110 収穫祭 (3)
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「ノエルのごはん、ちがう」
いつも出されるものとは違う食事に不安を隠せなかったノエルだが、セイジェルに言われて恐る恐る一口運ぶ。
「……たべられる」
ノエルは不安そうな顔をしながらも一口、また一口といつものようにゆっくりと食べる。
だがノエルは食事を楽しむことも味わうこともない。
食事はただ腹を満たすためだけのものである。
それもある程度みんなの食事が進んだ頃、不意にノエルの手が止まるのを見たセイジェルが声を掛ける。
「もう満腹か?」
「んー……もうちょっとたべる」
「そうか、ゆっくり食べなさい」
腹加減を見て答えたノエルは、セイジェルの返事に 「むふー」 と食べる意気込みを見せる。
確かにいつもより沢山食べていたが、それでもやはり5歳の子どもと比べても全然小食である。
やがて大人たちより一足先に食べ終わると、ニーナにしろちゃんをとってもらって膝に抱くと、大人たちが食べ終わるまでの時間をご機嫌に過ごす。
「しろちゃん、ノエル、いっぱいごはんたべた」
そんなことをしろちゃんに自慢しながら、大人たちが食べ終わるのをおとなしく待っていた。
食後は先程の談話室に場所を戻すのだが、一度椅子から下ろされたノエルは、再びセイジェルと 「て、て、て」 と、抱え上げようとするセイジェルの手を払い、なんとか手を繋いでもらおうと抵抗を試みる。
もちろん勝てるはずもなくあっさりと抱え上げられてしまい 「むー」 と不機嫌な顔をするが、談話室に戻った瞬間にその顔がパッと明るくなる。
「しろちゃん!
セイジェルさま、おっきいしろちゃん、いる! いる!」
普段は大きな声を出すことのないノエルだが、戻ってきた談話室に大きいしろちゃんがいるのを見て驚きの声を上げる。
興奮を抑えられないらしく、つい先程まで手を繋いでもらえなかったことにむくれていたのが嘘のようである。
しかも大きなしろちゃんの膝には小さなあおちゃんがすわっている。
「……あおちゃんもいる」
なぜ? ……という顔で見てくるノエルを、セイジェルはゆっくりと床に下ろしてやる。
セイジェルのあとに続いて談話室に入ってきた客人たちも、ぬいぐるみの大きさに驚きながらもすぐに持ち主がわかったのだろう。
驚きながらもセイジェルと嬉しそうに話しているノエルを微笑ましげに見守っている。
「セイジェルさま、おっきいしろちゃんいる。
あおちゃんもいる」
「今日は特別だ」
「とくべつ」
「これからわたしは客人と少し長い話をする。
そのあいだおとなしくしていられるか?」
「ノエル、おとなしくする。
おっきいしろちゃんと、しろちゃんと、あおちゃんといっしょにいる」
「そうか」
セイジェルの返事を聞いたノエルは嬉しさのあまり走り出すが、大きいしろちゃんを目前にいきなり蹴躓く。
普段、大きいしろちゃんはノエルの寝台の四隅に鎮座している。
だから床に直接置いて汚さないように大きいしろちゃんの下には敷物が敷いてあるのだが、その本当にわずかな段差に蹴躓いてしまったらしい。
しろちゃんを抱えたままのノエルは大きいしろちゃんに顔面から突っ込んでしまう。
「あら」
「まぁまぁ」
二人の夫人が心配そうな声を上げるが、幸いにして大きいしろちゃんは尻尾のおかげで倒れることなくノエルを受け止める。
だが顔から大きいしろちゃんの胸に顔から突っ込んだノエルは、慌てて顔を上げる。
「しろちゃん、ごめんね、ごめんね。
いたかった。
あおちゃんもごめんね、いたかった。
ノエル、こけた。
ごめんね、ごめんね」
ノエルに怪我などがないとわかり安心した二人の夫人がまた微笑ましげに見守っていると、ぬいぐるみに謝り続けているノエルを抱え上げたセイジェルが、大きいしろちゃんの隣にある椅子にノエルをすわらせる。
元々その椅子はノエルのためそこに用意してあったのだろう。
それを汲んだセイジェルがノエルをすわらせたのだが、ノエルはすぐに下りてしまう。
そして大きいしろちゃんの首にしがみつきながらセイジェルを振り返って言う。
「ノエル、おっきいしろちゃんといっしょがいい」
「そうか」
いつものようにノエルの好きなように過ごさせることにしたセイジェルは、代わりに自分がその椅子に掛ける。
そんな二人の様子を微笑ましげに見ながら少し離れたところにある椅子に掛けようとしたエルデリアは、差し出された夫オーヴァンの手を取った次の瞬間にハッとしたように声を上げる。
「いけません!」
その声の大きさに驚いたのはノエルだけ。
夫のオーヴァンや息子のルクスはもちろん、妹のマリエラもその夫のノイエも、さらには甥のセイジェルもセルジュも子どもの頃から聞き慣れた声である。
彼女が感情的になりやすいこともよく知っている。
だから特に驚くことはなかったのだが、今日初めて会ったばかりのノエルが知るはずもない。
しかもエルデリアはノエルを見て声を上げていたのである。
自分が怒られたと勘違いしても無理はないだろう。
「……ご、めんなさい、おこらないで」
それまで機嫌良くしていたノエルは一瞬で表情を強ばらせ、怯えた声で小さく呟く。
どうして怒られたのかなんてもちろんわかっていない。
わからないけれどエルデリアが怒っている。
それが怖くて反射的に謝ってしまうのである。
「たたかないで。
ノエル、いたいのいや。
ごめんなさい」
泣いたらもっと怒られる。
だから頑張って堪えるけれど、怖くて怖くて涙がどんどん溢れてくる。
それでもこぼれないように懸命に堪えていると、エルデリアと同じように夫ノイエの手を取って別の椅子に掛けたマリエラがゆっくりと声を上げる。
「お姉様、落ち着いて」
「マリエラ、あなたは……」
なにか言い返そうとするエルデリアだが、妹のマリエラは夫のノイエに隣にすわるよう勧め、同じくエルデリアのそばに立ったままの義兄オーヴァンにもすわるよう勧める。
言われるまでもなくルクスはすでにすわっており、ミラーカはセルジュに勧められて椅子に掛けながらも気が気ではない様子。
「お姉様が急に大きな声を出されるからビックリしているではありませんか」
「ですが……」
やはりなにか言い返そうとするエルデリアだがマリエラは聞く耳を持たない。
代わりに、今度は戸口近くに立っているマディンに向かって言う。
「もっと厚手の敷物を……そうね、何枚か重ねて頂戴。
それから毛布も必要だわ。
すぐに用意して頂戴」
するとマディンは静かに 「ただいま」 と答えて廊下に出る。
マリエラははじめからエルデリアがなにに声を上げたのかわかっていたが、マディンに出した指示で他の者たちも理解したらしい。
興味のないセルジュやルクスはともかく、ミラーカは目に見えて安堵する。
そしてセイジェルの側ではアルフォンソとウルリヒがひっそりと言い合う。
「これはわたくしたちとしたことが迂闊でございました」
「さすがにそこまでは気がつきませんでしたね」
「そもそも床にすわるという発想がございません」
「あのぬいぐるみは、すわらせられる椅子がなかっただけですからね」
などと。
それを頭上に聞いていたセイジェルは、ただ一人、未だ状況を理解出来ず怯えるしか出来ないノエルに話し掛ける。
「こちらへ来なさい」
「ノエル、おっきいしろちゃんといっしょがいい」
さっきは許してくれたのに……とでも言いたげに、一杯に涙を溜めた目でセイジェルを上目遣いに見るノエル。
でもやはりエルデリアに怒られるのが怖いのか、小さいしろちゃんを抱えたまま、時折不安げな目をエルデリアに向ける。
すぐノエルの視線に気づいてばつの悪そうな顔をするエルデリアにマリエラが追い打ちを掛ける。
「申し上げましたでしょ?
お姉様が悪いのです」
「ですがマリエラ……」
姉妹のやり取りをよそに、セイジェルは少し腰を浮かすと、大きいしろちゃんの首にしがみついて離れようとしないノエルを抱え上げるように引き離す。
そして自分の膝にすわらせる。
「おっきいしろちゃん」
「少しのあいだここでおとなしくしていなさい。
すぐにマディンが支度を整える」
「……わからない」
「少し待てばわかる。
支度が整えば下ろしてやろう」
やはり意味がわからないノエルはセイジェルの膝でおとなしく考える。
そして勢いよく鼻水をすすってから答える。
「……セイジェルさま、いいにおい」
「そうか」
セイジェルがいつものように答えると、ノエルは片手で小さなしろちゃんを抱え、もう一方の手でセイジェルの上着を鷲づかみにする。
そして顔を押しつけるように匂いをかぎ出す。
「……セイジェル、それはなにをしている?」
セイジェルの匂いを嗅いで少しずつ落ち着いていくノエルだが、その様子が理解出来ない客人たち。
セルジュとミラーカはともかく、ここしばらくクラカライン屋敷で暮らしていたルクスも初めて見る光景である。
不思議そうな顔をしている二組の夫婦の疑問を、代表するようにルクスが尋ねたのである。
「さぁな」
「さぁって……お前の匂いを嗅いでいるように見えるのだが?」
「わたしはいい匂いがするらしい」
訝しさを隠すことのないルクスにセイジェルは淡々と返す。
「いい匂い?
加齢臭の間違いじゃないのか?」
「かもしれないな」
ルクスは嫌味のつもりだったのかもしれないが、セイジェルには全く意味を為さず。
マディンの指示で、棒状に巻いた敷物を持って談話室に入ってくる使用人たち。
その姿を見たアルフォンソが、なにを思ったのか、大きいしろちゃんの膝から小さいあおちゃんを持ち上げ、なぜかノエルの頭に乗せる。
するとノエルが慌てて両手を上げてあおちゃんを受け止める。
「あおちゃん、そこじゃないよ」
そんなことを言いながらあおちゃんを下ろそうとするのだが、ノエルの頭が小さすぎてあおちゃんのお尻のすわり具合がよろしくないらしい。
あおちゃんの体は大きくうしろに傾いでいる。
「あ、あ、おち、おちる、あおちゃん、おちる、そっちじゃないよ」
ノエルは髪が乱れるのも気にせず、うしろに落ちそうになっているあおちゃんをなんとか持ち上げようとする。
その脇ではウルリヒが大きいしろちゃんを肩に担ぎ上げ、マディンに伴われてきた使用人たちが大きいシロちゃんがすわっていた場所に持ってきた敷物を何枚か重ねて敷き詰める。
そうして準備が整うとウルリヒは再び大きいしろちゃんをすわらせ、アルフォンソもノエルの頭からうしろに落ちそうになっているあおちゃんを回収する。
するとセイジェルはノエルを膝から下ろす。
「おっきいしろちゃん。
ノエルね、ごはんいっぱいたべた。
うれしい」
再び大きいしろちゃんの首に抱きついて喜ぶノエルだが、再び小さいあおちゃんがノエルの頭に乗せられる。
もちろんアルフォンソの仕業である。
ハッとしたノエルは慌てて両手を上げてあおちゃんを受け止める。
「あおちゃん、そこじゃないよ。
おちるよ。
おち、おちる、あおちゃん、おちる」
「ノワール」
「でも、あおちゃん、おちる、おちる。
セイジェルさま、あおちゃん、おちる」
結局うしろに落ちかけたあおちゃんをノエルは自力で持ち上げることが出来ず、セイジェルに助けてもらうことになった。
「そなたたちも、あまりこれをからかうな」
「申し訳ございません」
「ついうっかり」
主人から注意を受けてもアルフォンソとウルリヒに反省の色は少しも見えない。
それどころか主人の注意を引いて楽しんでさえいるよう。
そんな側仕え二人をエルデリアとミラーカが怒気を放ちながら睨みつけるが、二人が気にするはずもない。
もちろん主人であるセイジェルもである。
「姫様、毛布を膝に掛けましょうね」
「あったかい。
しろちゃんもあったかい。
あおちゃんもあったかい」
「そうですか。
冷えてきたら仰ってくださいね」
「あったかい」
むふー
大きいしろちゃんや小さいしろちゃん、あおちゃんと一緒に床にすわるノエルは、ニーナに毛布を掛けてもらい機嫌がいい。
さらにはすぐそこにセイジェルがいてくれるから余計に機嫌がいいのだろう。
ノエルがすわるはずだった椅子に悠然と足を組んですわるセイジェルは、ノエルが落ち着いたと判断したのだろう。
顔を上げて客人を見渡す。
そしておもむろに切り出す。
「さて、話を始めましょうか」
【アスウェル卿夫人マリエラの呟き】
「お姉様ったら思ったことをすぐ口に出してしまうんですもの。
それも思ったままを。
本当にわかりやすいったらありませんこと。
そういうところは昔から変わりませんわ。
きっとノワールのこともお兄様の子だと思っているのでしょうね。
セイジェルがクラカラインを名乗ることを許したからそう考えるのも無理はないでしょう。
でも違いますわ。
だってセイジェルは、他のお兄様の子にクラカラインを名乗らせることはありません。
そんなことは絶対に許しませんわ。
でもそう考えると、ノワールはいったい……」




