32 我らを守りし光と風、その御心に願う ー祝福
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村長の家に迎え入れられる一行だが、結局水門が閉じられていない理由はわからないまま。
かわりにこのあたりの村を悩ませる由々しき問題を、村長から聞かされることに・・・・・・
「なぜこの時期に水門が閉じられていないのですか?」
「わかりません」
セルジュの問いに、率直に答える村長に嘘を言っている様子はない。
そのまま水門が閉じられていない理由はわからなかったが、獣は放っておけない。
村長の話どおりなら、間違いなく青の季節にはこのあたり一帯の村が襲われる。
被害は家畜に留まらず村人にも及ぶだろう。
それも一人や二人では済まず、死者も出るに違いない。
執政官であるセルジュも、アーガンたち騎士も、さすがにこれは見過ごせない。
一行が領都を出立する前、すでに領地境の討伐遠征隊は出立しており、残る部隊の編制はだいたいアーガンの頭にも入っている。
脳筋とはいえ、仮にも小隊を預かる身である。
当然だろう。
元々白の領地は四つの領地最大の軍備を持つ。
領都ウィルライト城、及び城下町の守りは堅牢である。
領都守備に必要な兵力を考え、自らも狩りに参加するというアーガンに、同席する二人の部下もうなずく。
そんな彼らを見て、当事者である村長は話がわからず呆気にとられるばかり。
「あの……いったいどういう……?」
困惑のあまりそう発するのが精一杯。
ただただ目を白黒させている。
いや、もう一人。
アーガンの膝におとなしくすわっていたノエルだったが、「獣」 と聞いて急に落ち着きがなくなる。
生まれ育った村も山が近く、獣の姿がしばしば目撃されていた。
そして目撃されるたびに機嫌の悪いエビラがノエルに言うのである。
「餌にしちまうよ、このグズ」
それはノエルにとって、叩かれたり蹴られたり、ご飯を抜かれたりするのと同じくらい恐ろしかった。
ここにエビラはいないとわかっているけれど、それでもやはり 「獣」 と聞くと、生まれた時からずっと聞き続けている母親の声を思い出し、怖くなるのである。
「どうした?」
「けもの、こわい。
お母さん、えさにするっていう。
いっつもえさにするっていう」
「ああ……」
たどたどしいノエルの答えに、またしてもこみ上げてくるどこにもぶつけようのない怒りに、アーガンは、エビラを一発くらい殴っておけばよかったとさえ思ってしまう。
どうして彼女は自分の娘を……ただただその疑問を繰り返し、こみ上げてくる怒りを堪える。
だが堪えきれず顔に出ていたらしい。
「隊長、顔が怖いです」
場を和ませるためあえて指摘するイエルの苦笑に、アーガンもまた 「失礼な」 と、わざとムッとしてみせる。
丁度その時である。
扉が開いて、数人の女たちが手に手に籠や水差しなどを持って入ってくる。
「さぁさぁお待ちどおさん」
「焼き立てだよ」
そう言ってテーブルの上に焼き上がったばかりのパンを積んだ籠を置いたり、それぞれの前にコップを置いたり。
別の女は抱えるように持った水差しから、温めたミルクをそれぞれのコップに注いで行く。
「お前たち、外にいる客人にも忘れんようにな」
村長はセスのことも忘れていなかったけれど、当のセスは見張りに飽きてしまったらしく、いつのまにか持ち場を離れて村の子どもたちと遊んでいた。
そんな奴に食わせる必要はありませんなどとイエルは村長に言うけれど、村長も女たちもただ笑うだけ。
どうやらセスは外で、一緒に遊んでいた村の子どもたちと食べるらしい。
パンを入れた籠を持ってきた女が、大きなお腹を抱えて不自由そうに歩いているのを見てイエルが声を掛ける。
「随分大きいですが、そろそろ生まれるんですか?」
「ええ、来月あたりですね」
嬉しそうに答える女を見て、イエルもまた優しい笑みを返す。
「無事に、元気なこどもが生まれますように」
「ありがとう」
女は嬉しそうに返事をしながら、ミルクを入れた水差しを抱える女に話し掛ける。
「いい男に言われると、こどももいい男に生まれてきそうな気がするわ」
「なに言ってるんだい。
旦那に言い付けてやるよ」
そんな軽口に花を咲かせながら女たちが出ていくと、村長が口を開く。
「かしましくて申し訳ない。
なにしろなにもない村ですから、人が来るのが珍しいのです。
時々近くの村から顔見知りが来るのがせいぜいで、あとは町から役人が、こちらは本当に時々。
こんな風に旅の方が立ち寄ってくださるなんて、もう何年もなかったことです。
みな、珍しいことにすっかり浮き足立ってしまって」
焼き立てのパンを頬張る一行を前にそんな話をする村長もまた、嬉しそうである。
きっとなにが……というわけではないのだろう。
ただ何年かぶりの来訪者を喜んでいる、それだけ。
折角立ち寄ってくれたのに、こんな物でしかもてなせなくて申し訳ないとまでいうけれど、アーガンたちには十分なもてなしだった。
上品に、パンを一口サイズに千切って食べるセルジュとファウス。
豪快に食い千切るアーガンとイエル。
アーガンの膝にすわるノエルは、しばらくテーブルの様子を見ていたが、アーガンやイエルを真似て、小さな口を精一杯開いてパンを頬張る。
挙げ句には、最後に残った温かなミルクを一気飲みするアーガンを真似、出来たお揃いのミルク髭を服の袖で拭うところまでを真似る。
この時、勢いよくコップを煽ったアーガンのフードが脱げ、見事な赤毛が露わになる。
その色を見た瞬間に驚いた村長だったが、ノエルの拭き残しを拭ってやるアーガンを見てなにも言わず。
うっかりしていたアーガンはそのまま出立の時を迎え、村長の家から出てしまうが、見送りに集まっていた村人たちも、一瞬はその色に驚くけれど、誰もなにも言わなかった。
そろそろ出立すると切り出すアーガンに、村長は最初、もう少しゆっくりしていけばどうかと引き留めたけれど、あまり余裕のある旅ではない。
それどころか依頼主からは帰都を急かされている。
もちろんそのことは話さないけれど、旅路を進めたいということで席を立つと、村長は諦めた様子で、家の外で遊んでいたこどもを厩舎に走らせる。
客人が出立するから馬を門に連れてくるようにと。
そうして自身も一緒に外に出ようとしたのだが、奥から掛けられる声に応えると、アーガンたちに、少しだけ出立を待って欲しいと言い置いて奥へといってしまった。
先に村長の家を出たアーガンたちは門のところへと向かい、しっかり休んだらしい馬の鞍に荷をつけるなど出立の準備を整える。
支度を終え、村長はまだかと、見送りに集まる村人を振り返って、その中に先程のお腹の大きな女を見つける。
おそらく隣に立っている、似た年齢の男が夫だろう。
丁度イエルを指さして二人で何事か話していたが、喧嘩をしているわけではなさそうだ。
女のほうは楽しそうだが、男のほうは少しばつが悪そうな顔をしている。
そこに、なにを思ったのか、セルジュが近づいていく。
次々に集まってくる村人たちはその様子を興味深げに見ていたが、おもろにセルジュがフードを脱ぐのを見て、驚きというより溜息のようなものが漏れる。
綺麗に束ねられた、薄い金色の髪が珍しかったのだろう。
セルジュは明るい緑色の瞳で夫婦とおぼしき二人を順に見て、声を掛ける。
「そなたたちは夫婦か」
「はぁ……」
セルジュの質問が唐突だったためか、男の返事ははっきりしなかったがセルジュは気にせず、夫婦の周りにいる村人たちに少し離れるよう言う。
なにが始まるのかと興味津々の村人たちが見守る中、呼吸を整えたセルジュは低く唱え始める。
「alu……我らを守りし大いなる風よ、あまねく照らす光よ、その御心に願う。
ここに宿りし新たな生命に、安らかなる祝福を賜りたく願い申し奉る。
その二親にも、健やかなる成長の助けとして、祝福を分け与え給え」
肩幅より少し狭いくらいに開いたセルジュの足下に、詠唱に応えるように表われる魔法陣を見て、村人たちのあいだにざわめきが起こる。
そしてふんわりとした風と柔らかな光が女の大きな腹へと宿り、一呼吸ほどの間を置いて女の腹から風と光が夫婦二人へと広がり、包む。
そして魔法陣は役目を終えて消える。
ほんの短い出来事に村人たちはなにが起こったのかわらず、呆気にとられ静まりかえっている。
魔術自体見る機会がほとんどないこともあっただろう。
特にこどもたちの中には初めて見る子も多く、目を大きく開いてポカンとした表情で驚いている。
その静寂を破ったのは、ようやくのことで現われた村長である。
「今のは……祝福でございますか。
なんと、ありがたい」
幾つもの小さな包みを抱えて現われた村長の言葉に、村人たちはざわめき出す。
村長自身も驚いているらしく、早足に進んでセルジュに近づく。
通常は定期的に村を巡回する神官が、十歳前後のこどもの魔力を調べるついでに、村で新たに生まれた赤子を祝福するのだが、このシルラスではもう何年も前から神官の巡回がないらしい。
魔力とは縁の無い知事アロン・ハウゼンの、嫉妬から来る嫌がらせとも考えられるが、確かなことはわからない。
祝福自体は町の神殿へ行けば受けられるけれど、生まれて間もない赤子を馬車に乗せて連れて行くのは難しく、そのため村には祝福を受けられないままのこどもが多いという。
しかもタダではない。
わずかばかりとはいえ、布施をする必要がある。
村長の言葉を聞き、自分たちが祝福を受けられたことを知った夫婦も、慌てて布施のことを相談し始めるが、セルジュは 「必要ない」 と答える。
「わたしは神官ではない。
正式な手順も踏んでいないものだ、礼には及ばぬ」
そう言ってアーガンたちのところに戻る。
村長も来たことだし、いよいよ一行は村から出立しようとするが、村長が抱えていたいくつかの包みを差し出す。
「どうぞ、こちらをお持ちください。
先程のパンです。
わずかではございますが、食糧の足しに」
どうやら一人分ずつを包んでいるらしい。
最初はそこまでしてもらうわけにはいかないと断っていたアーガンたちだったが、村長に折れる様子はなかったし、セルジュに祝福された夫婦も 「是非持っていって欲しい」 と語気を強める。
ここで問答をしても仕方がないこともあり、ありがたく頂戴した一行はそれぞれで包みを受け取り、荷物に入れる。
もちろんノエルの鞄にもアーガンが入れてやると、ちゃんと自分の分もあったことが嬉しいノエルは、わずかに表情をほころばせる。
「折角のパンが潰れてしまうから、強く抱えるなよ」
ノエルを鞍に抱え上げようとするアーガンから少し離れたところでは、セルジュが村長と最後の挨拶をしていた。
「どうか、あなた様方の旅路によき風が吹きますように」
「alu……我らを守りし大いなる風よ、あまねく照らす光よ、その御心に願う」
再びセルジュの足下に展開される魔法陣は、同じ呪文であるにもかかわらず先程よりも大きな物である。
それに続く呪文も違っていた。
「大空を行く風よ、その御心は常に自由で在り、また我らと共に在る。
偉大なる光よ、その御心は常に温かく、我らを照らすもの。
御心に願い奉るは、この村と村人たちの安寧。
その祝福をもって邪を祓い、風の大地と光の子らに大いなる加護を」
セルジュが、かざすように合わせた掌に集まる光。
それは一つ一つ、とても細かい粒がセルジュの周りから集まり、すぐに大きな光球となる。
セルジュがそれを、決して直接手で触れることなく頭上に掲げると、吹く風に細かな光の粒が飛び、少しずつ散ってゆく。
この時、騎乗するセルジュのため側に控えていたファウスもまた、両手を軽く合わせてなにかに意識を集中していることに気づいたアーガン。
(何をするつもりだ?)
赤の魔術師であるアーガンに白の魔術のことはわからないから黙って見ているが、そのあいだにもセルジュの術が進む。
「この村と人々が、常に暖かな光に包まれますように」
球体から放たれる光の粒は涼やかに吹く風に乗って、集まった村人たちの上に降り注ぎ、家々を、やがて広大な畑の隅々にまで運ばれてゆく。
(風はファウスがやっているのか)
なんとなくそんな気がしたアーガンだが、ここではなにも言わず。
最初は驚いていた村人たちだったが、やがて歓喜に包まれる中、一行は村をあとにする。
「獣の件は確かに請け合った。
どうかわたしたちを信じて、心を強く持って村を守って欲しい」
最後に、セルジュが村長にそう言い残して。
【ある村人の呟き】
「赤い髪の男でございますか?
背に大きな剣を背負っている?
隊商の用心棒かなにかでございましょうか?
残念ながら見覚えはございませんが……。
なに分このような辺鄙なところにございます小さな村です。
客人など訪れるはずもございません。
アプラ様、あなたが久方ぶりの客人でございますよ」