エピローグ
倉庫の魔石――
シュウはまじまじと手の中の球体を眺めなおした。
話には聞いたことのある物だが、魔石の中でも最も高価な物の一つで身近な存在とは到底言えない。
「容量によっては国宝級の物もあるって噂は聞きますけど」
「そういうのはまた気配が違うと思うけどね。それは下級品だろう。ま、それでも売れば一財産だよ」
言葉の割に、ワカエ師はそれほど関心を持った様子ではない。
「何が入ってるかは、開けてのお楽しみですか?」
「そうだね。外から見て分かるもんじゃない。心当たりでもあれば別だがね」
心当たりなら、ないわけではなかった。
元の持ち主と、落とすに至った経緯を考えると有力な仮説は立てやすい。
だが本当にシュウの想像どおりなら、これはオードリィへ渡すことになるだろう。
水晶をしまい、再び研究室にもどる。
中央台座に寝かされたブルーノに変化は見られない。
もちろん、片隅に追いやられた村長の遺体も動き出す気配はなかった。
彼は〝連中〟に噛まれたわけでもない。真の死を迎え、二度と目覚めることはないだろう。
「――凶暴化した方がマシとは言わないけど、このおっさんも哀れと言えば哀れだよなあ……」
「村長かい?」
「はい」
「アンタたちの話を聞く限り、人の迷惑かえりみず影で相当やりたい放題やってたようだが」
「それでも死血の話が事実なら、〈符魂の儀〉とか〈まつろわぬ神〉とか、魂と器がどうのとか――全部とんでもないデタラメだったわけでしょ」
村長は、孫の復活のためと信じて研究に没頭していた。
人生を賭けて、禁忌に手を染めたのだ。
だが〈符魂の儀〉など嘘っぱちだった。
彼が復活の儀式のためと信じやらされていたのは、人工死血の実験であったにすぎない。
全く別の計画の片棒を担がされていたのだ。
そうして良いように利用され、道化を演じさせられ、最後は消された。
どこぞの誰かみたいだな――
思わず自嘲の笑みを浮かべそうになる。
異端の烙印を押され、奴隷として使い潰され……最後は捨て石にされる。
踊らされるだけの存在は、いつも虚しくうつる。
「ワカエ師は、これからどうするんです?」
気分を変えたくて、なんとなく話題をふった。
「さて、どうするかねえ」
薬師は機材整理の手を止めてつぶやいた。
「宿屋で生き残ったのは四八人だったかい? 家ん中に隠れてやりすごした連中含めても三桁にいくかどうか。それに、事が事だけにこの村には大がかりな調査が入るだろう。長いことかかるだろうね」
「廃村、ですか?」
「そうなるかもしれないね」
「じゃあ……」
「だけど、アタシはどうとでもなるさ。薬師なんて、もともと半分は隠者みたいなモンだしね。イザとなりゃあ昔の伝手なんかもないわけじゃないし。自分と、弟子一人くらいなら何とでもなるよ」
それより、と彼女は見透かすような視線を投げてくる。
「行く先に迷いがあるのはアンタじゃないかね?」
なにか言い返そうと思ったが、結局、言葉は出なかった。
「生きていくって意味なら、幾らでも道はあるんだろうけど。問題は気持ちだろう? 生き方が定まってない奴ってのは、どんなに安定した地位を得たとしても、結局は迷子と変わりゃしないものだよ」
「……そうかも、しれませんね」
生き方が定まっていない。
その通りなのかもしれなかった。
もっと言ってしまえば、自分はこの先ものうのうと生きていて良いのか、という根深い疑問がシュウにはある。
「昼にもちょっと話しましたけど、オレ、むかし奴隷やってたんですよ」
「同族に隷紋刻まれたって話だろう? それで散々、汚れ仕事をやらされたとか」
「そう。酷いもんでした。罪のない人も殺しました。子どもも二人。女性を乱暴したこともある」
「それは、この死血と同じなんじゃないのかね?」
ワカエ師が、例のオレンジ色のギヤマン瓶をてのひらに転がしてみせる。
「アンタの意志でも責任でもない。身体をのっとられて、別の意志に強制的にやらされたことだ」
「そうかもしれない。いえ、それは分かってるんですけど……」
シュウは自分の両手を見つめた。
今はマヌケなけものグローブに包まれているが、その下にある浅黒い肌の十指は血塗れだ。
「ただ、感触はオレの物なんですよね。ナイフが、子どもの腹に潜り込んでいく手応えも。その子が死に際にオレを見た眼も。最後のうめき声も。全部、オレに直接刻まれてる。絶対に消えないし、追い払えない。過去にはできない。しようとしたって、追いかけてきて、いずれ絶対に捕まる」
ワカエ師は何も言わなかった。
表情からうかがえるものもない。
ただ黙って、シュウの言葉に耳を傾けていてくれた。
「結局、オレは気が済まないんだと思います。償うべきなのに、償うことなんてできないから。そんなでかいシミみたいなものがある奴が、なんかして楽しんだり喜んだり。そんなの許される気がしなくて。だったらオレはなんで生きてて、なんのために生かされてるんだろうって」
「自分で自分を地獄に落とさないと気が済まないってことかい」
「あー、そうですね」
不思議と笑えてきて、シュウは口元に拳を当てた。
「言葉にすると、そういうことなのかもしれない」
「だったら、良い方法があるよ」
「……えっ?」
思いもよらない一言に、思考が停止する。
吟味しても意味が分からない。
その反応が滑稽に見えたのか、ワカエ師はうっすらと微笑んだ。
「まず、幸せになれば良いんだよ。自分がやりたいことを全部やるんだ。沢山の人を救い、救われると良い。そうして沢山の繋がりを持ち、深めていく。――そして、最後にそれを全部失うんだ。なにもかもをね」
「いや……それは」
「アンタ、クーネカップから神器を賜ったとき、なんて言われたか忘れたのかい。あの邪神は〝不和〟をもたらすために、それをアンタに渡したんだよ。だったら、なにを拒絶して徹底的に逆らうか、その対象を決めないといけない。
それが幸せだっていうなら、最初から拒んだんじゃ効果も半減だろう。死にたがりより、生きたい奴が失ってこそ命は意味がある。幸福だってなんだって同じさ。だから一度、アンタは手に入れるべきだ」
――さあ、直感のまま、導かれるまま、望む方を手に取りなさい。
神器はその願いに感応し、あなたに合わせた姿をとって力となるでしょう。
そして蹂躙するのです。
不和を撒き散らすのです。
あなたを認めなかった、裏切った、捨て去った世界に!
神器を受取る直前、聞かされた言葉を思い出す。
確かに邪神の使徒は言っていた。
不和を撒き散らせ。
世界を蹂躙せよと。
「アンタが、なんとしても絶対に、永遠に相容れないと思うものはなんだい? それは、本当にアンタ自身の幸せなのかい」
目を見て、薬師は言った。
「それは――」
急な問いにもかかわらず、シュウはなぜか既に自分の答えを知っていた。
言葉にすることさえ、たやすかった。
「世界の理不尽だと、思います」
ワカエが沈黙で続きをうながしてるような気がして、シュウは自ら言葉をついだ。
「この村みたいに、なんの罪も咎もないのに身勝手な悪意や大きな力に一方的に踏みにじられて、奪われて。何か一つっていうなら、オレはそれを受け入れられない」
自分みたいな存在は、もうこの世に生まれるべきではない。
そう強く思った。
生まれた瞬間、抵抗の手段も可能性も根こそぎ奪われ――
ゴミのように使い潰されるような存在が今日もどこかで生み出されている事実こそ、なんとしても絶対に、永遠に相容れないものだ。
「だがね、それは摂理だよ。弱い者、運のない者。いつだって踏み台にされる人間はいるし、いなくならない。世界はそういう風にできてるんだからね」
「そうみたいですね」
シュウは微笑んだ。
「今日だって結局、大勢罪のない人たちがわけも分からず死んだ。オレは何もできなかった。理不尽なんて、どうやったってなくすことはできない。絶対に負けが確定してる無駄な努力だ」
「分かってるのに、理不尽に不和を唱えるのかい」
「ワカエ師の言ったの、なんか良い考えのような気がしてきましたよ。――自分がやりたいことを全部やるってやつ。理不尽にバカみたいに逆らって、結局なにもできずにちょっとずつ削られていく」
口にしてみると、存外悪くない気がしてきた。
少なくともそこには確固とした自分の意志がある。
己で決めた生き方と、その結果がある。
誰かに強いられ、踊らされた人生ではない。
意味がなくても、価値がなくても、自分は自分と誰はばかることなく言うことはできるのだ。
プルーチェルは、馬車の揺れが徐々に収まっていくのを感じた。
ほどなくして一度大きめに揺れると、車輪が完全に静止したのが分かる。
すぐに黒塗りの扉が開かれ、うやうやしく頭を垂れた老執事の姿が現れた。
「お嬢様、到着いたしました」
「うむ、ご苦労」
向かいの席に座った公女オードリィ・ラームウェンが鷹揚にうなずく。それから急に嘆息した。
「こんな仰々しくせずとも、自分の足で来られたのだがな」
「オードリィ様、もしかしてお屋敷を抜け出して普段からこの界隈に来てるんですか?」
呆れ半分の問うと、公女はにやりと笑った。
「最近、父上が手を回ったらしく、食事の量が厳しく制限されだしたのでな。食が細い人間には、私のような育ち盛りの健康体にどれほど栄養が必要なのか分からんのだ。だから不足分を補うために、お忍びで街中に出るしかなくなったわけだ」
「不足しているようには、ちょっと見えないんですけど」
どれだけ口酸っぱく言われても、今日も今日とてオードリィは男装だ。それなりに付き合いがあるプルーチェルからしても、彼女のドレス姿は想像がつかなかった。
「まあ、それは良い。腹が減った。早く食事にしよう」
オードリィは執事の手も借りず、馬車から飛び降りる。
プルーチェルもその背を追った。
「私の情報網によれば、開店間もないながら新生〈煉瓦の一撃亭〉は早くも評判らしいぞ。なんでも看板娘が好評らしい」
「分かるような気がします」
言うと、追い越してドアを開ける。公女が入口を通り抜けるのを待ち、プルーチェルは自分も入店した。
「らっしゃい」
喧噪の中、野太い男性主人の声が飛んでくる。
「おう、プルーチェルの姉ちゃんに……ァっ」
公女の姿を見て、給仕をしていたポムズが目を白黒させる。
「彼、いますか?」
プルーチェルは口に人差し指を当てながら訊いた。
「あ、ああ。部屋にいるはずだ」
と、目で二階を示す。
「おやじ、今日のおすすめはなんだ?」
「え、あ。はい、ノンノの気まぐれランチを限定で提供しており――」
「ほう。噂になっているノンノの手料理か。よし、それを二人前。それからメニューの中からすぐ出せそうなものを、とりあえず五人前ほど運ばせろ。行くぞ、プルーチェル」
「はい。いえ、オードリィ様。ちょっと頼みすぎでは」
「気にするな。ちゃんと残さず食べるさ」
「そういうことではなくて――」
オードリィはどこ吹く風で、さっさと階段を上っていく。
「しかし、なかなか良い店ではないか」
途中で脚を止めると、彼女は眼下の光景を見下ろしながら言った。
つられてプルーチェルも店内を眺める。
二〇人も入れば満席になる小さめの店舗だが、確かに造りはしっかりしており雰囲気も良い。
カウンター席上部の壁には、店名の由来になった煉瓦が誇らしげに飾られているのが見えた。
なんでも、かつて夫婦で宿屋の開店準備をしていた頃、店に賊がはいったことがあったという。
当時、厨房にはポムズが一人でいたらしいが、騒ぎを聞きつけた妻がこっそりと助けに入った。
気配を殺して背後に回った彼女は、近くにあった煉瓦で脳天を一撃。
みごと賊を仕留めたのだと聞いている。
そのときの煉瓦は、先の事件でも全焼した火災現場から無事発掘され、新しい店でも引き続きシンボルとして飾られている。
「左手の一番奥だったか?」
「はい、そうです」
答えると公女はずんずんと進んでいき、二階最奥の客室前で立ち止まる。
プルーチェルがノックすると、すぐに反応があり内側からドアが開かれた。
「――あれ」
顔を覗かせた部屋の住人は、口を半開きにして目をしばたいた。
「二人でこんなところに来るなんて珍しい、っていうか初めてか」
「久しぶりだな、シュウ・ミュラー」
「こんにちは、シュウ」
「ああ、うん。ま、入って。椅子一脚しかないけど」
当然、その一脚はオードリィ・ラームウェンに譲られた。
少し戸惑ったが他に場所もなく、プルーチェルはベッドにシュウと並んで腰をかける。
「えっと、なんか飲む? ノンノに頼んでこようか」
「気にするな。注文なら済ませてきた。それより、まずはこれを受け取れ」
公女は言うと、目配せしてきた。
プルーチェルは頷いて返すと、小さなテーブルに持ってきた鞄を置く。
開いて、中身をシュウに渡した。
「改めて、先の一件では世話になった」
公女が言った。
「実際、お前がいなければ状況ははるかに難しく、複雑なものになっていただろう。とりわけ、その倉庫の魔石を確保してくれたことは大きかった」
「ああ、うん」
「先だって軽く報告はしたと思うが、中身を確認したところその中には例のレックスが収納されていた。お前が倒したという奴の残骸が、丸ごと一体分だ」
「やっぱりそうだったか。じゃあ、逃がしちゃったあの――」
「イーノよ。ペンタ・イーノ」
プルーチェルは助け船を出す。
「そのペンタ・イーノは、地下室であれを回収して、爆弾しかけて隠し通路から墓地に来たところだったわけか」
「うむ。既に調査団が地下は調べ尽くしたが、イーノの爆破によってほとんどの証拠品が破壊されていた」
「その後、イーノの足取りは?」
公女は首を振る。
「全く分かっていない。既に国外に出ていたとしても驚かないな。まあそういうわけで、すまんが中のレックスは正式にこちらへ譲渡してもらうことになった」
「え、まさかそのことでわざわざ公女自らがこんなとこまで?」
「そうは言うがお前、知っての通りレックスと言えば、国家が独占して管理する軍事機密の固まりだぞ。その価値は計り知れん。公にはできんが、父上も謝礼という形で買い取りたいと言っている」
「それがこのお金?」
シュウは金貨を満載した袋を、どこか気味悪そうに眺めている。
「そうだ。一財産だぞ。この公都でも、ちょっとした家くらいなら建つ。返却した倉庫の魔石も含めれば相当なものだ」
「これ、オレがもらって良いんだ?」
「元はお前の戦利品だしな」
「ブルーノはどうした?」
「あれは研究機関に回した。最終的には処分されるだろうが、橙血の生きた貴重なサンプルだからな。データを撮り尽くしたと判断されるのはまだ先だろう」
「やっぱり、特殊個体でも元に戻すのは無理なんだ?」
「調べたが、霊屍学的には死体と言える状態なのだそうだ。人工の死血とはよく言ったもので、〈橙血〉の本質はアンデッドという認識で間違いないらしい」
「そっかー」
シュウは後ろに両手をつき、虚空を見上げて大きく息を吐いた。
気持ちは痛いほどよく分かった。
プルーチェルも、村人の姿をした橙血を数多く葬っている。
あれが既に死体だった、という事実は幾分だが気を楽にしてくれるものであった。
「村の調査はまだしばらくかかるが、終わり次第、廃村になることが決定した。これは元住人にも伝えてある。この宿の親子を見ても分かると思うが、彼らには十分な支援金や支度金を与え、新しい環境でも安定してやっていけるよう配慮したつもりだ」
「村に帰りたいっていう人はいなかった?」
「最後までゴネたのが四名いたそうだが、最後は納得してもらったそうだ」
「まあ、仕方ないのかな……」
「お前、辞退していたが良いのか? 村人ではないと言え、今渡したのはあくまでレックスの売却金だぞ。一連の働きについての報償を受ける権利は十分にある」
「んー、まあそれより公爵家に貸しみたいなのを作れるなら、そっちの方が良いよ。オレはこんななりだし、何かあったときに便宜図ってもらうとかの方が助かる気がする」
「まあ、そういうことなら構わんが」
「シュウはこれからどうするか、計画とかあるの?」
気になって、プルーチェルは口を挟んだ。
「んー、それなんだけどね。お誘い通り、冒険者やってみようかなと思ってる」
「ほんと?」
「うん。適性がまったくないってわけじゃなさそうだし」
「ないどころか、すごく向いてると思う。シュウならすぐに評価されて高ランクのレイダーになれるよ」
「そうかな」
「ほう。確かにお前ほどの手練なら期待できそうだ。なんなら推薦状の一つでも書いてやるぞ」
「わ、それ良いじゃない。ね、さっそく手続きしにいかない?」
「え、今から?」
「おい、まて」
公女が冷静に言った。
「その前に、まず腹ごしらえだろうが」
その言葉を待っていたかのようなタイミングで、ドアがノックされた。
「そら来た!」
オードリィ公女が顔を輝かせて飛んでいく。
「おい、お前ら。この勢いで今日は宴だ! おい、ノンノ。あと一〇人前ほど適当に持ってこい」
「オードリィ様、それはいくら何でも食べ過ぎです」
「固いこと言うな。とりあえず乾杯と行こうではないか」
こういうときの彼女は、平時の三倍の速度で動く。
風のような早さでシュウとプルーチェルにジョッキを握らせると、強引にノンノも乾杯に参加させた。
「乾杯は良いけど、何の宴で何に乾杯するんだよ」
シュウがあきれ顔で笑う。
「そりゃお前、アレだ。ほら宴に理由などいらん。乾杯は――そうだな、そう、レイダーになるんだろ。その門出だ」
「まったく、相変わらず無茶苦茶だな」
「あの、シュウさんレイダーになるんですか?」
おずおずといった感じで、ノンノがシュウに問いかける。
「あー、うん。なんかそういうことになりそうなんだよね」
「ようし、お前ら。ジョッキは持ったな」
公女がすでに何かもぐもぐやりながら言った。
見るとかたわらの皿が一つ、早々と空になっている。
「シュウ・ミューラ君の門出を祝して」
こうなると、食べ物で酔える体質だとしか思えない。
オードリィ公女は完全にできあがっていた。
「シュウの未来に」
仕方なく、だが半分は状況を楽しみながらプルーチェルは蜂蜜酒のジョッキを掲げた。
「――乾杯!」
四つの声が重なり、飛沫が舞った。
了
あくまで第一章ということで、アッサリ目に。
第二章以降の構想もありますが、続きを執筆・公開していくかは反響を見て決めようと思っています。




