17 領地境 ~赤の領地から白の領地へ (2)
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領地境は加護の違いが反発し合い、一帯が不安定になる。
その不安定な場が人を含む動物の感覚を狂わせ、時間と距離、方向を見失わせる。
地図はもちろん、方位磁石すら用を成さない領地境を少しでも安全に越えるため、その道しるべとして設置されるのが神殿であり、神殿に設置される祈りの対象である。
共鳴感覚
一定以上の魔力を持つ者の多くに、先天的に備わる能力とされるが、もちろん中には全くその才を持たずに生まれる者もある。
そしてその才は同じ属性の魔力にのみ反応する。
つまり赤の魔術師であるアーガン・リンデルトは赤の魔力にのみ反応し、白の魔術師であるセルジュ・アスウェルは白の魔力にのみ反応する。
赤の魔力と白の魔力、赤の領地と白の領地を行き来するためにはこの両者が必要となるのだが、今回、白の領地に向けて出立した一行の先頭を努めたのはアーガンの部下、ファウス・ラムート。
今回アーガンが同行した三人の部下の中で最年長の彼は、魔術師ではない。
けれど魔力を持っている。
アーガンが小隊長に昇格してすぐ、部下として配属されたファウスから聞いた話によると、神官の見立てでは、ファウスの魔力は魔術を習得出来るかどうかの瀬戸際。
ただここには、一般にはあまり知られていない神殿内部の階級社会の絡繰りが潜んでおり、かつて神殿で学んでいた彼は裏側に潜むその絡繰りに気がつき、嫌気が差したこともある。
まして瀬戸際ということは決して魔力は多くなく、下位の魔術ばかり習得出来ても一人で身を立ててゆくのは難しいだろう。
そこで彼は武官の道を選んだのである。
少なくとも彼は、自らを冷静に判断する能力を持ち合わせていた。
実際アーガンの部下の中では、数少ない頭脳派の一人である。
基本が脳筋の集団なので、団の中でも少数派の一人ともいえ、今回の任務における自分の役割も心得ていた。
出立前、ノエルを怯えさせる必要はないと考え、あえて彼は説明しなかったことがある。
二つの領地が接する領地境。
種の違う二つの加護の反発により帯状に広がる不安定な場には、時折その加護という支配が存在しない空白地帯と呼ばれる空間が出来る。
時に瘴気が発生し、そのままにしておくと魔物が発生する可能性がある、非常に危険な空間が存在していることである。
だが領地境に討伐隊は派遣出来ない。
それがどちらの領地かはっきりしないだけでなく、加護の存在しない空白地帯では魔術を使うことが出来ず、共鳴感覚すら役に立たない。
空白地帯に踏み込んでしまえば、騎士も兵士も脱出することが難しくなるため、討伐隊を派遣出来ないのである。
つまり領地境の一番の危険は、この空白地帯の発生にあった。
大規模な隊商の用心棒が、こと力自慢な荒くれが多いのもそこに起因し、案内人を雇うのに金が掛かるのも同じ。
その先頭は瘴気を吸って体を病むこともあるし、魔物に襲われて命を落とすこともある。
アーガンたちのようにわずか五騎で駆け抜ければ、空白地帯があればあっという間にはまってしまうだろう。
しかも先頭は突然の魔物の襲撃を受ける可能性が高く、危ない。
少なくともそんな一番危険なところを、名門貴族の御曹司に走らせるわけにはいかない。
しかもセルジュは乗馬が下手と来た。
さらには武器も持っておらず、持っていたところで馬上でそんなものを振り回せば、彼の運動神経では落馬が必至である。
しかし同じ貴族の御曹司とはいえ、アーガンは自分の身代わりを用意せず。
往路、彼は自ら危険な先頭を、躊躇いもなく駆け抜けたのである。
そんなアーガンの隊だからこそファウスは所属しているのであり、今回の任務に自分が選ばれた理由もすぐに理解した。
不満もない。
だからアーガンの 「そろそろ出発する」 という言葉を聞き、いわれるまでもなく先頭を走ったのである。
一度空白地帯の発生が確認されるとその街道は封鎖され、派遣された騎士や兵が、領地境から溢れてくる魔物の討伐を行なう。
溢れてくる魔物は当然双方の領地を襲うため、どちらかの領地で空白地帯の発生を確認、あるいは魔物の襲来があった場合、速やかにもう一方に通達するためにも、互いの領地に神官を派遣している。
赤の領地にも白の神殿が、規模こそ小さいけれど幾つかあり、人数こそ少ないけれど白の神官が駐留している理由の一つである。
その護衛のために騎士や兵士も。
そもそも空白地帯の発生は、二つの加護の反発により場が不安定になることに起因する。
そしてこの不安定な場は常に変化しているため、空白地帯も不定期に発生しては自然に消滅する。
領地境が季節の変わり目に最も不安定になるため、空白地帯の発生も季節の変わり目が一番多く、消滅しやすい。
そのため討伐も、一つの季節が過ぎてなお続くことはあまりない。
四つの領地合わせても、二つ以上の季節を続けて空白地帯が消えなかったことは、数えるほどしかないとされている。
そしてノエルやアーガンが見た、まるで旅人たちを見送るように町外れに立っていた巫子や見習いは、遭難者(迷い人)が出た時だけでなく、空白地帯の発生が確認された場合、速やかに街道を封鎖するための伝達係でもある。
最悪、魔物の襲来もあり得るのだが、一つ隣町にある神殿の警護兵や町の守備隊を、下位の巫子や見習いが速やかに動かせるはずもない。
それどころか領地境に一番近い町から遣いを出せるかどうかも危ういもの。
だからアーガンは、下級でもいいからせめて神官を出せと怒ったのである。
そんな危険な領地境を抜け、無事に白の領地に辿り着いた一行。
空気の微妙な変化に気づき 「白の領地?」 と尋ねるノエルに、アーガンは、白の領地特有の乾いた風に喉を痛めないように、ノエルの口と鼻を自分の手ぬぐいで覆ってやる。
アーガンたちは全員、白の領地で生まれ育った白の領地の民である。
セルジュは領地境に入る前に、あらかじめ持っていたストールを巻いて準備をしていた。
貴族のお坊ちゃまとはいえ、さすがにもうこどもではない。
そこまで世話を焼かれるまでもなく、自分の判断で準備することが出来る。
アーガンたちの旅装は、風雨除けに羽織ったマントの下に着たジャケットの襟を立てれば、鼻のあたりまで覆うことが出来る仕様だ。
演習などで、その必要を自分で判断する経験は積んでいる。
特に今の白の領地は、一年で最も乾燥する白の季節。
砂混じりのひどく乾いた風から喉や鼻を守る装備は必須だった。
「町に入ったら襟巻きを購おう。
少し臭うかもしれんが、それまで我慢してくれ」
なにもしないよりはましだろうと苦笑いを浮かべるアーガンに、ノエルはしばらく考えていたが、ようやく自分の鼻と口を覆っている手ぬぐいのことだと気づく。
そして動物がするように、鼻を鳴らすように臭いを嗅ぐ。
「……におわない」
「そうか。
すまんな、俺たちはこれがあるので、ついうっかりしていた」
もちろん 「これ」 とは、襟を立てれば鼻まで覆える仕様のジャケットのことである。
普段から状況に応じて対処出来る仕様を身につけているため、うっかりノエルのことを忘れていたらしい。
そのことを詫びるアーガンだったが、ノエルは気にする様子もない。
領地境を越えて白の領地に入った隊商や旅人と共に、一行も街道を軽快に北上する。
途中、これから領地境に向かう荷馬車の隊列と遭遇するなど、時折ある道の混雑で馬の歩速を落としたタイミングでアーガンが少しずつ話したところによると、もう少し先に、神殿のある大きな町が見えてくるという。
多くの隊商や旅人はここで神殿に立ち寄り、無事に領地境を越えられたこと、白の領地に戻ってこられたことのお礼に祈りを捧げるというが、アーガンたちは馬を下りることすらせずに通過するという。
「ちょっと面倒になるからな」
そう言って、領地境に向かう荷馬車の隊列に道を譲るため、馬を草むらに寄せて歩かせる。
緊張した面持ちの御者や用心棒たちを横目に見ながら、ノエルの頭の上でアーガンは話す。
「今の時間なら大丈夫だが、日が傾いてから領地境を越えるのは危険だ」
夜の領地境は灯りが使えないため昼間より遭難者が出やすく、領主の命令で街道が通行止めにされるという。
それに距離感と時間感覚も失われてしまうため、陽が傾いてから領地境に差し掛かっては、陽のあるうちに向こう側に出られるかわからない。
だからまだまだ陽の高い時間であっても、必ず陽のあるうちに越えられるように、領地境に向かうほうに道を譲るのが基本だという。
もちろん領地境を越えても、いつ魔物が発生して溢れてくるかわからないため安心は出来ない。
そのため少しでも早く領地境を離れるか、町に入ることを目指す。
アーガンたちは少しでも早く領地境を離れるほうを選び、このまま次の町に向かうという。
神殿に寄らない理由については、他にも色々と話すことがあるから、その時にまとめて話すという。
「喉は渇いていないか?」
目的の町まではまだ距離がある。
途中、出立前に調達した昼食を摂るために休憩するが、予定している場所までまだ少し距離がある。
武官であるアーガンたちは遠征や野営などの演習訓練で、一昼夜休まず馬を走らせることも慣れている。
場合によっては水分補給も食事も馬上で済ませることもある。
だが文官のセルジュはそこまでの訓練を受けておらず、馬の扱いにも不慣れだがいい歳をした大人である。
実はアーガンより歳上の二十一歳で、婚約者もある身。
我慢出来て当然だろう。
そもそも出来なくてもやれと笑うアーガンだが、こどものノエルにまで同じ我慢を強いるつもりはない。
けれどノエルも、鞄の中に在る買ってもらったばかりの水筒。
その中で一杯に汲まれた水が、チャポンチャポンと立てる音と感触に安堵していた。
しかもアーガンは、もう少し我慢したら飲んでもいいという。
だから空っ風に混じる砂で口の中はジャリッとし、喉がヒリッとしてきたけれど我慢出来た。
それに意地悪でノエルだけ飲ませてもらえないわけではない。
みんな飲んでいないのである。
だから我慢出来た。
本当はセスが飲んでいて、イエルに 「飲み過ぎるなよ」 と注意されていたが、一行の側を走る隊商の馬車が、少し車輪の具合がよくないのか、酷い音を立てていてノエルやアーガンにその声は聞こえなかった。
もちろん気づいても、アーガンにセスを叱るつもりはない。
見習いから騎士になったばかりのセスは、今回が初めての任務で少し浮き浮き足立っている。
それこそ騎士の勲位でも見せびらかしたいのだろうか。
すでに何度も討伐に参加したことのある実力者三人を前に、なんとも幼稚な話である。
当然のことながら、その実力は新米騎士のセスなど足下にも及ばない。
喉が渇いたから……という理由で好きな時に好きなだけ飲んでいては、水筒の水などすぐになくなってしまう。
そんなことぐらいこどもでもわかることなのに……。
だがイエルは口頭で軽く注意する程度に留め、ファウスにいたっては気付かない振り。
二人とも、この程度の失敗なら問題ないと判断したのである。
神殿のある大きな町を過ぎ、しばらく街道沿いに進むとやがて緑が増えてくる。
昼を少し過ぎた頃、一行は街道を少し離れた木陰で休憩を取ることになる。
この時にはセスの水筒にはほとんど水は入っていなかったが、自業自得だろう。
ノエルがアーガンに馬から下ろしてもらっているところから少し離れて、馬から下りようとするセルジュの側にファウスがつく。
先にファウスの馬を預かったイエルの側で、セスがほとんど入っていない自分の水筒を振って 「やべっ!」 と声を上げるけれど、イエルは素知らぬふりで、自分の馬とファウスの馬を引いて、街道の土手下に、道沿いに流れる小川に連れて行く。
馬にも水を飲ませ、休ませてやろうというのである。
遅れてファウスが、セルジュとアーガンの馬を引いて川へと下りてゆく。
「腰や尻が痛むだろう」
「ちょっと……いたい」
申し訳なさそうに話し掛けるアーガンに、ノエルはお尻のあたりを手でさすりながら足踏みをしていたが、丁度その前をファウスが馬を引いて通過。
何気なくその様子を目で追ったノエルは川に気づくと、「あ……」 と声を漏らす。
「アーガンさま、あの、ね……みず……」
小さな指が指す先では、ファウスやイエルが馬の側で、両手にすくった水で豪快に顔を洗っている。
遅れて自分の馬を引いて川に下りたセスも、二人の先輩を真似て顔を洗い出した。
それを見たノエルも、馬車の車輪や馬が蹴り上げる砂埃で、すっかり埃っぽくなった体を拭きたくなったのである。
だが怒られるのが怖くて上手く言葉が出てこない。
すると勘違いしたアーガンは大きな手を差し出し、蓋を開けてやるから水筒を出せという。
てっきりまた強く締めてしまったと思ったらしい。
ノエルが言いたいことを上手く伝えられず、もどかしそうに 「ちが……みず……」 と口ごもっていると、今度はセルジュが、さりげなくを装って自分の腰をさすりながら少し強めの語気で言う。
「川の水は飲むな。
飲んでいいのは水筒の水だけだ」
こんなところで腹など壊されては困る……などとぶつぶつ続けるが、ようやくのことで伝わったノエルの要望に怪訝な顔をする。
「こんなところで水浴びがしたいだと?
何を考えているんだ?」
「さすがにここではなぁ……」
アーガンにまで渋られ、ノエルは目に見えてしょんぼりとしてしまった。
【セルジュ・アスウェルの呟き】
「それがどうした?
セイジェルの性格の悪さは筋金入りだ。
なにしろルクスの上を行く性格の悪さだからな。
ミラーカには、時間の都合がつき次第機嫌を伺いに行く。
そちらもお前の心配することではない。
ハウゼン家?
ああ、あいつらはどうでもよい。
セイジェルがしたいのはハルバルトへの嫌がらせだ。
ハウゼン家などもう終わりだ、放っておけ」