02
厨房からは朝食の良い香りが漂っていた。
「おはようございます」
「あぁ、おはようさん。どうした?」
厨房に顔を出すと、そこの主のリーシャがアソラに声をかける。アソラはリーシャを見て眉をひそめた。
「リーシャ、あなたこそどうしたの」
リーシャはいつもの白い服の上に何枚も服を着こみ、着ぶくれしていた。
「今日寒いだろ」
どうやら朝の仕事は終わったようでモコモコの帽子を被り、上着のポケットに手を突っ込んで、厨房の隅に座り込んだ。
「寒ぃの苦手なんだよって、マリー様?」
リーシャは初めてそこでアソラの後ろにマリーがいたことに気が付いた。
「あー……料理作るときはちゃんと脱いでましたよ」
「はぁ、分かったわ」
マリーは自分より幾分も歳上の男を見下ろしながらため息をついた。
「で、そこのクッションは何?」
マリーはリーシャが座っているクッションよりも厚みが薄い物を指さし、聞いた。
「これ座布団っていって床に敷いてその上に座るやつです。一応地べたに座るのはどうかと思いまして」
リーシャは厨房の隅を自分のくつろぎ場として私物を置いていた。仕事中以外はだいたいそこに座っているか、食材探しに街に出ているかのどちらかだった。
「職場に限ったことではないですが、自分が自分に戻れる場所が無いと自分を忘れてしまうのでね。ここが俺にとっての自分を思い出す場所なんですわ」
マリーは首を傾げた。
「どういうこと?」
リーシャは「んーそうですね、例えば」と口を開いた。
「奥様は、旦那様の奥様でマリー様の母君であられる。あとは、奥様の生まれの家のキュリラス家の令嬢。世間はそういう目で見るでしょう。しかし、ベルベッド・ジョーダン、ベルベッド・キュリラスという一人の人間であることは間違いない。妻として母親として歴史ある家の令嬢として生きていては、それがその人として見られるが、それを抜きにしたベルベッド・ジョーダンという一人の人が本当のその人だと思うんですよね。あー、分かります?」
リーシャがマリーを見上げ尋ねると、マリーは「なんとなく?」と答えた。それを聞いたリーシャは「いいんですよ、なんとなく分かってくれれば」と笑った。
リーシャはマリーから視線を外し、正面を見た。
「人間って沢山の仮面を被って生きているんです。親の仮面を被って、組織の一人としての仮面を被って、恋人の仮面を被って、良き友人の仮面を被っている。そして人が望む……いや、世界が望む仮面を被り続けると、ある日突然仮面が剝がれなくなるんです。自分の本当の顔が分からなくなる……だから適度に仮面を外す場所が必要なんです」
寒いのかリーシャは首元まで覆っている服に顔を埋める。
「マリー様は、ジョーダン家の令嬢として生まれてきました。だからこそ既に一つの光り輝く仮面をお持ちだ」
リーシャの瞼が閉じる。
「でもそれを無理に被る必要はない……あなたはあなたの好きなように、わがままに生きていけばいい」
すぅ、とリーシャから寝息が聞こえた。




