった。
「あの辺りは今じゃ、ボル族の縄張りだけどな。ただ、それだって俺らの活躍次第じゃ、なんとかなるかもしれねぇ」
フーがそう笑った時、砦の扉が激しく叩かれた。 外へ出ると、そこで息を切らしているのは隣の砦の伝令使である。
「火急の手紙だ。テジン、頼めるか?」
「は、はい!」
勢いよくテジンが返事をしたところで「待て!」とフーが口を挟んだ。
「火急? 何があったか分かるか?」
「オウ人の奴らが軍を集めているらしい」
それを聞いた瞬間、フーの顔色が変わった。
「この仕事、俺が受ける」
力強く言ってから、テジンの目を真っ直ぐと見つめる。
「テジン。オウというのは、俺達の国の南東にある大陸を治めている国だ。そいつらがこの大陸へ攻め込もうとしている。この意味が分かるか?」
テジンは、はっと目を開く。南東。今、精霊が滞在している土地だ。
「行って来い、テジン。お前の足なら奴らが来る前に村へ戻って危機を伝える事ができる」
「で、でも……」
「村のための働いているというのに、それが無くなっちまったら元も子もないだろ。それに、ヤン様は恐らくこうなる可能性にも気付いていらっしゃったのだ。お前を預かった時、有事には深い繋がりを優先させるようにとの言葉を残していかれた」
「ヤンさんが……」
伝令使。この大陸中の情報を運ぶ仕事。裏を返せば、この大陸の情報をいち早く知る仕事とも言える。
戦乱の中にあるこの大陸で、カプ族が暴力に対抗する手段は出会わない事しかない。しかし、無益無害な石ころに成り済まそうと、道端にいれば蹴飛ばされてしまう。
「油断するんじゃねえぞ。あそこへ行くにはボル族の縄張りの間近を横切らなきゃならねぇんだ」
テジンは頷き、走り出す。
精霊にも、人にも恵まれた自分には、成さねばならない事がある。