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夢見のステップ 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 みんなの家のそばに、らせん階段や折り返し階段がついている建物はあるだろうか?

 アパートやマンションにはときおり、避難経路として設置されているのを見る。コンパクトに階段を設置するときに、役立つ構造だろう。

 先生が子供だった時には、遠くから見た時の形状がとても印象に残ってね。真四角の工場横に取り付けられた折り返し階段を眺めて、横にして積まれた牛乳パックのようだと思ったこともある。


 そして便利な反面、足を踏み外せば危ないのも階段の特徴。

 踊り場があればいいが、らせん階段のような延々と下まで続く構造だと、打ちどころによっては致命的になりかねない。しかし翼のない人間にとって、いまもなお有効な移動手段のひとつとして、活用せざるを得ないから難しいところだね。

 そうして人がよく接触するところだからか、奇妙な体験が語られることもしばしばある。

 先生の昔の話なんだが、聞いてみないか?

 

 

 先生の小学校時代で、階段を使った遊びといえば「グリコ」が定番だった。

 知っての通り、じゃんけんをして、それで勝った手により規定の段数を進むというものだ。

 グーなら「グリコ」で3歩。チョキなら「チョコレート」で6歩。パーなら「パイナップル」で6歩、だったかな。

 明らかにひとつだけ、リターンに水をあけられているグー。こいつをどこで繰り出すかがポイントだったな。ハイリターンを臨むチョキ相手に、うまく差し込めたときなんかは、興奮の極みさ。

 

 その日は、学校の非常口。折り返し階段を使って、グリコをやっていた。いつもとは違う階段でやりたいという、友達の意見を汲んでね。

 先生はいやに調子が良かった。友達の一騎打ちだったが、連戦連勝。ひとフロア以上の差をつけ、もはやお互いの手をじかに確かめることはできない。先生と友達は互いの口で、出した手を告げていた。

 

 だから、この瞬間は友達さえも見ていないはずだ。

 階段を降り切って、踊り場に立ったとき、ちょうど下から上がってきたクラスメートの女子とぶつかったのを。

 正面同士じゃなかった。後ろ向きに跳ねながら、段を上がってきた彼女の尻がもろに、ぶつかってきたんだ。

 ややもすれば「威力が疑わしい技」「エッチイ技」などと馬鹿にされがちなヒップアタックだが、とんでもない。

 尻は人体でも、屈指の筋肉量を誇る部位。鍛えた者が繰り出したならば、正面からのボディアタックにひけを取らない威力だという。

 彼女の鍛えがどれほどか分からないが、それでもためらいない尻は、投げられたドッジボールの球以上の重さがあった。加えて、先生にとっては完全に不意打ちと来ている。

 

 もろに受けた腹。ふらつく足。

 後ずさる先生の背中を、踊り場の壁が受け止めてくれた。もし、これがなかったら確実に落ちていただろう。

 彼女はすぐ気づき、手を合わせて先生に何度も頭を下げる。音を聞きつけたのか、グリコをしていた友達も、階段を勢いよく降りてきたが、合流前に先生が目にしたものがある。

 彼女の靴底。そしてそれが階段たちにつけた足跡。

 そこが妙に赤く染まっていることに。

 

 

 夢見のステップ。彼女はそう、先生と友達に教えてくれた。

 人間が夜に向けて、意識が眠りへと落ちていくように、夢もまた夜に向けて低きより高きに上がってくる。

 この正反対の歩みがかち合うとき、人は夢を見るのだという。そして彼女がやっていたことは、その夢を導くためのものだったとか。


「あのステップをきちんと踏んで、夢とのタイミングが合うとね。こだまのように足音が返ってくるんだ。

 そうしたら成功。その日の夢は素敵なものが見られるんだって。夢はとっても恥ずかしがり屋だから、一番下まで見通せる階段じゃダメ。あそこみたいに折り返し階段でやるのが望ましいって聞いたよ。

 多くの人の吐息が溜まる場所ほど効果は大きいようだから、こうして屋外のものを使ったんだ。

 足に赤い絵の具をつけた理由? あれは夢の道しるべだよ。より夢の足音を呼び込めるんだって」


 詫び代わりに教えてくれた彼女のステップは、階段のわずか3段を行き来するものだった。

 6・3・6・3・3のステップ。

 6のところで前に3段、後ろに3段で戻り、3のところはその場で3回ジャンプ。いずれもひとまとまりのステップが終わるまで、いっさい身体の向きは変えずにやる必要があるのだとか。

 後ろ向きに、階段を降りるのは危険すぎる。ゆえに彼女は、後ろ向きに階段を登るステップをとり、先生とぶつかったというわけだ。

 

 

 先生は表向き、「ふーん」と無関心に流したが、内心では興味しんしん。

 占いやおまじない、儀式めいたことにやたら心をひかれていたが、男には男らしさを求める空気が蔓延していたクラス。女々しさをとがめられると後が面倒だった。

 首尾よく先生が暮らしているのはアパートの一室。そこにもフロアと地上をつなぐ階段がいくつかあり、いずれも学校が備えているのに似た形の、折り返し階段だった。

 その日の夕方。完全に暗くなる前に、先生は自室にほど近い階段の入り口に立っていたんだ。3階と2階をつなぐ階段で、踊り場の壁の上部に蛍光灯がひとつ。この時間になると自動的に点灯するものだった。

 近くに誰もいないことを確かめ、先生はステップを踏み出す。彼女のいう赤い絵の具は使わなかった。さすがにこのような公共の場所を汚すのははばかられたからだ。

 

 トントントン、トントントン。

 3段降りるは良かったものの、そのまま後ろに3段昇るのは度胸が要る。

 最後の一段でかすかにかかとを引っかけ、尻もちをつきそうだった。それでもこの程度は織り込み済み。その場でトントントンと、3回片足はね。

 残る6・3・3のステップ。彼女曰く、これでいったん30秒待つ、とのことだったが。



 そうして25秒後。

 耳を澄ませていた先生は、階段が鳴るのを聞いた。

 一番下の地上あたりからだろう。規則正しく石を踏む音に、いささか落胆を隠せない。きっと仕事終わりに帰ってきた誰かのものだ。

 聞かれるのも恥ずかしく、いったんその人が部屋に入るのを待とうとしたんだが、音は大きくなるばかり。

 この階まで登ってくるのか? 面倒だなと先生が思い始めた矢先。

 

 これまでピカピカと光っていた、踊り場の蛍光灯がにわかに点滅をはじめた。

 ただのつけたり消えたりじゃない。

 先ほど先生がしていた、6・3・6・3・3のステップ。あれと同じリズムで明滅を繰り返す。手拍子でも打っているかのようだ。

 階下の足音も変わった。それまでの規則正しいリズムが、先ほど先生の踏んだステップと同じものになる。

 しかし、先生のように戻っているわけじゃない。段を踏む音は強まるばかりで、どんどんこちらへ登っている。

 察したとたん、先生は一斉に鳥肌が立つ。この足音の主は、先生の足音を聞いていたに違いないんだ。ということは、これから上がってくるのは、おそらく「夢」……。


 会ってはいけない。そう思った。

 彼女が言った通り、夢と出会うべきは意識が眠りへ向かってから。こうして目覚めている時に出会ったら、何が起こるか。

 蛍光灯の明かりは、みるみる弱まっていく。それに反比例するかのように、足音はいよいよ10段と満たない、先生の真下の踊り場まできた気配がしたんだ。


 明かりが完全に消える。

 普段なら、まだこの時間帯なら明かりなしでも、かろうじて輪郭は見えるのに、真っ暗闇が足下に広がっていた。

 まなこだ。これは閉じられたまなこなんだ。

 目を閉じることによって初めて見ることができるのが夢。つまり起きながらにして、夢と出会える条件がそろったということ……。

 

 

 先生は逃げた。それにわずか遅れて、階段を駆け上がる音が聞こえる。

 マンションをどう逃げたか、覚えていない。ただ別の階段から降りようとしたとき、その一段目が抜けて、足を踏み外した感覚のままに、身体が落ちていって目の前が真っ暗になったんだ。

 そうして目が覚めたとき、先生は病院にいた。

 マンションの廊下で倒れているところを、住んでいる人が見つけてくれたらしい。発見されたとき、先生はほとんど息をしておらず、あと少し発見が遅ければ命がなかったかもしれないといわれたよ。

 まさに、夢のようなできごとでさ。学校に復帰したとき、あの夢見のステップを教えてくれた子はいなかったんだ。

 急な転校らしくて、席すら残っていなかったよ。


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