90 ニーナの職探し (4)
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「先程の者たちは旦那様の側仕えです。
日中、旦那様は公邸にて公務を執り行われているため暇を持て余しているのですが、あまり関わらないように。
どんな目に遭わされてもわたくしたちにはなにも出来ません。
忠告はしましたからね」
「それと姫様の存在はまだ公にされていません。
旦那様のお許しがあるまで口外は無用。
よろしいですね」
使用人頭のマディンが立て続けに発した謎の忠告と警告。
ただでさえここが領主の住む屋敷という現実に理解が追いついていないニーナは、それらの意味も理解出来ないまま、用意されていた雇用契約書に署名をする。
マディンの役目はそこまでだったらしく、ニーナの署名を確認すると一足先に部屋を出て行く。
残されたニーナは、マディンの側近であるノルに連れられて使用人棟に向かうことになった。
リンデルト卿家の屋敷はそれほど大きくはなかったし使用人もそれほど多くはなかったが、クラカライン屋敷ほどの規模なら使用人も多く、その部屋は使用人棟と呼ばれる別棟にある。
使用人棟は完全に男女別になっており、使用人頭とはいえマディンも女性棟には入れない。
だからノルが案内することになったのだろう。
トランクを片手にノルのあとに続くニーナが案内されたのは、寝台が二つ並んだ決して広くはない二人部屋で、やはり大きくはないクローゼットと机があるくらいの質素な使用人部屋。
ノルの説明では今のところ同居人はおらず、ニーナの自由に使っていいという。
二人で使うには少し窮屈かもしれないが、一人で使うには少し広いくらいである。
だがのんびりと荷ほどきをしている時間はない。
部屋に用意されていた側仕え用の衣装に着替えるように言ったノルは、ニーナが着替え終わる頃に戻ってくると言い置いて一度席を外した。
一人残されたニーナは、部屋の隅にトランクを置いて早速着替えを始める。
実はトランクの中にも、着替えに混じって亡くなった老夫婦の世話をしていた商家で仕立ててもらった側仕えの服が入っている。
そのあとに働いた商家でも側仕えの服を用意してもらったが、それはハンナベレナの町で古着屋に売り払い、ウィルライトまでの旅費の足しにした。
もう着ることはないし、服を見るのも気分が悪いから処分したのである。
だが側仕えの仕事を一から教えてくれた老夫婦のことは覚えていたかったから、生地もずいぶんくたびれてしまい、もう着ることはないとわかっていながらも大切にとっておくことにしたのである。
そしてクラカライン家が用意した側仕え用の服は、さすがに生地も仕立ても上等である。
主人の身の回りの世話だけでなく来客時の応対もするため、貴族はもちろん、人を雇う余裕のある中流階級以上では側仕えの見栄えにも気を遣うもの。
白の領地の最高位にあるクラカライン家ならなおさらだろう。
(こんないい生地を使用人に支給するなんて)
そんなことを考えながら少し大きな服に袖を通す。
合わないところは夜、仕事を終えてから手直しすることにして着替えると、髪を手櫛で直し終えたところで、まるでタイミングを見計らっていたかのようにノルが戻ってくる。
次に案内されたのは屋敷の中である。
もちろん広い屋敷を全て見て回るのは無理なので、基本的にはニーナが普段の仕事で必要な部屋や場所だけを早足に案内される。
この時に足を運べなかった場所は、時間のある時にでも他の使用人に案内してもらうことにして、最後に主人の部屋に連れて来られる。
そこで思わぬ人物と再会することになる。
「ああ、今日だったのね」
居室のソファにすわってのんびりとお茶を飲んでいた人物は、ノルの案内で部屋に入ってきたニーナを見て、まるで来ることを知っていたかのような様子である。
リンデルト卿家の令嬢ミラーカである。
優雅に湯気の昇るカップをテーブルに置いたミラーカは、改めて顔を上げた……と思ったら、その目はニーナではなくノルを見ている。
「ノル、あとはわたくしが」
「かしこまりました。
わたくしはこれで失礼いたします」
逆らうことなく言われるまま、ミラーカの 「ご苦労様」 という言葉に見送られてノルが下がると、部屋にはニーナとミラーカ、それに彼女の二人の側仕えだけとなる。
扉が閉まったあとの不自然な静寂にニーナが気まずさを覚えたのも一瞬のこと。
すぐに気づいて慌てて居住まいを正すと挨拶をする。
「……リンデルト卿家ご令嬢、ご無沙汰しております」
慌てていたため名前で呼びそうになったニーナは、一度口を閉じ、改めて言い直す。
幸いにして声に出す前に止められたのだが、ミラーカは気づいたらしい。
少し笑みを浮かべて言う。
「わたくしのことはミラーカと呼んでかまいませんわ」
「ではミラーカ様、あの、ここでなにを……いえ、どうしてこちらにいらっしゃるのでしょうか?」
お世話になっていたリンデルト卿家の屋敷を出たら、決まったばかりの勤め先にリンデルト卿家の令嬢がいたのだからニーナが驚くのも無理はないだろう。
しかもミラーカはニーナを見ても、驚くどころかまるで来ることがわかっていたかの様子で、実はニーナ自身も思い当たることがあるようなないような。
そんな感情や思考が迷走する感覚に襲われ、駄目だとわかっていながらも、戸惑いながらも、少し早口に尋ねてしまう。
「わたくしはこちらのお屋敷で姫様の養育係をしているのです。
今はもっぱら話し相手ですけど」
ニーナがこの部屋に入ってきた時と同じく、ミラーカはそう尋ねられることがわかっていたように落ち着き払った様子で答える。
そしてニーナも理解する。
「……つまり、そういうことなのですね」
リンデルト卿フラスグアの帰還に合わせ、挨拶をするためリンデルト卿屋敷に集まった家族たち。
ミラーカの婚約者として訪れていたアスウェル卿家の公子であるセルジュも参加し、急遽、家族会議が開かれた。
隠し子疑惑に端を発したリンデルト卿家の緊急家族会議は、その父親が誰かということだけに収まらず、その子どもの世話をミラーカがクラカライン家の屋敷で世話をしているという事実までが明かされた。
つまりそういうことである。
そしてニーナの抽象的な問い掛けに、ミラーカも否定はしなかった。
「アーガンやセルジュによそで子どもを作る甲斐性なんてありませんのに。
どうしてお父様はそんな勘違いをしてしまわれたのかしら?」
ミラーカは続けて 「困ったこと」 と苦笑を浮かべて見せる。
同じ疑問を抱いていたニーナだったが、実はニーナとミラーカではある認識が違っていた。
それは疑惑の子ども、つまりノエルの正体についてである。
白の領地にあって、クラカライン家や領主を知らない領民はいないと言っても過言ではない。
当然のように現領主であるセイジェル・クラカラインが独身であることも広く知られているが、前領主である父親との不仲は、貴族のあいだでは周知に事実だが、領民のあいだではあまり知られていない。
そして母親である前領主夫人が亡くなっていることは知られているが、大叔父に当たるヴィルマール・クラカラインを覚えている領民はほとんどいないだろう。
兄であった先々代領主の時代はともかく、甥に当たる先代領主の時代から表舞台に出てくることはほとんどなくなったことも原因ではあるが、そもそも貴族とは違い、領民にとって、領主を含むクラカライン家は雲の上の存在である。
あまりにも存在が遠すぎて、どうしても表舞台に出てくる顔ぶればかりが有名になってしまう。
だから領民はクラカライン家の姫の存在を知らなかったけれど、貴族であるリンデルト卿一家は知っているはずなのに、どうしてフラスグアはノエルをアーガンかセルジュの隠し子ではないかと疑ってしまったのだろう?
これがミラーカの 「どうしてお父様はそんな風に思ってしまわれたのかしら?」 という疑問に対するニーナの疑問である。
だが貴族であるリンデルト卿一家は、クラカライン家に子どもがいないことを知っている。
だからこそリンデルト卿夫妻は、ミラーカがクラカライン屋敷で世話をしている子どもの親が誰なのかという疑問を抱き、さらにはその子どもをアーガンとセルジュがどこからか連れてきたと知ってどちらかが父親ではないかと疑ったのである。
それに対してミラーカは
「アーガンやセルジュに、よそで子どもを作る甲斐性なんてありませんのに。
どうしてお父様はそんな風に思ってしまわれたのかしら?」
そう思ったのである。
ニーナと同じ領民とはいえ、既存のクラカライン家の使用人たちは、ある日突然領主がノエルを連れてきたことを知っている。
しかも古い使用人は先代領主であるユリウス・クラカラインの性格も知っているため、セイジェルではなくユリウスをノエルの父親ではないかと疑っている。
つまりノエルをセイジェルの異母妹と予想しているのである。
三者三様
そんな行き違いに気づいているのかいないのか。
ミラーカは話を続ける。
「黙っていることはわたくしだって不本意ですけれど、今回ばかりは相手が悪すぎます。
迂闊なことは言えませんもの」
日頃、クラカライン家の当主であるセイジェルを前に言いたい放題のミラーカだが、それでも言えないことがあり、訊けないことがある。
ノエルの素性もその一つである。
ミラーカにとって面白いことではないけれど、相手はクラカライン家。
両親を守るためにも従わざるを得ないのである。
ただアーガンとセルジュがなにかを知っている節がある。
そこがさらに不満なのだが、どうしても訊けないものは訊けないのである。
ニーナもマディンの忠告を思い出し、小さく頷く。
ついでにもう一つの忠告を思い出す。
「そういえば、旦那様の側仕えの方々にお会いしたのですが……」
「あの五人はクラカライン家お抱えの魔術師が本職で、暇潰しに閣下の側仕えをしているのです」
「魔術師様……」
同じ側仕えとして仲良く……なんて身の程知らずな考えだと気づいて慌てるニーナに、ミラーカはさらに言う。
「性格も口も悪い連中です。
関わらないことが一番です」
「わかりました、気をつけます」
「ああ、いけないわ」
不意にそんなことを言い出してさらにニーナを驚かせたミラーカは、ゆっくりと優雅に立ち上がる。
実際は18歳のニーナより歳上のはずだが歳下に見えるミラーカは、うしろに、ニーナにとっては先輩側仕えに当たるジョアンとアスリンを従えて立ち上がり、なにを思い出したのかと言えば……
「肝心の姫様をまだご紹介していないなんて、わたくしとしたことが」
「そうでございました」
同じくうっかりしていたニーナを、ミラーカが 「さぁこちらへ」 と奥の寝室へと促す。
素早く先回りしたアスリンが寝室と居室を隔てるカーテンを開くと、ミラーカが先に。
続いてカーテンの向こう側に踏み入ったニーナの目に、最初に入ったのは、それはそれは大きく立派な寝台と、その四隅に鎮座する巨大な四体のぬいぐるみである。
白色、桃色、青色、緑色と子どもが好みそうな彩りのぬいぐるみはドラゴンを可愛らしく象っており、ニーナが初めて目にするほど大きく立派な寝台の存在感が霞むほど大きく、強烈な存在感を放っている。
「あの、これは……」
すっかり巨大ぬいぐるみに目を奪われているニーナに、寝台のすぐそばに立ったミラーカは、一番近くに鎮座している白いドラゴンを示しながら話す。
「これらのぬいぐるみたちは姫様のお気に入りですわ。
閣下が買い与えてくださったというのは気に入りませんが、姫様はお友だちとしてとても可愛がっておられます。
あなたも大事になさい」
「はい」
その大きさに唖然となったニーナだが、見れば寝台の上にもぬいぐるみが転がっている。
四隅を陣取る巨大ぬいぐるみよりずっと小さいけれど、色もデザインもそれぞれ同じものである。
そしてそれら全てが主人のお気に入りで領主が買い与えたものだという。
玩具とはいえ、こんなに大きなものを何体も買い与えられるのはさすが貴族である。
肝心の主人はといえば、大きな大きな寝台の上で静かに眠っていた。
マディンからは9歳の女の子と聞いていたニーナだったが、どう見てももっと幼い。
5歳とか、6歳とか、そんな幼さである。
体が弱いとも聞いていたが、クラカライン家の姫なのにとても痩せていて顔色も悪い。
なにより見たこともない黒い髪をしていた。
「この方がノワール・クラカライン様……」
「ええ、おとなしくのんびりした性格で、とても可愛らしい方なのよ。
ひどく恐がりで人見知りをなさるから最初は気をつけるように。
それから……ここ数日、熱を出されて休んでおられます。
医師からも安静にするよう言われていますから、今日はこのままお休み頂くように」
「かしこまりました」
主人が眠っているあいだ、ニーナにはするべき仕事はない。
ならばこのあいだに……とジョアンに提案され、部屋の使い勝手についてアスリンに教えてもらうことになった。
肌着の場所や寝間着の場所。
ノエルは疲れやすいため、すぐ休めるように着替えやすいワンピースが多いこと。
体を冷やさないため、また乾燥予防のために薄手のタイツを穿かせていること。
体が丈夫ではないため、風邪などを引かないようにいつも少し厚着をさせていること。
そして朝起こしに来る時間や入浴時の手順などなど。
折角時間があるからと、それこそ事細かく引き継ぎを行なったのである。
そうして準備万端に迎えた翌日、いざ初仕事……と意気込んだのに、目を覚したノエルはニーナを見て怖いと怯えた。
(怖いって……どうして?
わたし、どうしたらいいの?)
騎士イエルの妹という切り札を出してもノエルを落ち着けることが出来なかったミラーカの指示で、とりあえずニーナはノエルから姿が見えないように居室へ。
かわりにアスリンがノエルの世話をすることになった。
「ミラーカ様、あの……どうしたらよろしいでしょうか」
「どうしたものかしら?」
このままノエルが懐いてくれなければ解雇されてしまうのではないか?
そう考えて落ち込むニーナだが、相談されたミラーカも切り札を失って打つ手なし。
だからと言って簡単に匙を投げるつもりはなく、お茶を飲みながら思案する。
「そうですわねぇ……ここはやはり、不本意ではありますけれど、閣下にご相談するしか……」
「旦那様ですか?
でもお忙しいのでは……」
「姫様のためですから、嫌でもお時間を取っていただきます。
ああ、でもその前にセルジュに相談してみましょう。
ジョアン、紙とペンを。
今日は早めに帰ってきてくださるように手紙を書くわ」
ミラーカに手紙で請われ、本当にいつもより早めにクラカライン屋敷に戻ってきたセルジュだが、夕食前の談話室でミラーカから話を聞くが解決策は特にないとつれない返事をする。
「雇い主はセイジェルだ、わたしにはなにも言えない」
「もちろんそれはわかっております。
閣下にご相談する前に、なにか、その……ございませんの?」
セルジュとミラーカの他にはニーナとジョアンの四人だけの談話室内。
ニーナもジョアンも見ようとしないセルジュは、並んですわるミラーカのもどかしさも意に介さず冷淡な態度をとり続ける。
「だが……そなたの推挙を受け入れたのはセイジェルだ。
それにあれの存在はまだ外には明かせぬ。
無下に放り出すことはしないだろう」
ニーナの処遇の決定権は雇い主のセイジェルにあるが、身一つで今日明日に放り出されることのないように程度なら口添えしようと言う。
そもそもそこまでひどいことはしないだろうと、セルジュの考えはずいぶん楽観的なものであった。
だが実際には意外な展開が待ち受けていたのである。
ノエルがニーナを見て怯えた理由がわかったのである。
しかもそれを指摘したのも意外な人物だった。
【リンデルト卿家公子アーガンの呟き】
「団長のお呼び出しとはいったい何の御用だ?
セスの件は落着したはずだが……親父殿がなにかしたか?
いや、それともジョスティスかカッセラがなにかやらかしたか?
ガーゼルやファウス、イエルは心配ないが、それとも……いや、他にないにか……?
まだ次の討伐出征の選抜には早いし……」