表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
円環の聖女と黒の秘密  作者: 藤瀬京祥
二章 クラカライン屋敷
100/109

97 アーガンの敗北

PV&ブクマ&評価&感想&誤字報告&いいね、ありがとうございます!!

「セイジェルさま、いない……ぅ……ひっく……」


 泣きながら食事室に現われたノエルを見たセイジェルは、朝から何事かと思ったに違いない。

 さらには目の前にいるにもかかわらずいないなどと言われて意味がわからなかったに違いない。

 だが驚いたりすることはなかった。

 椅子にすわったまま、ボロボロと涙をこぼしながらなにかを訴えかけてくる幼い従姉妹を静かに呼び寄せる。


「こちらへ来なさい」

「おこられる」

「怒らない。

 食事の前に少し話をしよう」


 セイジェルの言葉に小さく頷くノエルだが、あまりにもひどい顔だからと慌ててニーナが拭いてやる。

 一緒に食事室までやってきたミラーカは心配そうにその様子を見ていたが、セイジェルに促されて先に自分の席に着く。

 そうしてセルジュとミラーカが見守る中、ノエルがセイジェルの側まで来ると、セイジェルは少しばかり椅子を引いて体ごとノエルを見る。


「アーガンならば昨夜、夕食を摂ってから帰った」

「かえった……アーガンさま、おうち、かえった……」


 目を覚してもアーガンがいると思っていたノエルは、朝食を一緒に摂るつもりだったのかもしれない。

 朝食のあと一緒に散歩に行けると思っていたのかもしれない。

 昨日は行けなかった温室に、アーガンと一緒に行けると思っていたのかもしれない。

 そしてまた隣にすわって沢山話が出来ると思っていたのかもしれない。

 けれど目を覚すとアーガンはいなかった。

 もちろんアーガンにも家があることはノエルもわかっていたはずだが、帰るとは思っていなかったのだろう。


 あとでミラーカからこの話を聞いたアーガンが酷く落ち込んだのは言うまでもないだろう。

 ノエルが起きているうちに夜は騎士団の宿舎に帰ること、また会えることをちゃんと話しておくべきだったと……。

 だがノエルの日常を知らなかったアーガンはそれをし損ない、セイジェルが代わりをすることになったのである。


「一緒に来ていた騎士も……イエルといったか。

 なかなかの優男だったな。

 アーガンの話ではなかなか剣の腕も立つらしい。

 今度、修錬場で手合わせを申し込んでみたいものだな」

「確かに、なかなか見目麗しい騎士でございましたね」


 セイジェルの側に控えていたウルリヒがひっそりと口を挟む。

 するとニーナとともにノエルのそばに控えているヘルツェンが続く。


「ですがリンデルト公子はお人好し。

 ご自分の部下を旦那様の前で悪く言うようなことはありますまい」

「実際は見てくれだけの騎士やもしれませぬ。

 そうであれば、旦那様はさぞかしがっかりなさるでしょう」

「それはわたくしたちとしましても不本意なところ。

 是非とも腕試し手しておきたいところでございます」

「ええ、是非とも。

 旦那様のお相手を務めるに相応しいかどうか……」


 不穏な言葉を交わし合った二人の側仕えは、顔を見合わせて怪しい笑みを浮かべ合う。

 側で聞いていたニーナは、彼らが兄イエルのこと話しているとわかっていても迂闊に口を挟める立場ではなく、ただそわそわオロオロするだけ。

 代わりに声を張り上げたのはミラーカである。


「お前たち、アーガンは嘘を吐くような子ではありません!」


 姉弟揃ってすでに成人し、とっくに背丈も追い抜かれているが、やはり幾つになっても彼女にとってアーガンは可愛い弟なのだろう。

 もちろん昨日の夕食にはミラーカも同席していたから、アーガンが部下のイエルを褒めていたことは知っている。

 剣の腕だけでなく、気の好い頼りになる部下だとも話していた。

 楽しそうに話すアーガンの顔も、その隣でただただ恐縮していたイエルも見ている。

 そんな彼ら騎士にとって絶対の主人である領主の前で、本人たちのいないところで愚弄するような発言をするのは許せなかったのである。


 だがいくらミラーカが声を張り上げたところで、怒りを露わにしたところで、二人の側仕えは 「おや?」 とか 「なんでしょう?」 などと、いつものように気のない返事でのらりくらりと躱すけれど、セイジェルの前に立っていたノエルがビクリと体を強ばらせる。

 そして怯えた目で恐る恐るミラーカを見る。


「ごめんな、さい」


 ともすれば聞き逃してしまいそうなほど小さく震えた声に、ハッとしたミラーカがなにかを言うよりも早くセイジェルが口を開く。


「そなたが叱られたわけではない」

「ミラーカさま、おこってる」

「叱られているのはヘルツェンたちだ、そなたではない」

「ノエル、ちがう」

「そなたが叱られているわけではない」


 低く良く響くセイジェルの声は、年頃の娘たちにはきっと魅力的に聞こえるだろう。

 だが幼いノエルには、セイジェルが怒っていないということしかわからない。


 一方のセイジェルも、辛抱強くノエルに付き合って同じ言葉を繰り返しているというわけではなく、そういう会話をしているだけ。

 特に苦痛でもなければ我慢している様子もなく、面倒くさがっている風でもない。

 だが側仕えたちには多少なりと苦言を呈したいらしい。

 チラリと彼らを見て言う。


「少し黙っていなさい」

「叱られてしまいましたね」

「わたくしたちはこんなにも旦那様のことを思っておりますのに、悲しいことです」


 どこまでも口の減らない二人にまた声を上げそうになったミラーカだが、隣にすわるセルジュに 「ミラーカ」 と静かに呼ばれて我に返る。

 そして少しばつが悪そうに身を小さくするタイミングで、セイジェルが再びノエルに話し掛ける。


「すっかり話が逸れてしまったな。

 昨夜、アーガンとイエルは、屋敷で夕食を摂ってから騎士団の宿舎に戻った」

「もっと……もっとおはなし、したかった」

「そうか」

「いっしょにいたい」

「そうか。

 ではまた呼べばよい」


 するとそれまでうつむいていたノエルが顔を上げる。


「アーガンさま、くる」

「先日も話したが、アーガンは騎士だ。

 イエルも」

「アーガンさま、きしのおしごとある。

 イエルさまもおしごとある」

「そうだ。

 だからすぐには来られないが、また呼べば来る。

 もう少し体力がつけば、そなたのほうから宿舎まで遊びに行けばよい。

 騎士団の宿舎は城の中にあるからな」


 ただアーガンたちですら馬で来た距離である。

 成り行きでノエルの主治医を務めているクリストフも、毎回馬車で送迎を受けている。

 幼く体の小さなノエルの足では、ちょっとそこまで散歩に行くつもりで行き来出来るような距離ではない。

 それにまだノエルの存在は(おおやけ)にされていないため、城の中とはいえ自由に歩き回ることは出来ない。


「ノエル、あそびにいく」

「まだ無理だ。

 収穫期の今は皆忙しいからな」

「わかった、まつ。

 アーガンさま、またくる」

「収穫期が終わる頃にでも、また呼ぶとしよう」

「わかった」


 ノエルが納得して落ち着けばこの話は終わり。

 いつもならそうなるはずだったがこの日は少し違った。

 セイジェルがさらに話し掛けたのである。


「それに、これからそなたも遊んでばかりいられなくなる」

「ノエルもおしごと、する。

 おみずくむ。

 あとそうじ、あと、あとおせんたく……はちょっといや」


 どうやらノエルにとって洗濯は一番の重労働らしい。

 赤の領地(ロホ)にいた頃の辛い日々を思い出してしょんぼりするが、セイジェルからは予想外のことを言い付けられる。


「掃除も洗濯もしなくてよい。

 水汲みもしなくてよい。

 そなたには勉強をしてもらう」


 すると 「べんきょう……」 と口の中で小さく呟いたノエルは、パッと表情を明るくしてセイジェルを見る。


「ノエル、がっこういく。

 マーテルいってた。

 ノエルもがっこう、いきたかった」

「マーテルとは何者だ?」


 セイジェルの問いに答えたのはセルジュである。

 彼は 「報告書に書いてあったと思うが……」 と前置きをして話す。


「マーテル・マイエル、それの弟だ。

 確か一歳違いで、赤の魔力がある」

「ほう……そういえば読んだな。

 マイエル家というのは確か、魔力を持つ者が多くいると……」


 おそらくそれも報告書に書いてあったのだろう。

 思い出しながら呟くセイジェルに、ノエルは少し表情を曇らせて答える。


「ハノンとラスン、しんでんのがっこういってた」

「ハノンとラスンというのは何者だ?」

「ノージおじさんのこども」

「それの従兄弟に当たる兄弟だ」


 セルジュの補足にセイジェルは 「なるほど」 と答えて黙り込むが、すぐに話を切り替える。


「その話はまたいずれ、詳しくきかせてもらおう。

 また話が逸れてしまったが戻そう。

 そなたには、学校ではなくこの屋敷で学んでもらう。

 そのための家庭教師も手配している。

 部屋も用意しよう」

「ノエル、がっこういけない……しょんぼり……」


 ずっと憧れていた学校に行けると思って喜んだノエルは目に見えて落ち込み、セイジェルは小さく息を吐く。

 そして言う。


「少し話が長くなりそうだ。

 続きは食事のあとでしよう」


 自分の席に着くよう促されたノエルは、改めてヘルツェンに抱え上げられる。

 そしてももちゃんとともにそれぞれの席に着いたところでいつものように朝食が始まる。


「日々の(かて)を恵み(たま)う光と風に感謝を……」


 アーガンが帰ってしまったことに続き学校に行けないと知って落ち込んだノエルは、すっかり食欲が失せてしまったらしい。

 テーブルに並べられた食事にはほとんど手をつけなかったが、同じ卓に着く三人の大人は誰も無理に勧めることはしなかった。


 生まれ育った赤の領地(ロホ)ではずっと飢えてきたノエルが、この屋敷ではきちんと食事を与えてもらえるとわかってようやく落ち着いてきたのである。

 ここで 「もっと食べろ」 と勧めれば、ノエルはもっと食べなければならないと思い込むに違いない。

 それこそ沢山食べなければ怒られると思ってしまうだろう。


 だが無理に詰め込めば腹を壊して逆効果になる。

 だから食べたい時に食べられるだけでいい。

 決して沢山食べるようにと言ってはいけないのである。

 この朝も大人三人は用意された食事を全て平らげたけれど、ノエルはほとんど手をつけることなく残していたが三人ともなにも言わなかった。


「もうよいのか?」


 セイジェルにそう尋ねられたノエルは小さく頷くだけ。

 それを見たセイジェルはナプキンで口元を拭うと席を立つ。

 そしてノエルを抱え上げると 「では行こうか」 と言って食事室を出る。

 そうしてセイジェルがノエルを抱えたまま連れていったのは、食事室の近くにある談話室である。


 セルジュとミラーカが夕食前によく使っている部屋でもある。

 あまり広くない談話室だが、ニーナやセイジェルの側仕え二人はもちろん、ミラーカと彼女の側仕えも付いてくる。

 そんな中でセルジュだけがいつものように部屋に引き取る。

 いつものように公邸へ向かう身支度をするためである。


「さて、そなたが学校に行けない理由を話そうか」


 ソファにすわらせられたノエルは、膝に置いたももちゃんを抱えて小さく頷く。

 それを見て、隣のソファに掛けたセイジェルはゆっくりと話し出す。


「そなたは九歳だったな?

 次の新緑節には十歳になる」


 年齢を確かめるセイジェルにノエルは小さく頷いて応える。


「もし学校に通うことになれば、同じ十歳の子どもと一緒に学ぶことになる。

 十歳の子どもの学力に合わせた授業を一緒に受けることになるが、そなたは九歳までの授業を受けたことがない。

 つまり九歳の学力が付いていない」

「がくりょく……」

「そう、例えば……そういえば、そなたはまだ文字が書けないのだったな」

「かけない」


 小さく頷くノエルを見て、セイジェルは話を続ける。


「九歳ならば文字を書けることはもちろんだが、かなりの文字を読むことも出来る。

 文字を書くことも読むことも出来ないそなたでは、同じ歳の子どもたちと一緒に学んでもまったくわからないだろう。


 だから学校に行きたいのならば、まずは屋敷で学びなさい。

 学力が同じ歳の子どもたちに追いついたら、その時に通うかどうかを改めて考えることにしよう」


 実際にはノエルには体力的な問題もあるのだが、話が難しくなることを避けたのだろう。

 色々と言ってやる気を削ぐのもよろしくないと考えたに違いない。

 だからセイジェルは学力だけに焦点を絞り、ゆっくりと言葉を選んで話して聞かせた。

 しかも最後に、学校に行けるかもしれないという希望を残している。

 おとなしく話を聞いていたノエルは少しのあいだ考え込んでいたが、やがてセイジェルを見て口を開く。


「わかった。

 ノエル、がんばる」

「そうか。

 また改めて紹介するが、手配した家庭教師はルクスという」


 するとそれまで我慢して黙っていたミラーカが口を開く。


「ラクロワ卿家の第二公子様でいらっしゃいますか?」

「ラクロワ……」

「とても有能な神官でいらっしゃいます。

 神殿の学校で教壇にも立たれている御方ですわ」


 ミラーカも以前は神官として神殿に仕えていたことがある。

 セルジュと婚約しているため短い期間ではあったが、その時にルクス・ラクロワの評判を噂に聞いたという。

 だから知らない人を怖がるノエルでも心配はないと話すが、セイジェルや二人の側仕えは、なぜか薄気味の悪い笑みを浮かべてそれを聞いていた。

 ノエルと話す途中でそのことに気づいたミラーカだったが、三人の、初めて見るような薄気味の悪い笑みに理由を訊けず。

 そんなミラーカの話が終わるのを待って、改めて話し出したセイジェルも理由を説明することはなかった。


「そなたは初めて会うことになるが、ルクスはセルジュと同じくわたしたちの従兄弟に当たる」

「いとこ……」

「そう、だから他人ではない」


 そう言ってノエルを安心させた……と思ったら、最後に不穏な言葉を付け加える。


「もしルクスがなにかすればわたしに言いなさい。

 二度とせぬように仕置きしてやろう」

「しおき……わからない……」


 お仕置きならノエルもわかったかもしれないが、「お」 が抜けただけで理解出来なかったらしい。

 それはセイジェルが、怒られることを怖がるノエルに配慮してわざとしたのか、ただの偶然だったのか。

 わからないけれど、薄く笑みを浮かべるだけのセイジェルは 「そうか」 とだけ返す。


 するとなにを思ったのか、セイジェルのすぐそばまで来たノエルがセイジェルの膝に手を置く。

 そしてセイジェルの端正な顔を改めて見上げた……と思ったら腕を伸ばし、小さな手で無造作にセイジェルの顔を掴む。

 文字通り、掴んだのである。

 さすがに居合わせた全員が何事かと驚いたり慌てたりする中、セイジェルだけがノエルに引っ張られるまま背を屈める。


「どうした?」


 そう尋ねるけれどノエルは答えず、引き寄せたセイジェルの頬に自分の頬をむにゅっと押し当てる。

 そしてスリスリしようとしたのだが、しろちゃんたちのように上手くはいかずむにゅむにゅとなる。


「これはいったいなにを?」


 五人の側仕えたちは、ノエルがこれをぬいぐるみたちとしているところを見たことがある。

 いや、おそらくセイジェルも見たことがあったに違いない。

 だがまさか人間を相手にするとは思わなかったのだろう。

 セイジェルにいたっては、自分がその相手に選ばれるとは夢にも思わなかったに違いない。

 ヘルツェンの困惑した呟きを聞きながらもノエルのやりたいようにさせていたセイジェルだったが、やがてノエルは手を放して満足そうに笑みを浮かべる。


「セイジェルさま、じょりってしない」

「じょり?」


 なんのことかと首を傾げるセイジェルに、顔色を赤くしたり青くしたりと忙しいミラーカが答える。


「髭の剃り残しですわ」

「ああ」


 なるほど……と頷くセイジェルの側でウルリヒも納得したように返す。


「なるほど、リンデルト公子には剃り残しがあったのですね」


 するとノエルが 「あった」 と何度も小さく頷くのを見て、セイジェルはまたしてもなるほどと笑みを浮かべる。

 だが一人納得がいかないのがアーガンの姉、ミラーカである。


「姫様、申し上げましたわよね?

 スリスリは特別なご挨拶ですからしろちゃんたちとだけだと」

「セイジェルさま、とくべつ」


 満面の笑顔で返されて言葉を飲むが、ミラーカも姉として可愛い弟のために譲れないことがある。


「……アーガンは違うのですか?」

「アーガンさまもとくべつ」


 迷わず答えたノエルに安堵したのも一瞬、続けられる言葉に肩を落とす。


「でもじょり、いや」

【側仕えニーナ・エデエの呟き】


「魔術師様たちは剣も扱われるのかしら?

 そういえば旦那様も、凄くお強い魔術師様なのに剣もとてもお強いってきいたわ。

 子どもの頃からリンデルト卿のご指南を受けて剣の腕を磨かれたというし、魔術師様たちもそうなのかしら?

 だったらひょっとして魔術師様たちも強い?

 旦那様と一緒にリンデルト卿の指南を受けられたのかしら?

 え? 兄さん、勝てるの?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ