82 光の柱 ー ピラール ー (4)
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「しろちゃんもいく」
一瞬前にぱっと明るくなったはずのノエルの表情はまた不安げになり、上目遣いにセイジェルに尋ねてくる。
ノエルが、自分が買い与えた玩具をひどく気に入っていることはセイジェルも聞いて知っていたし、ここで取り上げる必要もない。
機嫌良く過ごしているのならそれに越したこともないと思って許可すると、控える側仕えに残る三人も呼んでくるように指示を出すと、セイジェルは残る一人の側仕えとともにノエルの背を軽く押して歩き出す。
見た目は五、六歳程度のノエルだが、精神的にはもっと幼い。
だが本当に幼いわけではなく、初めて歩く庭を興味深そうにあちらこちら見ていたが、足を止めることなくおとなしくセイジェルに付いてくる。
明らかな身長差があるためセイジェルとクレージュは気をつけて歩速を弛めたが、それでも時々遅れてしまうと、セイジェルたちがなにも言わなくてもノエルは追いかけてくる。
その表情がひどく不安げだったから、置いていかれることを恐れているのかもしれない。
こういう時、ノエルを可愛がっているミラーカやアーガンなら手を繋いでノエルを安心させただろう。
アーガンなら抱き上げて連れて行ったかもしれない。
けれどセイジェルはもちろん、クレージュもそんなことに思い至るような性格ではない。
だから余計にノエルは不安に感じるのだろう。
しきりに周囲をきょろきょろ見ていたが、二人に遅れまいと小走りに追いかけてくる。
そうして三人が辿り着いたのは、紅葉が進む広い庭の一画に建つ白い塔である。
そばには……といっても塔の壁面から少し離れた場所に、一緒に来たクレージュを除いた四人の側仕えが待っていた。
そして近づいてくる主人の姿を認めると揃って頭を下げて迎える。
「仕事を中断させて悪いが、そなたたちにも少し付き合ってもらう」
「承知しております。
中に入れぬのは残念でございますが」
四人を代表してアルフォンソが恭しく答える。
そんな主従のやり取りの脇でノエルは塔を見上げ、大事そうに抱えたぬいぐるみのしろちゃんに話し掛ける。
「しろちゃん、おっきいね。
おっきいしろちゃんよりおっきい」
そしてまたあんぐりと大きく口を開けながら再び塔を見上げ、気づく。
白っぽい石造りのずいぶん高く大きな塔で、最上部あたりに光が見えている。
途中にはないから、最上部にだけ窓があるのかもしれない。
その光に気がついたのである。
「……ひかってる。
しろちゃん、ひかってる」
しろちゃんにも見て欲しいのか、塔の頂上を指さしながらしろちゃんに話し掛けているノエルを、セイジェルが横目にチラリと見る。
「……やはり見えているな」
「不思議でございますね」
セイジェルの呟きに気がついた五人を代表してアルフォンソが口を開く。
「わたくしたちもそれなりの魔力を有している自負がございますが、まるでなにも感じない姫に見えるというのは、納得がゆかぬと申しますか、腑に落ちぬと申しますか」
「最近、セルジュもそのようなことを言っていたな」
「アスウェル公子はただの嫉妬でございましょう。
一緒にしないでいただきたい」
アルフォンソが少し怒ったようにそっぽを向くと、他の四人も言葉こそ発さなかったが、ほぼ同じタイミングで同じようにそっぽを向いてみせる。
またいつもの三文芝居が始まるかと思えば、今までセイジェルを含めた六人の様子にまるで興味がなさげだったノエルが声を掛ける。
「……アルフォンソさま、おこられた……」
「いえ、わたくしが旦那様に怒っているのです」
わたくしを強調してきっぱりと言い切るアルフォンソに、セイジェルの陰から顔だけを出していたノエルは、しろちゃんを抱きしめて、今度はセイジェルを見上げる。
そして呟く。
「……セイジェルさま、おこられた……」
「こやつらが勝手に怒っているだけだ。
放っておきなさい」
「ノエル、おこられるのいや。
こわい」
「そうか」
いつものように素っ気なく応えたセイジェルは、視線をそびえ立つ塔に向ける。
すると釣られるようにノエルも塔を見上げると、セイジェルはアルフォンソたちに視線と表情で合図を送り、アルフォンソたちが無言で頷くのを見てノエルの小さな背を軽く押す。
「一緒に来なさい」
「アルフォンソさまたち」
最初からいたクレージュとヴィッターはともかく、わざわざ他の三人も呼んできたのである。
だからてっきり一緒に行くと思っていたのだろう。
だが見送りの体勢をしている五人を見て、ノエルはぼんやりとした表情でセイジェルを見上げて尋ねる。
するとセイジェルではなくウルリヒが答える。
「わたくしどもは一緒に参れません」
「ウルリヒさま、いけない」
小さな頭で必死に考えているのか、ノエルは細い首が折れてしまうのではないかと心配になるくらい首を傾げ、抱えたしろちゃんに話し掛ける。
「しろちゃん、ウルリヒさま、いっしょにいかない」
ではなぜここにいるのか? ……という目を向けられ、今度はクレージュが答える。
いや、問い掛ける。
「姫は塔の入り口がどこにあるかわかりますか?」
するとノエルは躊躇なく 「あそこ」 と言わんばかりに塔を指さす。
だが実は、その指さす先に扉が見えているのは、ノエルの他にはセイジェルだけだったのである。
それどころか五人の側仕えには塔すら見えていないのである。
だから一緒に塔には登れないと話す五人を置いて、セイジェルはノエルだけを連れて塔に入る。
「わからない」
ポツリと呟くノエルに、セイジェルは 「なにが?」 とは問わない。
足を止めないようにとその細い背をそっと押しながらゆっくりと話す。
「この塔の周辺には結界が張られている。
クラカラインが何代にも渡って張り続けてきた強固な結界だ。
あやつらが五人で掛かっても破ることは出来ぬ」
近年もクラカライン家の一員として当代当主のセイジェルはもちろん、セルジュやエセルス・ラクロワによって新たな結界の重ね掛けが行なわれている。
クラカライン家にはそうまでしてこの塔を守る理由があるのだが、ノエルにはわかるはずもない。
「けっかい……わからない」
初めて聞く言葉である。
いつものようにたどたどしく呟くノエルにセイジェルは返す。
「そなたにはいずれ家庭教師と魔術師を付けよう。
家庭教師からは文字の読み書きと簡単な計算。
それにこの世界のマナーや常識を。
魔術師には魔術を基礎から学びなさい。
結界についてもそのうちにわかるだろう。
だから今はわたしの話を聞いて覚えておきなさい」
「わかった。
けっかい、おぼえた」
「その結界のためにこの塔は、城の外からは見えるが城内に入ると見えなくなる」
だが稀に見える者がある。
偶然に結界の魔力と波長が合ってしまった者や、ノエルのように無意識にそれが出来る者たちである。
そういった変わり種対策として塔の入り口にも結界を施し、二重の結界で守っているという。
それでも案内もなしにアルフォンソたちが塔の下に辿り着けたのは、彼らが特殊な魔術を持っているからである。
日頃は三文芝居ばかり演じている彼らだが、クラカラインの魔術師には及ばずともそれぞれが強大な魔力を持っており、かなり高位の魔術を操る上級魔術師たちである。
そんな彼らも、興味本位でクラカラインの秘密を曝こうとしてここに結界があることを発見したが、何代にも渡って重ねられてきた厳重な結界を破ることが出来ず、入ることが出来ないのである。
見えざる者は招かざる者
招かれた者だけが塔を見、入ることが出来るという仕組みである。
塔の場所がわかっても視ることが出来なければ入ることが出来ず、塔が見えても扉が見えなければやはり入ることは出来ない。
その仕組みのため、当代では一人しかいない直系のセイジェルは、従兄弟のセルジュとエセルスの手を借りたのである。
ノエルを連れて結界に入るセイジェルの姿は、残る五人の目には空気に溶け込んでゆくように見えたという。
扉を入ってすぐにあるのは天井の高いホールのような場所だが、窓一つないため薄暗い。
しかも階段以外にはなにもない、ガランとした空洞になっている。
そこに二人が踏み込むと勝手に扉が閉まり、ほんのわずかな時間、暗闇が訪れる。
「しろちゃん、こわい」
眼下から聞こえるノエルの怯えた声に、セイジェルは疑問を抱く。
なぜノエルは玩具に助けを求めるのだろうか? ……と。
ここにはセイジェルとノエルの二人しかおらずうるさく言われることもないのだが、とりあえず見えなくてもノエルがそこに立っていることはわかっているので、その小さな頭に手を乗せて言葉を掛けてやる。
「大丈夫だ」
「セイジェルさま」
「少しだけ待っていなさい」
少し頭が動いたような感触が手の平にあり、ノエルの声が下から上に聞こえてくる。
おそらくセイジェルを見上げたのだろう。
暗闇はやがて薄くなり、空洞が明るくなる。
石で出来ているように見える天井がほんのりと光り出したのである。
「……セイジェルさま、あかるい」
初めて見る光る天井に驚きを隠せないノエルだが、この塔の仕組みはセイジェルも知らない。
この塔がなんのために建てられたのか、そこに隠されているものなどは口頭によって代々クラカライン家に伝えられてきたが、塔の建築方法などは一切伝えられておらず、当然文書にも残されていない。
そのためわからないのだが、天井がぼんやりと光り空洞が明るくなる。
「行こうか」
そう言ったセイジェルはノエルを抱え上げると、空洞の奥にある階段を上り始める。
赤の領地からの道中、アーガンがずっとノエルを抱えていたように、どこまでも続く螺旋階段を、ノエルを抱えて上り始めたのである。
塔の外壁に窓はない。
だが螺旋階段の中央部分にある支柱のような部分が、一階空洞部分の天井のようにぼんやりとした光を放ち、その足下を照らす。
そうして辿り着いた塔のてっぺんは一階より狭い空洞になっており、中央には眩いほどの光を放つ球体が安置されていた。
大きさはノエルの頭より大きく、だが大人なら易く抱えられるくらい。
一階の天井や、螺旋階段を照らしていた支柱と同じようにぼんやりと光る台座の上に置かれているのだが、見ようによっては台座の石が宝珠の光を帯びてぼんやりと光っているようにも思える。
ひょっとしたら柱や一階の天井はこの宝珠の光を帯びてぼんやりと光っていたのかもしれない。
もしそうだとしたら数百年後、あるいは数千年後には塔全体が光り出すかもしれない。
この最上階の中央部分にはノエルたちが立つ床よりも低い窪みがあり、その中央に四角形をした台座がある。
その台座の上に置かれた宝珠から、まるで光が冷気のように流れ落ち、台座を伝って窪みにたまっているように見える。
そのため周囲に囲いなどがなくても、見えない底に踏み込むのが躊躇われる。
「セイジェルさま、ひかってる」
ゆっくりと床に下ろしてもらったノエルが宝珠を見て驚きの声をあげると、すぐ隣に立ったセイジェルがゆっくりと話し始める。
「これは光の宝珠と呼ばれる宝珠で、白の大神殿にある風の宝珠の対をなす。
この光の柱と呼ばれる塔で、遙か昔から我らクラカラインが守り続けてきた白の領地の至宝だ」
「たいせつなもの」
「そうだ」
「わかった」
まだここに連れてこられた理由は理解していないノエルだが、目の前にある光る球が大切な物であることは理解出来たらしい。
しっかりとしろちゃんを抱きしめて大きく頷いてみせる。
「ここにあることはもちろんだが、存在そのものが公にされておらず、知っているのはクラカライン家の他はわずか。
神殿も、高位のわずか一握りの神官しか知らない」
「ないしょ」
「そうだ」
「わかった」
セイジェルと先程と同じようなやり取りを繰り返し、やはり大きく頷くノエル。
「他の三つの領地にも、光の宝珠と同じように、公にされている至宝の他に、隠された至宝が対として存在しているのではないかとわたしは考えている」
「……わからない」
「先程も話したが、そなたの導き手として魔術師を招く。
学びを得ればいずれ理解出来るだろう。
だからその日まで、わたしの話を覚えておきなさい」
「おぼえる。
でも……しらないひと、こわい」
本当は知らない人とは会いたくないが、怒られるのが怖くて嫌だとは言えない。
「知らない人ではない。
ルクス・ラクロワはわたしたちの従兄弟にあたる人間だ。
少し性格に問題はあるが」
「いとこ……」
「そうだ。
今、この塔には入れる人間は少ない。
数少ない一人であるそなたには、どうしても学んでももらわなければならない」
「すくない……」
「そうだ。
今この塔に入れるのは、わたしの他にはセルジュとエセルス。
ヴィルマールとそなただけだ」
「エセルスさま、ヴィルマールさま」
「まだそなたは会ったことはないがエセルスはわたしたちの従兄弟で、先程話したルクスの兄だ。
もう一人のヴィルマールは大叔父にあたる」
「おおおじ……わからない」
赤の領地で暮らしていた頃、同じ村にはノエルの母エビラの兄ノージと妹のオルターが住んでいた。
それぞれに子どもがあり、彼ら彼女らが従兄弟であることはもちろん、二人が叔父と叔母であることはノエルも知っていたが、大叔父というのは初めて聞く言葉である。
それがノエルやセイジェルの祖父であり白の領地の先々代領主ヴィルマール・クラカラインの弟だと説明されるが、今度は祖父という言葉を初めて聞く。
改めてそれがノエルの父クラウスの父親だと聞いてようやく納得する。
クラウスの養子先だったハウゼン卿家の屋敷は、ノエルが住む村とは領地境を接するシルラスにあったが、ノエルがハウゼン卿アロンと会うことはもちろん、その名を聞くこともなかったのかもしれない。
だがエビラの兄妹は全員同じ村にいたのに、その両親はどこにいたのだろう?
ノエルが 「祖父」 という言葉を聞いたことがなかったということは、すでに故人となっているのか、あるいはただ別の場所に住んでいるだけなのか?
これは少し前からセイジェルが気になっていることである。
「おとうさんのおとうさん」
「生憎ヴィルールは亡くなって会えないが、母親の両親と会ったことはないのか?」
「おかあさんの……」
少し考えたノエルは、母親のこととともにその恐怖を思い出したのか、身を小さくし、表情を強ばらせて小さく首を横に振る。
「そうか。
ヴィルマールももう歳だ。
だから後継を得ずわたしになにかあれば、そなたが光の宝珠を守ること。
そして次代に受け継ぐのだ」
「ノエルがまもる……」
「詳しくはこれからゆっくり教えていこう。
ただ、覚えておきなさい。
そなたもこれを受け継ぎ、守るクラカラインの一人であることを」
「わかった。
ノエルがまもる、おぼえた」
「そうか」
セイジェルの返事を聞いて満足げに大きく頷いたノエルは、眼下に抱いたしろちゃんをチラリと見ると、改めてセイジェルを見上げる。
そして我慢しきれないように言い出す。
「あのね、あのね、セイジェルさま、みて」
そう言ったノエルは、セイジェルに向かってしろちゃんを突き出す。
「しろちゃんももってる」
「持ってる?
なにを?」
「おんなじ」
「なにとなにが同じだ?」
楽しそうに話し掛けるノエルだが、セイジェルにはなにを言っているのかわからない。
一度はしろちゃんを見たセイジェルはゆっくりと訊き返す。
するとノエルはしろちゃんを片腕に抱き、空けたもう一方の手で光の宝珠を指さす。
そして嬉しさを堪えきれない様子で声を弾ませる。
「あれとおなじの、もってる。
しろちゃんもルス、もってる」
次の瞬間にそれは起こった。
ノエルもセイジェルもどこからともなく現われた漆黒の闇に襲われ、前後不覚に陥ったのである。
【リンデルト卿夫人システアの呟き】
「ようやく帰ってきたのにフラスグアったら……わたくしの顔を見られて嬉しくないのかしら?
なにか悩んでいるようだけれど、あの人らしくない。
早くいつものあの人に戻ってくれないと楽しくないわ。
こう……いつものように豪快に笑ってくださらないと……。
そうだわ!
なにを悩んでいるのか訊いてみましょう!
わたくしも妻として夫の悩みの解決をお手伝いをしなくては」