探索
コック見習いの亡骸は軽かった。
シュウ・ミューラは、横抱き運んできた彼をゆっくりベッドに横たえた。
着衣を整え、胸元で手を組ませる。
最後にプルーチェルが、リネン室から持ち出したシーツをやさしく被せてくれた。
隣のベッドでは、この少年の師が一足先に永遠の眠りについている。
公爵家お抱えともなれば、料理人の数も相当だろう。
その中から、親方はこの少年を助手に選んだのだ。
特別、目をかけていたのだろう。
徒弟制では、師が弟子の親代わりという例も珍しくはない。
ならばせめて隣同士、こうして並べて安置することにも何か意味が生まれるかもしれなかった。
「――さて。せっかくこの部屋まで戻ってきたんだし、そろそろ調査の方を始めましょうか」
プルーチェルが雰囲気を変えるように言った。
「了解。本格的にやるんだよね」
「うん。オードリィ公女に、何も報告できないんじゃ困るし」
「なら、彼らの遺品も確認して良いのかな?」
「そうね。状況が状況だし、公女もお許しになると思う。時間が惜しいから手分けしてやりましょう」
うなずき、シュウはさっそくコックの持ち物から検め始めた。
とは言え、大きな荷物は馬車の中だと聞いている。
実際、持ち込まれていたのは着替えと貴重品の類だけだった。
念のため遺体の状態も確認してみたが、こちらも特に収穫はなかった。
弟子の遺品も調べたが、こちらも結果は同じであった。
彼の場合、師に輪をかけて荷物が少ない。
見習いだけに所持金も知れたもので、異変のヒントになるような物もなかった。
仕方なく一息つく。
ふと気になって、プルーチェルの様子をうかがった。
彼女は空いたベッドに、ブルーノの所持品を並べているところだった。
几帳面な性格なのだろう。
きっちり整列されている。
シュウは、その背中に声をかけた。
「やっぱり、ブルーノ氏が最初に凶暴化したのかな?」
彼女が手を止め、一瞬だけ振り返った。
「状況から考えると、たぶんそうなんだと思う」
「なら、まずブルーノが凶暴化して、同室の三人を襲いまくったわけだ。で、この時点でコック長は死亡。見習いと文官は重傷を負って気絶した――」
シュウは調べ終えた荷物を元に戻しながら、続けた。
「で、獲物がいなくなったブルーノは、部屋の前を通りかかったメイドに襲いかかったって流れで良いんだよね」
「そう。それが今日、未明の話ね」
「彼女はそんな時間に何してんだろう」
「もしかして疑ってる?」
「いや、気になっただけだよ」
彼女は負傷し〝連中〟の仲間入りしている。
れっきとした被害者だ。
「公女様なんて村人からしたら神にも近い超大物よ? 客を八人も泊めてるし。小間使いたちは普段の何倍も忙しかったはず。朝食だとか色んな準備を夜明け前から始めていたとしても不思議はないでしょう。というか、徹夜で働いてたんじゃない?」
「なるほどね。じゃあ、本当に運悪く男部屋の前を通りかかっちゃったわけだ」
「うん。その時の、ドアが蹴破られる音とメイドがあげた悲鳴で私たちは異変に気づいた」
「問題はその一個前、ブルーノ氏がいつどこで凶暴化の原因をもらったかだね」
「皆の話では、凶暴化した村の人たちは大体が噛まれてから一刻(約二時間)もしないうちにおかしくなっちゃったみたい」
中には四半刻――三〇分もしないうちに凶暴化した例も報告されているという。
かと思えば、コック長のように未変化のまま死亡する例もある。
少なからず個人差があるのだ。
「ブルーノ氏の時も同じだったとすると、彼を変えた〝何か〟は村中が寝静まった真夜中に起った可能性が高いね」
「そう。そこなのよ」
プルーチェルが作業の手を止め、身体ごとシュウに向いた。
「この異変が人為的なものなら、誰かが夜、この屋敷に忍び込んで何かを仕込んだことになると思う」
「他のパターンは? たとえば夜中トイレに行きたくなったとか、喉が渇いたとかで起き出したブルーノが、屋敷内に前から仕込まれてた狂人化の呪いをたまたま発動させてしまった、とか」
「あ、そうか……なるほど」
彼女は少し考える素振りを見せた。
それから「井戸の水」「厨房に置かれた酒」などの可能性を列挙していく。
「そうだ。だとすると、これ――」
と、彼女はブルーノの所持品の中から、水筒を持ち出した。
「彼の水筒に、誰かが呪いの毒薬を盛っていたってパターンもありじゃない?」
「あるね。薬か、咒術的な仕掛けか。その辺は分からないけど、怪しい物とか場所を片っ端からワカエ師に調べて貰えば、痕跡から手がかりを得られるかもしれない」
「そっか。じゃあ、必ずしも夜中に誰かが忍び込んでブルーノを狙ったとは限らないんだ」
「そうなるね。タイミングも、被害者も、たまたま条件が合ったからこういう形になっただけとも考えられる」
「ほら、やっぱりあなたに手伝ってもらって正解だった」
プーチェルが満足げに笑う。
自分の先見の明を誇るような口ぶりだった。
シュウは反応に困って話題を変える。
「で、ブルーノの所持品からは何か出た?」
「ううん。まだ途中だけど、仕事関係の荷物も多くて」
彼は執事の補佐役だったと聞いている。
色んな雑務を引き受けていたのだろう。
理解はできる話だった。
「そうなると、文官の方も資料とか多そうだな……機密事項とかありそうだし、俺は書類に触らない方が良さそうだね」
「そうかも。じゃあ、私物の方だけお願いできる?」
「見てみるよ」
文官の名は、ペンタ・イーノといったらしい。
貴族だったのだろう。
革製の鞄にネームの刻印があった。
予想通り、彼は業務関連の資料をどっさり抱え込んでいた。
ただし、私物の方も多かった。
その中で気になったのは、所持品というより鞄だ。
よく調べると、底面に隠しスペースがあったのである。
収められていたのは、旅の安全を司るカァヒ神の護符。
金貨が一枚。
非常用の干し肉を入れた、清潔な巾着袋。
そして、古書の計四点である。
書籍は〈神々の言葉について〉の縮小版だった。
表題どおり神について記述された古典で、同種の文献の中でも最も良く知られる一冊だ。
「シュウ、どうだった?」
プルーチェルの問いかけに、首を振りながら応える。
「三人分調べてみたけど、現時点でこれと言った物はないね。お金や貴重品が盗まれたりもしてない」
「まあ、そうよね……」
「どうする?」
「一応、他の部屋も調べておきましょう」
他といっても、二階に目ぼしい場所はもはやない。
公女と執事がそれぞれ泊まっていた個室からは、脱出時に全ての荷が運び出されている。つまりはただの空室だ。
女子部屋。
リネン室。
用具倉庫。
残りも全て見て回ったが、時間をかけるような要素はやはり何もなかった。
肉体的な負担はともかく、精神は少しずつ疲労しつつある。
消沈というほどでもないが、自然と口数は減っていった。
一縷の望みを抱きつつ、一階に降りる。
しかし、ここでも空振り続きだった。
使用人たちの部屋は流石に生活感があったが、それだけだった。
雑多ではあるものの、手がかりは期待感すら抱かせない。
念のためと調べて回った窓にも、侵入者がこじあけたような形跡は見つからなかった。
「――あとは、もう村長の部屋だけか」
「ごめんね、シュウ。付き合わせちゃって」
必要もなく責任を感じはじめたらしい。
プルーチェルの表情と声音は沈みがちだ。
と思った瞬間、彼女はぱっと顔を上げて笑顔を見せた。
「もうちょっとだから頑張って。ね?」
面食らうシュウの背後に回って、軽く肩をもみはじめる。
とは言っても、この国の文化に〝肩こり〟の概念はない。
正確には首のマッサージといったところだ。
「あー、もうちょっと下、強めでお願いします」
冗談めかして言うと、笑いの混じった声でプルーチェルが応じた。
「こんな感じ?」
「良い感じ、良い感じ。なんか、頑張れそうな気がしてきた」
「じゃあ、はりきって行きましょうか」
彼女は小走りに前へ出て、自らドアノブに手をかけた。
振り返っていたずらっぽく笑ってくる。
うなずいて返し、部屋に足を踏み入れた。
シュウは初めてだが、村長の私室に人が居ないことは先ほどプルーチェルが確認済みだ。
もちろん、今も変わらずである。
入ってまず最初目に付くのは、壁一面に並べられた美術品だった。
大小不揃い。
内容にも統一性がない。
だが、タッチからして同じ作者の手によるものだろう。
一番多いのは、木版に炭で書かれたシンプルな絵画だ。
どれも保存のために、樹脂の特殊コーティング処理がされている。
「――プルーチェル。村長は妻を亡くして、今は息子夫婦と三人暮らしだったよね?」
「そう聞いてるけど」
「息子夫婦に子どもは?」
「いないと思う」
「じゃあ、村長には独り立ちした子どもが他にいて、離れて都会で暮らしてるとかは?」
「どうなんだろう」
彼女が小首をひねる。
「それらしいことは誰も言ってなかったけど……」
それがどうしたの? という顔だったが、彼女もすぐに気づいた。
シュウが眺めている美術品は、すべてが幼児の手による物なのた。
「これ全部、ここ数年のものだと思うよ」
シュウのその指摘に、プルーチェルは柳眉をぴくりとさせた。
「息子さんが子どもの頃の物ではないってこと? 確かに、彼は三〇歳くらいに見えたけど」
だとすれば、少なくとも二〇年以上前の物ということになる。
「そんなに古いと、コーティングの樹脂が経年劣化でかなり濁ってないとおかしい」
「じゃあ、村のちびっ子たちにもらったとか?」
「あり得なくはないけど、ここの村長ってそんな人気者なのかな」
それほど子どもに好かれるのなら、この壁には様々な年代、色んな少年少女の作品が飾られているはずだ。
だが実際はここ数年のものに限られ、おそらく作者は同一。
なにより、あまりに金がかけられすぎていた。
なかには、本当に「ちょっとしたイタズラ書き」という物もある。
村長はそれにすら立派な額縁を用意し、高額な保存処置をほどこしているのだ。
もはや、ただの子ども好きで説明できる次元ではない。
「――気になるの?」
プルーチェルが小首をかしげている。
今回の異変に関係するのか、という疑問があるのだろう。
「いや、ごめん。他を探そう」
シュウは苦笑して認め、捜索に本腰を入れることにした。
プルーチェルは寝室が気になるようで、そちらに向かっていく。
村長の部屋は広く複数の部屋があった。
ためしに入口から一番近い扉を開いてみると、狭い応接室まである。
プルーチェルに呼ばれたのは、書斎スペースを調べている時だった。
「どうした?」
行ってみると、彼女は資料室に移動していた。
ここも応接間同様、壁とドアで隔離された小部屋になっている。
天井まである棚が狭い四方を囲んでおり、圧迫感が強い。
二人並ぶともう息苦しいほどだ。
窓がなく、昼間でも暗い事実がその印象に拍車をかける。
「なんか……ここ、変な感じがするのよね。シュウはどう?」
「変な感じ?」
「空気というか、雰囲気というか。言葉にしにくいんだけど」
本当に感覚的な話なのだろう。
プルーチェルは眉根をひそめて居心地悪そうにしている。
「たまにない? なんか、そこではあり得ないような匂いが一瞬した気がして、それが何なのか分からないみたいな……」
「少なくともここでは何も感じないな」
だが、女性の勘やプロの違和感は無視できない。
少なくともシュウはしない主義だった。
「その感じって、何に近いとかはないの?」
訊くと、しばらく悩んだ後、プルーチェルは言った。
「あえて言うなら、封貝みたいな感じかな」
「――それって魔石っぽいってことでは?」
「あ、そうね。そうとも言えるかも」
魔石。
〈ジ・ショルズ〉や〈魂石〉、〈宝貝〉等とも呼ばれる特殊道具の総称だ。
一般的には封貝の劣化版と見なされていて、金を惜しまなければ入手自体は誰でも可能だ。
あらかじめ封じ込められた効果を解放するだけなので、使い手を選ばないのも特徴の一つだ。
「どこかに高価な魔石が隠してあるとかかな?」
シュウが言うと、プルーチェルは思案げにうなった。
「うーん。確かに、換金性が高いから現金を魔石に変えて資産隠ししてるって話はわりと聞くけど」
「徴税官の護衛なんかしてると、まさにそういう話ばっかりなんだろうね」
「そうなのよ。あまり外に話しちゃいけないことなんだけど」
劣化版と言われるだけあり、魔石も封貝と同じく波動――気配のようなものを発している。波長もずいぶん似通っているらしい。
そのため、封貝使いは魔石の存在にも気づきやすい。
そのため徴税官は好んで封貝使いを護衛に使うのだろう。
「もしプルーチェルが本当に魔石を感じてるんだとすると、ぱっと思いつくのは今言ってた資産隠しか、魔石を利用した何かがあるかだね」
魔石は特定の効果をもたせず、ただエネルギィを封じ込めた結晶としても広く利用されている。
日本人ミウラ・シュウの知識で言えば電池に近いイメージだ。
「魔石を使った照明装置でもあるのかな? ここ暗いし」
プルーチェルがつぶやく。
貴族の邸宅では、交換式の魔石で照明を光らせ、コンロに火を付け、給湯システムを動かしている。
この家に似た物があってもおかしくはない。
だが、シュウの考えは違った。
「プルーチェル、ちょっと足下照らしてもらえるかな」
「あ、うん」
頼むと、彼女は腰にさげた私物のカンテラを手に取った。
床に近づける。
「気づいてるかも知れないけど、この空間だけ下が石造りだ」
シュウは足の裏で二、三度踏みつけてみせる。
あいにく、やわらかな肉球クッションのおかげて完全な無音だった。
「そうね。貴重な資料をしまってあるから、火災対策だと思ってたけど」
「だとしたら壁も防火処理してるんじゃないかな」
「あ、そっか」
だが、壁の材質は他と変わらない。
特殊な塗装もされてはいなかった。
「じゃあ、なんで――?」
「村長は、床に傷が付くと困ったのかもしれない」
シュウは手振りでプルーチェルからカンテラを借りた。
もし想像どおりなら、これだけ狭いと選択肢も限られてくる。
パネルの位置を入れ替えるスライドパズルと同じだ。
空間が限られれば、動かせるパネルも自ずと限られる。
大体のあたりをつけ、シュウは棚板の裏や置物の影を調べていった。
「何を探してるの?」
黙って見ていたプルーチェルが、やがて焦れたように訊いた。
「たぶん、スイッチだよ」
「スイッチ?」
それが呼び水になったかのように、シュウの指先が求めていた感触をとらえる。
真鍮製の棚受けの一つが、巧妙な偽物になっていた。
力を込めるとスライドして動く。
覗き込んでみれば、その下にはくり抜かれた空洞が見えた。
予想通り、隠されていたのはスイッチだった。
「プルーチェル、悪いけどそこ空けてくれないかな」
「えっ、ドアの外に出てろってこと?」
「うん。気になるなら、顔だけ出して見てていいから」
怪訝そうにしながらも、彼女は指示に従ってくれる。
それを確認し――
「探してたのはこれだよ」
言って、シュウはスイッチを入れた。
小さな作動音が室内に響く。
次の瞬間、棚の一部が扉よろしくダイナミックに動き出した。
それ自体は歯車やバネを使った原始的な仕組みだ。
ただ、動力に魔石を使っている。
棚を中身ごと動かすにはそれだけ大きな力が必要だったのだろう。
「わ、凄っ!」
プルーチェルがはしゃぐように歓声をあげた。
「なにこれ、なにこれ。こんなの、演劇の中だけしかないと思ってた」
「これだけの仕掛けだと、木の床で何度も動かせば傷や跡がつく。そうすると、ここが動きますよと宣伝するようなものだ」
「そっか。だから傷が付かない石のタイルにしたんだ」
彼女がきらきらした目を向けてくる。
「シュウは魔石の気配と石の床って条件から、この仕掛けの可能性を思いついたのね?」
「石の床は、まっ先に傷対策だと思った。最初は、大量の資料を出し入れするために台車でも使ってるのかって考えたけど、それらしい台車なんてないしね。そうなると、石の床の説明がつかない」
床が傷つき、かつ魔石を持ち出してまで動かす大質量。
資料そのものがそれに該当しないなら、もう可能性は幾つも残されていない。
空間の構成と棚の配置から、造れそうなギミックの計算もしやすかった。
「それで、それで? 動いた棚の向こうは何があるの」
「穴だね」
大型の酒樽をなんとか一つ押し込めそうな空間があり、その床にはマンホールを思わせる円形の穴がぽっかり口を開けている。
「村長は、どうやら秘密の地下室をお持ちだったらしい」