風呂は何度入っても良い
まだ頭がうまく働かない。
ここは私が住んでいた場所とは違う世界で、頭に三角耳のあるコカゲとアカツキは、本当に生きている。
――夢ではない?
「私は、死んで、ここは死後の世界ということでしょうか……?」
「それは少し違うのです。現世の死者が辿り着くのは、高天原か、黄泉の国。みつさまたち現世の方々は、天国、地獄などと呼んでいますね」
コカゲが丁寧な物言いで、優しく教えてくれる。
私は小さく頷いた。天国、地獄なら知っている。昔おじい様が教えてくれたように思う。
良いことをすると天国に行く、悪いことをしたら地獄へ行く。
おじいさまは、自分はきっと地獄にいくのだと、どこか諦めたように言っていた。
「ここは幽世。幽世とは、現世の裏側の世界のようなもの。ごくたまに、三瀬川から幽世へ迷い込む魂があります」
三瀬川とは、死者が渡ると言われている川のことだろう。
だとしたら私はやっぱり――。
「それが、みつさま。ここに辿り着いた魂は、人の形を保っていられないのが普通です。ふわふわと光る玉となり、記憶だけが残るもの。けれどみつさまは、たぶん生きたままここに辿り着いたのです。そのようにれんかさまが言っていましたので、たぶんそうなんだとおもいます」
やや拙い口調で、アカツキが言う。
私は自分の体を見下ろした。
腕も、足もある。ぺたりと、両手で顔に触れてみる。顔もある。
「……私は死にきれず、ここにきてしまったということですね」
「元気を出して、みつさま。コカゲが、精一杯お世話をします。なんせはじめて、れんかさまが仕事を下さったのですから」
「アカツキも、頑張ります。みつさまは、龍宮の大切なお客様。はじめてのお客様なのですから。お客様は大切にするものだと、決まっているのです」
コカゲとアカツキが、両脇から私の腕に捕まるようにして言った。
二人は愛らしい子供の姿をしているけれど、その口調からして子供ではないのだろう。
けれどぎゅっと捕まられると、子供らしいふにふにした柔らかい感触が腕に伝わってくる。
朱鷺子さんも――昔は、私と手を繋ぎたがった。
柔らかく小さな手のひらと手を繋ぐたび、私が朱鷺子さんを守らないといけないと、思っていた。
「みつさまは、お腹がすきましたか?」
コカゲが言う。
「お食事にしますか? それとも、お風呂が良いですか? アカツキたちは、猫人なので、お風呂は嫌いです。古来から、猫とはお風呂を嫌うものなのです」
アカツキがどこか得意気に、お風呂が嫌いだと教えてくれた。
ねこびと、というのは、アカツキとコカゲのことなのだろう。
猫と人。確かに、人の姿をしているけれど、耳と尻尾がある。
「アカツキさんと、コカゲさんは、猫人というのですね」
「さん、は、いりません。アカツキと、コカゲ。そう呼んでください。アカツキはその方が嬉しい。コカゲもそうです」
「みつさま、お腹はすいていませんか? みつさまのためにごちそうを準備したいと、コカゲは思っています」
「ありがとうございます。……でも、ご迷惑だと思うので、支度をしたらすぐに、ここを出ようと思います」
状況に圧倒されていた私は、やっと少し考えることができるようになってきた。
私には、二人に優しくしてもらう理由がない。
蓮華さんに助けて頂いたことはありがたいと思うけれど、これ以上迷惑はかけられない。
行くあてはないけれど、ここにいるのは申し訳ない。
私は死にぞこなってしまった。
あの川に戻ることができたら、きちんと――どこかにいくことができるだろうか。
天国でも地獄でも、どちらでも良い。
「ど、どうしてですか、みつさま! なにかアカツキたちが失礼なことをしましたか?」
「ごめんなさい、みつさま。何か嫌なことがありましたか? コカゲたちが、みつさまのお布団で一緒に寝てしまったから? ごめんなさい」
アカツキとコカゲは、目を真ん丸に見開いて、あわてたように言った。
一生懸命謝ってくれる。まるでそれは、在りし日の私の姿のようだ。朱鷺子さんに謝る私。
朱鷺子さんと同じことを、私は私に優しくしてくれた小さなひとたちに、してしまっている。
「ごめんなさい、違うの、ごめんなさい。優しくしてくれて、とても嬉しいです。でも、私、迷惑をかけられないと思って……」
「迷惑などではありません。みつさまは、大切なお客様なのですから」
「れんかさまがはじめてつれてきたお客様なのです。みつさま、お風呂に入りましょうみつさま。お風呂は何度入っても良いと、れんかさまも言っています。きっと、心も体もすっきりしますよ」
コカゲが、私の腕をひっぱった。
アカツキも立ち上がると、私の腕をぐいぐいひっぱる。
私は立ち上がった。申し訳なさばかりが募るけれど、今はいうとおりにしよう。
どうして良いのか分からないけれど、二人を悲しませたくない。




