48 風の暴君の来襲 ー祝福
PV&ブクマ&評価&感想&誤字報告&いいね、ありがとうございます!!
現われた聖獣グリフォン。
風の大地を守護する聖獣を前に、ブランカの領主セイジェル・クラカラインは・・・
このマルクト国には、守護聖獣と呼ばれる生き物がいる。
水の一角獣。
大地の灰青狼。
焔の不死鳥。
そして大空の金獅子。
緑の領地に生息する大地の灰青狼以外はこれまでに存在が確認されておらず、あるいは架空の生き物とされてきたが、その一種族である金獅子が天空高くより風を纏い、一同の眼前に突如として舞い降りたのである。
その唐突さにある者は驚きのあまり言葉を失い、またある者は警戒すら忘れて恐怖に震え、はたまたある者は事態が飲み込めず放心する。
そんな中、白の領地の人を代表して口を開いたのは、領主のセイジェル・クラカラインである。
「風の暴君が我ら人の前にお出ましとは、珍しいこともあるものだ」
『……生意気な小僧、誰に向かって口を利いている?
その口を閉じるがいい』
金獅子を前にして 「暴君」 呼ばわりしたセイジェルに対し、金獅子も不快感を隠さない。
陽を受けて金色に光る瞳でセイジェルを睨みつけ、尊大な言葉を返すもののその口は動いていない。
だがその場にいる誰もが確かに金獅子の声を、言葉を聞いていた。
「あたま、こえする」
その声が耳から聞こえるのではなく、直接頭の中で響いていることに気がついたノエルは驚き、さらに怯える。
周囲でもそのことに気がついた騎士たちがざわめいているが、ノエルのように怯えることはない。
だが隠せないほど動揺している。
「大丈夫です、閣下がおられます」
風を纏う聖獣を相手に、焔の魔術を使うのは危険である。
下手に焔を召喚しようものなら、圧倒的な魔力の差で制御を奪われてしまうだろう。
アーガンもまた、頭の中に直接響く金獅子のものと思われる声に動揺していたが、その程度の判断が出来る程度には落ち着いており、ノエルを気遣うことも出来た。
そしてその危険を覚悟で、いざという時にはノエルを連れてこの場を脱出出来るように、いつでも焔を召喚出来るよう備えている。
「そなたはそれを守れ」
それが領主からアーガンに出された命令だから。
アーガンなど足下にも及ばぬ上級魔術師であるセイジェルならば、万が一の事態にアーガンが焔の魔術を使っても、火傷一つ負うことなく自身を守ることが出来るだろう。
同じく高位魔術を操ることが出来るセルジュも。
直属の部下であるファウスやイエルを巻き込むことは不本意だが、今のアーガンにとっては、同輩である騎士たちよりもノエルを守ることが最優先事項である。
それが今の第一主命だから。
例えそのことで金獅子の怒りに触れ、己が身を自身の焔で焼かれることになったとしても……。
「ぜ……ん員態勢を崩すな!
閣下をお守りするのだ!」
一度は緊張と恐怖に飲まれた小隊長だが、護衛騎士を率いる意地がその使命を思い起こさせたのか。
領主が 「手を出すな」 と命じた今は現状維持となるが、いつ変わるともしれない状況に対応出来るよう、騎士の矜持を忘れて逃げ出しかねないほど浮つく部下たちを鼓舞する。
その声にほとんどの騎士は使命を思い出したものの、白の領地に生きる民の宿業か。
守護聖獣に対する畏怖の念を完全に拭い去ることが出来ない。
しかも聖獣とはいえ獣は獣。
それが人の言葉を用い不快の念を示しているのだ。
すぐに気持ちを切り替えることは難しく、ほとんどの騎士が、領主を守るという自身の役目に集中出来ずにいる。
「……おそらく念話だな」
そんな騎士たちの不安な心を鎮めようというのか。
珍しくセルジュが口を開く。
「以前に読んだ、古い文献にあった念話というものだ」
「それならばわたしも読んだ記憶がある。
確か緑の領地で、灰青狼と遭遇した神官が記述したものだったはず」
金獅子を前に立つセイジェルが、平時と変わらない調子で従兄弟の話に合わせてくると、セルジュも 「ああ、おそらく同じものだろう」 と同意する。
そんな二人の話によると、聖獣とはいえやはり獣は獣。
人の言葉を解することはなく、また話すこともない。
だがとある緑の神官が、彷徨い込んだ樹海の中で歳経たと思われる灰青狼と遭遇。
その灰青狼が直接頭の中に話し掛けてきたという。
それを神官は、文献に 「念話」 と書き記したのである。
「念話は魔術ではないため、我ら人には扱えぬ」
もちろん神官の記述がどこまで正しいかはわからない。
だが過去の文献に、聖獣に関する記述はそれ一つきり。
他に参照出来るものはない。
そして念話は 「我ら人には扱えぬ」 ため、灰青狼にしろ、金獅子にしろ、聖獣がどこまで人の言葉を理解しているかわからず、人側の意志を伝えることが難しい。
書物に残された古い記録によると、その神官はどうやら灰青狼の聖域に迷い込んでしまったらしく、すぐに出ていくよう念話で命じられたという。
もちろん神官もすぐさま聖域を侵した非礼を詫びた。
そして好きで入り込んだわけではなく、迷い込んだこと、出口がわからないことを説明しようとしたが、灰青狼は同じ言葉を繰り返すだけで神官の言葉には耳を貸さず、挙げ句には威嚇してきたという。
命からがら樹海から逃げ出し神殿に帰り着いた神官は、その時の様子を思い出し、灰青狼自身が人の言葉を使うわけではなく、念話という摩訶不可思議な術によって、灰青狼の意志を、より近い人の言葉に変換しているのではないかと推測して記録を終えている。
これについてセイジェルとセルジュは、新たな記録が取れるなどと面白がっていたが、それは後日談。
この時点でクラカライン家の魔術師二人は、神官の記述とは違う点に気づいていた。
そう、金獅子はセイジェルの言葉に不快の念を返したのである。
セイジェルなりの敬意を込めて金獅子を 「風の暴君」 と呼び挨拶をしたつもりだったのだが、それに対して金獅子はセイジェルのことを 『生意気な小僧』 と呼び 『誰に向かって口を利いている?』 と不快感を示した。
つまり会話が成立しているのである。
もちろん同じ聖獣とはいえ、灰青狼と金獅子の違いもある。
さらには神官に聖域を侵された灰青狼は怒っていたと思われるが、セイジェルたちは金獅子の聖域を侵していないどころか、金獅子のほうからこんな人里近くまでやって来て自ら姿を現わしたのである。
この違いに意味はあるかもしれない。
そもそもセルジュが言い出すより先にセイジェルが古い文献のことを思い出していたなら、魔術師の探究心から、あえて自分から金獅子に話し掛けた可能性もある。
護衛騎士たちはともかく、セイジェルにそういうところがあることを知っているセルジュやアーガンは、その可能性が高いことを強く思わずにはいられなかった。
わざと挑発するようなことを言った可能性も……。
(よりによってこんな状況で……こやつは!)
(閣下、お戯が過ぎますぞ)
こちらの従兄弟二人の内心を知ってか知らずか、平時と変わらぬ様子を見せるセイジェルは改めて金獅子に話し掛ける。
「聖獣殿にはお初にお目に掛ける。
わたしはクラカライン家の当主、セイジェル・クラカラインと申す」
『クラカライン……あの小賢しい魔術師の……』
金獅子に向かって敬意を表して膝を折ることはせず、だが恭しく挨拶をするセイジェルに、金獅子もクラカラインの名に覚えがあったらしい。
すぐには思い出せなかったようだが、鼻に皺を寄せて呟くように返す。
過去の文献に、金獅子に関する記録はない。
少なくとも明らかな実在を証明する記録はない。
だがその様子を見るからに、金獅子はクラカライン家を知っているらしい。
それならば公にはともかく、クラカライン家にはなにかしら記録が残っていそうなものだが、全くないというのも奇妙な話である。
しかも良好な関係とは言いがたいのも、金獅子の様子から推測出来る。
それは明らかに魔術師としての探究心ではないけれど、クラカライン家の一員としてはセイジェルも気になったはず。
だが問うことは金獅子が許さなかった。
『懐かしい笛の音に、久方ぶりに人里を訪のうてみれば、奏者がそなたであったとは、なんたる不覚』
「一体どなたと間違えられたのか。
わたしほどの名手もそうそういないと思うが」
『黙れと言っているのが聞こえぬか、小僧。
この良き日に血を流すは本意ではないゆえ、この場は見逃してやろうと思うておるのに』
「寛大なご処置に感謝すべきか?」
『このわたしにそのような口を利くとは。
その小賢しさは血か』
セイジェルの挑発に乗せられ、鼻に寄せたしわを深くする金獅子に周囲の騎士たちは緊張を高める。
だが意外にも金獅子のほうから話の矛先を逸らせる。
『そなたの相手はあとだ。
まずはご挨拶をせねばならぬ』
そのためにわざわざ足を運んだのだから……とばかりに言い置いた金獅子は、セイジェルを上目遣いに見てふんっと一つ鼻を鳴らす。
実際には笛の音に釣られて訪れてみれば偶然そこにいただけなのだが、誰がいたというのだろうか?
踵を返した金獅子の足がゆっくりとノエルに向かうのを見て、アーガンの手が、背に負った大剣の柄に伸びる。
だがその先の動きを、セイジェルがたった一言で制する。
「アーガン、動くなよ」
「ですが、閣下……」
白の領地に生まれ育った白の民にとって金獅子は聖獣だが、赤の領地で生まれ育ったノエルにとってはただの獣である。
まして生まれ育った村の近くで獣が見られるたび母親に、「獣の餌にしてやる」 などと言われ続けてきたのである。
聖獣と獣はおろか、おそらくそれらと魔物の区別すらつかないだろうノエルは、近づいてくる金獅子を見て 「たべられる」 とか 「こわい」 と繰り返し呟く。
逃げ出したいけれど、すっかり固まってしまった体は動くことが出来ず、ただただ抱えた鞄を握りしめて怯えるばかり。
けれどアーガンは、セイジェルの言葉に阻まれて助けてやることが出来ない。
金獅子もまた、そんな人間の事情になど一切お構いなし。
怯えるノエルの様子すら気に留めることなく近づくと、おもむろに下肢を下ろし、広げていた黄金の翼を閉じる。
そしてまっすぐにノエルを見る。
『幼き盟主にご挨拶申し上げる。
ヒトは我を金獅子と呼ぶが、本性はただの風なれば好きに呼ばれよ。
盟主が名付ければ、それが我が名となる』
それはつまり、かつての盟主が金獅子と名付けた、そういうことだろうか。
ノエルに語りかける金獅子の話に、そんなことを考えたのはセイジェルだけではないはず。
そもそも盟主とは?
抱かずにはいられない疑問だが、誰一人、口を開くことなくノエルに語りかける金獅子の言葉に耳を傾ける。
もっとも金獅子の声は口から発せられておらず、相変わらず念話なるものが使われ、この場にいる人の頭の中に直接響き拒むことを許さない。
『遅れ馳せながら、新たな盟主のご誕生に言祝ぎ申し上げる。
まだ幼きご様子なれば、どうか健やかに育たれよ』
ノエルが生まれてすでに九年。
明らかに遅い挨拶だが、時間の概念が人とは異なるのかもしれない。
それでもやはり、聖獣が人の子の健やかな成長を祈るというのは違和感がある。
そんな疑問ばかりの金獅子の来訪だが、現われたのが唐突ならば去るのも唐突。
降ろしていた下肢をあげたと思ったら数歩後じさり、閉じていた黄金の翼をゆっくりと広げる。
そして一回だけ、大きくゆっくりと羽ばたくと、ふわりとその四肢が地面を離れる。
「お帰りの前に一つだけ」
『また貴様か』
去就を察したセイジェルがすかさず声をあげると、金獅子は再び鼻に皺を寄せ、視線だけをセイジェルに向ける。
するとセイジェルは改めて問い掛ける。
「お帰りの前に一つだけ、問うことをお許しいただきたい」
『口の減らぬ魔術師め。
貴様の知りたがることなどわかっている。
かつて、貴様と同じ問いをした者があったからな』
「それも血筋というものか。
わたしは後見人として知っておくべきと思ったまでのこと」
セイジェルの言葉に金獅子はじっと彼を凝視したままでいたが、やがて視線をノエルに移し、またセイジェルに戻す。
そして応える。
『ヒトの姿をして生まれるのは、ヒトの世に必要ということ。
ヒトの姿をして生まれた盟主はヒトの世のものということだ。
我はヒトの世には関知せぬ。
ただ健やかに育たれることを願うのみ』
「なんとも素っ気ないお言葉だ」
『貴様など、我と言葉交わすことさえ許されぬ身。
応えてやっただけよしと思え』
「それはそれは寛大なことで」
ヒトの世、特にこのマルクト国には四つの領地それぞれに思惑がある。
そしてそれぞれの領地内でも様々な思惑があるように、聖獣にもなにかしら思惑があるのか。
あるいはセイジェルたちには理解出来ないだけで、その答えは核心を突くものなのか。
疑問ばかりが増えるけれど、金獅子はそれ以上答えることは愚か、この場に留まることもしなかった。
『che tu possa essere felice……』
そう呟いて空高くへと還ろうとする純白の獅子は、黄金の翼をゆっくりと大きく羽ばたかせて風を起こす。
巻き起こる風に、金粉と黄金の羽根を舞い散らせながら、
その中でも一際大きな羽根の一枚がノエルの頭上に。
また一枚がセイジェルの頭上へと舞い降りる。
すかさず掴もうと手を伸ばすセイジェルだが、羽根は彼の手を擦り抜けて額近くへと舞い降りると、触れた額からセイジェルの中へと溶け込むように消えてゆく。
「セイジェルっ?」
「閣下っ?」
「領主!」
近くで見ていたセルジュやアーガン、騎士たちが驚きに声をあげるが、当のセイジェルは額に手を当てて少し考え込んでいたが、やがてそれらの声に応える。
「落ち着け、大事ない」
「それなら……いいが……」
セルジュ同様、騎士たちも不安は拭えない様子。
だが実際、羽根が額に触れた瞬間、ほんのりとした生暖かさを感じた程度で、体に違和感はない。
もちろんこのままなにもないとは限らないが、この場ではなにもないのでそう答えたのである。
一方のノエルは、降ってくる羽根をぼんやりと眺めていた。
セイジェルのように羽根を掴もうなどとせず、ただぼんやりと。
そして羽根の光が視界いっぱいになったところで意識が途切れる。
棒きれのように痩せっぽちなノエルの体が、膝からかくりと崩れ落ちるのを、寸前に抱き留めるアーガン。
「姫っ?!」
自分の調子と金獅子の動きを油断なく見ていたセイジェルも、アーガンの声でノエルに異変があったことに気づき一瞥をくれるが、すぐさま視線を金獅子に戻す。
そしてそばに立つセルジュに話し掛ける。
「あちらはそうではないようだ」
「あれは……俺にはわからぬ」
「そなたにわからぬのであれば、わたしには到底わからぬな」
「これからはそうもゆかぬだろうがな」
「なるほど」
「金獅子殿にはおわかりか?」
『……風とは馴染まれるが、光とはやや相性が悪いと見ゆる』
「なぜ?」
『我が与えるは光と風の加護。
いずれ馴染まれるであろう』
それはノエルがオブシディアンであることと関係があるのだろうか。
黒という色が闇に通じるのならば、確かに光とは相性が悪いかもしれない。
セイジェルやセルジュがそんなことを考えているあいだにも金獅子は空高くへと舞い上がり、大空を駆けるように去って行く。
人の声など、どんなに張り上げても届かないほど遙か高みへ。
ほどなくその姿は光となり、やがて風となって見えなくなった。
【ある騎士の呟き】
「笛の名手とは伺っていたが、妙なる音色で聖獣を呼び寄せるとは、さすが領主。
聖獣の降臨に立ち会う機会など、この先あることではない。
なんという僥倖だ。
しかも聖獣殿の祝福を受けられるとは、さすが歴代領主の中でも名君と名高い領主だ。
それにしてもあのこどもはいったい……?」