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彼岸の淵



 ざ、ざ、と、水の音が聞こえる。

 丸石が敷き詰められたような水面の淵の向こう側には、赤々とした曼殊沙華の花が一面に咲いている。

 蜃気楼のようにけぶる果ての見えない大きな川には、いくつもの朱色の鳥居が立っている。

 水は透き通っていて、半分ほど水に浸かっている私は、なぜだか冷たさを感じなかった。

 目隠しは、いつのまにか取れたようだ。

 体には縄が残っている。

 ――ここは、どこだろう。

 見たこともない景色だ。

 私はどうなったのだろうか。

 ――水の中におちて、それで。


「……かわいそうに」


 低く深い、落ち着いた男性の声が聞こえる。

 衣擦れの音と共に、私の体に誰かが触れた。

 力強い腕が私を抱き上げる。ざばりと水の中から抱き上げられて、私の体は空に浮かぶようだった。

 それぐらい、私を抱き上げた誰かは、背が高いのだろう。

 ぼやけた視界に、長く綺麗な青みを帯びた銀の髪が映る。


「もう少し、眠っていなさい。痛みも、苦しみも――これで終わりだ」


 それは、上質な着物を身に纏った男性だった。

 黒に曼殊沙華の柄の入った羽織と、同じく黒い着物に、赤い帯。

 私を一回り大きくしたぐらいあるのではないかと思えるほどの、立派な体躯。

 見たこともない銀の髪は長く、ゆったりと肩下を紐でしばっている。

 髪と同じ色の睫毛に縁取られた瞳は、翡翠色をしている。

 異国の方なのだろうか。

 精巧な作りの、美しい蝋人形のようにも見えるけれど、その瞳には意思の輝きがある。

 きりりとした太い眉と、高い鼻梁。とても精悍な顔立ちの男性だった。

 男性だけれど、怖くはない。

 それはその方の見目が私とはあまりにも違って、同じ人間だとは思えなかったからかもしれない。


「ここは……」


 私は水に落ちて、どこかの異国に流れ着いたのだろうか。

 ――まだ、生きている?

 まだ、生きなければいけないのだろうか。


「ここは、幽世。君の住む現世の、彼岸を抜けた先にある人とは異なる者のすむ世界。もう、悪いことは起こらない。安心して、眠りなさい」


「……私は」


「君は、六谷蜜葉。……ひどいめに、あったようだ」


 低い声が、子守歌のようにぽつぽつと、ゆっくり言葉を紡いだ。

 男性は私を抱き上げて、曼殊沙華の咲き乱れる川の向こうへ歩いていく。

 男性が歩くと、そのまわりにぼんやりと光る丸いものがいくつも飛んだ。

 それは男性に戯れるように、甘えるように、ふわりと浮かんではそっと儚く消えていく。


「あなたは……」


「――……」


 男性は何か言ったようだけれど、私には何を言っているのか聞き取れなかった。

 少し考えるようにして黙り込んだあと、もう一度男性は言う。


「れんか。……蓮華」


「れんか、さん」


「あぁ。蓮華で良い」


「あなたは、だれ?」


「私は……龍。君たちが、神とあがめ恐れている者。君がここにきたのは、私のせいなのだろう」


 蓮華さんは、少し悲しそうにそう言った。

 龍とは、なんだろう。

 私は何か言おうと思ったけれど、それ以上会話を続けることができそうになかった。

 深く沈み込むような、あがらえない睡魔を感じる。

 ずっと、まともに眠ることなんてできなかったのに。

 蓮華さんの声が、どこまでも優しかったからなのか、それとも抱き上げられて、ゆれる世界が心地よかったからなのかもしれない。

 どろりとした粘着質な液体の底に落ちていくように、私は意識を手放した。

 閉じた瞼の裏側に、曼殊沙華の赤色が広がった。



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