公爵令嬢・大盛ラーメン
その日、二度目となる覚醒は最悪だった。
初回は日ざしの中でのおだやかな目覚めだった。
だが今回、ゾ=ミューラは電気ショックを食らったように、目覚めと同時に跳ね起きていた。
「きゃっ!」
そばで悲鳴が聞こえた。
だが、そちらを確認する余裕はなかった。
起き上がったと同時、大きくぐらつき、ゾ=ミューラはあやうく倒れかけた。
手でバランスを取ろうとしたが、できない。
見れば、荒縄で手首をぐるぐる巻きにされていた。
慌てて、体幹だけで体勢を整えた。
なんで。
唖然としながら腕を凝視する。
ほとんど、手錠をされた犯罪者だ。
混乱は、足首も同様に拘束されていたことで更に深まった。
戸惑いつつ、先ほどの悲鳴の方へ視線を転じた。
せいぜい四畳ていどの狭い部屋の壁際。
ふたりの子どもが、身を寄せ合っていた。
警戒心をむきだしにしてゾ=ミューラを注視している。
どちらも種族は人間。
年齢も同じくらいで、一〇歳前後に見えた。
片方は見るからに大人しそうな少女だった。
それこそ、ダークエルフを見たかのようにおびえきっていた。
気になるのは、その少女を背にかばうメタボリック体型の方だった。
やせれば相当の美形になりそうだが、子ども力士のようにぱんぱんに膨れ上がっているせいで、造形の全てがだいなしになっている。
その子どもらしからぬ体型とあどけない顔だちのせいで、性別が非常に分かりにくかった。
「目が覚めたか。お前、私の言葉が分かるか?」
ぽっちゃり系が言った。
ソプラノ音域のせいで、声を聞いてもなお男女の区別はつかなかった。
右手には、意匠を凝らした高価な短剣が握られていた。
切っ先がまっすぐゾ=ミューラへ向けられている。
「うん。言葉は分かるよ」
ゾ=ミューラは穏やかに答えた。
「ほう」
剣の子どもは一瞬、意外そうな顔をする。
「聞きたいことは色々あるが、まずお前はなんなんだ?」
「あ――えっと……ね」
改めて問われると、極めて返答に困った。
言葉を探していると、相手がまたしゃべり出した。
「そのふざけた顔はマスクかとも思ったんだが、どうやっても取れなかった。つまり、それはお前の本来の――生まれながらの姿ということか?」
えっ、うそ――
声をあげずに済んだのは、ほとんど奇跡だった。
取れないとはどういうことか。
子どもの力では無理だったというだけか。
それとも、グローブやブーツとは違い、頭のあれは取れない仕組みなのか。
まさか、邪神は顔に限って直接、整形してくれやがったのか。
最悪の可能性に、背すじがぞっとする。
「いや、なんて言うか……説明がむずかしいんだ。非常に複雑な事情があるんだよ」
なんとかそれだけ言うのが精一杯だった。
「私はこう見えて博識なのだ。だが、お前のような種族がいるなんて話は聞いたことがない」
俺もだよ。
胸の内だけで答えた。
「しいて言うなら猫人族が近そうだが、実際には完全な別物だ。大体、その頭はどう見ても作り物なんだがなあ……」
太った子どもが首をかしげる。
胴体に直接顔がのったような肥満特有の体つきだが、一応首は稼働するらしい。
「喋る時の口の動きといい、まばたきや目の動きといい、動物型の人形に命が吹き込まれたようにしか見えん。どうなってるんだそれ」
「えっと――これは、その……そう、呪われてるんだ。呪いだよ。だから外れなくて。呪いのマスクなんだよ。うん」
とっさに口をついて出た言葉だった。
そのわりに悪くない言い訳に思えた。
というより、もうこれしかないという気すらしてくる。
「なるほど。つまりお前は普通の人間で、その頭は取りたくても取れない呪いの仮面だというわけか」
「そうそう」
「見たことのない生物だが」
「そうだね。獅子と虎のあいの子でライガーってとこかな。言っちゃえばライガーマスクだね。うん」
「まあ、何マスクでも良いが。それで、お前はなんでこんな所で倒れていたんだ?」
その質問がくることは予測していた。
答えも用意していたため、すらすらと答える。
要は「何もかも呪いの仮面のせい」という内容だ。
この〈呪いのけものマスク〉のせいで差別を受け、遠くにある一族の里を追い出された。
以来、ここまで放浪の旅を続けてきた。
だが、受け入れてくれる村や町はなかなか見つかない。
それどころか、野盗に襲われて荷物や財産を奪われる始末。
色々と限界が近くなった時に、この森に迷い込んだ。
そして倒れた。
荷物も装備もないのはそのためだ。
それがゾ=ミューラが虚実を織り交ぜて急造した筋書きだった。
「かわいそう……」
おびえていた細い方の少女が、ぽつりとつぶやいた。
心の綺麗な子だ。
思わずほろりと来る。
まさか同族にも忌み嫌われた自分が、異種族の子どもに同情される日がくるとは思わなかった。
「ふむ。怪しげではあるが、まあ、状況の説明になっていることは事実だ。一応、納得しておいてやろう」
肥満児の方は偉そうにうなずいている。
と言うより実際、偉い地位の子なのだろう――という気はしていた。
手にした剣からして、特権階級が持つ特殊装飾の代物だ。
衣服の生地も明らかに農民のグレードではない。
「とりあえず、自己紹介でもしておくか。私はこの村に徴税官として訪れた者だ」
ぽっちゃり系貴族は、剣を鞘に収めながら続けた。
「一応教えておくが、ここはオルダ王国のラームウェン公領にある辺境の村でな。聞いて驚け。私はオードリィ・ラームウェンという」
「ほう、大盛ラーメン」
実に容姿に見合った、高カロリーそうな名前と言えた。
感心しかけていたところへ、メタボ貴族がずいと顔を迫らせてくる。
低い声がゆっくりと繰り返した。
「オードリィ・ラームウェン」
「あ、うん」
大した差はないだろう。
率直な感想だった。
特にラームウェンなど、ラーメンをゆっくり言ってるようにしか聞こえない。
考えが顔に出てしまったのか。
ラーメン公女が眉をひきつらせた。
「なんだか様々な、そして深刻な侮辱を受けた気がする」
「気のせいだよ」
「まあ、良い。――こっちも紹介しておこう」
と、ラームウェン嬢は半歩横にずれた。
背後に隠れていた少女があらわになる。
いかにも自己主張が苦手そうな、ある意味、メタボ公女とは真逆のタイプだった。
「あ、あのう――」
彼女はゾ=ミューラをちらと見たあと、すぐに目を伏せた。
それからまた恐るおそる顔を上げる。
「彼女は近くの村にある宿屋の娘で、ノンノという」
オードリィが手振りで少女を示しながら言った。
「ノンノです。よろしくお願いします」
少女はぎゅっと目をつぶると、勢いよく頭を下げた。
「俺は――」
名乗り返そうとして、一瞬つまる。
ここでゾ=ミューラを名乗るのは最悪の愚行だ。
この世界では、名前の構成で大体の種族が分かってしまうからだ。
本名では「私はダークエルフです」と宣伝するも同然といえた。
「えっと、シュウ・ミューラ。シュウが名前で、ミューラが姓だよ」
なんとなく、前世の「ミウラ・シュウ」と「ゾ=ミューラ」を混ぜ合わせて名乗った。
これなら不意に呼ばれても、間違いなく反応できる。
またしても、とっさの思いつきにしては上々の出来のように思えた。
「あまり聞かん響きだな?」
オードリィが不思議そうな顔をする。
「一族から追い出されたハンパ者だからね。もう何者でもないって意味で、適当に考えたんだ」
そんなことより、と露骨に話題を変える。
「ここがラーメ――ラームウェン公領で、家名がラームウェンだっていうなら、キミは領主である公爵家の娘?……ってことで良いんだよね」
「おい。なんで今、娘のところで半疑問形になった?」
オードリィの丸っこい手が、再び剣の柄に伸びる。
「気のせいじゃないかな」
「この絶世の美女を前に、なぜ疑問が生じるのだ? と言うかお前、根本的に私に敬意を払ってないだろう」
「いやいや、払いまくってるよ。絶世の美女を前にして緊張してわけ分からなくなったんだよ。それにホラ、なんでこんな麗しいレディが辺境の森の作業小屋なんぞにお越しあそばしたのかも謎過ぎて。逆の立場なら、キミも混乱するだろう?」
「む――」
オードリィの動きがとまる。
美辞麗句が効いたに違いない。
口角が笑みの形にぴくりと震えたのを、ゾ=ミューラ改めシュウ・ミューラは見逃さなかった。
ここぞとばかりにたたみかける。
「こんな美しく、賢そうで、見るからに高貴で、後光の射すようなお嬢様が!」
「おいおい」
たちまちオードリィはとろけるような笑顔に変わった。
「さすがに伝説の美姫グレイス・オ・シャイレーンにそっくりはちょっと言いすぎじゃないか」
言ってねえよ。
即座に思ったが、もちろん口にはしなかった。
かわりに話を進めた。
「で、グレイス――おっと、似過ぎていてうっかり間違えて呼んでしまった。美姫グレイス・オ・シャイレーンもとい、オードリィ・ラームウェン嬢。お互いの素性を理解し合えたことだし、そろそろこの縄を解いてもらっていいかな」
「ミューラ君。キミ、嘘をつけないタイプのようだね」
オードリィ・〝ぽっちゃり〟・ラームウェンは、嬉々として剣を抜き、縄を切ってくれた。
「いやあ、助かったよ。ありがとう」
「気にするな。外に倒れているお前を苦労してここに運び込んだ件も含め、礼はこれからたっぷりしてもらうつもりだ」
チン、と鞘と剣の鍔が小気味の良い音を立てる。
オードリィが続けた。
「ミューラ。お前、独りで放浪していたというからには、そこそこ腕は立つんだろう?」
「うん――まあ、人並み程度には?」
「では、頼みがある」
声のトーンが変わった。
「この森を抜けた所にある集落へ偵察に出てくれ」
「偵察?」
公女はなぜか隣のノンノを一瞥してから、ひとつ頷いた。
「実は、私も村で起っていることの詳細はよく掴めていないのだ。ただ、村人が凶暴化したとでも言うのか。とにかく、次々に理性を失ったように暴れ回り始めるという異変が起こってな」
聞けば、その凶暴化というのが尋常ではないらしい。
獣のような唸り声をあげ、周囲の人間を無差別に虐殺しだすのだという。
家族も恋人もなく、まさに手当たり次第。
人間離れした力で引きずり倒し、躊躇なく肉を噛み千切るらしい。
「杖なしでは歩けないような老人が、止めようとした男たちを振り払い孫の首筋を食い破ったりな。阿鼻叫喚の地獄絵図なのだ」
「なんだ、それは……」
「なにか、そういった感染症なのかもしれん。あるいは呪詛の類いか。噛まれた者は、しばらくすると伝染したように凶暴化して仲間に加わってしまうのだ。そうやって、悪夢はものの半日で村中に拡大していった」
驚くと同時、納得もいった。
家畜が森に放されていないわけ。
かわりに、貴族と村娘がこんな場所に閉じこもっている理由にだ。
「つまり、オードリィ。キミは〝チョーゼイカン〟という仕事で偶然この村を訪れていて、運悪く惨劇に巻き込まれた、と」
「そういうことだ」
神妙な顔で頷く。
余りに余ったあごの贅肉がぷるんと揺れた。
「お前がどこの田舎者かは知らんが、徴税官というのは領民からどれだけ税を取るか、現地を見て回って決める役人だ。
ただ、税金を集めるのが仕事だから、不正が絶えなくてな。つい最近、あまりに巨額の横領や着服をやっていたバカ者を、父上がついに処刑したのだ」
「処刑ですかい」
異世界の怖いところだ。
何かあると、文字通りの意味で簡単に首が飛ぶ。とにかく命が安い。
「そうすると次の徴税官を選ばないといけないわけだが、まあ信用できる後釜というのはなかなか見つかるものではなくてな」
「それで、娘に? そういうのって、貴族の間ではよくあるパターンなの?」
「いや」
見えない首が横に振られる。今度は頬のぜい肉が盛大に揺れた。
「私の知る限り、こんな前例は聞いたことがないな」
「ならなんで」
「私もよく分からない。毎日、六度の食事で体力をつけ、有事に備えて一日のべ一〇時間以上の睡眠および昼寝を心がけては、英気を養ってきたのだぞ。見ろ、美しくそれでいて力強くビルドアップされたこの肉体を。凜々しい面構え。隙なく洗練されたたたずまいを。
なのに父上は根性をたたき直すとか、領地を回って民の勤労を目の当たりにしてこいだとか、よく分からない理屈を並べるのだ。なぜ叱責口調でこんな任を命じられなくてはいけないのか、まるで理解できない。私が何をしたというんだ?」
「うん。たぶん、何もしてないのが問題だったんじゃないかな」
シュウ・ミューラは、ラームウェン公に深く同情しながらつぶやいた。
「でも、仮にも公女なんだ。護衛くらいつけられたんだよね?」
「もちろんだ。父上に交渉して、腕利きの護衛を雇ったぞ」
「彼らは?」
「二人のうち片方は父上へ報告に行かせた。村落が一夜にして滅びかねん案件だしな。拡大ペースからいっても、一刻を争うと判断した」
「もう一人は?」
「私たちを森に脱出させた後は、村に残って状況の調査と民の救助を行うよう命じた」
シュウ・ミューラは思わず目をしばたいた。
言っていることが事実なら、目の前のラーメン公女の評価を改めなければならない。
腕利きの護衛を自分にはり付かせるのではなく、民のため村に残す。
気位ばかり高い貴族にできる判断ではない。
少なくとも処刑された前職には、同じ選択など到底できなかっただろう。
「――分かったよ。そういうことなら協力しよう」
「ほんとですか!」
悲鳴にも似た突然の叫び声だった。
見れば、ノンノが必死の表情で身を乗り出している。
「うん。えっと、キミは宿屋の娘さんなんだよね。宿屋の様子も見てくるよ」
「ありがとうございますっ。お父さんが残ってるんです。公女様と逃げろって。私だけ逃がしてくれて」
「村を囲む壁に、子どもだけ抜けられる隙間があったのだ」
オードリィが補足するように言った。
「私たちはそれを利用した」
「キミが潜れたなら、細身の女性なら大人でも楽にいけそうだが」
「なにか言ったか?」
「いや――護衛は壁を越えられなかったの?」
「もちろん飛び越えられるさ。大人を抱えてでもな。なんなら飛行手段すら持っている。その気ならもっと大勢を外に逃がすこともできた」
なら、どうして村人たちを脱出させなかった?
訊くより早く、公女は先回りして言った。
「だがお前、考えてもみろ。事は感染性をもつ異変だぞ? 村全体に広がってる以上、住人を下手に外へ逃がすわけにもいかん」
言われてみればその通りだった。
流行病にしてもそうだ。
真っ先に行われるのは〝感染した可能性がある者〟の隔離である。
「だから私たちもこっそり出てくる必要があっのだ。大っぴらな脱出劇を演じては、それを見た者が自分も外へという思考になるからな。渋る爺やを置いてきたのだって、執行官たちも残っていると印象づけるためだ」
その上で公女は護衛に音頭を取らせ、村人達を屋内避難へと誘導したのだという。
実際、それが一番安全でもあった。
外に逃げたところで、最寄りの集落までは丸一日かかる。
では森に向かうかと言えば、この小屋は大勢を収用できる規模ではない。
「なるほどねぇ」
一〇歳にも満たないであろう幼児とは思えない精神年齢と頭のキレだ。
もはや、この公女を年相応の子どもと侮る気は失せていた。
「あと、気をつけろ。凶暴化した者たちは聴覚が強化されているらしい。ちょっと走っただけでも聞きつけて襲ってくる。大勢で同時に移動すると気づかれやすいぞ」
「ほう。音ね――」
「緩慢な動きだからと油断するな。感覚の方は想像以上に鋭敏だぞ」
「だったら、夜を待った方が良いかな? 隠密的にはそっちの方が都合が良いんだけど」
「いや」
オードリィが首を振る。
「さっきも言ったが、時間をかけたくない。状況の変化がとにかく早いのだ。悪い方にな」
「了解。なら、すぐ出よう」
ミューラは身体のバネだけでひょいと立ち上がった。
手首、足首を回して身体の具合を確かめる。
不思議と、倒れる前の体調不良は嘘のように回復していた。
むしろ快調とさえ言える。
「決して噛まれるな」
公女が念を押す。
「危険と思ったら無理せず帰れ。そして何がどうあれ、日没前には一度報告にもどってくれ」
「分かった。じゃあ行ってくるね」
ドアノブを捻り、一度子ども達を振り返ると、外に出た。
隠密行動による侵入。
偵察。
暗殺。
破壊工作。
奴隷時代、飽きるほどやらされたことだ。
成人以降に限れば、失敗はないに等しい。
なにより今回は誰かの財産を奪うのでも、傷つけるのでも、壊すのでもない。
人助けだ。
そのために技術を使える。
走り出したシュウ・ミューラは自分の口元がほころんでいることに気づいていた。