23 ハウゼン家
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ハウゼン家を訪問した一行。
突然の来客のため身支度に時間が掛かったのか、セルジュたちが応接室で待たされているあいだ、外ではノエルの身に異変が・・・
散々待たされた挙げ句、ようやくのことで通されたハウゼン家の前庭。
そこでノエルとイエル、セスの三人は馬番をしつつセルジュたちを待つことになる。
セルジュと同行して屋敷に招かれるアーガンは、護衛を兼ねている以上完全に丸腰というわけにはいかないが、さすがに大剣を背負ったままというわけにもいかない。
やや心許ないけれど、こういう状況に備えて持っていた予備の剣と持ち替える。
その大剣を預かるイエルは、玄関まで出迎えるハウゼン家の使用人頭とおぼしき男に促され、屋敷に入っていく三人を軽く頭を下げて見送る。
扉が閉まって三人の姿が見えなくなった直後、顔を上げたイエルはノエルを振り返ってすぐに 「もう少しこちらへおいで下さい」 と手招きする。
ハウゼン家屋敷の広い前庭の、玄関から少し離れたところに植わる木の陰で休んで待つことにした三人。
ノエルはイエルのすぐ後ろに立っていたのだが、さらにそのうしろにいた馬がいつのまにか方向転換し、ノエルにお尻を向けていたのである。
よく慣れた馬でも絶対の安全はない。
それはイエルにとって当たり前の感覚だったが、ノエルにはわからないこと。
しかも不安そうな顔をしてアーガンたちが入っていった扉を見ているので、イエルは少し馬から離れるように促したのである。
特に警戒心の強い馬には蹴られることもあるから、迂闊に後ろから近づいてはいけないと注意をしたのだが、以来、ノエルは過剰なまでに馬に警戒するようになる。
それこそこのあとの出立の時から。
「うしろ、だめ。
うしろ、だめ。
うしろ、だめ」
まるで呪文のように呟きながら、馬のうしろを避けるようになったノエルにアーガンは呆れたけれど、用心するに越したことはない。
それこそ軽く蹴られただけでも大怪我をさせかねないことを考えれば、このぐらい注意させたほうがいいのかもしれない。
そう考えてアーガンはもちろん、イエルもなにも言わなかったけれど、もし馬が人の言葉を話せたならきっと 「失礼な!」 と激怒したことだろう。
しかもノエルの警戒心が馬にも移ったらしく、出立の準備を始めても、終始落ち着かない様子で足踏みをしたり小さく嘶いたりしてアーガンを困らせることになる。
アーガンから預かった大剣を背に負うイエルは、馬の世話をセスに任せ、自身は周囲に気を配りながらノエルの相手をする。
もっともノエルから話し掛けてくることはないから、側で様子を見ているだけ。
イエルから話し掛ければ一所懸命に耳を傾け、必死でなにか話し返そうとしてくれるのだが、今は余計なことを話してはいけないとアーガンやセルジュに言い聞かせられている。
だからイエルも余計なことを話し掛けるのは控えていたのだが、そのために緊張しているのだろうか?
ノエルは肩から提げた鞄を、やや無造作だが、随分しっかりと抱きしめている。
小さなこどもが、庇護を求めて大人にしがみつくことがある。
けれど誰かに助けを求めることが出来ないらしいノエルは、なにかあっても身を小さくして震えるだけ。
鞄を抱えるのもおそらく無意識にしているのだろう。
この数日でそんなノエルの変わった癖に気がついたイエルだが、少し様子が違うような気がした。
そこでさりげなくを装って話し掛けてみる。
「よろしければ鞄は預かっていましょうか?」
水筒を取り出す時にアーガンがチラリと見たところでは、ノエルの鞄の中には、水筒の他に、先日セルジュが買ってやった古着の着替えが数着程度しか入っておらず軽いもの。
それをノエルは、日中は人形やぬいぐるみのように、夜は抱き枕のように扱い手放したがらない。
特に大きな鞄でもなく、携帯用の毛布と一緒でも普通に提げて持ち歩くのはもちろん、抱えていても邪魔になることはない。
それはノエルが酷く痩せているとしても、である。
けれど今はイエルの目に、ノエルの仕草が不自然に見えたのである。
そこで出立までのあいだ預かろうかと言ってみたのだが、やはりノエルは鞄を手放したがらない。
それどころか鞄を取り上げられると思い、この数日で何度も見せたように身を小さくして震え出す。
「あ、いえ、そうではなくて……」
こういう時アーガンはどうやって宥めていたか。
慌てて思い出そうとするイエルだったが、それを馬の影から見ていたセスが邪魔をしてくる。
「イエルのすけこまし」
アーガンやファウスも顔立ちはとても整っているのだが、今回アーガンが選んだ三人の部下の中では一番顔がいいイエル。
なんの偶然かアーガン隊の騎士たちは、騎士団の一部からは 「顔で選んでいるのか?」 と陰口を叩かれるほど顔立ちの整った騎士ばかり。
他にもそういう小隊はあるのだが、そちらは本当に顔で選んでいるため陰口にすらならず、アーガン隊ばかりが陰口の標的になっている。
実際そのくらい顔立ちの整った隊員が多く、その中でも群を抜く顔立ちをしているのがアーガンとイエルの二人だが、アーガンは下級とはいえ貴族である。
しかも父のリンデルト卿フラスグアは、現役を退いているとはいえ、現在も特別顧問として足繁く修錬場にも顔を出し、若い騎士たちの稽古をつけている。
その威光もあってかアーガンに対しては、平民出身の騎士はもちろん、貴族出身の騎士たちも遠慮がちである。
だがイエルは平民出身の騎士だ。
その腕っ節への信頼はもちろんだが、性格も陽気で親しみやすく、同じ平民出身の騎士はもちろん、貴族出身の騎士たちにも友人が多い。
気遣いの出来る性格だから隊舎や宿舎勤めの下働きたちにも気さくで、特に若い娘たちのあいだで人気が高いと来た。
その若い娘の中には貴族の令嬢も含まれており、これまでにも何度か、騎士団を辞めて個人的な護衛にならないかというお誘いを受けたこともあるほどである。
そのことを知った騎士仲間からは 「愛人になって楽隠居か?」 などとやっかまれたことは数知れず。
確かに討伐や戦ともなれば命を落とすこともある騎士を続けるよりずっと安全な生活を送れるけれど、城仕えをしていれば、一見華やかな貴族社会の裏側を垣間見ることもある。
嫌でも。
それならばいっそ、華々しく戦場で散ったほうが……などと冗談めかしたことを言ってイエルは今も騎士団に残っている。
但し妹が嫁いでから、とも冗談めかして言っているが、どうやらこちらは本気らしい。
おそらくセスは、他の騎士たちを真似てイエルに嫌味を言っているつもりなのだろう。
「こんなのにまで手ぇ出すとか、節操なしでやんの」
「はいはい、俺は節操なしのすけこましですよ」
まともに取り合わない振りをするイエルだが、「うるせぇな」 と密かに本音も出てくる。
ぼそりと低く呟いたその部分は、すぐ近くにいたノエルにしか聞こえなかったかもしれない。
「……イエルさま?」
「俺は怒ってませんよ。
公子たちが戻られるまで少し時間がありますから、邪魔になるようなら鞄を持ちますよ」
本音の部分を聞いてしまったノエルは、幼いこどもがイヤイヤをするように、明らかに怯えた顔で忙しく首を横に振る。
セスのせいで状況が悪くなったことを恨みに思うイエルだが、このタイミングで、一度は屋敷の中に消えた使用人頭とおぼしき男が戻ってきたのである。
なんの用かとさりげなく警戒するイエルだが、男は三人に、「お茶でもいかがでしょうか」 と声を掛けてきた。
主人とともに貴族屋敷を訪れたお伴は、主人の用が済むのを待つあいだ、訪問先の使用人休憩室などで休ませてもらうのが普通だ。
それこそ茶会であれば一時間そこらで終わるはずもなく、食事会ならなおさら。
夕食に招かれた時は、帰宅の頃にはすっかり陽も暮れて外は真っ暗である。
その待っているあいだお伴も、訪問先の使用人たちと一緒にお茶をいただいたり食事を摂らせてもらうもの。
この時に互いの主人やその家族、また仕事の内容や待遇などの愚痴を言い合ったり情報を交換するなどして交流を図る。
場合によっては、主人から訪問先の内情を聞き出すよう、諜報のような役目を仰せつかることもある。
だがお伴と言ってもイエルたちは騎士である。
しかも今回はそういった役目は言い付けられておらず、むしろ用が済めばすぐにでも出立したいからとここで待つよう言われている。
特にセスなどは、なにかの拍子に調子に乗って余計なことをベラベラと喋ってしまいそうだから、アーガンの判断は正しいとさえ思えた。
それなのに声を掛けに来た使用人頭の誘いに乗ったセスは、ノコノコとそのあとについて屋敷に入ってしまったのである。
「あの馬鹿!」
あまりにも迂闊なセスの行動に、使用人頭とセスの姿が、閉じられた玄関扉の向こうに見えなくなるのを待ったイエルは、ついつい呟く声に怒気がこもる。
その声に怯えたノエルが後じさりしてしまうのを見て、一層状況が悪くなったことに気付いてイエルは頭を抱えたくなる。
そして思わず深く溜息を吐いて視線を落としたところであることに気づく。
鞄を抱えながらも、ノエルが一方の袖口にもう一方の手を突っ込んでいたのである。
(……掻いてる?)
突っ込んだ袖の中での動きを服の上から見て思い当たったイエルは、すぐさまその意味にも気づき、反射的にノエルの腕を取ってしまう。
ノエルの恐怖は限界寸前となり、今にも泣き出しそうな顔で嗚咽を堪えている。
「……その、すいません。
大丈夫、本当に怒っていません。
痒いんですね?」
ノエルが痒みを黙っていた理由がイエルにはわからない。
わからないけれど、イエルが見ている前で、今度は空いているほうの手を、ショールの隙間に突っ込むように首、あるいは胸ぐらあたりを掻いている。
宿を出る前にアーガンが、少し苦しいくらい丁寧に巻いたはずのショールはいつのまにかすっかり弛んでいたから、おそらくだいぶん前から掻きむしっていたのだろう。
この時イエルが考えたのは虫である。
あのファウスが確認しなかったとは思えないし、古着屋も信用商売である。
最低限の衛生管理はされていると思ったが、所詮は古着。
見落としがあったのかもしれない。
すっかり怯えているノエルを宥めつつ、袖口を巻くって確かめてみると、掻きむしったあとがすでにひっかき傷になっているが、虫刺されを思わせる赤い斑点は見当たらない。
念のためショールも外して確かめてみたが、やはり首回りにも掻きむしったと思われるひっかき傷はあるけれど、虫刺されを思わせる赤い斑点は見当たらない。
古着にダニや蚤でも沸いたのかと思ったが、どうやら違うらしい。
代わりに気がついたのは、皮膚の表面に噴いた白い粉。
これが示すことはただ一つ。
「乾燥ですね。
確かにこれは痒いはずです」
イエルは思わず苦笑いを浮かべてしまう。
四つの領地で乾期があるのは白の領地だけ。
ノエルが生まれ育ち、つい数日前まで暮らしていた赤の領地にはないものである。
だからノエルには肌が乾燥するという感覚がわからず、ただただ痒いだけ。
痒いということに疑問を持たず、掻きむしっているのである。
もちろん白の領地の民にも肌の弱い者はいるけれど、保湿用の塗り薬がある。
しかも土地柄なので種類も多く、あらかじめ体質がわかっていれば肌に合った物を備えることも出来る。
けれどノエルを除いた全員が肌に問題がなく、まさか乾燥で掻きむしるなんて考えもしなかったのである。
あるいは昨夜、湯で体を拭いた時にアーガンが強く擦りすぎてしまったのかもしれない。
見掛けによらず器用なアーガンだが、あれだけノエルの扱いに四苦八苦していたから、可能性は無きにしも非ず。
むしろ可能性としては高い。
逆に低い可能性としては、こどもの力では落としきれず皮膚の表面を覆うようにこびりついていた垢が、保湿に似た役割を果たしていたのかもしれない。
またあるいは、元々ノエルの肌が弱かったのか。
けれど今は理由を考えても仕方がない。
ノエルの肌は乾燥によってすっかり荒れてしまい、現在進行形で掻きむしり、ひっかき傷を作っている。
しかもあまりにも酷く掻きむしるから、所々で血が滲んでいる。
これでは塗り薬を塗った時に滲みてしまうだろう。
「痒いのはわかるのですが、少しだけ我慢出来ませんか?」
「かゆい……」
イエルと話しているあいだも隙あらば掻きむしろうとするノエルは、ボロボロの爪を頬に立てようとしたところで、ついに両手を掴まれて止められてしまう。
今のノエルがどんな状態であれ、女の子は女の子。
さすがに顔に傷を作ってしまうわけにはいかない。
それこそこんなことで顔に傷跡が残ってしまっては可哀相である。
そう思ってイエルは止めたのだが、ノエルはノエルで恐怖より痒みが勝ったらしい。
「イエルさま、かゆい……」
「気持ちはわかります。
見るからに痒そうですから」
でも掻かせるわけにはいかないのである。
「もう少しだけ我慢してください。
隊長が戻られたらすぐに相談しますから」
「……かゆい……」
【アロン・ハウゼンの呟き】
「それではない!
そちらの……いや、そっち!
そちらの赤いのを。
ええいこのグズめ、それではないと申してるだろう!
アスウェル家の公子がお見えなのだぞ!
こちらもそれなりの格好でお迎えせねば無礼ではないか!」