86 ノエルの白い髪
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不在のミラーカに代わり、明日の夕方までノエルの世話係をすることになったノルが、主人であるセイジェルに促されて部屋を出ると、扉が閉まる音を合図に沈黙が流れる。
残されているのはこの部屋の主人であるノエルと、その後見人でもあり屋敷の主人であるセイジェル。
そして彼の側仕えであるアルフォンソ、ウルリヒ、ヘルツェン、クレージュ、ヴィッターの計七人だが、ノエルは部屋に運び込まれた時からずっと眠ったまま。
今も呼吸をしているか怪しいくらい静かに昏昏と眠り続けている。
そんなノエルが眠る寝台にゆっくりと腰掛けたセイジェルは、雪のように白くなったノエルの髪の一房を手にとってじっくりと眺める。
そしてそんなセイジェルとノエルを眺める五人の側仕えたち……という奇妙な光景を沈黙が包む。
最初に口を開いたのは主人であるセイジェルである。
「どう思う?」
主人の問い掛けに一呼吸ほどの間を置いて、まずはアルフォンソが口を開く。
「どうとおっしゃいましても、ねぇ……」
「わたくしたちは塔の中でなにがあったのか存じませんから」
ねぇ……という言葉でアルフォンソに同意を求められたウルリヒが、少し拗ねたように応えると、他の三人も次々に口を開く。
「塔の中でのことを教えて頂くことは出来ないのでしょうか?」
「どう頑張ってもわたくしたちが塔に入れないことは仕方のないことですが、少しくらい教えてくださってもよろしいではございませんか」
「もちろん塔の中には興味がございますし、入れていただけるのなら入りたいところでございますが」
「せめて姫が塔の中でなにをなさったのかぐらい教えていただきたい」
最後をアルフォンソが締めくくる。
「なにを、か……」
側仕えたちの意見を受けて思案げに呟いたセイジェルは、視線をノエルから、その細い腕が抱える白いぬいぐるみ、ノエルがしろちゃんと呼んでいる白いドラゴンへと向ける。
そしてゆっくりと言葉を継ぐ。
「今回はわたしも肝が冷えたな」
塔の最上階であったあの闇での出来事を思い出しながら話すセイジェルに、五人は興味深そうに、それでいて楽しそうな笑みをそれぞれに浮かべる。
そしてまた、口々に言い出す。
「旦那様が?」
「それはそれは」
「とても興味深いことでございます」
「是非ともお話しいただきたい」
「旦那様が無理なら姫の口を割って……」
ついうっかり本音中の本音を漏らしてしまうヴィッターを、セイジェルが低く 「ヴィッター」 と咎める。
するとヴィッターはわざとらしく口を押さえてみせる。
「申し訳ございません」
もちろん意味のない口先だけの詫びである。
セイジェルもわかっているからそれ以上はなにも言わず、ノエルの白い髪と抱えるぬいぐるみを眺めたまま思案に耽る。
だがその沈黙は長く続かず、しかもヴィッターの漏らした本音に応えるようなことを言い出す。
「訊いたところで、おそらく本人もわかっていないだろう」
すぐにその意味を理解したアルフォンソたちがまたしても口々に言い出す。
「無意識ということですか」
「そういえば、姫は魔術について学んだことはないのでしたね」
「これも黒の謎の一つでしょうか?」
「髪が加護の影響を受けるのは普通のことですね」
「わたくしたちの髪の色もそうですし」
そう言ってヘルツェンは自分の長い髪に触れてみせる。
クラカライン家お抱えの魔術師は五人とも、少しずつ色味は違うけれど金髪である。
そして白の魔術師最強といわれるセイジェルも豪華な金髪をしている。
同じくクラカライン家の魔術師と言われるセルジュも淡い金色の髪をしている。
これらは白の領地の加護である光と風の影響と言われているが、金色の髪をしていても必ずしも魔術師とは限らない。
セイジェルの父である先代領主ユリウス・クラカラインがそうであるように。
息子のセイジェルほどではないが、ユリウスも綺麗な金髪を持っている。
だが彼には魔力の片鱗もなかった。
さらに白の領地は光と風の加護を受けているため、金色の髪だけでなく白髪の魔術師も少なくない。
ノエルの身近ではミラーカがそうであり、彼女の母親であるリンデルト卿夫人システアも見事な白髪である。
もっと身近なところではノエルの父クラウスもそうだった。
だからノエルが白髪でもおかしくはないのだが、こんな風にある日突然変化することはない。
生まれつきが基本である。
そしてノエルは生まれつき黒髪である。
クラカライン屋敷に引き取られてきた当時はずいぶんみすぼらしかったその髪も、ミラーカの側仕えたちの努力によりずいぶんと艶やかな黒髪になってきていた。
その髪が、あの闇が晴れたあとには見事な白髪になっていたのである。
いったいあの闇の中でノエルになにがあったのか?
いや、あの闇の中でノエルはなにをしていたのか? ……が正しい疑問だろう。
セイジェルの勘が正しければあの闇を召喚したのはノエルである。
そして闇の中から光を抽出し、ぬいぐるみの首に下げられた琥珀に集めた。
あるいは籠めた。
それとも封じたというべきだろうか。
もちろん全てはセイジェルの推測に過ぎないが、ノエルの細い腕に抱えられたぬいぐるみからは確かに魔力を感じる。
まだまだ微少でともすれば見過ごしかねないほどだが、おそらく五人は気づいているだろう。
クラカライン家お抱え魔術師というのは伊達ではない。
しかもその実力は主人であるセイジェルも認めるほどである。
気づかないはずがない。
さらにはその性格の悪さも伊達ではない。
そんな五人だったから、セイジェルがなにも話さなくても勝手な憶測を進めてゆく。
「姫の父君が白髪だったと聞いていますから、白の魔力の影響を受けて変色したなら白髪になるというのはもちろんわかります」
従兄弟であるセイジェルやセルジュ、それにノエルはまだ会ったことはないがエセルスとルクスのラクロワ兄弟も、差異はあれどみな金色の髪をしている。
クラカラインの従兄弟の中でノエルだけが白髪ということになるが、父のクラウスがそうだったから……と考えれば納得出来るということらしい。
「つまり、あの塔の中で姫は白の魔力と接触をした。
それも髪色が変色するほど強大な魔力に……いえ、これはちょっと例外的ですね」
「そうですね、普通はあり得ません」
「髪色はともかく、よほど強力な魔力と接触したということは間違いないでしょう」
「クラカラインの秘宝……あ、旦那様の肝が冷えたということは、ひょっとして姫が……」
「ああ、よろしくない悪戯をしたのかもしれませんね」
「なるほど」
「非常に興味深い話です」
「確かに面白い」
光の柱の中に入ったことはない彼らだが、そこに秘されているものの正体にはおおよその見当をつけている。
ほとんどセイジェルはなにも話していないのに、その程度の情報だけでここまで事実に迫ってくるのはさすがである。
もちろん本人たちは事実に迫っているかどうかわからない。
だからチラチラとセイジェルを見て様子を伺っているのだが、セイジェルはセイジェルでそんな彼らに慣れているから、反応を見せないという腹芸で返してみせる。
本当に歪んだ主従関係である。
「そのぬいぐるみの……目でしょうか?
それとも首の玉でしょうか?」
少し離れているためか。
あるいはあまりにも魔力がまだまだ微少すぎるためか。
しろちゃんがつけている三つの琥珀のどれかはわからないが……とヘルツェンが前置きをすると、クレージュがあとを受ける。
「まさかと思いますが、クラカラインの秘宝から魔力を掠めてそこに?」
その推測はセイジェルの予想外だったが、話としては面白い。
そこでついうっかり 「ほう」 と声を漏らしてしまったが、内心では全く違うことを思っていた。
(違うな)
あの闇がどういったものかはわからない。
闇から光を抽出したというのも、あくまでセイジェルの推測の域を出ていない。
だが闇が晴れたあとに光の宝珠の魔力に異常がなかったことを、セイジェルは自分で確認している。
だからノエルが、なんらかの方法を使って光の宝珠から魔力を掠め取ったという推測は外れていると思ったのである。
「おや、当たっていますか?」
そんなセイジェルの内心を知らず少し嬉しげに尋ねてくるクレージュだが、セイジェルは素っ気なく 「さぁな」 とだけ返す。
「冷たいですねぇ」
少しのあいだセイジェルの 「ほう」 がどういう意味だったのか五人で話していたが、すぐにまたノエルの話題に戻る。
「ですが旦那様の目を盗んで魔力を強奪とは、なかなかたいしたものでございます」
「ウルリヒ、言葉が過ぎますよ。
盗んだなんて人聞きの悪い」
「これは失礼いたしました」
また三文芝居を演じて勝手にセイジェルに頭を下げるウルリヒだが、セイジェルは一瞥もくれることはない。
もちろん彼らもわかっているから特に気に留めることもなく、勝手な推測を続ける。
「それでも旦那様が肝を冷やすようなことをやらかした結果、御髪がこのようなことになったと」
「そうなりますね。
ですが姫はまだ魔術は使えないはず」
「無意識でそれほどのことをしでかすとは、将来が楽しみと申しますか、恐ろしいと申しますか」
「そういえば、姫は無意識に傷も治してしまわれるとか」
「ああ、アスウェル公子やリンデルト公子の報告にありましたね。
まだわたくしたちは実際に見たことはたことはございませんが」
「是非一度、この目で見て確認していたいところです」
生まれ育った赤の領地からノエルを連れ帰る道中にあったことは、セルジュやアーガンからセイジェルに報告されている。
その場を五人の誰かが盗み聞きしていたことはセイジェルも知っており、盗み聞きした内容は当然のように五人で共有されていた。
「魔術に関する基本的知識すら皆無ということを考えると、姫のなさることは全て無意識」
「そういう……生まれつきの天然魔術師とでも申しましょうか?
そういう話を聞いたこともありますが、あまり多くの前例はありませんね」
それこそ無意識だからこそ緑の魔力も操れた可能性は多いにあるが、その場合、魔術の基礎知識を得て基本操作を覚えると、無意識のうちに出来たことが全て出来なくなることがある。
これは幾つもの前例があり、記録としても残されている。
当然のことながら、クラカライン家のお抱え魔術師という権限を最大限に使い、興味のある魔術書や関連書を読みあさっている彼らがその程度のことを知らないはずもない。
それらの中には基礎知識を得て基本操作を覚えても、無意識で出来たことがそのまま出来るという記録ももちろんある。
だが圧倒的に少なく、無意識で出来た頃に比べて制約が付くことが多い。
今回のノエルの髪が白くなった原因はセイジェルにしかわからないが、治癒の能力だけでも十二分に稀少である。
だからいっそノエルはこのままにしておいたほうがいいのではないか……と面白がる五人だが、もちろんこれはこれでリスクがある。
無意識であるがゆえ、いつどこで何が起こるかわからないというリスクと、それが本人はもちろん、周囲をも危険に巻き込んでしまう可能性である。
今回の光の柱で起こった出来事もそのリスクに含まれるだろう。
幸いにしてノエルもセイジェルも無事だったが、それはおそらくノエルに体力がなく術を継続出来なかったから。
もしこのまま少しずつ体力を付けて大きな術を使えるようになればどうなるか?
「しろちゃん、できた」
いや、闇が消える直前にノエルはそう言っていた。
実際にノエルがしろちゃんと呼んでいる白いドラゴンのぬいぐるみからは、微少な魔力しか感じられない。
とても光の宝珠と同等の魔術具とは言い難いが、魔術具の核として造り替えたのかもしれない。
ノエル自身が魔術を理解していないということを考えると、中途半端に終わってしまっている可能性も十分にある。
そもそも黒についてはわからないことばかりである。
そのリスクが未知数であることを考えれば、最低でも基礎知識と基本操作は必要だろうという結論になる。
もちろん結論を出したのはセイジェルで、五人はノエルを天然魔術師のままで……などと最後まで面白がっていたからやはり性格が悪い。
そして主人が結論を出してもまだまだ面白がっている。
「自らの意志で魔術を操れるようになっても緑の魔力を操れるかどうか、非常に興味がございます」
「ああでもその前に、白と緑以外にも操れるかどうかを知りたいですね」
「確かにそれは興味深い」
「その上で魔力操作を覚えて、それでも白以外の魔力を操ることが出来れば……」
「違いますよ、ヘルツェン。
そもそも姫は白の魔術師ではありませんから」
「わたくしとしたことが、根本的なところで勘違いをしておりました」
「ですが……魔力操作を覚えたなら、黒についての解明が出来るかもしれませんね」
考えながら呟くヴィッターの言葉に、五人だけでなくセイジェルも反応を示す。
もちろん露骨な行動はしない。
ヴィッターを一瞥しただけである。
だが五人にはそれだけで十分だった。
「旦那様、独り占めはさせませんから」
「どうぞ、わたくしたちにもお慈悲を」
「楽しみでございますね、未知の黒」
「如何いかなものでございましょうか」
そんなことを口々にいう五人を、セイジェルはようやくのことで振り返る。
そしてゆっくりと言う。
「そなたたちに一つだけ忠告しておく。
突然闇に襲われた時は気をつけよ」
「闇でございますか?」
真っ先にウルリヒが応える。
「そう、闇だ。
突然襲ってくる闇に気をつけよ。
おそらくその中では魔術を使えなくなる」
光の柱でセイジェルが体験した謎の現象である。
あの闇を召喚したのがノエルだったとしても、一時的とはいえ、セイジェルが魔力を失った理由はわからない。
こればかりは闇の正体が解き明かされるのを待つしかないが、念のため五人に知らせておこうと思ったのである。
「魔力の消失?
いえ、一時的な封印でしょうか?」
「その感覚は未経験でございます」
「どのようなものでしょう」
「是非とも一度、経験してみたいものです」
「魔術が使えなくとも、わたくしたちには楽しみがございますから」
ただただ興味を募らせるいつもどおりの五人である。
一見セイジェルにしては珍しいお節介にも思えるが、実際にあの現象に襲われた時、事前に知っているか知らないかで対応が大きく違ってくるだろう。
魔術師も暗殺者も、一瞬の対応の遅れが命取りになる。
だからその役を担う彼らは知っておくべきだろうと判断したのである。
セイジェル自身、あの状況に陥った時に彼らがどういう反応を見せるか、どう対応するかなど見たいというのもあるが、さすがにそこまでは言わず、ただ彼らの余裕を楽しむ。
本当に歪んだ主従関係である。
「そういえば」
ふとヘルツェンがなにかを思い出す。
「先日、魔術師団に問い合わせておりました緑の魔力についてですが、報告書が届いております。
書斎にございますが、あとで寝室へお持ちいたしましょうか?」
「頼む」
セイジェルが短く答えると、先に報告書に目を通したらしい五人が楽しそうに笑う。
それは特に叱られることではなく、クラカライン家のお抱え魔術師である彼らの特権である。
「だいたい予想通りと申しますか」
「目新しいことはございませんでしたが、なかなか面白い内容でございました」
「ラクロワ卿夫人にお話しして、是非とも青についてもお調べしたいところでございます」
「リンデルト卿にご協力いただけば、赤についても調べられますね」
興味の尽きない側近たちにセイジェルもまんざらでもないらしい。
だが彼には先に片付けたい問題があった。
「お忙しい師の代わりにアーガンを呼ぶのもいいだろう。
これもそろそろ会いたがる頃だ。
だが……その前にルクスだ」
すると五人はそれぞれに吹き出す。
「そういえば、まだ逃げ回っているのですが?」
「いい加減諦めればよろしいものを」
「無駄な悪足掻きをなさる」
「旦那様さえよろしければ、わたくしたちがお迎えに参りましょう」
「抵抗が予想されますので、多少の反撃はお許しくださいませ」
「もちろん命までは取りませんので」
笑いながらそれぞれに話す五人に、セイジェルは小さく息を吐いてから応える。
「必要であればそなたたちの手を借りることも考えるが……そうだな、少し意趣返しをするのもいいだろう。
だがやりすぎるな。
エルデリアが面倒だ」
すると五人はクスクスと笑いながら声を揃えて応える。
「御意」
【側仕えヘルツェンの呟き】
「旦那様もいつまで目こぼしをされるのか。
いっそひと思いに拘束してしまえばよろしいのです。
領主の召喚から逃げ回るなど、反逆にも等しい真似をして無事に済ませてやるなど、どれだけお優しいことか。
手足の一本くらい……ああ、足を二本とも切ってしまえば逃げられなくなりますね。
手っ取り早くてよいでしょう。
反逆罪に問われることを考えれば全然軽い罰ではございませんか。
あとあとラクロワ卿家が黙ってはいないでしょうが、そもそもあんな落ちこぼれ一人に、わざわざこんなに時間を掛ける旦那様が悪いのです。
気のない振りをして本当にお優しいこと。
妬けますねぇ……ふふふ」