91 ニーナの職探し (5)
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昼間は同じ公邸で仕事をしているセイジェルとセルジュだが、それぞれに執務室があって顔を合わせることはあまりない。
お互いの職務上全く顔を合わせないということもないのだが、それほど多いことではない。
終業時間もそれぞれで、帰る先は同じクラカライン家の屋敷だがそれぞれで戻る。
だからこの日、セルジュがいつもより早めに屋敷に戻ったことをセイジェルは知らなかった。
いつもと同じ時間に屋敷に戻ったセイジェルは、いつものように自室に戻って着替えをし、少しばかり書類に目を通すなどの雑事を片付けてから食事室に現われる。
ミラーカがセルジュに伴われて現われたのはその少しあとのことである。
「セイジェル、食事のあとに少し時間をもらえないか?」
自分の席に着きながら話し掛けるセルジュに、セイジェルは 「わかった」 とだけ答える。
その時に紫色の瞳がチラリとミラーカを見たから、おそらくミラーカの用件だということは見当がついていたのだろう。
だがこの場ではそれ以上を言わず、いつものように食事を始める。
「日々の糧を恵み給う光と風に感謝を……」
ノエルは一足先に食事を済ませてすでに休んでいるため、大人三人での夕食はいつものように静かに始まり、やがて静かに終わる。
そして場を、マディンの先導で食事室からほど近いところにある談話室に移すと、セイジェルは一人掛けの椅子に掛け、そのそばに二人の側仕えが控える。
セルジュのエスコートでミラーカが三人掛けの椅子に掛けると、続いて隣にセルジュが掛ける。
そして二人のうしろにミラーカの側仕えが控えて全員が揃った……と思ったら、最後にもう一人、若い女性使用人がこっそりと入室し、マディンの傍らに控える。
ニーナである。
セイジェルにとっては見慣れない使用人だが、着ている衣装を見ればすぐにノエルの側仕えだとわかったに違いない。
だが興味はないニーナには目もくれることなく、セルジュとミラーカ、どちらにともなく話を切り出す。
「……それで、どうした?」
促されたセルジュがチラリとミラーカを見ると、すわったままのミラーカはニーナを見ながら話し出す。
「実は困ったことが起こりましたの」
そう切り出すと、まずはニーナを紹介する。
ミラーカの話に合わせて頭を下げるニーナだが、主人であるセイジェルに挨拶はさせてもらえなかった。
もちろんそのことにニーナも不満はない。
当然のことだとわかっている。
なにしろ相手は白の領地の領主であり、クラカライン家の当主である。
新しく入ったばかりの使用人が口をきける相手ではない。
ニーナのほうから話し掛けることはもちろん、話し掛けてもらえるわけもないのである。
(あの方が領主様。
こ、こんな近くに領主様がいるなんて……)
現在進行形で領主と同じ部屋にいて同じ空気を吸っていることにただただ恐縮し、緊張して身を小さくしながらミラーカが話し出す本題に耳を傾けるが、全然内容が頭に入ってこない。
ミラーカもそんなニーナの様子に気づいていたかもしれないが、ここはあえて気にせずセイジェルと話すことに集中する。
問題の解決が先決だと考えたのである。
「……なるほど」
一通り話を聞き終えたセイジェルだが、やはりニーナを見ることはない。
彼が話をする相手はあくまでもミラーカであり、セルジュである。
「なるほどではございません。
このままではいつまで経っても姫様の側仕えが決まらないではありませんか」
考え込んでいる風ではあるが、それ以上のことを言わないセイジェルに、ミラーカは少し苛立ったように返す。
「確かに。
だが原因がわからないのだろう?」
「ですから困っているのです」
「ふむ」
思案げに、肘掛けに頬杖をつくセイジェルだが、ふとなにかに気づいたように自身のそばに控える二人の側仕えを一瞥する。
そして声を掛ける。
「ヴィッター」
「旦那様は本気でわからないのですか?」
辛辣に返すヴィッターの隣でヘルツェンが 「わたくしも気づいておりましたのに」 と文句を言っていたが、セイジェルは聞こえない振りをしてヴィッターに答える。
「わからないな」
「左様でございますか」
素っ気なく返してふいっとそっぽを向くヴィッターだが、改めてセイジェルに促されると、仕方なさそうに、それでいて嫌そうに答える。
「……その衣装です」
あとを受けたヘルツェンの説明によると、ニーナに支給された側仕えの衣装にノエルが恐怖感を持っているというのである。
セイジェルの命を受けたセルジュとアーガンが、赤の領地なでノエルを迎えに行っているあいだ、同じくセイジェルの命を受けたマディンが用意していたノエルの三人の側仕え。
だが彼女たちは、領都ウィルライトに到着したばかりで右も左もわからないノエルにとんでもない狼藉を働いたのである。
ノエルはその時の恐怖を、彼女たちが着ていた衣装を見て思い出したのだろう……とヘルツェンは話す。
「つまり姫様は、ニーナに怯えているのではなく衣装に怯えていると?」
思ってもみなかったことに、だが確かにありうる可能性にミラーカは驚く。
「姫は、わたしたちが思っている以上に記憶力もいいようなので」
「姫様はとっても賢い方です!」
セイジェルの追及には言い渋ったヴィッターだが、ミラーカには皮肉を込めて返す。
それに対してミラーカが即座に言い返したことはいうまでもないだろう。
だがどんなに強くぴしゃりと返されてもヴィッターはどこ吹く風。
痛くも痒くもなければうるさくもない……と言った体どころか、まだなにか言いたげなミラーカを無視して主人に話し掛ける。
「旦那様ともあろう御方が、こんな簡単なことにも気づかれないなんて」
「そのお美しい紫水晶はお飾りだったのでございますね。
でしたらわたくしたちにくださいまし」
「是非是非。
さぞ強力な魔宝石になりましょう」
相変わらず主人に対しても言いたい放題の側仕えたちに、聞き慣れているセルジュやミラーカはただ呆れるばかりだが、初めて聞くニーナは驚きを隠せない。
彼らが、暇潰しで側仕えをしているお抱え魔術師だということはミラーカから聞いて知っていたが、まさか主人の目玉をえぐろうとするとは思いもよらず。
このままでは自分もろくな処遇を受けないのではないかと不安になり、表情を強ばらせてやり取りを見守る。
「欲しければわたしより長生きするんだな」
(それはつまり、旦那様のご遺体から目玉をえぐり出してもいいと?)
これもまたニーナには意外な返答だったが、セルジュやミラーカにはいつものこと。
また悪趣味なじゃれ合いを……と言わんばかりに呆れている。
(魔術師様ってこんな感じなのかしら?)
そんなことを思いつつ、ミラーカやマディンに言われたことに納得し、改めて彼らとはなるべく関わらないようにしようと考えるニーナのそばで、これまでニーナ同様に黙って事の成り行きを見守っていたマディンがひっそりと口を開く。
「旦那様」
「人ではなく物ならば解決方法は簡単だ。
作り直せ」
「申し訳ございません」
「手配は任せる」
「かしこまりました」
ノエルに狼藉を働いたあの三人の側仕えを手配したのはマディンである。
あの事態の結果、そして今回の事態を招いたことに責任を感じているのだろう。
本来のマディンの仕事はここまでだが、この日はさらに主人に伺いを立てる。
「ではエデエにはしばらく別の仕事をさせて、大変申し訳ございませんが、リンデルト卿家令嬢の側仕えに、もうしばらく姫様のお世話をお願いするということでよろしいでしょうか?」
もちろんニーナに文句はない。
そもそも使用人頭の提案に主人が頷けば決定である。
一使用人に過ぎないニーナに意見などする余地はない。
しかもこの提案はニーナを解雇しないための措置なのだからむしろ感謝するべきだろう。
ニーナがそう思っていたら、ミラーカがさらなる提案をしてくる。
「閣下、それでしたらわたくしに提案がございますの」
先程ヴィッターに 「美しい紫水晶」 と言われたセイジェルの目がチラリとミラーカを見る。
するとミラーカは自信満々に続ける。
「新しい衣装が出来るまで、ニーナには我が家の衣装を着させてはいかがでしょう?」
我が家の衣装とは、もちろんリンデルト卿家の側仕えの衣装である。
ミラーカの側仕えであるジョアンとアスリンは、クラカライン家でもリンデルト卿家から支給された側仕えの衣装を着て、ずっとノエルの世話をしてきたのである。
つまりノエルは、リンデルト卿家の側仕えの衣装には免疫がある。
ならばニーナもリンデルト卿家の側仕えの衣装を着れば、少なくともノエルが怯えることはないのではないかと考えたのである。
それに、いきなり新しい衣装にするより、まずは見慣れた衣装でノエルを安心させてはどうかとも提案する。
「同じ衣装を作るのはいいが、出来上がるまでどうする?」
もちろんリンデルト卿家と全く同じものを作ることは出来ない。
それでも似た物ならばノエルも安心すると考えたらしいセイジェルだが、ミラーカは 「そうではございません」 と否定する。
「こちらで作っていただくのは新しい衣装でございます。
それまでは、アスリンの衣装ならば丁度いいでしょう」
アスリンとニーナ、似た体型の二人ならば衣装の貸し借りも出来るだろう。
そう考えたミラーカの提案を受けてセイジェルも応える。
「借り受けてもよいのか?」
「他ならぬ姫様のためですから」
きっとニーナのためでもあったはず。
だがあえてノエルのためだけを主張するのはミラーカなりの気遣いである。
「……では厚意に甘えるとしよう。
マディン」
「かしこまりました」
主人の呼び掛けに応えたマディンは、続けてミラーカに向けて 「ありがとうございます」 と頭を下げる。
それを見てニーナも慌てて頭を下げる。
「この礼はいずれ」
「わたくしにではなくアスリンにお願いしますわ」
「そなたの側仕えは二人だな」
「ええ、二人おりましてよ」
それがどうかしたのか? ……と尋ねるミラーカにセイジェルは返す。
「では礼は二人にしよう。
これまでもあれが世話になったが、もうしばらく世話になるからな。
その礼も兼ねて、褒美を弾ませてもらう」
今この時も二人の側仕えはミラーカのうしろに控えている。
だがセイジェルが使用人に話し掛けることはない。
彼の話し相手はあくまでもミラーカである。
もちろんミラーカもそれはわかっている。
「よかったわねジョアン、アスリン」
「もったいのうございます」
すわったままのミラーカが、少し体を捻るようにうしろの二人に話し掛ける。
するとマディンよりも歳上のジョアンが、落ち着いた様子だが、やはり嬉しそうに応える。
その隣ではアスリンも 「楽しみでございます」 と、やはり嬉しそうに応える。
このミラーカの提案は早速明日の朝から……という話になり、その準備をするべくニーナはアスリンの部屋に。
つい数日前までリンデルト卿家で見習いとして働いていたニーナは、やはり体型の似たリンデルト卿夫人システアの側仕えから衣装を借りて着ていたから、クラカライン家から支給された真新しい衣装より馴染みがあったが、それを着て再びノエルと会うとなるとやはり緊張するもの。
これでもノエルがニーナを怖がれば、おそらくクラカライン家が衣装を作り直しても意味がない。
打つ手なしとして、その時こそニーナは解雇されてしまうだろう。
運がよければ他の仕事に回してもらえるかもしれないけれど……。
「……ニーナさま、ちがう」
まだ熱のあるノエルは寝台に横たわっていたけれど、ニーナを見て表情を強ばらせたのも一瞬、すぐ違いに気がついたらしい。
元々大きな目をさらに見開いて、ぼんやりと呟く。
その声を聞いてニーナはホッと胸をなで下ろす。
「姫様はあの衣装が怖かったのですね。
気づかず申し訳ありません。
旦那様が新しい衣装を用意してくださるそうですが、仕立て上がるまでこちらをお借りすることになりました」
昨日の話し合いの内容を簡潔に、ゆっくりと話して聞かせるニーナだが、まだ熱の下がらないノエルは寝台に横になったままぼんやりとした表情で聞いている。
「あと、わたくしのことはニーナとお呼びください」
「ニーナさま」
「いえ、ニーナでございます」
寝台のすぐそばに立ったニーナは腰を屈めると、ノエルの顔を覗きこむようにゆっくりと話し掛ける。
「よろしいですか、姫様。
旦那様はアルフォンソ様たちのことを呼び捨てになさいますでしょう?
それはアルフォンソ様たちが旦那様の側仕えだからでございます」
ここでニーナが一度言葉を切ると、ノエルは小さく頷く。
それを見てニーナは続ける。
「ミラーカ様も、ジョアン様やアスリン様のことを呼び捨てになさいますでしょう?
それはジョアン様やアスリン様がミラーカ様の側仕えだからでございます」
ここでまたニーナが言葉を切ると、ノエルは一瞬遅れて小さく頷く。
それを見てニーナは続ける。
「ニーナは姫様の側仕えでございます。
ですから姫様もわたくしをニーナとお呼びください」
「ニーナ」
「ええ、ニーナです。
それがここでの決まり事なのです」
「……きまりごと……わかった、ニーナ」
はにかむように 「はい」 と応えたニーナは、寝台から少し離れる。
そして改めて挨拶をする。
「ニーナ・エデエは姫様の側仕えとして、これからずっと誠心誠意お仕えさせていただきます。
どうぞ、よろしくお願いいたします」
【アスウェル卿家公子セルジュの呟き】
「ミラーカから手紙なんて珍しいこともあるものだな。
屋敷に戻ってからでは遅い用件か?
……いや、早く屋敷に戻って欲しいのか。
どうせあれについての相談だろうが、セイジェルではなくわたしにというのは気になる。
これは早く戻ってやらねばなるまい」