31 村長の悩み
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村々を潤すため、荒野に巡らされた支流の川。
乾期の白の領地はすでに収穫期に入っているため、水門は閉じられ川の水は涸れている時期であるにもかかわらず、流れる水に気づくノエル。
そのことを疑問に思った一行は、近くの村を訪れる。
「アーガンさま、きれい!」
貯水池を守る小さな森を抜けたそこは、一面に広がる金色の野原。
夜が明け、昇り始めた朝日が一面の畑に降り注ぎ、乾いた風に重い穂がなびく。
白の季節には四つの領地どこででも見られるはずの光景で、ノエルも生まれ育った村で毎年のように見てきたはず。
それでもこの景色を美しいと感じ、思わず言葉が出る。
「綺麗だな」
「きれい」
頭上から聞こえるアーガンの声に同意を得たノエルは、嬉しそうに同じ言葉を繰り返す。
側に馬をつけるイエルも 「今年も豊作ですね」 と満足そうだ。
だがセスはつまらなそうで、早く先に進もうと急かす。
まるで興味がないのだろう。
すでに手綱を引き、馬の向きを変えている。
その行く手をファウスの馬が塞いでいるのがさらに面白くないらしい。
相変わらずこどものように口を尖らせ、その口先でモゴモゴと文句を言い続けている。
「あいつは……」
呟いたアーガンは鞍を並べるセルジュをチラリと見るが、こちらはこちらで、セスにはまるで興味がない。
ノエルと同じように、眼前に広がる金色の野原を眺めている。
その様子にいつもと変わったところはないが、おそらく過ぎた赤の季節には水の問題がなかったことを安堵しているのだろう。
だがそうなると、やはり水門が開いたままになっている理由がわからない。
どうしたものかと思案しているらしいところに、畑の主らしい村人たちが数人、背に大きな樽を背負って歩いてくるのが見える。
最初、仲間内の話に夢中になっていて気づかなかったらしいが、アーガンたちより少し遅れて一行に気づくと、誰ともなしに足を止め、相談するように顔を見合わせる。
それからほどなく結論が出たらしく、平静を装っているようだが、明らかにぎこちない足取りで近づいてきた。
「あんたら、このへんじゃ見掛けないようだが……」
そのうちの一人が、やはり平静を装っているらしいが明らかな不信感を漂わせている。
彼らに気づいてさりげなくマントのフードを被ったアーガンに代わり、少しばかり前に出たイエルが答える。
「おはよう。
旅の者だが、よければ少し飲み水を分けてもらえないだろうか?」
「水を?」
先程とは別の男が答える。
村人たちの年齢はバラバラだが、男ばかりが五、六人。
おそらく貯水池に水を汲みに行くところだったのだろう。
「東の街道まで、もう一泊野宿の予定だ。
食べる物は持っているが水だけはな。
無理なら次の村まで行くよ」
馬上からそう話すイエルに、男たちは再び顔を見合わせる。
そのうちの何人かはアーガンを……いや、おそらくアーガンではなく、その肩越しに見える大剣の柄だろう。
どうやら大きな剣を持った大男に警戒しているらしい。
だが別の男は、そんなアーガンが前に乗せるノエルを見ている。
もちろんいつものように髪は帽子に押し込んで隠している。
おそらくこどもを連れているということが目を引いたのだろう。
ほどなく男たちは結論を出し、一行を村へと迎え入れる。
だがそこは、ノエルが知っている村とは違っていた。
もちろん村は村である。
村人が過ごす家があり、耕す畑がある。
けれどノエルが知っている赤の領地の村は、自分の畑の側に家を建てて暮らす。
そのため広い畑の中にぽつんぽつんと家が建っていたのだが、白の領地では畑の中に家はない。
一軒も、である。
あるのはせいぜい休憩用の掘っ建て小屋で、これも収穫が終わると取り壊し、次の緑の季節に、種まきが始まる前に建て直される。
では家はどこにあるのか、村人たちはどこで暮らしているのかといえば畑と隣接した土地に、高い塀と木々にぐるっと囲まれた中に、軒を寄せ合うように家を建て暮らしていた。
石垣と木々は二方向にだけ、扉のない門のように開かれていて、そこから自由に出入りが出来るようになっている。
畑に面した側から村に招かれた一行を、居合わせた村人たちが物珍しそうに見る。
案内してくれる男たちに歩速を合わせるため馬を下りたアーガンたちだったが、ノエルは相変わらずアーガンが抱えている。
だからアーガンの馬を、いつものようにイエルが預かろうとしたところ、村人の一人が代わってくれた。
「悪いな、収穫の忙しい時に」
フードの下からそう声を掛けて歩くアーガンに、馬を預かる男は
「大丈夫だ。
むしろいい日に立ち寄ったな。
今日は中休みの日だ」
「そうか、それはよかった」
中休みとは文字通り、収穫期の中で取る休みの日のこと。
忙しい収穫が終わるまでの二ヶ月から三ヶ月のあいだ、何回かに分けて村中で休みを取って労り合う日。
今日がその日だと聞き、収穫作業の邪魔をせずに済んだと安堵するアーガンだが、フードを被ってその赤い髪を隠している。
抱えられるノエルは、集まる衆目に気が気ではないけれど、生まれ育った村とは違う様子に興味もある。
深く被った帽子の下から、上目遣いに、探るように周囲を見る。
「ここ、むら?」
「ああ、村だ。
大風対策でな、こんな造りをしている」
大風とは白の季節と青の季節の境目に起こる嵐のことで、毎年のように甚大な被害を出している。
だがここは光と風の加護を受ける白の領地だ、風の流れを止めることは出来ない。
そのためこうやって家を寄せ合って作り、石垣を築いて防風林を育て、村人たちの財産と暮らしを守っているのである。
収穫が終わっている畑は大風に晒されても大丈夫だが、休憩小屋を取り壊すのも対策の一環で、回収した木材は使い回している。
家畜も石垣の中で飼育しているが広さが限られているため、所有は個人だが、飼育は共同で行なっている。
もちろんこれは獣対策も兼ねている。
不審や不安、警戒や好奇心など、様々な視線が集まる中、村の中央辺りにある井戸まで案内されたアーガンたちはそれぞれの水筒に水を汲む。
水に問題はないとわかったからこのまますぐに立ち去ってもよかったのだが、なにを思ったのか、珍しくセルジュが近くにいた村男に話し掛ける。
「出来れば村長と話がしたいのだが」
アーガンと同じく顔を隠したままのセルジュだが、イエルやファウスの態度から、この旅人一行の主人、あるいはそんな立場だということを察したらしい村男は、それでもすぐ隣にいた別の村男と相談するように視線を交わし、それから 「ちょっと待っていてくれ」 と言いおいて小走りにいってしまう。
すぐに戻ってきた時にはもう一人、年齢四十、五十あたりの男を連れていた。
「皆が騒いでいるからどうしたのかと思ったら……こんな辺鄙な村に客人とは珍しい」
そう話し掛けてきたこの男が村長だという。
「旅の途中と伺いました。
お疲れでしょう。
よろしければ我が家で少し休んでいかれませんか?
今日は村の女どもがパンを焼いておりましてな。
もう少しで焼けるらしいので、召し上がって行かれるといい」
確かに、肩を寄せ合うように立ち並ぶ家々のあいだを縫うように、香ばしい匂いが風に乗って漂ってくる。
手振り付きで 「さぁ、どうぞ」 と促してくる村長の誘いをセルジュは断ろうとしたが、アーガンがその背を押す。
「せっかくだ、少しすわらせていただこう」
「是非そうしてください。
ここはうるさくていけない」
村長の言うとおり訪問者が珍しいらしく、話を聞きつけたらしい村人が次から次に集まって人垣を作り、その周りではこどもや放し飼いらしい鶏などが騒がしく走り回っている。
するとセルジュはマントの下でごそごそとしていたかと思ったら半銅貨を取り出し、村長に差し出す。
「ではそのあいだ、これで馬に水と飼い葉を与えてもらえないだろうか?」
「お代は要りません」
白の領地の村では珍しくない共同飼育である。
何日も預かるとなれば別だが、ほんの数刻預かるあいだに水と飼い葉を与えるくらいなんでもないと村長は笑う。
先程一行を村に案内してきた男たちは、その家畜に与える水を汲みに行くところだったらしく、改めて水を汲みに行くといい、別の男たちが馬屋に連れて行こうというから、アーガンたちは鞍から荷物を外して馬を預けると、促されるまま村長の家を訪れることに。
暇を持て余すだろうと予測してセスは家の外に置き……もちろん警護という名目である。
どうせ屋内に入れても無駄話をして邪魔をするだけなのもわかっている。
だから昨日、言いつけを守らず、のこのことハウゼン屋敷に上がった罰ということにして、セスを一人外で見張りをさせ、アーガンたちは村長の家を訪れる。
「その子は……?」
パンを焼くいい匂いがする中、村長に促されるまま、思い思いに椅子にすわるアーガンたち。
自分の荷物を床に置いたアーガンが、ノエルを膝にすわらせるのを見て村長が尋ねてくる。
村のこどもたちと外で遊んできてはどうかとも促されたが、「人見知りが激しくてな」 と、もちろんアーガンが答える。
巻き付けた携帯用の毛布ごと、いつものように鞄を抱えてじっとしているノエルの表情は強ばっており、村長を見ようとしない。
その様子に、村長もアーガンの言う 「人見知り」 を信じたのだろう。
「道行きでな、領都にいる親戚のところまで連れて行くことになった」
「領都へ行かれるのに、こんなところを通られたのですか?」
遠回りになる西の街道ではなく、直接領都ウィルライトに入ることが出来る東の街道へ向かうため、この荒野を抜けることになったと説明するアーガンに、村長は 「なるほど」 と頷くけれど、その様子はどうにも浮かない。
やや思案する間があって、話し出す。
「それならば、東北に進路をとるのはおやめなさい。
まずはここから東へ進路をとって、一夜を明かしてから昼のうちに北へ向かわれるといい」
そう話しながらももどかしいらしく、やがて奥に向かって声を掛ける。
「おい、どこかに地図はなかったか?」
「地図ならばここに」
そう言ったアーガンが、床に置いた自分の荷物に手を伸ばそうとするのを見て、自分の鞄を抱えたままその膝から飛び降りるノエル。
邪魔になるから気を利かせたのかと思ったら、そのまま床に屈み、勝手にアーガンの鞄を漁り出す。
なにをしているのかと思ったら、水筒だけでなく、携帯用の毛布などが雑然と突っ込まれている中からシワシワになった地図を引っ張り出す。
小さな手で差し出してくる地図を受け取ったアーガンは、テーブルの上に置くと、ノエルの頭を軽く撫で、再び自分の膝にすわらせ、それからテーブルに置いた地図を広げる。
「この村は……」
そう言いながら広げた地図の中を探していると、テーブルを挟んだ向かいに座る村長も立ち上がり、地図を覗きこんでくる。
そしてアーガンより先にこの村を見つける。
「ここです。
東の街道は……」
「ここだな」
今度はアーガンが先に見つける。
すると村長は、そのあいだに広がる荒野を指さしながら話す。
「村から北東……この広い範囲は、岩場のほとんどに獣たちが巣を作っているのです。
野宿をする場所を探すのにも難儀するでしょう」
「これは……随分と広いな」
「そうなのです。
夜などとても危ない。
こことここ、それにここ。
この三つの村では家畜が相当数やられています。
昼は収穫で忙しいのに、夜も獣の番で眠れず相当参っているようで……」
水のことで立ち寄ったはずの村で聞いた思いもよらぬ話に、アーガンだけでなく、他の三人も驚く。
もちろん大袈裟な反応は見せない。
だが内心で驚いていた。
しかも村長が指し示した三つの村の中には、アーガンたちが水を分けてもらうために立ち寄る予定にしていた村が含まれていた。
それこそ今は家畜の被害で済んでいるが、このままでは村人にも被害が出るだろう。
あるいはすでに相当の怪我人が出ているかもしれない。
「ひどいな」
「昔は、これほど数が増える前に、知事様が兵を出して大がかりな狩りをしてくれたものです。
それが今の知事様になってからは……」
村長はここまでを話して大きく息を吐く。
荒野を彷徨う獣を狩り尽くすことは難しいが、領民の安全を守るのは知事の仕事である。
定期的にいくつかの町の守備隊を編制して狩りを行なうだけでなく、増えすぎた時には傭兵を雇ったり、場合によっては領都に上奏。
もちろん知事が、である。
これを領主が聞き届ければ騎士団が派遣され、大々的な狩りが行なわれる。
だが領都にそのような上奏は届いていないし、セルジュも知らない。
当然騎士団にも派遣の要請は無い。
かといって先日立ち寄った町に傭兵を集めている様子もなかったし、狩猟部隊を編制するために近隣の町から守備隊の一部を集めている様子もなかった。
守備隊に至っては、アプラが起こしたあの騒ぎを収めるどころか様子すら見に来ていなかったから、まともな警備すらしていないのかもしれない。
それら全てが知事を務めるアロン・ハウゼンの怠慢と言ってもいいだろう。
「今年は今も川の水が流れていて、おそらくそのせいで獣の行動範囲が広がっているのだと思います。
このまま青の季節になれば人も襲われるでしょう。
この村も無事には済みません」
「川の水……」
そう呟いたアーガンは視線だけでセルジュを見る。
互いにフードを被ったままなので顔は見えず、視線を交わすことも出来ない。
だが気配で察したらしいセルジュが、代わって口を開く。
「なぜこの時期に水門が閉じられていないのですか?」
「わかりません」
率直に答える村長の様子には、明らかに不安や焦燥が滲んでいる。
でもそれは村を率いる責任者として当然かもしれない。
「確かに水があることはありがたい。
本当にありがたいと思っています。
ですがそのために獣があれほどに増えて集まっては、村が……」
「貴殿の心痛は察して余りある。
だがもう少しだけ堪えて欲しい。
ハウゼン卿の処遇については、すぐに放逐というわけにもいかぬが、必ずなんとかする」
「なんの……?」
まさか領都にいるはずの上席執政官の一人が、こんな領地境近い辺境にいるとは誰も思わないだろう。
少し思案げながらも唐突なことを言い出すセルジュに、村長は困惑を隠せない。
だがセルジュは続ける。
「待たせてしまうことは申し訳なく思うが、領主もすでにご承知のこと。
必ずハウゼン卿についてはその任を解き、適切な罰を受けてもらう」
「領主様……いったいどういう……」
「だが獣の件は早急に手を打つ必要がある。
領都に戻り次第、騎士団に派遣の要請を出そう」
「いくつかの隊が領地境の討伐遠征に出ているが、領都の守りに問題はない。
俺も出よう」
力強いアーガンの言葉に、これまで話を聞いてるだけだったファウスとイエルも大きく頷く。
「問題ない。
領都の守りは、我らクラカラインがいればどうとでもなる。
心置きなく役目を果たせ」
「との仰せだ。
悪いが、領都に戻り次第出立準備だ」
「かしこまりました」
「仰せの通りに」
「あの……いったいどういう……?」
村長一人だけが、戸惑っていた。
【セルジュ・アスウェルの呟き】
「共鳴感覚の一種にしては、魔力ではなく、火や水そのものを匂いで感知するというのは変わっている。
聞いたこともないが、これが黒特有の魔力なのか?
九歳という年齢を考慮すれば、この先消失する可能性もあるが……全くセイジェルの奴め、厄介なことを。
こんな面倒なものはさっさと所有者に引き渡してしまうに限る」