検屍
霊屍学は、レタル族の天才テュアノメニィアを祖とする学問だと言われている。
世に知れ渡った時、彼女は既に何百年もの研究成果を人知れず積んでいたという。
霊屍学という概念は、テュアノメニィアという賢者を発見した人間が、彼女の持つ知識のごく一部を体系化して名付けたものにすぎない。
死冷。
死斑。
凝血。
硬直。
自家融解。
ラザロ兆候……
ミウラ・シュウの知識でいう法医学に近い分野の概念は、この世界でも霊屍学としてまとめられている。
「――どう、シュウ。何か分かった?」
立ち上がると、背後から遠慮がちな声がかかった。
シュウは振り返り、声の主――プルーチェルにうなずきかける。
「聞きかじりの霊屍学で良ければね」
「分かる範囲で構わないから、お願い」
「まず、死後にここまで運んで捨てたような形跡はないよ。ここが殺害現場だと思う。眼に閉穴反応が出てるから、少なくとも四半刻(約三〇分)前には死んでる。でも一半刻(約三時間)までは経ってないね」
「血、乾ききってないもんね」
商売柄、冒険者も死体と無縁ではいられない。
プルーチェルにも、ある程度の見立てはあったらしい。
「やったのは人間かな?」
「人間だね。右肩に微かながら内出血が残ってるんだよ。強く掴まれた指の痕だった。形状からしてヒト種の手型だ」
つまり――とシュウは続けた。
「プルーチェルが村長だとすると、犯人はこうして一瞬で背後をとったわけだ」
言いながら、プルーチェルの後ろ側へ移動してみせる。
そして、首に抱きつくような形で左腕を彼女の前へ回した。
「で、こう右肩をがっちり掴んで、外側へ開くようにねじり固めた。コレを上手くやると相手の背すじが伸びて、喉元もあく」
実際には触れないようにして、シュウは犯人の動きだけ再現していく。
「村長があっと思った時には、逆の手で握った大型ナイフで喉をスパッだ。鮮やかな斬り口。素人の仕事じゃない」
「――こっちは荷物、調べてみたけど、研究室から持ち出されたはずの資料、なかったのよね」
「となると、犯人の狙いはそれか」
遺体のすぐ近くには、村長のものと思わしき鞄が落ちている。
丸まれば小柄な女性くらいなら収まるサイズだ。
だが、その大きさと裏腹に残った荷の量は異常に少ない。
物取りの犯行に見せかけるつもりすらなかったのだろう。
金品には目もくれていない。
まとまった額を収めた財布が丸ごと残っていた。
「じゃあ動機は、資料の回収と村長さんの口封じ?」
「村長が秘密の抜け道を使って墓地に出てきた瞬間、偶然プロの殺し屋が居合わせたとかでなければね」
「逆に言うと、村長さんを殺した人は、この抜け道のことや研究のことや、村の異変のことも知ってたって事よね?」
「そう考えるのが自然だろうね」
「でも、それって誰? ずっと村人に紛れてたの? それとも、タイミングを合わせてどこからか入り込んだってこと?」
「そこは――まあ」
続ける言葉を持ち合わせず、シュウは肩をすくめる。
それを横目にしたプルーチェルが、盛大なため息をもらした。
途方に暮れたように天を仰いでいる。
「もう、なに……なにが起ってるの?」
そのか細い声は、森の暗がりへ染みこむように消えていった。
「遅い!」
帰還したシュウたちを出迎えたのは、公女様のあたたかい一言だった。
オードリィ・ラームウェンは頬の肉をぶるぶるさせながらシュウちに駆け寄り、仁王立ちの構えを見せる。
「日が暮れるまでには戻れと言ったのを忘れたか」
「申し訳ありません、公女様」
プルーチェルが殊勝に頭を下げるので、シュウも渋々ならった。
「どーも、さーせんっした」
誠心誠意、謝罪の言葉を口にする。
ラーメン公女が柳眉をぴくりとふるわせた。
「王家に連なり低いながらも継承権すら持つ公爵令嬢相手にずいぶん堂々たる態度じゃないか。――お前、度胸があるのかアホなのかどっちだ?」
ずいと顔を寄せてくる。
「どうも。度胸のあるアホです、よろしく」
答えると、今度は口角を引きつらせはじめた。
剣でも抜かれるかと思いきや、公女はすぐに怒りを収めた。
「……まあ良い。お前を最近考案した〈愛の深淵・ワンワンのぷりぷりを添えて三号〉の栄えある被験者第一号にするかどうかは、報告を聞いてから決めるとしよう」
「考案って――オードリィ公女、またお屋敷の敷地内に落とし穴掘ったんですか」
プルーチェルが小さく叫んだ。
「なに、今回は庭師が間違って落ちないように場所を考えてある」
「そういう問題じゃ……」
「まあ、その話はまた後だ。今はとにかく報告を聞こう。お前ほどの使い手が遅れて帰るほどの何かがあったのだろう?」
「あ、はい。それはそうなんですけど」
言いよどむプルーチェルに、公女は脂肪に埋もれて見えない首を器用に傾げた。
「なんだ?」
「いえ、ここでお話しできる内容か微妙で……」
シュウはプルーチェルに釣られるようにして、小屋の内部に視線を巡らせた。
宿屋の娘ノンノ。
それに、脱出を助けた一家三人の姿も当然ある。
彼らは口を挟むこともできず、ただただ不安そうに身を寄せ合っていた。
「そういうことなら、外で話すか」
彼らをちらと一瞥すると、なにか察したように公女は言った。
あわてて自分たちが出て行くと言い出した村民を制し、彼女はさっさと小屋から出て行く。
「――で、一体何が起こっていたのだ?」
森の作業小屋だけあり、周囲には枝を落とした丸太がそこかしこに転がされている。オードリィはそのひとつに腰を落とし、鷹揚に切り出した。
説明はプルーチェルが主になっておこなった。
シュウは一歩引いた位置関係で、求められた時だけ補足の口を開く。
もっともプルーチェルの話は十分整理されており、ほとんどその機会はなかった。
公女はおおむね無言で耳を傾けていたが、
「リックスぅ?」
話が地下室に及ぶと、さすがに黙っていられなくなったらしい。
素っ頓狂な声を上げ身を乗り出した。
「おいおい、リックスと言ったら基本的には国家が独占的に所有する代物だぞ」
「ええ、それは分かっています。私たちも驚きましたから。ね、シュウ」
「うん。まあ、プルーチェルが言うには劣化版らしいけど。信じられないなら残骸がまだ地下に転がってるから、見に行けば良い」
「そうまで言うからには本当らしいな」
オードリィが苦い顔でつぶやいた。
「しかし、そうなると――お前たちが微妙な話だと言い出したのも分かる。その怪しげな宗教家のバックが国家規模の組織、あるいは国家そのものである可能性すら考えねばならんからな。確かに領民には聞かせられん話だ」
考えるときのクセなのか、公女は二重ぎみのあごをさすっている。
ややあって、シュウたちに視線を向けた。
「――それで、村長は見つかったのか?」
「見つかりました。でも、その時には亡くなっていて」
「と言うと、凶暴化した連中の餌食になっていたということか?」
「いえ、それが……」
プルーチェルが助力を求めるようにシュウの顔を見た。
うなずいて返し、二人して墓地でのできごとを説明していく。
回収してきた遺品も、まとめて公女に渡した。
「……どうやら、想像していたより遥かに事態は深刻なようだな」
それが、全てを聞き終えたオードリィ・ラームウェンの第一声だった。
「話を総合すると、村長は〈尊師〉とかいう何者かに良いように利用された挙げ句、用済みと見なされて口封じも兼ねて始末されたように見える」
「はい」
プルーチェルが首肯する。
追従ではない。シュウも同じ考えだった。
「分かった。報告ご苦労。お前たちの働きは、私が期待していた以上に本質へ踏み込んだ非常に意義あるものだったと言える」
「ありがとうございます」
「だが、現状で集まっているのが状況証拠ばかりであることも否定できん。休ませてやりたいが、これからもう一働きしてもらうぞ」
「と、言いますと?」
「私を現場に連れて行け」
「えっ! 今から、オードリィ様ご自身をですか」
プルーチェルの声がオクターブあがる。
シュウも流石にくちばしをいれた。
「それはいくらなんでも危険すぎるだろ」
村にはまだ危険な変異種がうろついている。村長の殺害犯も捕まっていないのだ。
「そうは言うがな。お前ら、分かってるか?」
オードリィがぴんと立てた人差し指を突きつけてくる。
「話が事実なら、これは国王陛下のお耳にも入れなければならんような大事だぞ。レックスの残骸を持ち帰るにしても、他が護衛とどこの誰とも分からん怪しげなケモノ男の話だけでは注進の体も保てんだろう。
まずは公爵にご報告しなくてはならんが、私にお前らの目撃証言だけで話をしろという気か?」
「あー……まあ、そう言われると確かに」
シュウは思わずうなった。
公女は子どもだが、立場と任された仕事は子どものそれでは済まされない。
「まあ、そういうわけだから連れて行け。プルーチェルの――バトライアとかいったか? 移動用封貝を使えば制空権は取れるのだ。そう危険もあるまい」
「ご命令なら……」
「うむ」
うやうやしく頭をたれたプルーチェルを見て、公女は満足げにうなずく。
「ああ、ちょっと待て。行く前に一応、ノンノたちに事情を話しておく」
「おっと、そう言えば俺もノンノちゃんに報告しないと」
シュウは公女に続いて小屋にもどった。
ノンノは、あとから避難してきた一家の娘と仲良くなったらしく、ふたりで何か談笑していた。
近づくとすぐシュウに気づき、緊張した面持ちになる。
「遅くなってゴメンネ」
シュウは屈んで彼女と視線の高さを合わせた。
微笑みかけながら言った。
「宿屋に行ってきたよ。そこのおやじさんにも会った」
「ほんとですか!」
小さな手をぎゅっと握りしめ、身を乗り出してくる。
「うん。お父さんは元気だったよ」
「よかった……」
吉報にノンノは顔を輝かせた。
「元気も元気だったよ。不審者は率先してふん縛って、酒蔵に放り込みそうなくらい元気だった。あれなら大丈夫だろう」
前半部分は不思議そうに首をかしげていたが、少女は結局、笑顔でうなずいた。
その間にも三人家族の方に話しかけていたオードリィが、一際通る声で口調を変えた。
「それでだ。お前たち、念のために訊くが――村長になにか変わったところや、違和感を覚えるようなことはなかったか? ある時期から様子がおかしくなっただとか」
唐突な問いに、村民たちが互いに顔を見合わせる。
どんな些細なことでもかまわんぞ。
公女が強調すると、ようやく三人家族の母がおずおずと手をあげた。
「お孫さんが亡くなってから、しばらく塞ぎ込んでいたというようなことでもよろしいのでしょうか?」
「うむ。そういった類いのことを知りたい。うわさ話程度のことでも構わんぞ。急に金遣いが荒くなったらしいとか、付き合いが変わったとか」
「それでしたら……」
今度は夫の方が口を開いた。
「行商人がたびたび村長の家を訪れていたという噂を聞いたことがあります。普通なら彼らは隊商で村に来るし、広場で荷を広げて私たち村民相手にも商売をするのですが」
そうではなく、村長と個人的な取引だけしてすぐに帰るという業者がいたらしい。
「その行商人が何を持ち込んでいたのかは分かるか?」
「いえ、申し訳ありません。そこまでは。ただ、私も一度それらしい荷馬車を見かけたことがあるのですが、かなりの大型でした」
「その話なら、私も少し聞いたことがあります」
両親に触発されたのか、娘も声をあげる。
「私、村長さんのところで働いていた小間使いの子とは知り合いで。彼女、その馬車の近くを通りかかったことがあるって言ってました。
その時、中から鎖がこすれるみたいな音が聞こえて気味が悪かったって。旦那様は秘密で猛獣でも飼おうとしてるのかなって、怯えてました」
「猛獣、ね――」
公女がまたあごをさすりはじめる。
「良いぞ。私が求めていたような情報だ。他にはないか? 今の女中の話のように、村長の周囲の物事でも構わんのだが」
流石にネタが尽きたのか、短い沈黙がおりる。
その時、シュウは何か後ろへ引っ張られるような感覚をおぼえた。
そちらを見ると、ノンノの小さな手がマントを握っている。
不安げに見上げてくるつぶらな瞳と、視線がぶつかった。
シュウはできるだけ優しく微笑みかけた。
髪をなでてやると、少女はくすぐったそうに目を細める。
「ノンノちゃん、なにか知ってるの?」
ややあって、小さく問いかけた。
それでもどこか迷う素振りを見せていたが、少女は結局、小さくうなずいた。
「心配しなくて良いんだよ。オードリィ公女に教えてあげてくれる?」
やり取りに気づいていたらしく、公女はこちらを静かに待っていた。
「ノンノ、何でも良い。私は情報を欲している。関係なかったり、間違っていたりしても罰することなど決してしない。知っていることがあれば話してくれ」
それでノンノも腹をくくったらしい。
「あの、村長さんの庭師さんのことでも良いですか?」
「もちろんだ」
「えっと、私、村長さんの庭師さんを墓地のところで見ました」
シュウは思わずプルーチェルと顔を見合わせた。
それから平静を装い、少女にたずねる。
「庭師さんが墓地にいるのは珍しいこと?」
ノンノはシュウの目を見て、ハッキリと首を縦に振った。
父親の安否確認という依頼を達成したせいか、彼女はシュウを頼りにしてくれているらしい。庭師が何をしていたのか優しく問うと、彼女はすぐに答えてくれた。
「よく分からないけど、シャベルを持って……掘ってました」
「それを見て、ノンノちゃんは変だな、と思ったんだね?」
「はい」
「この村では――墓地の管理は、墓守小屋に住んでいるケールスという男がひとりでやっています」
三人家族の父が、助け船を出すように言った。
「遺体の引き取りは基本的に日没から日の出までで、埋葬は夜の間にやるのがここのルールです。全部、ケールスの仕事です。特別な事情がある場合は遺族などが付き添うことはありますが、滅多にありません」
「念のために訊くが、ノンノはなぜ墓地などにいたのだ?」
公女の口ぶりは、本当に確認のためといった感じだった。
「お母さんにときどきお花をあげにいくんです」
特に気にした風もなく、ノンノは淡々と告げる。
「そうか、お前のところはそうだったな」
この国に、故人の話を持ち出したことを謝罪する文化はない。オードリィにも悪びれた様子は見られなかった。
「それで、お前が庭師を見たというのはいつの話だ?」
「前の農閑期の時の――朝早くでした」
「庭師が何のために墓地の地面を掘っていたかは確認したか?」
「いえ、ごめんなさい。すごくきょろきょろしてたし、見られたくないんだと思って。少し怖かったし、私、すぐに帰っちゃいました」
「そうか、そういう事情なら仕方あるまい。では、どの辺りを掘っていたのかは覚えているか?」
「えっと……」
ノンノはそこで口をつぐむと、難しい顔で考え込んだ。
「覚えてるけど、口で言うのは難しいです」
農民の墓は、整然とした貴族用とは基本的に別物だ。
土地が限られていることもあり、大抵はとにかく空いた場所に穴を掘っていく。
場所が足りなければ、既にある穴を拡張して数人分まとめて放り込むことすらある。
そのため墓標が規則正しくは並んでいることなどなく、何列目の何番目といった座標指定は不可能に近い。
「では、実際に墓地に行けば、ここと案内することはできるか?」
「それならできると思います」
「では、頼めるか?」
「えっ……?」
「待て待て。まさか今から? もう夜だって言うのに、この子まで引っ張り出す気か」
シュウは腕でかばうように、ノンノの前へ移動した。
「やむをえまい。事は急を要する。お前たちだぞ、証拠隠滅に動いている何者かの存在を示唆する情報を持ち帰ったのは」
村人たちの手前ボカしているが、村長が始末された件を言っているのだろう。
「いや、だからって……」
「レックスを倒せるほどなのだ。お前も並の使い手ではあるまい。そんなにノンノを案ずるなら、お前が守ってやれ。
森で行き倒れているところを助けられたのだ。まさか、父親の様子をちょっと見にいった程度でそのカリが返せたとは、お前も思っていないだろう?」
こうなると、もはや議論では太刀打ちできない。
そもそも公爵令嬢の決定に逆らえる者など、この場には誰もいなかった。
押し切られる形で、ノンノを連れて外へ出る。
オードリィに命じられたプルーチェルがすぐに移動用封貝を呼び出し、全員を空の旅へと誘った。
「大丈夫、ノンノちゃん。怖くない?――っていうか怖いよね」
宿屋の娘は現れたバトライアの偉容にすくみあがり、初めての飛行に怯えきっていた。身体全体をガチガチにして、ぴっとりとシュウに引っ付いている。
決して、眼下に流れる景色を見ようとしなかった。
「手、つないどく? 肉球やわらかいよ」
ピンクの巨大クッションが並ぶグローブを差し出す。
「わ……さわって良いんですか?」
「もちろん」
言うと、おずおずと両の手を伸ばしてくる。
けものグローブはずんぐりとしているため、シュウの手指を何倍も大きくしている。
ノンノの小さな手では余るくらいだった。
「ぷにぷにでやわらかいです」
「気に入っていただけたようで」
「あのう」
遠慮がちにプルーチェルが寄ってきた。
なぜか手もみでもしそうな腰の低さだ。
「私も良い?」
一瞬、なにを言われたか分からなかった。
だが、視線がノンノの両手にそそがれているのを見て悟る。
おそらくプルーチェルはひとりっ子か末子で、妹に憧れがあるのだろう。
そして素直で庇護欲をかきたてるノンノはある種、理想的な妹の条件を備えているに違いない。
「良いんじゃない? ノンノちゃんもその方が心強いだろうし。ね?」
「えっと……」
本人に問いかけると、なぜか彼女は戸惑いの表情を浮かべた。
一方、プルーチェルは何が嬉しいのか満面の笑みだ。
「良いの? じゃあ、遠慮なく」
早口にまくしたてると、瞬間移動のような速度で近寄ってくる。
そうして、いきなり空いたシュウの右腕を取った。
ほとんど抱きしめるようにして、手全体をぎゅっと握られる。
「うわ、ほんと。すっごいやわらかい。なにこれ!」
などと、肉球を触りながら大はしゃぎだ。
「毛並みもふわっふわ」
「そっちかい……」
女性特有のしなやかな手の感触にどぎまぎしつつも、呆れのほうが上回った。
シュウは冷ややかな視線をプルーチェルに突き刺す。
それに気づくと、彼女も流石にばつの悪そうな表情を見せた。
「だって気になるじゃない」
口を尖らせながらも、手は離そうとしない。
それどころか開き直ったように顔を寄せてきた。
「ね、この際だからついでにお願いしちゃうけど、そのむな――」
「おい」
プルーチェルの言葉は、ラームウェン公女によって乱暴にさえぎられた。
「なごんどる場合か、お前ら。ホレ、あれが件の墓地だろう。降下の準備をしろ」
くいと親指でしめされた先には、ヒカリゴケで薄ぼんやりと発光する墓石の群れが見えた。
プルーチェルが慌てて頭を下げる。
「すみません。――バトライア、墓地の中心部あたりでゆっくり降りて」
「いや、待った!」
シュウは抑えた声で鋭く制した。
全員の怪訝そうな視線が自分に集まるのを感じるが、無視して眼下の一点をにらみ続ける。
ダークエルフの夜目。そして、けもの装備の遠視の二つがなければ、シュウもそれを見逃していただろう。
現に、他の三人は未だそれに気づきもしない。
だがシュウには、墓石のひとつが小さく揺れているのがハッキリと見えていた。
少し前、プルーチェルと通った地下通路の蓋になっている墓標だ。出てきたあと、元の位置に戻してあった物が――今、また動き出している。
次の瞬間、それは支えが取れたように大きく傾ぎ、ドンという重たい衝撃音を響かせて倒れた。
シュウの隣で、ノンノがびくりと身体を震わせる。
直後、地下の穴から人影が軽い身のこなしで現れた。
目深にかぶったフードと全身を覆う長衣が、あからさまにその素性を隠している。
ここまでくると、周囲のヒカリゴケを光源として常人でもその人物を視認することが可能になる。
一様に息をのむ気配が、それを証明していた。
「是非とも、話を聞かねばならん奴が現れたな」
公女の声は、興奮と緊張がないまぜになっていた。
同感だった。
あれが誰であれ、おそらくこの異変に深く関わっている。
飛び出すタイミングをうかがいウズウズしていると、ローブの男が歩きはじめた。
そのまま立ち去るかと思いきや、十数歩ほど進むと立ち止まる。
身体ごと振り返り、なぜか出てきた脱出路を眺めだした。
そのまま何かを待つように動かない。
いや、本当に誰かを待っているのか?
胸のうちにそんな疑問がよぎった。
「なんだ? 奴は一体なにをし――」
同じ問いをオードリィが口にしかけた瞬間だった。
墓石が倒れた時とは比較にならない、ズウゥン……という地響きが周囲に轟き渡った。
上空からでも、文字通り大地が震えたのが分かる。
すっぽ抜けた小さな墓石が冗談のように飛び上がり、そのままばたばたと倒れていくのが見えた。
もうもうと土煙が立ちこめる。
森の木陰から、眠っていた野鳥たちが一斉に空へ飛び立っていった。
それから数拍遅れて、地下通路につづく穴から火柱が高く立ち上った。
周辺空間が急速に膨張する。
ほとばしる爆光が、墓地全体を昼間のように照らし出した。
熱風に炙られた下草が狂ったように暴れる。
ばらまかれた衝撃波は、当然のように上空のバトライアまで及んだ。
ノンノが小さな悲鳴をあげる。
シュウは、爆炎が空中で渦巻き巨大な火球のように形を変えたあと、コバルトの夜空に溶け込むように消えるのを見届けた。
そして、ローブの人物が待っていたのが〝これ〟であることを理解する。
同時、シュウは叫んだ。
「プルーチェル、ノンノを頼む!」
言い終わらないうちに、バトライアの背から身を翻した。
落下の加速度をそのままに、一気にローブの人影へ急襲をかける。
「……ッ!」
頭上からの蹴りが突き刺さる間際、向こうがシュウに気づきバッと顔を跳ね上げた。
すんでのところで回避される。
だが、ここでも神器が物を言った。
足の裏の肉球クッションが、ミサイルと化したシュウを衝撃から完全に保護する。
それどころか弾む感覚さえあった。適度な反動をつけ、次の攻撃への推進力を与えてくれる。
――ありがたい!
シュウは再加速し、追撃をしかけた。
殺す気はなかったが、手足の骨を粉砕するくらいは構わないと、ほとんど手加減はしない。
なぎ払うような裏拳は、完全に予想外だったのだろう。
今度は避けきれず、ローブの人物はとっさの防御で対応してくる。
それでも手応えはあった。
ガード越しにもダメージを受けたらしく、相手が奥歯を噛みしめたのを感じる。
「ぐっ」という微かな苦悶のうめきすら聞こえた。
ブラーインはもともと俊敏さと技のキレで勝負する種族だ。
勢いは止めない。
シュウは独楽のように回転しつつ、地面を這うような低い蹴りを放った。
狙い通り飛んで回避させると、こちらも追いかけるように飛び上がる。
フックとアッパーの中間的な拳を、腹めがけて思いっきり叩きこんだ。
なんとか、といった感じでこれもガードされたが、感触はさっき以上だった。
衝撃が相手の全身に伝播したのが分かる。
それを証明するように、フードが吹っ飛ぶようにずれた。
刹那だが敵の顔が大きく露出する。
贅肉をナイフで限界までそぎ落としたかのような、痩けた男だった。
「観念して、大人しく捕まりなよ」
後ろへ大きく吹っ飛んだ男へ言葉を投げた。
今のやりとりでお互い分かったはずだ。
シュウと男との間には、かなりの力の差がある。
たとえけもの装備がなくても互角以上にやれる自信がシュウにはあった。
「その通りだ。もう逃げられんぞ」
上空からオードリィの声が降ってくる。
相変わらず、無駄によく通る声だった。
封貝を使えるようになったからか、後方の死角に浮いているバトライアの気配や、そこから射撃用封貝を構えていることもシュウにはなんとなく感じられた。
ならばローブの男は地上からシュウに、空からはプルーチェルの銃に狙われていることになる。
確かにもう逃げられないだろう。
だというのに、男にはまだ妙な余裕が感じられた。
それは気のせいではなかったらしく、口元に不適な笑みを浮かべはじめる。
なにかあるのか――?
こちらが敵の切り札を警戒しはじめるのと同時、男がすっと腕を持ち上げた。
そしてシュウたちの背後、村の方を指さす。
まるで見計らっていたように、直後、まさにその方角からボンっという爆発を思わせる破裂音が響いてきた。
空の一部が、瞬間的に明るくなったのが分かった。
村はずれの墓地から換算すると、距離的に――
「あれは……」
同じことを察したのだろう、プルーチェルの呆然としたつぶやきが耳に入った。
最悪なのは、この場にノンノを連れてきていたことだった。
「お父さんっ!」
悲痛な叫びが夜のしじまを引き裂いた。
聡い少女は、方角と距離から爆発の発生源を即座に理解してしまったのだ。
まずい――
シュウの背を嫌な汗が伝う。
爆発自体もそうだが、問題は村中に轟きわたった大音響だ。
あれだけの音量であれば、全ての〝連中〟を引き寄せてしまうだろう。
そして、ローブの男の狙いはまさにそれだったのだ。
仲間がいるのか。
それとも、地下施設の爆破と連動する仕掛けを構築していたのか。
いずれにせよ、宿屋の炎上は最初から企画されていたに違いない。
シュウは男を睨みつけるが、それが問題の解決にならないことは分かっていた。
「オードリィ、どうする!」
大声で依頼人に問いかけた。
シュウだけこの場に残ることもできる。
そうすれば、目の前の男を倒し、捕らえることはできるだろう。
だがその場合、宿屋とそこに避難している大勢がどうなるかは分からない。
現段階で彼らが無事だとしても、群がってくる〝連中〟をさばききることはできまい。
波に飲まれて遠からず全滅だ。
プルーチェルが優秀な戦士であることは認めるが、防衛戦ではやれることが限られる。
単騎では全てを守り切るのは困難なはずだった。
「シュウ、今の爆発は宿屋である可能性がある。総員で救助に向かうぞ!」
ほとんど迷わず、公女が叫び返した。
「良いのか」
「やむを得ん。ここは領民の人命が優先だ。急げ! 全責任は私が取る」
そうとなれば、否やはない。
シュウは悔しまぎれに男をもう一度睨みつけ、踵を返しかける。
と、その時、足下に光る物の存在に気づいた。
倒れた墓石の隙間に隠れるようにして、何か場違いなものが転がっている。
拾い上げると、占い師の水晶を思わせる手のひら大の球体だった。
それを見た男が、はっと息を飲むのが分かった。
無意識にかその手が懐を探っている。
ピンときたシュウは、口角を吊り上げながら言った。
「どうやらコレ、おたくの持ち物みたいだね?」
おおかたシュウの攻撃を受けた際、衝撃で落としたか何かだろう。
見せつけるように軽く上へ放り、再びキャッチする。
「悪いけど、見逃すかわりにいただいとくよ。文句があるなら取りに追いかけてきてくれても、構わないけどね」
本人しか分からない事情と天秤にかけているのだろう。
ローブの男は逡巡するような仕草を見せた。
しかし、結局は動かない。
動けない。
その様子に、こちらはニヤリと笑ってみせる。
歯がみする男にいささか溜飲を下げつつ、シュウは今度こそ走り出した。




