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円環の聖女と黒の秘密  作者: 藤瀬京祥
二章 クラカライン屋敷
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94 アーガンの膝

PV&ブクマ&評価&感想&誤字報告&いいね、ありがとうございます!!

「……じょりってした。

 ノエル、いや。

 アーガンさま、ちくってした。

 ノエル、いたいの、いや」


 この朝、いつもより早く起きたアーガンは普段着慣れない礼服を着用するため、リンデルト卿屋敷から呼び寄せた自分の側仕えに身支度を手伝わせた。

 話を聞いたリンデルト小隊の面々も手伝うと言ってきたが、彼らには同行するイエルの手伝いを頼み、自分は側仕え一人に任せることにしたのである。

 朝早くからイエルの部屋に集まった面々は面白半分で、ずいぶん賑やかにしていたらしい。

 そしてイエルと二人、身支度を調え終えると彼らにチェックしてもらったはずなのに、まさかの髭の剃り残しがあったとは……


 痛恨の極み


 思いもかけないノエルの拒否にあったアーガンは、無意識のうちに自分の頬に手を当てて剃り残しを探す。

 そして見つけると我に返り落ち込む。

 さらにはこれが原因でノエルに嫌われるのではないかと慌てて言い訳を始める。


「姫様、これは、その……」


 だがあまりにも焦りすぎてしまい、なんと言い訳をすればいいのかわからず口ごもると、テーブルを挟んで向かいにすわるミラーカが少し低めの声で 「アーガン」 と弟を呼ぶ。


「はい、姉上」

「身だしなみ一つ整えられないなんて、まだまだですね」

「面目ございません」


 母や姉に頭の上がらないアーガンは、部下の前であることも忘れてミラーカに頭を下げる。

 そのまま重い空気が流れるかと思いきや、弟を叱った口調とは一転、ミラーカはことさら明るくノエルに話し掛ける。


「姫様、今後、ほっぺたにスリスリするのはしろちゃんたちとだけの特別な挨拶にいたしましょう」

「……とくべつ……」


 ぼんやりとした顔でミラーカを見返すノエルに、ミラーカは語気を強めて、だが笑顔で 「ええ」 と返す。


「しろちゃんたちは姫様にとって特別なお友だちです。

 ですからしろちゃんたちとだけの特別な挨拶です」

「しろちゃん……」


 ノエルなりにミラーカの話を理解しようとしているのだろうか?

 呟きながらも膝に抱えているももちゃんをじっと見る。

 もしここにアルフォンソたちがいれば 「それはももちゃんです」 などと突っ込みそうだが、幸いにして彼らはおらず、考えるノエルの邪魔する者はいない。

 なぜかとなりにすわるアーガンがなにか言いたげにノエルを見ていたのだが、不意にパッと明るい表情をしたノエルが 「わかった」 と応えた瞬間、なぜかがっくりと肩を落とす。


「……アーガン」

「なんでしょうか、姉上」

「なぜあなたががっかりするのです?」

「いえ、別に……」


 アーガン自身、自分がなにに肩を落としたのかはっきりわからないが、ノエルが 「わかった」 と答えた瞬間に落胆を覚えたのは事実である。

 もちろんアーガンもわかっている。

 ミラーカの指摘を受けなくてもちゃんとわかっているのである。

 ノエルがクラカライン家の姫である以上、自分が特別な存在であってはいけないのだと。

 わかっていても、やはりがっかりしてしまったのである。

 そのことにミラーカが気づいているかどうかはわからない。

 だが少なくともノエルは気づいておらず、すぐそばで交わされる姉弟の会話をよそに、改めてももちゃんをぎゅっと抱きしめると頬を寄せてスリスリ。

 愛らしい姿を周囲の大人たちに見せつける。


「ももちゃん、かわいい」


 嬉しそうにそう言うと、なぜかももちゃんをアーガンに突き出す。


「姫様?」

「あのね、ももちゃん、ひのにおい、すき」

「火の匂い?」


 アーガンがクラカライン屋敷に到着する直前にもそんなことを言っていたことを知らないアーガンだが、それよりももっとずっと以前に、赤の領地(ロホ)からの旅の途中で似た言葉を聞いた覚えがあった。


(確かあの時は水の匂いだったはずだ)


 そしてアーガンたちはノエルの鼻に導かれ、季節的に涸れているはずの川に水が残っていることを知ることになったのである。

 それが今回は火の匂いである。

 アーガン自身が赤の魔術師であることに関係があるのかもしれない。

 そう気づいてチラリと姉のミラーカを見るが、ミラーカも思案げにノエルと弟を見ている。


「アーガンさま、ひのにおいする。

 ももちゃん、アーガンさま、すき」


 たどたどしくも頑張って話すノエルは、ももちゃんをグイグイとアーガンに押しつける。

 これはどういう意味なのか、どうすればいいのかとアーガンは戸惑うが、ノエルはお構いなくももちゃんをグイグイと押しつけてくる。


「あの、隊長」


 同席する三人の側仕え同様、魔術師ではないイエルには、それこそ 「火の匂い」 なんて言われても全くわからないし、それに意味があるかどうかすらわからない。

 だがノエルがなにを望んでいるのかはなんとなくわかった。

 そこで遠慮がちに助け船を出そうとすると、アーガンは困惑も露わにイエルを見る。


「イエル」

「とりあえず、そのぬいぐるみを……」

「イエルさま、ももちゃん」


 いつもぼんやりしているノエルにしては珍しいほど珍しいタイミングで入れてくる訂正に、イエルは少し慌て気味に 「あ、はい」 と答えると、やはり慌ててアーガンを視線を戻す。


「えっと、ももちゃんを預かってはいかがでしょうか?」

「こ、こうか?」


 イエルに言われるまま、まるで無縁と思われるぬいぐるみをノエルから受け取ったアーガンは、ぎこちない手つきで、ノエルを真似てももちゃんを自分の膝にすわらせる。

 そしてノエルに伺いを立てる。


「これでよろしいでしょうか?」

「ももちゃん、うれしい」


 どうやら正解だったらしい。

 満足げなノエルを見てアーガンはホッと胸をなで下ろし、イエルは苦笑を浮かべる。

 だがこれで終わりではない。

 ももちゃんをアーガンに預けたノエルは、一緒にすわっている他の三体の中から、今度はみどりちゃんを空いた自分の膝にすわらせる。

 そしてアーガンに話し掛ける。


「あのね、みどりちゃん、おはな、すき」

「そういえば、部屋にも飾られていますね」


 いつもは寝台の横と居室に一つ、大きめの花瓶に花が飾られているのだが、今日は部屋を華やかにするため、小さめの花瓶に小振りな花束を生け、居室の所々に飾ってある。

 もちろんこの花が通常より長く保つことをアーガンは知らないまま、楽しそうに話すノエルに穏やかな相槌を打つ。


「おそと、さんぽする。

 はな、くさもいっぱいある」

「草……ああ、温室ですね。

 そういえばこちらの屋敷には大きな温室がございましたね」


 アーガンの話にノエルは大きく頷く。


「みどりちゃん、くさみるの。

 あおちゃんもいく」


 そう言って今度はあおちゃんを小さな膝に乗せる。


「あおちゃんも花や草……草なんですか?」

「くさ、いっぱいある」

「そ、そうですか」


 クラカライン家の温室にある、花の咲いていない植物をノエルは一律に草と呼ぶ。

 これはミラーカも何度となく修正しようとしたのだが、未だ直せていないまま。

 ノエルと話すアーガンの戸惑いに、ミラーカは小さく咳払いをする。

 おそらく 「そこには触れないように」 ということだろう。

 ノエルの楽しい時間に水を差すなという意味もあったに違いない。

 一瞬はバツの悪さを覚えたアーガンだったが、すぐに気を取り直してノエルとの会話を楽しむことにする。


「温室に入られることは閣下がお許しになったのですか?」

「セイジェルさま、いいっていった」

「そうですか。

 温室までお散歩されるんですね」


 話しているうちに少しずつ落ち着きを取り戻したノエルは、話し方も少し落ち着くが語彙の少なさは変わらない。

 アクセントもなく平板な話し方も変わらず。

 そして時々会話が噛み合わなくなるのも変わらず。

 だがそういう時は、当然アーガンが合わせる。


 本来ならばアーガンは客で、ノエルはホストとして客をもてなす側である。

 貴族の子弟ならそういったマナーを覚え始める年齢でもあるが、今のノエルにそんなことが出来るはずもなく、アーガンもそれはわかっている。

 ましてクラカライン家の姫である。

 例えノエルが作法を覚えても、ホストを務めることが出来るようになっても、招かれた側がノエルを楽しませなければならないのである。


 アーガンにはノエルを楽しませるような話題はなかったけれど、幸いにしてノエルはアーガンと会えたことがとにかく嬉しくて、クラカライン屋敷に来てからのことを色々話したがる。

 聞いて欲しくてたまらない様子が端から見ていてもわかるほどで、アーガンもそんな様子を見て安堵していた。


「姫様、そろそろ昼食をいただきましょうか」


 席を外していたジョアンが戻ってきたと思ったら、こっそりとミラーカに耳打ちをする。

 おそらく食事の支度が出来たことを報せたのだろう。

 大きく頷いて答えたミラーカは、ノエルを見てそう言う。


「アーガンさまもたべる」

「ありがたくご相伴にあずからせていただきます」

「イエルさまもたべる」


 アーガンのお伴という立場で同行してきたイエルは、本来ならば椅子にすわることも許されない立場である。

 この場だけならば見ているのはリンデルト姉弟と三人の側仕えだけ。

 養育係でもあるミラーカの許可の元、ノエルに請われるまま椅子にすわることになった。


 だが食事となれば給仕などで他の使用人もいるだろう。

 さすがによろしくないと思ったのだが、断られるとは微塵も思っていないノエルの顔を見るとなにも言えなくなる。


「い……わたしは……」

「騎士イエル、姫様の招待です。

 断ることは許されませんよ」


 ミラーカの言葉からも、おそらく食事はイエルの分もすでに用意されているのだろう。

 もちろん用意してもらえるのはイエルとしてもありがたいが、お伴として使用人扱いしてもらったほうが気が楽だった。

 だがミラーカにまで言われてしまうと断れないとわかっているが、それでも最後の足掻きとしてアーガンに助けを求めたのだが……


「ありがたくご相伴にあずかれ」


 アーガンにまでそう言われてしまえばイエルも 「はい」 としか返せなかった。

 幸いだったのは、屋敷の主人である領主が不在であること。

 そして正式な食事会ではないため、マナーにもさほど厳しくはなかった。


 もちろんイエルも、平民出身とはいえ騎士の叙位を持つ身である。

 剣技以外にそういったマナーも基本を叩き込まれているが、礼服を着用するだけでも肩が凝る。

 そんな状態で滅多に使わないマナーをしまい込んだ記憶の引き出しを引っ張り出すには滑りが悪く、上手く中身を取り出せないことが多い。

 そんな状態だから、普段食べられないような豪華な食事を出されても、マナーばかりが気になってとても食べた気にはならない。

 だが拒否することは許されなかった。


 ジョアンの案内で一行が向かったのは、ノエルたちが普段使っている家族のための食事室ではなく、少し広めの食堂である。

 いつもはセイジェルの席がある場所にノエル専用椅子が置かれており、当たり前のようにウルリヒが待ち構えていた。

 そして当たり前のようにノエルを抱え上げて椅子にすわらせるのだが、その姿を見てアーガンはふと思い出す。

 朝のアルフォンソとヘルツェンの会話である。


(筆頭殿に負けたのか)


 もちろん二人のあいだでどんなやり取りがあったかはわからないが、ここにウルリヒがいるということは、おそらくアルフォンソが勝ったのだろう。

 そんなことを考えながら示された席に着く。

 それにならってイエルもまた、案内された席に着く。


 そうして全員が席について昼食が始まったが、若くて体も大きいアーガンやイエルがノエルと同じ食事ではとても足りるはずがない。

 もちろんそれは屋敷側もわかっている。

 だから二人の前に運ばれてきた料理は、それこそ昼からこんなに食べてもいいのかと気後れしてしまいそうなほど豪華な食事(メニュー)だったが、チラリと見たノエルの食事(メニュー)にアーガンは落胆を覚える。

 まるで自分たちとは違う質素な内容だったからである。


(やはり肉は召し上がれぬか)


 それでもスープだけでお腹がいっぱいにならないように小振りな皿に盛られ、他にサラダや甘く煮たニンジンに固ゆでの卵などが用意されている。

 しかもナイフが上手く使えないノエルのため、それらは最初から一口サイズに切られたものが用意されている。

 使うカトラリーも大人たちの物より小振りで、よく見ると可愛らしい花柄である。


「あのね、ノエルのおさら。

 ふぉーく、ノエルの。

 すぷん、ノエルの」


 そうやってノエルが嬉しそうに一つ一つ見せてくれる物を、

 アーガンは 「そうですね」 とか 「よかったですね」 と、返事こそなおざりだが、そうやってノエルのために用意された物を一つ一つ見てノエルの扱いを確かめる。

 ミラーカがいれば無下に扱われることはないとわかっているが、それでもやはり、見せてくれる物の一つ一つがノエルのために用意された物で、決して安価な物ではないとわかると、やはり安堵を覚えるのである。


「いすも、いすも、ノエルのいす」


 終始楽しそうな様子のノエルは、アーガンと話したくて話したくてたまらず食べる手が止まってしまい、時々ミラーカに 「姫様、食事が冷めてしまいますわ」 と遠回しに促される。

 その相手をするアーガンはこういった場での食べ方を心得ている。

 和やかに会話をしつつ、そうとわからないように、それでいて優雅にマナーを守って確実に食べ進めるのである。


 そんなーガンの隣にすわるイエルも、最初こそ恐縮して食が進まなかったが、次第に場に慣れてくると、アーガンとノエルの会話に参加しつつもしっかりと味わって食べるようになる。

 もともと順応力が高く、たいがいのことはそつなくこなす器用なイエルである。

 ここでもその才能が発揮されたらしい。


 いつもより少しゆっくりした昼食が終わるとノエルは散歩に行きたがったが、この日は肌寒かったため、朝の出迎えは許したミラーカだったが散歩は許可しなかった。


「ノエル、しょんぼり。

 おそと、いきたかった」

「また今度行きましょう」

「アーガンさま、またくる」

「もちろんです。

 さぁ今日は部屋でゆっくり話しましょう」


 そうアーガンにも促されて部屋に戻ると、少しのあいだはしゃぎながらアーガンに話し掛けていたノエルだったが、不意に大きなあくびを一つ。

 そしてアーガンの膝に両手を着き、赤の領地(ロホ)からの道中にそうしていたようにアーガンの膝を枕にしようとする。


「アーガンさま、おひざ」

「姫様、お休みになるんですか?

 でしたら寝台で横になられたほうがいいでしょう」


 アーガンはそんなことを言いながらも、ノエルから預けられたももちゃんを反対側の膝に寄せ、求められるままに腕を上げて膝を提供する。

 するとノエルはそのままアーガンの膝を枕に眠ってしまったのである。


「……とても可愛らしい図ではありますけれど……」


 テーブルを挟んで向かいにすわるミラーカがおもむろに口を開く。

 その言葉が途切れたところでアーガンが 「姉上?」 と声を掛けると、ミラーカの視線がイエルを見る。

 そして言葉が継がれる。


「どうせならイエル殿のほうが……」


 イエルのほうが絵になる。

 たぶんそう言いたかったのだろう。

 だが弟への情けなのか?

 最後まで言わなかったミラーカだったが、残念そうに溜息を吐いてしまい本音が漏れる。

 おかげで場に気まずい空気が流れそうになったが、ニーナとジョアンが払拭する。


「まぁミラーカ様、公子様も十分すぎるほど素敵な殿方ですわ」

「お嬢様は坊ちゃまを見慣れすぎているだけでございます」

「二人ともなにを……」


 ミラーカが本音を隠しきれなかったように、アーガンも、思わぬ二人の擁護に照れを隠せなかった。

【ラクロワ卿オーヴァンの呟き】


「まったく、ルクスの奴はなにをやっておるのだ。

 領主ランデスヘルに逆らったところでエセルスが白の領地(ブランカ)に戻ってくるわけがないというのに、いつまでも子どものように駄々をこねて。

 むしろ不興を買って帰郷が遠のくというのに、どれだけエセルスに心配を掛ければ気が済むのか。

 いい歳をして、いい加減兄離れをせんか!」

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