第三話 2
学校の最寄駅から電車に乗り、南の方角に数駅。
嘉地鬨市の最南端に位置する、広めの敷地を持った上品な雰囲気のビル。
『羽黒コーポレーション』と看板に書かれた建物の前に、晃は連れていかれた。
「羽黒コーポレーション……って!お前、シャチョーレージョーってやつう!?」
綺麗に作られた、大企業の風格を感じさせる看板と麗華の顔を交互に見比べ、その事実に大きな声を出して驚愕する。
「表向きはね。ここが私の言っていた本部よ」
麗華は晃の方を見もせずに、ビルの入り口へと歩き出す。
ポケットから入場用の物と思われるカードを取り出し、ゲート前に立つ守衛に見せた。
「お疲れ様です。後ろの彼は、主任から話のあった芽吹くんですね?」
大柄で目つきの鋭い守衛と目が合う。
物腰は丁寧だが鍛えられた身体からはプロの威圧感が溢れている。
もし今、戯れにこの男に殴りかかっても全く通じず、返り討ちに合うだろう。
この男は戦える男だと、経験からくる晃の勘が告げた。
「そう。彼の返答次第では今後、ここへの出入りも多くなると思います。顔を覚えておいてください」
「承知しました。どうぞ」
麗華は晃の方を振り返り、自分の後ろについてくるように目で促す。
大きな会社ビルと屈強な守衛を背景に立つ麗華の姿には、社長令嬢の風格が満ち溢れている。
「ウッス……」
街の小さな定食屋の孫である晃は、自分と麗華の格の違いを目の当たりにして萎縮しながら後に続いた。
「なんか……普通の会社って感じだな」
羽黒コーポレーション、受付。
アーマライザーや剣晶を扱う麗華が所属し、おそらくはその動きをサポートしているであろう本部、その入り口。
面積は広く、綺麗に整っているが、特別感のようなものはない。テレビ番組で特集されているような大企業ほど華美な雰囲気もない。シンプルな作りのオフィス。
正義の秘密基地のようなものを想像していた晃は、まるで戦いの雰囲気を感じさせない様子に拍子抜けする。
「でしょー?」
麗華が何か言うより先に話しかけてきたのは、カウンターの奥にいる若い受付嬢だった。
セミロングの茶髪をハーフアップにまとめた、会社の顔役らしい整った容姿。
いかにも仕事が出来る女といった風貌だが、その笑顔と声はふんわりとした雰囲気があり、会話する相手の警戒心を解く。
「芽吹さん、初めまして!私は羽黒コーポレーションの受付を担当しております、森川です!」
「あ……チワス。芽吹っす」
受付嬢らしからぬ砕けた雰囲気の喋りだが、ガチガチに緊張していた晃にとってはその方が心地よかった。
相手に合わせて適切な話し方を選ぶことができる、守衛とは違った方向の仕事のプロだ。
「ちょ、ちょっと、森川さん……」
話の主導権を横から掻っ攫われ動揺する麗華だが、ここで強引に流れを奪い返せる会話力はまだ持っていなかった。
「まずはざっくり説明しますね!我が羽黒コーポレーションは孔雀院グループ傘下の企業群の一つで、アクセサリーの製造・販売を主に行う会社です!」
孔雀院グループ。社会の動きに疎い晃でも知っている名前だ。
最早本業が何でもあったかですらわからないほどに多種多様の企業を束ねる実質的な日本唯一の財閥。
警察よりフットワークの軽い治安維持組織として重宝される大型警備保障会社「シルバーセキュリティ」。
昨年、画期的なバイオテクノロジーを導入して注目を集めた食品開発企業「紅沢食品」などは特に有名だ。
「メンズもレディースも!ジュニアからシニアまで!確かな販路と斬新な企画で幅広い層のニーズに応えるアクセサリーの総番長!羽黒コーポレーションです!!」
満面の笑顔、上品ながらも勢いのあるテンション。それに加えて大きな声と身振り手振りで企業説明を行う森川さん。
ノリについていけていない晃は、若干引き気味だ。
「す、すげぇ大手じゃん。でも……やっぱ、普通の会社っすね」
「そう見えたのなら何よりです!そう見せていますからね!しかし〜?」
森川さんは急に視線を麗華に移し、カウンター越しに肘で突いて何かを促している。
「えっ?な、なに?」
しかし麗華はその意図を読めず、只々困惑するばかり。
「……んもう!ダメですよ!このタイプの男の子って大体照れ屋さんなんだから、話す時はもっと自分から積極的に!私の作った勢いにノって〜!はい続き!!」
「あっ、あぁ、はい……コホン!」
話の主導権を返してもらった事、あまり話すのが得意ではない麗華の為に気を使っての行動である事をようやく理解する。
目を瞑って一つ咳払いをし、次に開いた瞳は昨日見た戦士のものに変わった。
まだ話の本筋を飲み込めていない晃も、その真剣な眼差しを受けて背筋を正す。
「あなたが昨日見たように、私には……私達には、戦う使命を持った裏の顔がある。表の平和を守る為の、裏の顔が」
麗華の言葉には森川さんのようにすらすらと流れる軽快さは無いが、一言一言に重みと丁寧さがある。
「最終的な意思確認は、後で主任の立会いのもと行うけど……ここから先は普通の人間では知り得ない領域に入る。引き返すなら今よ」
麗華の言う通り、もし戦いから縁を切りたいのならここが最後のチャンスなのだろう。
「ハラは今朝とっくにくくってんだ。今更ウダウダ言うくらいなら、最初からここに来てねえよ」
だが、晃にその気は全く無い。
何故そうなったのかは今でもわからない、だが自分には殴れる力がある。
だったら殴る。とにかく晶獣を倒し、ヴェノムジェスターとの決着をつけ、祖母や友人、先生が襲われる事態を防ぎたい。
「……そっちこそ、今更俺からハシゴ外そうなんて考えても遅えぞ?」
そして、麗華との縁を切りたくない。
この歳までロクに他人と関係を持てなかった晃の心にある、恋心未満の小さな願い。
ずっとお互いの目を見据えた上での問答だったが、最後に思わず口に出てしまったそれが気恥ずかしくてそっぽを向いてしまう。
「わかった。相応の覚悟があると見做すわ……後で泣き言を言っても聞かないからね?」
呆れと納得と安堵が入り混じったような溜息の後、麗華は小さく微笑んだ。
昨晩別れ際に晃が見た、おそらく晃しか見た事のない意地の悪い笑み。
「麗華さん!よく出来ました〜!!」
しかし、そんな貴重な表情はカウンターの奥から飛び出して迫る森川さんの抱擁によって搔き消える。
まるで実家の犬か猫を愛でるかのように撫で回され、匂いを吸われ、麗華の表情は困惑する弱者のそれに戻ってしまう。
「や、やめてください……」
「せっかく捕まえた男の子なんですから、大事にした方がいいですよー?麗華さんだってまだ学生!友達や男の子と遊んだっていいんです!」
「なんの話をしているの!?」
「大人になったら忙しすぎていい人探す暇もないですからね」
そう言った森川さんの声と表情はにこやかだが、隠しきれない悲壮感が満ち溢れていた。
「なんなんだ、この変な姉ちゃんは……」
「め、芽吹くん!助けて!この人剥がして!」
他人事の距離感で森川さんの奇行を眺める晃、助けを求める麗華。
そして晃にも狙いを定める森川さん。
「甘いですよ芽吹さん!もはやあなたも仲間!あなたも友達!あなたも社員!!逃がしませんよ芽吹さーん!!」
「意味わかんねえんだよおお!!」
森川さんは麗華を脇に抱えたまま突進。
瞬時に晃を捕らえ、麗華と共に強く抱き寄せた。
「これから仲良くしましょうね、芽吹さん!麗華さんの事もよろしくお願いします!」
「わかった!わかったから離せよ!!話進まねえだろ!!」
「森川さん!その気遣いいらない!!そこまでいらない!!」
森川さんの力は意外にも強く、ぎゅっと抱きしめられた晃と麗華は振り払う事が出来ない。
彼女の気がすむまで、二人は理不尽に愛でられ続けるのであった。
「……私は、仲間や友達の手を離したりしないよ。絶対にね」
「……?」
「そ、それが言いたかっただけかよお?」
笑顔の裏に隠れた森川さんの想いと過去を、二人が理解するのはまだ先の話。