89 ニーナの職探し (3)
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貴族屋敷での雇用が検討される場合、ある程度話が進むまで雇い主の素性を明かさないことがある。
そうなると当然仕事の詳細も教えてもらえない。
それこそ職種しか教えてもらえないことも珍しくない。
あらかじめリンデルト卿夫人からそんな話を聞いて知っていたニーナは、職業紹介所の主人アズカンドの説明を奇妙に思わなかった。
今回の場合は子どもの性別や年齢なども教えてもらえなかったが、それでもリンデルト卿夫人に聞いていたとおりだ……と納得したくらいである。
むしろアズカンドのほうが、そんなニーナの反応を不思議に思ったかもしれない。
しかも今、アズカンドの店で預かっている側仕えの仕事はその一件しかなかった。
元々なかなか空きが出ないことはニーナも覚悟していたし、だから、もし空きがなければ給仕などの仕事でもいいと考えていた。
ただ給仕の仕事は通いが普通だから、まだウィルライトの町に慣れないニーナには住むところを確保するのが難しいという問題がある。
だから一件でも紹介してもらえたのはありがたかった。
しかも直接先方の屋敷を訪問するのではなく、職業紹介所で、先方の代理人と会ってもう少し詳しい話を聞くことが出来るというのもありがたい。
もちろんどこまで詳しい話を聞けるかはわからないが、アズカンドの立ち会いで、話が合わなければそこで断ってもいいという。
第三者であるアズカンドに立ち会ってもらえるというのは心強いが、この場合、面談日の予定を合わせるために先方からの返事を待つ必要がある。
そしてその返事は職業紹介所を介してニーナに伝えられるのだが、リンデルト卿家の屋敷の使用人に、返事を伝えに来る遣いの対応をしてもらうのは申し訳ない。
だからニーナのほうから職業紹介所に出向くことをアズカンドに申し出た。
それこそいつ返事が来るかわからないから毎日通う覚悟だったのだが、驚くほど早く返事はあった。
翌日
これにはアズカンドも少し驚いていた。
それこそ店の入り口で遣いとすれ違ったのではないか? ……というくらいのタイミングだったらしく、返事の速さとタイミングの良さで、アズカンドは二重に驚かせた。
「つい先程遣いが来て、明日、会いたいそうです」
アズカンドから指定された時間などを聞いたニーナは早足にリンデルト卿家の屋敷に戻ると、すぐにリンデルト卿夫人システアに経緯を話し、暇の挨拶をした。
出来たら屋敷の主人であるリンデルト卿にも挨拶をしたかったが、残念ながらしばらく帰邸の予定はないらしい。
シルラスの魔物討伐の残務整理は終わったものの、城下町の治安維持に騎士たちも駆り出されており教練師団も忙しいのだろう。
ここ数日は騎士団の宿舎に泊まっているという。
「フラスグアのことなら気にしなくて大丈夫よ。
細かいことなんて気にしない人だから」
そう笑ったシステアは改めてニーナに告げる。
「もう何度も言っているけれど、なにかあれば遠慮せずに頼っていいのですからね」
それこそ少しでもおかしな条件なら、断って戻ってくるようにと言われたニーナは 「ありがとうございます」 と笑顔で返す。
そして挨拶を終えると、すぐに自分の部屋に戻って荷物をまとめた。
もともとニーナは古びたトランク一つ程度の荷物で故郷を出てきた。
それにリンデルト卿家の屋敷ははじめから仮住まいと決まっていたから、荷ほどきはせず必要な物をその都度取り出していただけ。
だから軽く整理をしてまとめるくらいだったからそれほど時間は掛からなかった。
そのあとは仕事に戻り、合間合間にお世話になった使用人たちに挨拶をして周り、翌日、初めてウィルライトにやってきた時と同じように、トランク一つでリンデルト卿家の屋敷を出た。
アズカンドの職業紹介所には約束の時間より少し早く着いたが、受付に顔を見せると、すでに先方は到着しているという。
受付でニーナの到着を待っていたアズカンドはすぐにでも待たせている部屋に案内しようとしたが、ニーナは少しだけ待って欲しいとお願いすると、トランクを床に置いてブラウスの衿や髪を軽く直し、スカートの裾や靴の埃を手早く払う。
その様子を黙って見ていたアズカンドに案内された部屋は、先日面談に使った部屋より少し広く、少し高価な椅子やテーブルの他に壁には絵画まで飾られていた。
面談室ではなく応接室なのだろう。
そしてそこには男が一人、待っていた。
「お待たせいたしました」
アズカンドが挨拶をしながら部屋に入ると、トランクを片手にニーナも続く。
用意されていた椅子にすわることなく待っていた男に表情はなく、部屋に入ってくるアズカンド、ニーナの順に冷ややかな目を向けてくる。
明るめの髪をした年齢三十代後半から四十代前半くらいの男で、背が高く、綺麗に背筋が伸びた立ち姿をしていた。
外出ということで外套を着ているが、見るからにいい生地を使っており、仕立てもよさそうである。
ニーナがリンデルト卿家で見た使用人に当てはめてみると、使用人頭かその側近当たりだろう。
アズカンドに促され、先日より大きく高価な机を挟んで、まずは男が、続いてニーナがその向かいに。
そして仲介者であるアズカンドがニーナの隣にすわる。
「早速始めてよろしいでしょうか?」
アズカンドが切り出すと男はゆっくりと大きく頷く。
そして口を開く。
「わたしのことはマディンとお呼びください。
今回の件につきまして、主人に一切を任されております」
「ニーナ・エデエと申します。
よろしくお願いいたします」
ニーナがすわったまま頭を下げると、一呼吸ほどの間を置いてマディンは続ける。
「まずは、紹介状を確認させて頂きます」
「はい」
硬い表情のニーナは床に置いたトランクではなく、肩から提げた鞄から紹介状を取り出し、ぎこちなく差し出す。
受け取ったマディンは、まずは封蝋に捺された印璽を確認する。
それから中身を確認する。
気まずく重苦しい沈黙は、実際はそれほど長い時間ではなかったのだが、ただ待つだけのニーナにとってはひどく長く感じられた。
やがてマディンは紹介状を畳んで封筒にしまうと、改めてニーナを見る。
「結構です。
雇用条件についてはこちらから説明を受けていると思いますが、改めてお話ししますか?」
「いえ、大丈夫です」
「わかりました。
問題がなければ、雇用契約などは屋敷で行ないたいと思います。
確認したいことがあれば承りましょう」
「あの、お仕えするのは子どもだと伺ったのですが、もう少し詳しく伺ってもよろしいでしょうか?」
この時ニーナは、例えば世話をする子どもの性別とか年齢といったことが聞ければと思って尋ねたのだが、質問を受けたマディンは思案げな表情を浮かべながら 「そうですね」 と低く呟くと、少し的を外したことを答えてくる。
「……おとなしい方です。
とても気の弱い方で、大きな声や物音をひどく怖がられます。
あと、少しお体が弱いので配慮が必要です」
実際に会ってみればわかることではあるけれど、マディンの話は貴重な情報だと感じたニーナは頭に叩き込む。
おそらくこの話は、年齢や性別より重要なことだろう。
マディンが的を外してきたのはここから先である。
「……あなたは話好きですか?」
思わぬ質問に 「はい?」 と素の声を漏らしてしまったニーナは、慌てて取り繕って答える。
「えっと、たぶん」
「そうですか」
世話をする子どもはおとなしく気が弱いということだから、物静かな側仕えがよかったのかもしれない。
答えてからそう気がついたニーナだがもう遅い。
断られるかもしれない……と焦ったけれど後の祭り。
マディンの反応を待つしかない。
「先程も申し上げましたが、とてもおとなしい方で、ご自分から話されることはあまりないようです。
ですから……すでに話し相手を務める方はおられるのですが、側仕えからも積極的に話し掛けてもらいたいのです。
ただその際に大きな声を出すことはもちろんですが、分別ある内容でお願いしたい」
「もちろんです!」
勢いよく答えたニーナは、予想とは逆の展開に内心でホッと息を吐く。
そしてあることに気づく。
世話をするのは女の子ではないか、と。
だがあえて尋ねることはしなかった。
マディンがあえて話さないようにしている気がしたのである。
だからニーナもあえて尋ねないことにしたのである。
おそらく第三者であるアズカンドがいるここでは訊いてはいけないのだろう。
「その、例えば本の読み聞かせとかはどうでしょう?」
「あなたは文字が読めるんですね?」
「はい、初等学校には通いましたので、読み書きや簡単な計算なら出来ます」
「屋敷には子ども向けの本はないので、旦那様にご相談してみましょう。
他にご質問は?」
「わたしの他に側仕えは何人いますか?」
側仕えの人数は屋敷の規模を量ることにもなる。
あとになってニーナもそのことに気づいたが、この時はただ、他にも一緒に働く側仕えがいると考え、上手くやっていけるか不安な気持ちからの質問だった。
お世話になったリンデルト卿家では、システア夫人以外の三人には一人ないし二人程度しか側仕えはいなかったが、やはり二人三人と先輩がいると上手く中に入っていけるかどうかわからない。
意地悪な側仕えも少なくないとリンデルト卿家で聞いていたから余計である。
だがマディンの返事は意外なものであった。
「おりません」
「いない……その、誰もいないのですか?」
「そうです」
「一人も?」
意外な答えに質問を繰り返してしまうニーナだが、マディンは表情を変えることなく 「一人もおりません」 と返す。
さらにどういうことかと訊きそうになったが、隣にすわっているアズカンドに止められる。
相手が同じ領民なら訊き返しても問題はない。
むしろ今の会話の流れならば訊き返すだろう。
だが今回の相手は貴族である。
素性は明かされていないとはいえ、貴族でほぼ間違いない。
アズカンドの制止は、今の段階でこれ以上の詮索はしないほうがいいということなのだろう。
隣にすわるアズカンドを見て言葉を飲み込んだニーナが、一呼吸ほどの間を置いて 「わかりました」 と声を低くして答えると質疑応答が終わる。
早速屋敷に向かうことになったのだが、受付前の待合で待つように言われてニーナだけ先に部屋を出される。
おそらく紹介が成立したので手数料の支払いが行なわれるのだろう。
アズカンドとマディンを残して一足先に部屋を出たニーナは、言われたとおり人の多い待合でマディンを待つことになったのだが、マディンはすぐに現われた。
それこそニーナが部屋を出たあと、すぐに追ってきたのではないかと思われるくらいの早さである。
そしてなんでもないことのようにニーナのトランクを持つと、先に立って歩き出す。
もちろんニーナも自分の荷物は自分で持つと言ったのだが、返してもらうより早く待っていた馬車に辿り着く。
大きくも豪華でもない馬車だが、ずいぶん綺麗な馬が二頭で引いており、御者台には身綺麗な御者がすわって待っていた。
連れだって店を出て近づいてくる二人に気づいた御者は、御者台を降りると、タイミングを合わせて馬車の扉を開ける。
トランクを持ったままのマディンが先に乗り込むと、ニーナは扉の前で待っている御者に 「ありがとうございます」 と礼を言ってから慌ただしく乗り込んだ。
車内も決して広くはなく、窓はあるものの薄いカーテンに覆われており、光は入ってくるけれど外の景色は全く見えない。
だから走り出した馬車が町のどこを走っているのかわからないまま。
ウィルライトの城下町に慣れていないニーナには、外の景色が見えても馬車がどこに向かっているのかわからないのだが、それなりの距離を走ったのはわかった。
そうして辿り着いたのは大きな屋敷のそばで、広い庭の周囲は森のように木々に囲まれていた。
そして木々の向こうに背の高い建物が幾つも見える。
(ここって……ひょっとして、お城?)
初めてウィルライトにやってきたニーナが一番最初に訪れた場所、領主の居城。
その時に見た風景に、木々の向こうに見える建物群が似ているような気がしたのである。
「こちらへ」
ニーナのトランクを持ったマディンに促されて屋敷に入ると、女性の使用人が一人と男性の使用人が二人、待っていた。
「お帰りなさいませ」
女性使用人がそう言って頭を下げると、男性使用人もならうように頭を下げる。
ニーナよりも歳上の二人は、兄のイエルよりさらに歳上と思われるから二十代後半から三十代前半くらい。
独特な雰囲気がある……と思って見ていると、男性使用人もニーナを見返す。
そして揃って 「おや?」 という表情を見せる。
だが彼らがなにか言うより早くマディンが口を開く。
「お前たち、ここでなにをしている?」
「新しい使用人が来ると聞きまして」
「顔を見に参りました」
マディンの問い掛けに二人は楽しそうに答える。
早い話が野次馬である。
不真面目を隠そうともしない二人に、マディンもつれなく返す。
「では用は済んだだろう」
「相変わらず堅物でいらっしゃる」
「邪険に扱わなくてもよろしいではありませんか」
あからさまに退散を促すマディンだが、二人の男性使用人はヘラヘラと笑いながらのらりくらりとかわして居続けようとする。
残る女性使用人はなにも言わず、三人のやり取りを見ているだけ。
状況がわからないニーナも彼女にならい、黙って状況を見守る。
「これから契約なさるのでしたら、わたくしたちも同席しても?」
「必要ない」
「マディン様、わたくしたちが同席したいのでございます」
「必要ないと言っている」
噛み合っているように思える会話だが、よくよく聞いてみると噛み合っていないようにも聞こえる不思議な会話である。
マディンに 「様」 を付けて呼んでいることから男性二人のほうが立場は下と考えられるが、同席したいという自分たちの要望を堂々と口に出す。
普通なら考えられないことである。
しかも却下されているのに引き下がらず、マディンも彼らの要望を却下するだけで、要求すること自体は叱らない。
なんとも奇妙なやり取りである。
だがそれも、あまりにもマディンがきっぱりと断り続けるので彼らも諦めたらしい。
「では一つだけ」
そう言った片方がマディンに近づくと、耳元で何事かを囁く。
楽しそうに笑うその目がチラリとニーナを見たから、ひょっとしたらニーナに関わることかもしれない。
だがマディンはそっけなく 「わかった」 とだけ。
これで彼らが引き下がると判断したのか、マディンはニーナと女性使用人を率いて廊下を奥へと歩き出す。
案内されたのは窓のない小部屋で、部屋の中央に机と椅子が置かれているだけ。
職業紹介所の面談室のような部屋である。
そこではなぜかニーナだけが椅子にすわり、マディンと女性使用人は立ったまま話が始められる。
「改めて、わたしはリジー・マディン。
当屋敷で使用人頭を務めています」
内心で (やはり) と納得するニーナに、マディンは女性使用人を紹介する。
「こちらはノル・カブライア。
今後、屋敷のことでわからないことがあれば、わたしかノルに訊くように」
おそらくマディンの側近、つまり女性使用人の中では一番か二番の立場ということだろう。
ニーナが 「わかりました」 と答えるとマディンは話を続ける。
「あなたが仕える御方の名前はノワール・クラカライン様。
まだ九歳の女児でいらっしゃる」
「クラカライン?
……まさか、ここは……」
驚きのあまり全てを言葉に出来ないニーナに、マディンはなんでもないことのように答える。
「領主様のお屋敷です」
「まさか領主様も……」
「もちろんお住まいです」
領主がウィルライト城に住んでいることは、白の領地の民ならば誰でも知っていると言っても過言ではないだろう。
だが日頃から立ち入ることの出来ない領民がウィルライト城内の全容を知るはずもなく、クラカライン屋敷の存在はもちろん、領主の住まいがどうなっているのかもわからない。
ニーナもここが城の一部だということには気づいていたものの、まさか領主が住んでいる屋敷とは思わなかったから顔色が変わるほど驚く。
「先程の者たちは旦那様の側仕えです。
日中、旦那様は公邸にて公務を執り行われているため暇を持て余しているのですが、あまり関わらないように。
どんな目に遭わされてもわたくしたちにはなにも出来ません。
忠告はしましたからね」
仕える主人は違うものの、同じ屋敷で働く同じ側仕えという立場。
同輩として上手くやっていけというならともかく、関わるなとはこれ如何に?
しかも使用人頭の手に負えないというのはいったいどういうことなのだろう。
驚きの連続に理解がついていかないニーナだが、マディンの話は続く。
「それと姫様の存在はまだ公にされていません。
旦那様のお許しがあるまで口外は無用。
よろしいですね」
さらには存在を公にされていない姫とは?
その正体とは? ……という疑問にニーナの思考が追いつくまで、しばらくの時間を要することになった。
【ラクロワ卿家公子ルクスの呟き】
「父上からの呼び出し、だと?
どうして急に父上が?
収穫祭にはまだ早いはずだが……まさかセイジェルの奴が父上にチクっのか?
だが……父上の呼び出しを無視するわけには……くそぉ、セイジェルの奴め……」