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わがまま令嬢とその侍女  作者: たなぼた まち
魔女の追憶 番外編
64/120

12

 夜がオポズの人間の時間だ。

 エリーは闇夜に紛れて、マルリットが教えてくれた情報をもとに、カナロフ邸に忍び込む。

 まず初めに、忍び込んだエリーは自らが調合した睡眠薬をお香のようにあちこちで焚いた。そして暫く経った後、自らの口元をマスクで覆い、主人のカナロフがいる部屋を目指す。

 誰もいない廊下を進むと、一番奥の部屋から女が一人出て来た。

 それはマリアだった。

 エリーはマリアに気づかれないよう身を隠し、彼女が目的の部屋から離れるのを待った。

 そして完全に離れたことを確認してから、カナロフの部屋の前にたどり着く。

 扉を開け、覗く。

 まだ灯りを灯しているが、扉に背を向け、書類仕事をしている為こちらに気づく様子はない。

 息を殺して、静かに部屋に入る。

 カナロフは気が付かない。

 そのまま近づく。

 カナロフの真後ろに立つと、ようやく彼は誰かが来たことに気づいた。

 しかしそれはマリアだと思っているようで、彼は小さく笑った。

「どうしたんだい、音も立てず入ってきて。びっくりさせようとしたのか」

 後ろを振り向くこともなく、呑気なその男の首にエリーは抱きしめるように腕を絡めた。

 その細い幼い手に、ようやくカナロフはマリアではないことに気が付いた。

「誰だ!?」

「お母さんを、返して」

 持っていた注射針をカナロフに打つ。

 そして手袋をはめた手で彼の口を塞ぐ。

 そうすると徐々に薬が効いてきて、彼は痙攣し、机に伏せた。

 これで仮に司法解剖されたとしても殺しだとは気づかれない。

 心臓麻痺で成立する。

 完璧だと思ったそのとき、鏡が見えた。

 エリーはその鏡を見て、驚きのあまり後退った。

 すると、手がたまたま机に置いてあったカップに触れ、カップが床に叩きつけられ割れた。

 嫌な音が響く。

「カナロフ様?」

 ずっと、今までずっと聞いてきた声が聞こえた。

 その愛しい声で名を呼ばれるのは、この男ではない。

「エリー!?」

 あぁ、そうだ、私だ、とエリーは口角を上げ、マスクを外し、捨てた。

「あなた、何をして」

 マリアはエリーが持つ注射器と、机に伏せているカナロフを見て青ざめた。

「エリー、あなた……何を……」

 揺れる目がエリーを見る。

 ようやくマリアと目が合ったエリーは満面の笑みを浮かべた。

「帰ろう、お母さん」

「ひっ!」

 マリアは部屋の外へ駆け出した。

 走りながら叫んでいる言葉がエリーには聞こえた。

「どうして、どうしてこんなこと! あぁっ、カナロフ様!」

「どうしてもこうしてもないじゃん! お母さんが私を置いていくからだよ! ねぇ、帰ろう!」

 裾を踏んだマリアが倒れる。

 カナロフ邸の庭までマリアは逃げたが、身軽なエリーから逃れることはできなかった。

「嫌、嫌よっ! カナロフ様が愛してくれた、カナロフ様だけが私を愛してくれた! 返して、あの人を返して!!」

 エリーはしゃがみ、泣き喚くマリアと視線の位置を合わせた。

 涙で濡れたマリアの頬をエリーが撫でる。

 化粧をして、髪を結って、豪華な服を身に纏って、本当に綺麗な母親だ。

「私も、愛していたよ」

 大事だった、愛していた唯一の家族の首筋に注射器を差す。

 中の液体がマリアの中に侵入する。

「……エリー、何を打ったの? エリー!?」

 震え、倒れるマリアに膝枕をする。

 その頭を優しく撫でる。

「おやすみ、お母さん。良い夢を」

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