78 初めての友だち (3)
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【初めての友だち】 の最終話です。
どうぞ、よろしくお付き合いくださいませ♪
結局セイジェルがなにをしたかったのか、誰にもわからなかった。
ひょっとしたらセイジェルなりのからかい方だったのかもしれないが、それを彼自身が楽しいと感じていたかどうかもわからない。
ノエルにドラゴンのぬいぐるみを買い与えると自室に戻って身支度を調え、いつものように公務のため公邸へと向かった。
一方のノエルとミラーカは、四体のぬいぐるみをノエルの部屋に運び込んで一休みしていた。
二人は居室のソファにテーブルを挟んで対面にすわると、ミラーカはジョアンが用意したお茶を手にする。
ノエルの前にも温かいミルクが用意されたが手は付けず、セイジェルが買ってくれたぬいぐるみたちと並んですわって不思議そうな顔をしていた。
しばらくその様子を見ていたミラーカだが、やがて沈黙に間が持たず、ノエルに話し掛けてみる。
「姫様、どうかされましたか?」
「……わからない」
「なにがわかりませんか?」
「これ」
ノエルが視線で示すのは、緑、桃、白、青色のぬいぐるみたちである。
おおよそのデザインは同じ四体だが、よく見ると少しずつ違っている。
セイジェルやミラーカが確認したように、四体ともその目には、それぞれ本物の翠玉、紅玉、琥珀、藍玉が嵌められているのだが、他にも背びれが風を示すようなふさふさだったり、焔を示すようにその房が波立っていたり。
また魚の鱗のようだったり、植物の葉のようだったり。
顔の形も同じだが、やはり耳の形が違っているなど、本当に少しずつ違っていた。
そしてその違いの意味にミラーカは気づいていたが、ノエルが言いたいことはもっと違うことである。
「ふわふわ」
どうやらぬいぐるみという物がわからないのだろう。
不思議そうな顔をしてぬいぐるみたちを眺めているノエルを見て、ミラーカは思わずふふふ……と笑ってしまう。
「それはぬいぐるみと言って、姫様のお友だちですわ」
「ノエルの……」
「ええ、姫様のお友だちです」
「ノエルのおともだち……おともだち……」
ぼんやりとした表情でしきりに首を傾げていたノエルだったが、ミラーカの言葉を何度か繰り返すと、不意に表情がパッと明るくなる。
「ノエルのおともだち!
ノエル、うれしい」
「それはよろしゅうございました。
きっと閣下も喜ばれますわ」
「セイジェルさま」
「ええ。
明日の朝食の時、閣下にお礼を言いましょうね」
「わかった」
「もうお名前は決めたのですか?」
「なまえ」
「ええ、四人もいますからね。
それぞれに名前を決めてあげましょうね」
「なまえ……しろちゃん」
今朝、あの部屋で最初に白いドラゴンを手にした時、ノエルがそう呼んでいたことを思い出したミラーカは、すぐに他の三体の名前も見当がついた。
でも一応訊いてみる。
「他の子たちはどうしますか?」
「……ももちゃん」
「青色の子は?」
「あおちゃん」
「緑色の子は?」
「みどりちゃん」
ノエルからは予想通りの答えが返ってきた。
それでも最後まで聞いて、心の中で納得する。
(やっぱりそうなるのですね)
けれど他の名前を薦めようとは思わなかった。
ご飯が食べられるとわかった時よりも、寝台に温かい寝具が用意されているとわかった時よりも、ノエルが嬉しそうだったからである。
ミラーカに四体の名前を尋ねられた時も、嬉しそうに四体を見ながら答えていたから、ミラーカも 「ももちゃん」 と聞いた時から青と緑の名前はわかったけれど、最後まで聞くことにしたのである。
「ミラーカさま、しろちゃん、かわいい」
「ええ、可愛いですね」
「ももちゃん、かわいい」
「ええ」
「みどりちゃん、かわいい」
「ええ」
「あおちゃん、かわいい」
「ええ」
これも養育係の務めである。
わかっていても途中で遮らず、最後までノエルの言いたいことを聞いて、笑顔で相槌を打つ。
いつものミラーカなら、ももちゃんの段階で遮っていたところである。
それはそれは見事にすっぱりと遮っている。
だがそれをやってはいけないのが養育係の務めである。
努めて笑顔で穏やかに相槌を打ち続けた。
そんなミラーカを見て、ひっそりとジョアンが言っていたことがある。
「お嬢様も大人になられましたわ」
幼い頃からの顔見知りとはいえ、領主が相手でも言いたい放題のミラーカだからそう言われても仕方がないだろう。
特にジョアンは幼い頃からミラーカの世話をしてきたので、その成長を目の当たりにして喜びもひとしおだったに違いない。
もちろんその呟きはミラーカにも聞こえていたのだが、「大人になった自分」 を見せるべく堪えたことはいうまでもない。
「あのね、マーテル、おともだちいっぱいいた。
ノエルもおともだち、ほしかった」
まだまだ恐怖が残るノエルは、「マーテル」 と呼ぶのに喉を詰まらせながら、少し淋しそうに過去を思い出す。
ノエルの一歳違いの弟マーテルは、いわゆるガキ大将である。
子どもでも学校に上がる年齢になれば親を手伝って畑に出るが、マーテルは学校から帰ってきたらいつも、同年代の子どもたちはみな親の手伝いをさせられるため、まだ親の手伝いをするには幼い子どもたちを引き連れて遊んでいた。
村中を走り回って遊んでいたのである。
昼間は家で休んでいることの多かったノエルだが、時々その姿を遠目に見てずっと羨ましく思っていた。
羨ましく思ったけれど、決して口に出して言うことは許されなかった。
そもそも家族は誰もノエルの言葉に耳を貸してくれることはなく、ノエルも叱られたり機嫌を損ねたりするのが怖くて言えなかった。
その友だちが初めて出来たことで、それが生きた人間ではなく玩具であっても嬉しかったのだろう。
ぼんやりした表情で過ごしていることの多いノエルが、ぬいぐるみを相手に、ずっと嬉しそうな顔で話し掛けている。
もちろん返事はない。
でもノエルには嬉しかったらしい。
ずっと楽しそうに、たどたどしい言葉で一所懸命に話し掛けているのである。
「本当によろしかったですわ」
「ノエル、うれしい。
しろちゃん、かわいい」
「ええ、姫様も可愛いですわ」
「ももちゃん、かわいい」
一見噛み合っていない会話だが、きっとノエルはわかっていない。
それでもほとんど話すことのないノエルが自分から話しているのである。
ミラーカはその様子を眺めながらゆっくりとお茶を飲む。
もちろん全く内心が穏やかだったわけではない。
ノエルを喜ばせたぬいぐるみを与えたのがセイジェルだから、多少なりと面白くないと思っている。
でもそれを言葉に出すことはもちろん、態度に出すこともしなかった。
意地である。
そしてジョアンを心底感心させたのである。
だが気がかりなこともある。
ノエルがあまりにもはしゃいでいるので疲れてしまうのではないかと思われたのである。
だからジョアンたちと相談して、この日はいつもより少し早く夕食を摂らせ、湯に入れることにした。
そのためあらかじめ厨房にも話して、夕食の支度を早めてもらった。
「おふろ、あったかい」
「ええ、ちゃんと湯を用意しましたわ」
クラカライン屋敷に来た初日、ノエルに植え付けられた冷たい水風呂のトラウマは未だ癒えていない。
ノエルを湯に入れる支度を始めるたびに訊かれるのだが、その不安げな顔にミラーカは根気強く答え続ける。
もちろん笑顔で。
だが今日はさらに話が続いた。
「しろちゃん、いっしょにはいる」
「残念ながら、それは出来ませんわ」
「ノエル、いっしょがいい。
あおちゃん、いっしょがいい」
しろちゃんどころか、おそらく四体と一緒に入りたいのだろう。
だがしろちゃんたちはぬいぐるみである。
湯に入れたりしたら水を吸って大変なことになってしまう。
浴室に向かう足を止めて必死に訴えるノエルを宥めながらなんとか湯に入れるけれど、上がったら上がったで髪を乾かすのもそこそこに、居室で待っているぬいぐるみたちのところに行きたがる。
するとタオルで髪を拭くジョアンがこんなことを言い出す。
「大丈夫ですわ、しろちゃんたちはちゃんと待っていますから」
「いる」
「ええ、ちゃんと待っていますからね。
さ、綺麗に髪を拭きましょう」
おそらくノエルは、しろちゃんたちがいなくなるというより、誰かに取られるかもしれないと恐れているのだろう。
だからそばから離したくなかった、そばから離れたくなかった……と気づいてミラーカは小さく息を吐く。
(そういうことでしたのね)
それでも一緒に湯に入れるわけにはいかないのである。
なにか方法はないかと考えながら、寝間着に着替えたノエルを連れて居室に戻る。
するとノエルは、ソファにすわって待っていた四体のぬいぐるみに駆け寄り、一体ずつ抱き上げて挨拶をする。
特になにか話し掛けるのではなく、一体ずつ頬ずりするのである。
それが一通り終わると、ミラーカを振り返って言い出す。
「ミラーカさま、しろちゃん、いっしょにねる」
「ええ、一緒にお休みしましょうね」
「ももちゃんもいっしょにねる」
「ええ、そうしましょうね」
当然これもみどりちゃん、あおちゃんと続くのだが、ミラーカは辛抱強くノエルに付き合う。
かつて神官として神殿に仕えていたことのあるミラーカは、これを一つの儀式だと考えることにした。
いずれノエルが飽きるか簡略化されるだろうとも考えた。
実際はどうなるかわからないし、もしそうなったとしてもどれくらいかかるかもわからないのだが……。
一通り儀式を終えると寝所に行くのだが、やはりノエルは自分でぬいぐるみたちを連れて行きたがる。
どんなにノエルの部屋が広いといって、カーテン一枚で隔てられた居室から寝所までの距離なんてしれている。
三人の大人たちに反対されることなく望みが叶ったノエルはとても満足そうに、まずは一番お気に入りらしいしろちゃんを抱えて寝所へ。
ところが人が二人くらい通れるほどカーテンを開いて待つアスリンのそばまで来たところ、不意にその足が止まる。
「姫様、どうかなさいまして?
……アスリン?」
「あの……」
居室側から声を掛けるミラーカだが、微動だにしないノエルはなにも答えない。
そこでそばに立っている側仕えのアスリンに声を掛けるのだが、彼女も様子がおかしい。
戸惑っているような、それでいて笑いを堪えているような、そんな奇妙な表情や仕草をしているのである。
一体何事かと思ってミラーカも腰を上げるが、ノエルのうしろから寝室を見て驚く。
いつのまにか……いや、おそらくミラーカたちがノエルを湯に入れているあいだだろう。
そのあいだに誰か来たらしく、ノエルの大きすぎるほど大きい寝台の四隅に、これまた大きなドラゴンたちが文字取り鎮座していたのである。
デーン
「……アスリン、これはいったいどういう……」
「これは、その……」
驚きのあまり最後まで続かないミラーカの問い掛けに、アスリンは戸惑いながら答える。
ノエルを湯に入れるジョアンと、それを見るミラーカ。
そのあいだアスリンは寝所の用意をしていたのだが、三人が浴室に入ってほどなく、セイジェルの側仕えが運んできたというのである。
彼らは驚くアスリンにかまわず四体の巨大ドラゴンを寝台の四隅に鎮座させると、一人がアスリンに 「旦那様から姫様にお届けするよういわれまして」 とだけ言い置いて部屋を出て行ってしまったという。
「つまり、これも閣下から姫様に?」
「そのようでございます」
セイジェルのいつにない様子にミラーカはとにかく戸惑ったが、すぐそばに立つノエルがようやくのことで我に返ったらしい。
大事そうにしろちゃんを抱きしめたままミラーカを見上げる。
「ミラーカさま、ミラーカさま、あれ、おっきいこ、いる」
「え、えぇ、あの子たちも閣下から姫様に、だそうです」
「かっか……セイジェルさま……」
「あれらも姫様の新しいお友だちですわ」
「ノエルのおともだち……いっぱい、うれしい」
「さ、新しいお友だちにもご挨拶しましょうね」
そう言ってミラーカが寝台に促すと、ノエルは少し躊躇いながら寝台に近づく。
とにかく大きな寝台である。
五歳児ほどもある大きなぬいぐるみが四体、四隅に置かれたところで全く問題はない。
しろちゃんを寝台に置くと、急いで残る三体のぬいぐるみを持ってきたノエルは寝台に這い上がり、四隅に置かれた新しいぬいぐるみに挨拶をする。
その首にぎゅっと抱きついて頬をスリスリするだけなのだが、やはりノエルにとってはそれが挨拶らしい。
「おっきいこ、かわいい」
「ええ、かわいいですね。
明日、閣下にお礼を言いましょうね」
「わかった」
元気に返事をして眠りにつくノエル。
興奮してなかなか眠らないかとミラーカたちは心配したけれど、いつもと同じく息を吸うように眠りに落ちる。
けれど予想通り、次の日は朝から熱を出してしまう。
だが数日後、熱が下がった朝食の席でセイジェルと顔を合わせると、ミラーカに言われたことをちゃんと覚えていたらしい。
「セイジェルさま」
食事が始まる前にノエルからセイジェルに話し掛けたから、ミラーカはてっきりぬいぐるみたちのお礼を言うのだと思った。
ひょっとしたらセイジェルやセルジュもそう思ったのかもしれない。
けれどノエルの口から出て来たのは……
「あのね、しろちゃん、かわいい」
朝食の席には一体しか連れてきてはいけないと言われてとても残念そうにしていたノエルだったが、食事室では、ノエルの席のとなりに予備で作られたノエルの椅子が置かれていた。
そこに今日のお伴であるしろちゃんをすわらせてご機嫌なノエル。
そのあとセイジェルの今日のお伴であるヴィッターにすわらせてもらい、早速セイジェルにお礼を言うのかと思ったらこれである。
だがセイジェルはノエルに興味がない。
あるいはノエルが言いたかったことが通じたのか。
見ているだけのミラーカはもちろん、それなりに仲のいい従兄弟であるセルジュにもわからなかったけれど、セイジェルは短く応える。
「そうか、よかったな」
【側仕えヴィッターの呟き】
「姫の気持ちはわからないでもありません。
飢えるとは本当に辛いことです。
何日も食べられない辛さ……オズガルドに飼われていた頃を思い出します。
あの男、今頃はなにを……ああ、そうでした。
この手に掛けられた至福を忘れていたなんて、わたしとしたことが。
もう二度と、あれほどの至福は味わえないというのに……」