14 出立の朝
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警戒して寝付けないどころか寝台で横になり、毛布にくるまってものの数秒で寝息を立て始めたノエル。
何が入っているかわからない鞄だけはしっかりと抱きしめたまま。
中身を改めたほうがいいのではないかと言ったイエルは、部屋の外で立ち番をしているファウスと交代。
そのファウスは、外で立つイエルと背中を合わせるように戸口に立つ。
大男のアーガンはセルジュとの距離を置くため、ノエルを起こさないようにそっと彼女の寝台に腰を下ろす。
ファウスとアーガン、ノエルと距離を置いた位置に立ったセルジュは、少しうつむくと首の後ろに手を回し、服の下に下げていたペンダントを外す。
そのペンダントを手に下げると、静かに呼吸を整える。
室内が静寂に包まれると、それまで聞こえていなかった階下にある食堂の賑わいや、他の宿泊客が立てる物音が遠くから聞こえてくるようになる。
その中に混じるノエルの寝息。
タイミングを見計らっているようなセルジュの様子に、アーガンが申し訳なさそうに、ひっそりと尋ねる。
「隣の部屋でするか?」
もちろんアーガンが悪いわけではない。
ノエルにもう寝るよう言ったのはセルジュで、本人もそれをわかっているのか、少し諦めたように 「大丈夫だ」 と呟くように返す。
それからほどなく、静かに唱え始める。
「alu …… 世界を渡る風よ、我が言葉を言の葉に変えて御身に託す。
風に舞う葉の如く遠方へ、我が心、風の音に変えて疾く届けられたし」
詠唱に合わせ、セルジュの足下に展開される魔法陣は手にしたペンダント。
そのトップに飾られた魔宝石に描かれたもの。
すぐに完成した魔法陣は光を帯びる。
あるいは光を帯びて完成したというべきか。
その中に立つセルジュは術の発動を感じ、予定していた報告を始める。
光を放つ魔法陣の中にいるセルジュの声は、陣の外にいるアーガンたちには聞こえない。
けれど形のいい薄い唇が動いているから何か話しているのだろう。
紡がれる言葉は魔法陣の中でキラキラした光の粒に変わり、陣の中に緩く渦を巻く風に乗って漂う。
そしてセルジュが手に下げるペンダントの、魔宝石にゆっくりと吸い込まれるように消えてゆく。
この魔術は全て声に出す必要があり、必然的に伝える内容が多ければ多いほど時間が掛かる。
セルジュが術を終えるまで、することもなくその様子を眺めていたアーガンは、戸口に立つファウスにひっそりと声を掛ける。
「これは周りで話す声も入ってしまうものか?」
「いえ、そういうことはありません。
術が発動してしまえば大丈夫です」
「いつになく長そうだが、魔力は大丈夫なのか?」
「公子でしたら全然平気だと思います。
短いものでしたら、魔術師ではない自分でも出来るくらいです」
それを聞いてアーガンは 「ほう」 と感嘆の声を漏らす。
「白の季節に入ってもまだ赤の領地は火の気が強いですが、公子でしたら問題はないでしょう」
「一般的な術とは聞いていたが、白には便利な魔術があるものだ」
アーガンも以前から知っていた魔術だが、改めて特徴を聞くとその便利さに感心してしまう。
だが赤の魔術師であるアーガンに白の魔術は出来ない。
そのこともあってそんな基本的なことを確かめたこともなかったのだが、訊いたところで教えてくれないのがセルジュの性格でもあったから訊かなかったということもある。
「赤の魔術ほど生活に近い魔術は少ないと思いますが……それより、来る時に感じたのですが、赤の領地側の火の気が強すぎるのか、領地境が不安定になっているような気がします」
そういえば……と思い出したついでのように話すファウスは 「報告が遅くなって申し訳ございません」 と言うが、色は違うがアーガンも魔術師である。
その程度のことはすでに気づいており、ファウスと同じ白の魔術師であるセルジュも気づいているだろう。
白の領地に戻るにはどうしてももう一度領地境を越える必要があるため、「俺たちも気をつけるが、お前も十分に気をつけてくれ」 と言うに留める。
いつになく長いセルジュの報告が終わるのを待つあいだ、二人はそんな話をしていたが、やがて長い報告が終わり、ファウスはイエル、セスと交代で立ち番を。
アーガンとセルジュは同じ寝台で眠りにつく。
翌朝、先に目を覚ましたのはアーガンである。
一人用の寝台で成人男子二人が一緒に寝るのは少し苦しい。
しかも 「蹴落としたらただでは済まさない」 とセルジュに言われていたから、アーガンにしては珍しく気を遣ってしまい熟睡出来なかったこともある。
寝台の上で上体を起こして大きく伸びをすると、隣の寝台の様子が目に入る。
「……起きてたのか」
いつも水汲みのため夜明け前に目を覚ますノエルは、今日もいつもどおり目を覚ましてしまった。
けれどここではどこに水を汲みに行けばいいのかわからず、しばらくは途方に暮れていたのだが、ふと思い出して窓辺に置かれていたコップを手に取る。
イエルは水差しも置いていってくれたから、自分でおかわりを注ぐ。
そうして二杯目を飲み干したところでアーガンがむくりと起き上がったのである。
丁度三杯目の水を注ごうとしていたところを見たアーガンは、「ちょっと待て」 とノエルを止める。
昨夜、イエルはコップに水を注いだ状態で置いていったことを覚えていたアーガンは、ノエルが新たに水を注ごうとしているのを見て、少なくともコップ一杯の水を飲んでいることに気づいたのである。
「水を飲み過ぎるな。
すぐ飯にするから、まずは飯を食え。
水で腹が膨れたら飯を食えなくなる」
九歳のノエルはまだ九年しか生きていないけれど、その九年の人生で、「腹が空くなら水でも飲んでいろ」 と何度も言われてきた。
それこそ食事を抜かれるたびに。
だがその逆を言われるのは初めてのことで、意味がわからず呆気にとられていたが、そのあいだにも寝台から立ち上がったアーガンにコップと水差しを取り上げられてしまう。
「お水……」
「飯が先だ」
「ごはん、たべられる?」
「ああ。
そうだな、まずは顔を洗うか」
ノエルがアーガンに連れられて部屋を出ると、部屋の外では立ち番をしているはずのセスが廊下にうずくまって眠っていた。
「こいつ……あとでぶっ飛ばしてやる」
もちろんアーガンがぶっ飛ばしてやりたいのはセスだが、ノエルは自分のことだと思い体を強ばらせる。
それを堪えるように、肩から袈裟懸けに提げる鞄を両手に抱え、握りしめる。
「ん? ああ、お前のことじゃない。
大丈夫だ、俺たちがお前を殴ることはない。
約束しよう」
約束、それもまたノエルには信じられない言葉である。
疑いと怯えの目でアーガンを見るが、アーガンは有無をいわせず軽々とノエルを抱え上げて階段を一階に下りる。
そして裏庭のようなところに出ると、井戸のそばには先客が何人かいた。
顔や首筋、手足などを手ぬぐいで拭っている宿泊客に混じって宿屋の主人まで。
その中にイエルの姿もあった。
「おはようございます」
先に掛けられるイエルの挨拶に、アーガンは 「おう」 と返しながらノエルを下ろす。
だが人が苦手なノエルは怯え、鞄を抱えたままぺたりと地面にうずくまってしまう。
「どこか具合でもっ?」
ノエルの顔色が悪いのは今さらだが、昨夜の様子を思い出して慌てるイエルとは違い、アーガンは 「お?」 などと呑気に構えている。
幸いにして先客たちはこどもに優しく、場所を空けて先に水を使わせてくれたから、怯えて動けないノエルをアーガンとイエルで半ば強引に顔を洗わせ、強引に連れ戻るとまだセスは寝ていて、顔を引き攣らせたイエルが隣の部屋に連れ込む。
代わりに出て来たファウスが迷惑顔をしていたのは言うまでもないだろう。
アーガンとノエルが部屋に戻るとセルジュも起きており、身支度を調えると、ノエルのお守りをアーガンが請け負い、立ち番をしていたファウスは顔を洗いに下りるセルジュに付き従う。
戻ってきたら出立するというアーガンは、部屋で待つあいだ、これからの大雑把な予定をノエルに話して聞かせる。
「まずはもう一つ隣の町に行く」
それはこの町より小さいけれど領地境すぐそばにある町で、そこで朝食を摂ったあと必要な買い物を済ませ、昼近くに領地境を越えるという。
領地境を越えるために決められた時間はないけれど、より安全を期すなら昼頃が安全ということらしい。
領地境を越える者の中には、この町にある大きな神殿で魔石を購入してから行く者もあるが、アーガンたちは必要ないらしく、ノエルには説明もしなかった。
けれど昨夜の約束通り、同行する残る二人をノエルに紹介する。
「背の高い長髪のほうがファウス・ラムート」
アーガンの紹介に合わせて軽く頭を下げるファウス。
続いてセスが紹介されるのだが、アーガンの隣で鞄を抱えて身を小さくしているノエルを見たセスは、ノエルを指さして不満げな先制をしてくる。
「なんすか、このチビ?」
「チビって言うな」
おそらく先程、廊下で居眠りをしていたセスを、隣の部屋に引き込んだあともそうしたのだろう。
隣に立っていたイエルがセスの頭に、容赦のない拳骨を落とす。
刹那 「いってーっ!!」 と上げるセスの声に、ビクリと体を強ばらせるノエル。
アーガンがその頭を、帽子の上から軽くポンポンと撫でてやる。
「悪いな。
あれはセス・ジョーンと言って、俺の部下では一番若い。
色々わかっていないことも多いが……まぁ、出来たら仲良くやってくれ」
なんともいい加減なことを言う上司をフォローするように、我関せずのセルジュに馬の手綱を手渡すファウスが言う。
「出来たら近づかないようにしていただきたい」
「そうだな、そのほうがいいかもしれん」
なるほど……と納得するアーガンの隣で、怯えながらも紹介されるファウスとセス、それにイエルやセルジュを見ていたノエルは、ふと思ったことを口にする。
「かみのけ、いろ……白の領地の人?」
「ああ、そうだな」
赤の領地では目立つからと、アーガン以外は外に出る時はフードで隠していたが、もう出立するから大丈夫なのか。
晒された髪色が、見慣れたものとは違うことに気がついたのである。
その問い掛けに、赤毛のアーガンは少しばかり苦笑いを浮かべる。
「アーガンさまは?」
「実は俺の親父殿は赤の領地出身でな。
姉上は母の血筋だが俺は親父殿似で、この通りの赤毛というわけだ」
「でも白の領地のひと?」
「俺自身は白の領地生まれの白の領地育ちで、出生も白の領地で届けられている。
赤の領地には親族がいて、こどもの頃から何度も来ているが」
それで今回の任務を受けた……というあたりからノエルが首を傾げるのを見て、「わからんか」 と笑う。
ノエルも素直に頷く。
「……お父さん、まっしろだった」
「ん? クラウス様?
あ、ああ、そういえばそんな話を聞いたような……」
記憶を手繰る振りをして、ファウスの手を借りて騎乗するセルジュをチラリと見るアーガン。
その視線に気がついたセルジュは首を横に振る。
クラウス・ハウゼンと面識のないセルジュとアーガンは、依頼人からクラウスの特徴としてその髪色と瞳の色を聞いてあらかじめ知っていた。
だから村人の話で彼の髪色が枯れ草色だったと聞いて、「草木の汁かなにかで染めていたのだろう」 と推測したのである。
セルジュやファウスはもちろんだが、赤の領地においてはイエルやセスの髪色でも目立つ。
そんな中でクラウスの白髪が目立たないはずがない。
わざわざ髪を染めてまで身を潜めたくせに、白の領地からさほど離れていない村にクラウスが留まったのは、おそらく白の領地の情報を得られる場所にいたかったから。
神殿に顔が利くといっても、赤の領地の内地では、白の神殿でも白の領地の情報は届きにくい。
それこそ内地の白の神殿では、クラウスの顔が利かない恐れがある。
白の領地への帰還を強く望むクラウスは、そこまでを考えてあの村に留まったのかもしれない。
その執念を思えば、依頼主がクラウスを警戒したのも無理はないだろう。
セルジュには 「思考する筋肉は必要ない」 と言われたけれど、無意識のうちにそこまでを考えたアーガンは暗澹としてくる気分を振り払うように、イエルから自分の馬の手綱を受け取ると、馬の機嫌をとるようにそのたてがみを撫でながら自分を見上げているノエルに尋ねる。
「そうだ、馬に乗ったことはあるか?」
首を横に振って答えるノエルを見て 「そうか、俺が乗せてやるから安心しろ」 と言うけれど、少しも安心してくれないノエルを軽々と抱え上げた。
【ユマーズの呟き】
「アモラの野郎、裏切りやがって!
欲を出した俺も悪かったが……クソッ!!
こんなことならさっさと取り上げてトンズラしておけばよかった。
もうこんな村に用はねぇ。
早く奴らを追わねぇと。
……アモラの奴、俺を裏切ってただで済むと思うなよぉ……」