29 魔術師の血
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旅程を変更し、荒野に出た一行。
その一泊目の夜のこと。
獣除けに灯した焚き火を囲みながら、アーガンが話す。
アーガンは、自分が召喚した焔で灯した焚き火を前に、ポツリ、ポツリと話し出す。
「俺たち魔術師は、魔術を人の生活に役立てることを望んでいる。
加護とは本来そうあるべきなのだ、色に関係なく」
白の領地に在って赤の魔術師に生まれついたアーガンは、下級貴族とはいえ貴族は貴族。
それなりに窮屈な思いもするけれど経済的な不自由はなく、家族仲もいいし楽しいことも多かった。
騎士として独り立ちをして、討伐の遠征や訓練は厳しいけれど、仲間たちとも上手くやれている。
おおむね良好な生活と言ってもいい。
けれど決して順風満帆とは言えないのは……
「ぬかせ!
この裏切り者一家が!」
アーガンがリンデルト家の公子であることを知ったアプラが、アーガンを罵っていった言葉。
裏切り者……その言葉がずっとアーガンにはつきまとってきた。
きっとこれから先も、ずっとつきまとい続けるのだろう。
それは息子のアーガンだけでなく父リンデルト卿フラスグアにも。
原因はフラスグア・リンデルトが赤の領地に生まれた貴族で、今も両親や兄弟、親類縁者は皆赤の領地で生活していることにある。
リンデルト家は高い魔力を持つ赤の魔術師を多く輩出する家系でもあったが、代々武門の家柄で、フラスグア自身も元は赤の領地の領主ロードレリ家に騎士として仕えてきた。
そんな彼が白の領地に来たそもそもの切っ掛けは、その騎士としての任務である。
各領には他の色の神殿がある。
それは領地境を越えるために必要なだけでなく、その領に生まれる他の色の魔力を持つ者を育成するための施設なのだが、神官や巫子を警護する騎士の一人として、フラスグアも白の領地にある赤の神殿に赴任。
そこで神官同士の交流などを通し、今も白の神官を務めるシステア・アスウェルと知り合い、恋に落ちたのである。
白の領地のアスウェル家は、やはり高い魔力を持つ白の魔術師を多く輩出してきた家系だが、リンデルト家とは対照的に、神殿や政務などに関わる文官の家柄である。
もちろん二人の結婚にアスウェル家は猛反対。
だが意外にもリンデルト家はフラスグアの気持ちを尊重し、アスウェル家側から出されたフラスグアの、白の領地への帰属という条件を寛大に受け入れ、晴れて二人は結婚に至った。
「裏切り者とは心外だな。
赤の領地のリンデルト家は、一族こぞって盛大な祝福で親父殿を送り出してくれたと聞いている」
アーガンのこの言葉に偽りはない。
しかもこの時、親族の先頭に立って二人の結婚に反対したのは当時のアスウェル家の当主、つまりシステアの父だったが、システアの兄である現当主アスウェル卿ノイエは二人の味方をし、頭から湯気を噴き上げんばかりの勢いで怒り狂う父や親族を諫め、帰属という条件を引き出して二人の仲を取り持ったのである。
その帰属を、当時のアスウェル家側は最大の譲歩などと恩着せがましく声を大にしていたが、人の好いノイエ・アスウェルはフラスグアや妹のシステアに申し訳なく思っており、婚儀をもって白の領地に帰属したフラスグアが、赤の領地に残してきた家族や親族と交流を続けることを認めていた。
もちろんフラスグアとシステアのあいだに生まれた二人の子、アーガンとその姉を息子のセルジュと同じように可愛がり、フラスグアがその特技を活かし、白の領地でも騎士として務められるよう取り計らいもした。
フラスグアが赤の領地に里帰りする時には、知見を広めるためにもよいからとセルジュも同行させて交流を深めたほどである。
そればかりか経済的な支援も惜しまなかった。
フラスグアとシステアの生活を案じたのは、赤の領地に在るリンデルト本家も同じこと。
こちらもアスウェル家に負けず劣らずの大貴族とあって支援を惜しまず、結果として、一家の生活は名ばかりの中級貴族はおろか上級貴族と並ぶほどだったが、あくまで二人は下級貴族として質素を心掛けた。
治安の面から立地だけは選んだけれど、屋敷はさほど大きく構えず、使用人も必要最小限に。
元々がお嬢様育ちのシステアはともかく、フラスグアや二人の子どもたちの世話をする側仕えも一人、あるいは二人といった具合にし、とにかく慎ましさを心掛けた。
そうすることで白の領地の貴族たちの反感を、最小限に抑えようと努めたのである。
「この裏切り者一家が!」
「なにが祝福だ。
赤の血など汚らわしい」
フラスグアとシステアが貴族ではなくただの平民であれば、赤の魔術師と白の魔術師であっても、領地境を越える婚姻であったとしても 「汚らわしい」 などと言われることもなかっただろう。
「裏切り者」 と言われることもなかっただろう。
実際、帰属していないことは公にされていなかったようだが、ノエルの父クラウスが白の領地の貴族であることを赤の領地の村人たちは知っていた。
けれど嫌うようなことはなかった。
むしろクラウスの方が人付き合いを敬遠し、白の領地への帰還を諦めず、赤の領地への帰属を嫌ったほどである。
けれど彼は 「裏切り者」 と言われることはなかった。
赤の領地にも緑が茂り作物が実り、風が吹けば青の季節が来るように、赤以外の魔力を持った者が生まれる。
白の領地でも然り。
青の領地でも、緑の領地でも。
そうした者を正しく導くため、他領に神殿を建てて神官を派遣する。
これはかつて四つの領地で合意された和議、すなわち 【四聖の和合】 によって結ばれた盟約の一つであり、長い年月をかけ、領民のあいだで他の魔力に対する嫌悪感を和やわらげたのかもしれない。
けれど貴族のあいだでは、未だ忘れることの出来ないほどの宿怨が残されていた。
そのそもそもの理由をアーガンはこう話す。
「この国に限らず魔術師はいるが、おそらくどの国の魔術師であっても思うことは同じだろう。
ただこの国のように、異なる加護で、それも四つも異なる加護が一つの国になった例は少ない。
せいぜい二つ程度だな」
かつて、この国は一つではなかった。
異なる加護を得る四つの領地は他領を統合して支配すべく、いつ終わるとも知れぬ戦に明け暮れていた。
血で血を洗う戦いは熾烈さを増し、最後の一人となる日まで……いや、ただの一人も残さず死に絶えるまで続くと思われた。
そんな未来を回避するため、加護の境を 「領地境」 とし、それぞれの 「領地」 を治める 「四人の領主」 によって不可侵の和議が合意された。
これが 【四聖の和合】 の主旨である。
冷徹の青、享楽の緑、情熱の赤、芸術の白
それぞれの領地の復興とともにそう呼ばれるようになり、白に至っては、のちに交易の要所としての発展を見せ 「商才」 が加えられることになる。
だが戦乱で流されたおびただしい血は未だ生臭く匂い、その怨嗟は根深い宿怨となって領地境にわだかまっている。
水攻めの青、生き埋めの緑、火炙りの赤、首切りの白
青の魔術師は膨大な水を操り、高位魔術を用いて他領の兵たちを見るもおぞましい水死体に変えた。
緑の魔術師は大地を操り、高位魔術を用いて他領の兵たちを生き埋めにし、息絶えるまで助けを求める声を聞きながらその上で酒盛りをしたという。
赤の魔術師は業火を操り、高位魔術を用いて他領の兵たちを、骨すら残さず焼き払ったという。
そして白の魔術師はただ風を操るだけで、焔を凌ぐ速さで他領の兵たちののど笛を裂き、身に纏う白いローブを血しぶきに赤く染めた。
そうして多くを殺し殺されおびただしい血を流し、互いを呪い呪われ因業を深めたのである。
特に白は魔術を使うまでもなく、ただ魔力に任せて起こした風で相手を切り裂くだけ。
四つの領地の中でも開けた国境を持つ都合もあり、今も当時も最大の軍備を持つ白の領地は、そうして数と魔力にあかせて他領の兵たちをことごとく切り裂いた。
その最前線で指揮を執り、血に飢えた魔物とまで揶揄された最凶の魔術師。
その家系がクラカライン家であり、クラウスはそのクラカライン家直系の一人である。
かつて騎士として戦場に立った魔術師たちは、その戦功により貴族として取り立てられた。
自ら血を流しながら敵を屠り続けることで生きながらえた彼らは、失った同胞への哀惜を、奪った者たちへの憎悪を決して忘れることなく、その血とともに脈々と受け継いできた。
そうして過去の宿業に囚われ、未だ許すことの出来ない憎悪を抱き続けている。
もし 【四聖の和合】 が破られることがあれば、彼らは再び戦地へと赴くのである。
最前線に立ち、その魔力が続く限り己が血を流しながら戦う。
そのために今も他領の貴族の血を 「汚らわしい」 といい、他領に属することを 「裏切り」 と誹るのかもしれない。
貴族が魔力を持つ後継や魔術師にこだわるのも、こういった理由からであることはいうまでもないだろう。
さらにいうなら、セルジュたち文官も記録係として騎士団の討伐遠征や演習に借り出されるのもまた、いつか来るかもしれない有事に備えてのことである。
だがアーガンは言う。
「俺たち魔術師は、魔術を人の生活に役立てることを望んでいる。
加護とは本来そうあるべきなのだ、色に関係なく」
それはきっと、全ての魔術師の願いなのだろう。
危うい均衡にあろうとも、今の平和が恒久であって欲しいと願う最たるが、魔術師であり、貴族なのかもしれない。
だからアーガンは言う。
「セス、正直、お前の願いを叶えることは難しい。
今の時代では、貴族に取り立てられるほどの武勲を立てる機会はないからな」
「そんなぁ……」
決して大きくはない焚き火の向こう側で、セスはこどものように口を尖らせる。
「それとも戦火で親兄弟を失ってまで、お前は立身出世を望むか?」
「え?」
同じく、今の平和な時代に生まれ育ったアーガンとセス。
歳も十九歳と十六歳。
そう離れてはいないが、貴族として生まれ育ったアーガンと、平民として生まれ育ったセス。
騎士となった以上はセスも、いずれ討伐の遠征に向かうことになるだろう。
場合によっては領民を相手にすることもある。
実際に赤の領地では20~30年ほど前、領民の反乱により知事一族が惨殺された。
その乱を平定するために領主は騎士団の派兵を決め、知事一族惨殺に関わった領民をことごとく処刑したことがある。
そうして派遣された騎士たちは、他領ではなく自領の領民を殺す羽目になったのである。
だが領主の命は絶対、それが騎士の務めである。
けれどこれまでに背負ってきたものも経験も違いすぎるのだろう。
アーガンの言葉は思いもよらなかったらしく、セスは強ばらせた表情をアーガンに向ける。
「俺たち貴族が取り立てられた武勲は、それほどの代償を払って贖われたものだ。
決して易くはない。
今の貴族は先祖の功にあぐらを掻いているが、再び国が乱れることがあれば召集されることが決まっている。
外から侵略を受けてもな。
無茶をしてそんなものを目指すより、むしろ生き延びることを考えたほうが賢明だと思うが」
騎士として奉仕しているあいだの生活はほぼ騎士団によって賄われることはもちろん、月々の給金以外に、生きて退団できれば勤続年数に応じた恩給が受けられる。
若くして戦死しても遺族に支払われる慰労金はしれているから、実家に仕送りをしているのなら、なおさら長生きしたほうがいいと言われ、セスは複雑な表情を浮かべる。
「まぁお前は、とりあえず帰ったらなんらかの処罰があると思え」
「また副長のお説教ですか?」
「そんなもので済めばいいがな」
小隊長が不在のあいだ、残る隊員たちをとりまとめている副隊長のお説教なんてもう慣れっこだと強がるセスだが、不意にその視線がアーガンの手元で止まる。
粗末な食事をしながら長い長い話を始めたアーガンはとっくの昔に食べ終わっていたのだが、ノエルが食べ終わると、また痒くならないように薬を塗り始めていた。
セスが目を止めたのは、丁度ノエルが上着を脱ぎ、シャツの背中をまくったところである。
本人も意識していたかどうかわからないのだが、背中から首、胸元……へと塗り進める様子を食い入るように見ている。
そのことに最初に気づいたファウスが 「イエル」 と、そっと声を掛ける。
呼ばれてすぐには意味がわからなかったイエルだが、ファウスが顎でセスを指し示すのを見てうんざりした表情を浮かべる。
だが黙って見ているわけにも行かず、セスの両眼を押さえるように彼の顔を鷲づかみにすると、いきなり視界を塞がれたセスが驚きの声を上げる。
「ちょ、イエルっ?!
いきなりなにするんだよっ!」
「なにするもなにも……お前の好みがこう……華奢な感じなのはわかった」
「なんの話だよ?」
たまたますわっていた位置が遠かったためにイエルに任せたファウスは、イエルに食ってかかるセスを睨むように口を挟む。
「花街にでも行け」
日頃口数の少ないファウスの口から出るには意外すぎる言葉に、さすがのイエルも苦笑を浮かべ、すぐにはフォローの言葉が出てこない。
そういうことに興味がある歳だがセスに自覚はなかったらしく、やはりすぐには言葉が出てこず口ごもっている。
先に口を開いたのはもちろんイエルだ。
「いいねぇ、花街の姉さんたちに優しく筆下ろししてもらえよ」
「ふっで……って……ちょ……あ……!」
彼らが本拠地とする領都ウィルライトの下町にも、娼館が集まる花街がある。
騒ぎになるほど派手に遊び回るのは御法度だが、騎士たちのほとんどは成人した男性。
騎士団も休日なら、一般客同様に花街に通うことには目をつぶっている。
ここにいる三人の先輩騎士はともかく、イエルは、しどろもどろになるセスを 「初々しいね、童貞君は」 などとからかう。
十六歳というセスの年齢を、まだまだ反抗期だと理解していたアーガンは、これまでの彼の言動をその範疇と考えていたが、性にも興味を持つ年齢だということはすっかり忘れていた。
しかもノエルの外見はほんの五、六歳の幼女で、アーガンたちの目に性対象には入らない。
むしろガリガリに痩せ細った姿は哀れにさえ思えるほど。
だが世の中には色々な嗜好がある。
それこそ幼女を好む男もいるのだ。
セスがそうとは断言できないが、うっかりしていたことを反省しながら急いで薬を塗り、ノエルに服を着させる。
「姉さんたちにさ、色々教えてもらえって。
優しくしてくれるぜ」
「だから、なんの話だよっ?
俺、そんな……っ」
セスの気を引くためにからかい続けるイエルは、セスの反応が面白くてたまらないらしく終始ニヤニヤが止まらない。
だがたまりかねたようにファウスが再び口を開く。
「そうじゃない。
お前はまず、女性の接し方から叩き込まれてこい」
それは的を射た発言だったらしく、イエルもにやけた表情を一変させ、「なるほど」 と思わず呟くほど。
「はぁ……そうか、お前はそこからか」
「そこってどこだよっ?」
「なるほど、そこからとなると姉さんたちは厳しいだろうなぁ」
「いや、俺、優しい方がいいっていうか、その……」
花街の話はもちろん、娼妓や恋人との睦言や閨でのやりとりなど、騎士団の隊舎では珍しくない話である。
酒が入ればもっと露骨な言葉も飛び交うほどだが、イエルもセスに合わせているのだろう。
随分と言葉を選んでいる。
その気遣いに感心したアーガンだったが、ぼんやりとした表情のノエルがとんでもないことを言い出して慌てさせられる。
「アーガンさま、どうてい?」
「どっ……」
あどけない表情で答えを待つノエルに、アーガンは言葉に詰まる。
代わって答えたのが、それまで全くの我関せずでいたセルジュである。
「そなたにはまだ早い」
「……そうだな、まだ早い」
セルジュの助けを得てやや落ち着きを取り戻したアーガンは、ノエルの小さな耳を大きな手でそっと押さえた。
【アプラ・ハウゼンの呟き】
「父上が知事解任だと?
どういうことだ?
なに? 報せを持ってきた遣いの中に赤毛の大男がいただと?
あの男かっ?!
……あいつらが使者か!!
クソ! このまま領都へ帰してなるものか!!」